一姫二太郎
1067年5月初旬 イタリア フィレンツェ ジャン=ステラ・ディ・サヴォイア(13歳)
産室に入ると、マティルデは疲れ切った顔で僕を見た。そして、ぽつりと呟いた。
「女の子を産んでしまってごめんなさい……」
その声には、どこか申し訳なさと、自分を責めるような響きがあった。
「ええっ!? なんでそんなことを言うの!」
思わず、僕は大きな声を出してしまった。母子ともに無事に出産を終えたことが何よりだったし、生まれたのが男か女かなんて二の次でしかないんだよ。
「ジャン=ステラ、優しい言葉をありがとう。でも、本音ではあなたも男の子がよかったって思っているんじゃなくて?」
マティルデは、産後で疲れ切った顔をしながらも、じっと僕の目を見つめて問いかけた。
僕は全力で首を振る。そんなこと、まったく思ってない。むしろ、女の子のほうがいいとさえ思っていた。
だって、一姫二太郎って言うでしょう?
前世の日本では、女の子を希望するお母さんが多いと聞いている。前世のノエルお姉ちゃんも、甥の周ちゃんが生まれる前は、「女の子がよかったなぁ」なんて言っていた。
男の子よりも女の子の方が育てやすくて、病気も少ない。だから最初の子は女の子で、いろいろな経験を積む方が子育ても楽だって聞いている。
「そうはいっても、貴族にとって男児の後継者がいることは、重要なことよ。トスカーナ辺境伯家におけるジャン=ステラ、あなたの立場も男児の後継者がいれば強くなるもの」
マティルデは、少し寂しげに言う。
(そりゃまあ、そうかもしれないけど……)
たしかに後継者問題というのは、貴族社会では深刻な話題だ。僕たちの子が男児なら、将来のトスカーナ辺境伯として確固たる立場を得られるし、僕の立場も強くなるだろう。でも、だからって、女の子の誕生を悲しむなんて間違ってる。
次の言葉が出るのが遅かった僕の態度を肯定と受け取ったのか、マティルデが述懐の言葉を漏らした。
「私が男だったらよかったのにって、何度も、何度も言われたわ……。
お兄様が亡くなったときも、領地を継いだときも。
お母様だって、結局、ゴットフリート3世と結婚するしかなかったの。
それもすべて、私が女だから……」
マティルデの声が少し震えた。彼女は、自分の出生を悔やんでいるのだろうか。
暗殺された父・ボニファーチオのあとを継いだ兄・フェデーリコもわずか15歳で亡くなった。そのあと、マティルデは悲しい人生を歩んできた。本来なら自分が跡を継ぎたかったはずだが、女であるという理由だけで家臣たちに認められず、結果的に母・ベアトリーチェが髭公ゴットフリート3世と結婚し、彼にトスカーナの統治を任せることになった。
さらには、マティルデ自身も、ゴットフリート3世の息子との政略結婚を強いられてきた。
そんなマティルデだからこそ、男児の重要性を痛感しているのだろう。
(でも、それって理不尽すぎるよね)
「女の子だっていいじゃない! 男が子供を産めるわけじゃないんだし、男の子も女の子も同じように大切だよ!」
まったく、女の子だからって何だっていうのさ。プンプンと怒りがこみ上げてくる。
マティルデの気持ちもわかるけど、家臣たちや周囲の連中が「男児じゃなきゃダメ」みたいな顔をしているのが、どうにも納得できないし、気に入らない。
とはいえ……。
マティルデの気持ちも分からなくはない。すこし頭を冷やして考えてみれば、簡単にわかるもの。
もし僕がここで「神の下で男女平等!」とか唱えたらどうなると思う?
相続は長男総取りではなく、男女等しく分ける。すると、長女の婚約者であるアレクちゃんが次期トスカーナ辺境伯になりそうだし、もし僕とマティルデの間に十人の子供ができたら、領地を十等分することになる。
(間違いなく内乱になるよね)
家臣たちが全員、僕に反旗を翻すだろう。男尊女卑の考え方が染みついているのもあるし、過去に遡って「男女平等を」なんて唱える親戚が出てきたら、たちまち全ての貴族家でお家騒動が勃発する。
そしてトスカーナ領一円が内乱に巻き込まれたら敵が攻めてくるだろう。
神聖ローマ帝国のハインリッヒ4世なんて喜んで攻めてきそうだし、僕を異端審問にかけたがっているローマ教皇庁の面々だって暗躍するに違いない。そうなれば、僕に商売で煮え湯を飲まされたピサやジェノバの商人たちも、敵の支援を惜しまないだろう。
だから、残念だけど、仕方ない。
本当は悔しくたまらない。でも、家臣たちが男児の誕生を望むのも、彼らなりの理由がある。
それを僕が全否定する訳にもいかない。
僕ができることといえば、せめてマティルデに慰めの言葉をかけることくらいだ。
彼女の長い黒髪をそっと撫でながら、柔らかい声で語りかける。
「大丈夫。次の子は男だから」
「一姫二太郎」って言葉があるし、次は男の子だったらいいよね。
僕は軽い気持ちで口にした。
その途端、マティルデの表情がぱっと明るくなった。さっきまでの悲しそうな顔が嘘のように、頬を上気させ、目を輝かせる。
「預言者であるあなたが言うのなら、間違いないわよね! ありがとう、ジャン=ステラ!」
いやいや、預言とかそういうつもりで言ったわけじゃないんだけど…… まあ、いいか。
マティルデに笑顔が戻ってきてくれたなら、それでいい。
「ジャン=ステラ、早速だけど、今夜はどう?」
出産直後なのに、これほど元気な人がいるとはびっくりだ。
「いやいやいや、さすがに無茶でしょ!」
マティルデさん、あなた今日出産したばかりじゃない。
マティルデは、くすくす笑いながら、肩をすくめて言った。
「まあ、冗談よ。でも、私も早く出産の傷から回復して、次の子の妊娠に備えなくっちゃね」
「……うぅ?」
僕は絶句した。
マティルデ、ちょっと落ち着こう。せめて1週間、いや1ヶ月は身体を休めるべきだよ……。
(いや、本当に無茶しないでね!?)
そう思いながらも、僕は生まれたばかりの娘をそっと抱き上げた。
「ようこそ、僕たちの家族へ。これから、よろしくね」
僕の腕の中で、小さな命が静かに息をしていた。
ーーーーーーーー
ジ:ジャン=ステラ
マ:マティルデ
ジ:子供の名前はどうする?
マ:女の子だから、慣習通り私のお母様の名前をいただくわ
ジ:じゃぁ、ベアトリクス?
マ:ベアトリクス・ディ・サヴォイア。いい名前でしょ?
ジ:あ、ベアトリクス・ディ・カノッサじゃないんだ
マ:ジャン=ステラの王位から、ディ・カナリアにしてもいいけど、どうする?
ジ:ん-、そうだね。 ディ・アメリカとかでもいいけど、今はサヴォイアにしておくね
マ:アメリカってなに?
女性の名前は基本、お母さんの名前を継承しています。
ジャン=ステラちゃんのお母様がアデライデ・ディ・トリノ。
その長女がアデライデ・ディ・サヴォイ。
その娘がアデライデ・フォン・ラインフェルデン。
男性の場合もお父さんの名前を継承します。
ほら、フランスにもルイ14世とかルイ16世とか、ルパン三世とかいるじゃないですか。
サヴォイア家の場合、アメーデオ、アイモーネ、ウンベルト、ピエトロあたりが定番の名前になっています。




