一騎打ち(後)
1065年7月下旬 アルプス山中 セプティマー峠 ジャン=ステラ
僕が敵陣のゴットフリートを睨んでいるうちに、一騎打ちが始まっていた。
一番手は護衛のティーノ。革鎧に身を包んだティーノが槍を脇にしっかりと抱え、敵に向かって馬を勢いよく走らせる。
反対側でも、敵の騎士が馬の疾走を開始した。ティーノとの違いといえば、槍の持ち方だろうか。
脇に抱えるのではなく、まるで槍投げのように頭上に掲げ持っている。
「ドドッ、ドドッ」
馬蹄の音が響く中、誰もが息を呑んで見守っている。
ティーノと敵騎士の距離が一気に縮まり、二頭の馬が交差する。
「カッ」「ドゴッ」
ティーノの槍が敵の脇腹をえぐり、敵騎士がスローモーションのように馬からゆっくりと落ちていく。
「ティーノが勝った!」
気がつくと僕は立ち上がり、叫んでいた。勝った、ティーノが勝ったよ!
周りのみんなも沸き立った。
「うおっしゃあぁ!」
「ティーノ、よくやったぞぉ!」
「神のご加護は我らにあり!」
ティーノが勝利の報告のため、僕の前に進み出た。
「ジャン=ステラ様にこの勝利を捧げます!」
「ティーノの勝利は受け取った。残る4人もティーノに続け! 全員が勝利をつかむんだ!」
一騎打ちが始まる前は憂鬱だった僕の気分は霧消した。
ティーノが勝っただけで、これほど気分が高揚するなんて知らなかった。
自軍の誰もが、叫び続けている。
「ティーノに続け!」
「全員が勝利をジャン=ステラ様に捧げるのだ!」
みんなの気持ちが一体となり、その中で僕も興奮の渦にのまれていた。
そう、誰も彼もが勝利の美酒に酔いしれている。強すぎるアルコールで感覚が麻痺していただけだった。
ただし、そのことに気づいたのは、少し後の事。それまでは順調だった。
二人目も勝った。槍を受けとめきれず、敵が盾を取り落とした。
三人目の一騎打ちは、鎧の上から敵の肩を貫いて勝利。
勝つたびに僕たちは大興奮。
3つめの勝利の後は、「勝ち越したぞー!」との叫びも加わった。
手をぶんぶん振り回し「今なら1万の軍と対峙しても勝てるぞ!」と喜んでいる者もいる。
勝利の歓声が天を突くように響く中、僕は全能感に包まれていた。今なら何でもできる、そう感じた。だが、その感覚は長く続かなかったのだ。
四人目のエンリコが敗北を喫した瞬間、軍の雰囲気がガラリと変わった。
馬を疾走させるエンリコが、すれ違いざまに槍を繰り出す。槍を槍で弾く音が空に響くが、決着はつかず、馬を返す。
何度繰り返しても決着がつかず、最後は馬の足を止めて、槍と盾で殴りあっていた。
どちらが勝っても不思議ではなかった。しかし、エンリコは槍を弾き飛ばされ降伏を余儀なくされた。
ーーああ、負けちゃったかぁ、残念。
ガックリと一度は肩を落としはしたものの、勝負は水物だとわかっている。
ーー時の運も関係するから全員が勝てなくても仕方ないもんね。
ぺちっと、ほっぺたを叩き、「よおっし」と気合いを入れ直す。
そもそも三勝一敗とすでに勝ち越しているのだ。気持ちを切り替えて、次に行こう。
一騎打ち最後の挑戦者は、老護衛のロベルト。
これまで僕の護衛をずっと勤めてくれたロベルトへの感謝を込めて、精一杯に応援するぞ!
だというのに、周りの様子が変なのだ。
ゴットフリート三世の軍が勝利の喜びに沸いているのは腹が立つけど仕方がない。
「一勝できたぞ」
「勝利の風が吹いてきた」
「俺らは勝った! 神の加護なんてうそっぱちだ!」
敵が勝利を祝うのは当然として、問題は僕たちの軍だ。
エンリコの敗北が伝わると、まるで冷たい風が一瞬にして軍を包み込んだかのように、ざわめきが広がった。「神の加護は、どうなったのだ……」と、誰かがつぶやいた。
一人のつぶやきが、次第に軍全体へと伝播し、疑念が広がっていく。
「なぜだ、なぜ負けたのだ」
「神の加護で、必ず勝つのではなかったのか」
「預言は本当だったのか?」
「本当に神は我らを見守っているのか?」
負けにがっかりするというよりも、困惑が広がっている。
いや、困惑というよりも、信仰心が揺らいでいる。
より正確には、僕が本当に預言者なのかと疑っているのだろう。
ーー神の加護があるから、何をしても、何があっても勝つと思い込んでいたの?
確かに「我らは必ず勝利する」って僕は言った。
しかし、それって士気を鼓舞するためじゃん。そんな事くらいわかってよ。
それなのに、
「ジャン=ステラ様は預言者ではないのか?」
「神の加護は嘘だったのだろうか」
「もしかして、俺たち負ける? 殺される?」
とささやく声が聞こえてくる。
敵の兵力は10倍以上だもの。正面から戦えば間違いなく僕たちは全滅だ。
そんな事は当然すぎるぐらい分かっている。だからこそ、ゴットフリート三世の軍を見つけてすぐに、騎馬で突撃しようとしたんじゃないか。
そんな事をいまさら言っても仕方ないのは理解している。それに、家臣の進言を無視して急襲しなかったのは僕の決断だった。今更に悔やんでも仕方ない。
でも……。
どうしよう、どうすればいい?
いっそ、今からでも一騎打ちを中断して突撃する?
卑怯かもしれないけれど、一騎打ちが終わるのを待つよりは、まだ勝てるかもしれない。
マティルデお姉ちゃんの軍旗が、山のだいぶ下の方で、風に揺れている。
ーーあそこまでたどり着いたら、お姉ちゃんに助けてもらえないかな?
いやいや、そんな気弱でどうする。
まずは自分で出来る事をして、なんとか立て直さないと。でも、どうすればいい?
僕がおろおろしていたら、突然に視界の一部が真っ赤に染まった。
「ゴォーッ」という音を伴った太い火柱が、黒煙を挙げて激しく燃えている。
ーーファビオか!
崖の上をみると、岩陰から従者のファビオが「我、成功せり!」のサインを送っている。
従者のファビオが、ギリシアの火の詰まった壺を投げ入れた。
ファビオが投げた火壺が燃え広がる様子を見て、僕の心臓は跳ね上がった。
ファビオは僕を助けようとしてくれたのだろう。しかし、その炎はエンリコも敵も等しく飲み込んでいた。
一騎打ちに負けて捕虜となったエンリコを、敵の騎士が連れていく。
そんなタイミングを見計らって、ファビオは壺を投げた。
ーーこれって、味方殺しだよ。いくら戦争でもそんなのだめでしょう!
一騎打ちに負けて、信仰が揺らぎ、味方殺しが発生する。
さらなる悪状況の急変に、僕はいったい、何をどうすればいい?
一騎打ちに勝った騎士を殺されたゴットフリート三世の軍が、今すぐ攻め寄せるかもしれない。
そうなれば復讐の名のもとに、僕たちは捕虜になることも許されず、皆殺しにされるだろう。
「ああっ! もういやっ! 誰でもいいから僕を助けてっ!」と大声で叫びたい。
敵も味方も全軍の注目が火柱に集中している。
味方の軍は声ひとつださず、燃えるエンリコを見つめている。
一方のゴットフリート三世の軍からは、驚きと怒り、そして怨嗟の声が聞こえてくる。
「何がおこった! なぜ燃えている?」
「敵の仕業か?」
「卑怯者め! 負けたからといって火を付けたな!」
ただ、その声は長く続かず、状況は変化していった。
目の前の火柱が、傭兵を燃やした火と同じだと気づいた者が声をだしたのだ。
「あの火って、傭兵を燃やした火だよな?」
「ああ、間違いない。黒い煙も同じだ」
「なら、水をかけても消えないってことか」
「当然だろう、あれは神の火なのだから」
神、神の火、天罰、預言者。
言葉の断片がゴットフリート三世の軍を駆け巡り、そして消えていく。
両軍が火柱を見つめる静寂を、僕の横にいる老護衛のロベルトが切り裂いた。
「エンリコは、信仰が足りなかった! だから一騎打ちに負けたのだ!
ジャン=ステラ様は『負けることは許さぬ』、と預言された。
エンリコは神の教えに背き、敗北した! 背教者エンリコに神罰が下されるのは当然のこと。神の火に燃やされるべきなのだ!」
ーーちょっと待ってよ、ロベルト。そんな無茶な!
どうしてそんな理不尽な理由をでっちあげちゃうの?
負けた騎士をギリシアの火で焼き、その理由は信仰心が足りないからだなんて、無茶苦茶にもほどがある。
そもそも、信仰心が足りていないかを、どうやって判断すればいいというのだろうか。
そう考えたのは僕だけではなかったようで、敵陣から怒りのこもった声が響く。
「ならば、なぜ勝者のアルドまでが燃やされたのだ! 彼もまた、神に背いたとでもいうのか?」
ロベルトは怯むことなく、悦に入ったような笑顔をうかべて答えた。
「アルドもまた、神の背信者である!
ジャン=ステラ様は預言された。『負けることは神が許さぬ』と。
アルドは神の意思に逆らい、一騎打ちに勝利した。それがアルドの罪である!」
ーーさらに理不尽のレベルがあがったね……。
だが、ゴットフリート三世の軍は、まちがいなく動揺していて、その動揺は広がり続けている。
「神の預言というのは、本当だったのか?」
「ジャン=ステラは偽りの預言者ではなかったのか?」
「なら、どうして神の火が現れたのだ」
「俺たちは、勝ってはだめなのか? 勝てば神罰が下るというのか?」
「おお、神よ、我らに救いを!」
僕の陣に続き、ゴットフリート三世の陣も一旦のざわめきの後、次第に静まり返っていく。
ーーちょっと待って! どうしてロベルトの無茶な話を信じるの? 冷静に考えてよ。こんなの誰がどう見てもおかしいでしょう?
まったく理解できないんですけど、僕。
それは僕だけではない。おそらく両軍の心の中が完全に混乱している。それを表すよう、誰も動かない。両軍はただただ、神への祈りの中、静かに向かい合っている。
その膠着を破ったのは、ゴットフリート3世だった。
「ジャン=ステラ、出てこい! 俺が一騎打ちの相手になってやる!
お前が預言者だと名乗るのは今日で終わりだ。 この戦いで、お前の偽りを暴いてみせよう!」