帝国会議の離婚宣言(その1)
1068年1月公現祭 ドイツ・ヴォルムス王宮 ベルタ・ディ・サヴォイア(17歳)
帝国会議――それは神聖ローマ帝国全土の諸侯と高位聖職者が一堂に会し、国家の重大事を討議する場です。
議場として使われる王宮の大広間は底冷えのする石造り。厚手のマントを羽織っていても、体の芯まで冷えてしまいます。
(殿方はよくこんな寒い部屋で、長時間の会議をする気になれるものですね)
この会議に参列している女性は皇后である私一人。殿方の辛抱強さに感心します。
しかし、この苦行もあと少しで終わり。
昨年十二月から始まった帝国会議も、1月6日の公現祭をもって閉会です。
そのせいでしょうか。冬の寒さとは裏腹に、議場を包む空気から和やかな雰囲気を感じられました。
皇帝である夫に付き従い、神のもとでの役割を果たすため。
そう自分に言い聞かせ、身を慎み、言葉を選び、ただ静かに席を温めてきた。そのような年末年始をすごしたこの会議場を見回します。
壇上にはハインリッヒ陛下とわたくしが座っており、背後にはザーリア朝の紋章である黒鷲の垂れ幕が威厳を持って掲げられています。
右手には聖職者たち。教会の序列に従い、マインツ大司教を筆頭に整然と並んでいます。
左手には諸侯たちが居ます。戦場を駆ける強者が多いのでしょう。聖職者たちよりも体格が一回り大きいです。
その最前列には、姉アデライデの嫁ぎ先であるシュヴァーベン大公ルドルフ、そして皇帝の盾と呼ばれる下ロートリンゲン公ゴットフリート三世の姿が見えます。
……今回の会議にもジャン=ステラは来ませんでしたね。
弟のジャン=ステラは今まで一度も帝国会議に参加したことはありません。
姉として、すこし寂しい思いがします。
帝国会議への参加資格はドイツ諸侯に限られています。しかし、弟のジャン=ステラはトスカーナ辺境伯以外にも、シュヴァイツァー男爵位を持っているのです。
会議に参加してくれたら、夫であるハインリッヒ陛下と仲直りするきっかけを作る事もできるのに。そう思うと残念でなりません。
「最後に、ハインリッヒ陛下より閉会のお言葉を賜りたいと思います」
会議の司会を務めるマインツ大司教ジークフリート様の声が、石造りの会議場に響きわたりました。
長かった会議が終わる。という弛緩した空気の中、ハインリッヒ陛下が立ち上がります。
「皆の者、よく聞け」
わたくしのすぐ隣で立ち上がったその姿は、威厳に満ちたもの――のはずでした。会議の締めくくりにふさわしい、お決まりの言葉が述べられるとばかり思っていたのです。
しかし、次に発された言葉は、わたくしの想像など遥かに超えておりました。
「俺は、ベルタと離婚することを、ここに宣言する」
……え?
あまりにも突然すぎて、意味が理解できませんでした。
わたくしの名が呼ばれたように思ったのは確かです。けれども、そのあとに続いた言葉が、あまりにも現実離れしていました。耳に届いていても、頭が受け入れを拒びます。
「仲が悪く、後継ぎとなる子を望むことはできない。そもそも、俺はベルタを抱いていない。処女であれば、再婚も問題ないだろう」
……え? そんな……
その言葉が、あまりに堂々と、あまりにも無遠慮に、まるで誰もが納得する事実であるかのように、会議場に放たれました。
血の気が、音を立てて引いていくのを感じました。
ざわり、と空気が波立つ気配。聖職者も諸侯も、息を呑んで目を見開いています。
……わたくしは間違いなく、陛下に抱かれました。初夜の床には侍女が控えており、証人もおります。あれは、儀礼ではなく、確かに夫婦としての結びでした。
たしかに、その夜ただ一度きりで、以後は寝所を共にすることもありませんでした。しかし、それでも、わたくしは、皇后として、夫の腕に抱かれたのです。
陛下は、それをなかったことにしようとしている。
わたくしを、ただの飾りに、あるいは、物のように処理しようとしている。
……なぜ。どうして、こんな公の場で?
言葉が出ません。喉が、塞がれてたかのようです。訴えたいのに、叫びたいのに、頭が真っ白になって、ただ唇を開閉することしかできませんでした。
どうしてこんな……どうして、こんなことに……
史実でも1069年に同様の離婚騒動が起きています。
妻だけど処女だって「公の場」で宣言する、その神経を疑います(諸説あり)。




