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奇襲計画とハンニバル

 1065年6月上旬 北イタリア トリノ ジャン=ステラ


「ジャン=ステラは、ゾウという動物を知っていますか」


 唐突にお母様が、ゾウの話を僕に振ってきた。


 ゴットフリート3世をいかにして出し抜き、カノッサ城にいるマティルデお姉ちゃんを奪うのか。そのことについて話をするつもりだったんだけど。まぁ、いいや。


「馬の何倍も大きくて、鼻がながい動物ですよね。お母様は見たことがあるのですか?」


 ヨーロッパにゾウは住んでいないし、もちろん動物園なんてない。お母様はどこでゾウを知ったのだろう。


「ニケタス様が描いたゾウの絵を見たのです。馬のようにゾウに乗り、戦場を走らせるのですって」


 ニケタス・ステタトスは、アレクちゃんと一緒にアルベンガに滞在していた神学者。コンスタンチノープルの帝都大学で教授をしていただけあって、とても博識で有職故実(ゆうそくこじつ)にも通じていた。


 アデライデお母様はニケタスと食事を共にする際、歴史の話を好んで聞いていたらしい。


 ◇◆◇◆◇


 むかーし、むかし。それはキリストが生まれる前、つまり紀元前のことでした。

 古代ローマの本土であったイタリア半島は、名将ハンニバルに文字通り蹂躙(じゅうりん)され、滅亡の淵に追いやられましてな。


 そのハンニバルが使ったのが、なにを隠そう、アフリカから連れてきたゾウでした。


 古代ローマ軍が誇る重装歩兵も、圧倒的な質量を誇るゾウ軍団の突撃の前に()(すべ)も無く崩れ去ったのです。


 ◇◆◇◆◇


「ゾウの前では、人間なんてちっぽけな存在ですものね」


 槍一本でゾウさんに立ち向かわなければならなかった古代ローマの兵士さんに同情しちゃうなぁ。


「そのゾウを連れたハンニバルなのですが、アルプスの山を超えて北イタリアを攻撃したそうなのです」


 ヨーロッパにゾウはいないから、ハンニバルが連れてきたのはアフリカ産のゾウのはず。


 アフリカからイタリアに来るのなら、船で地中海を渡ればよい。それなのに、わざわざ北へと周り、アルプス山脈の峠道を越えるだなんて、何を考えているんだか。


「アフリカから象を連れてくるなら、船でイタリア半島の南端に運べば楽ですよね。なんでまた、ハンニバルはそんな酔狂(すいきょう)な事をしたのですか?」


「それは簡単な事よ。奇襲するためだったのです」


 いくらゾウとはいえ、事前に準備しておけば、やっつけることが可能らしい。


 実際に、ローマの将軍スキピオはゾウを連れたハンニバルを打ち破ったのだとか。


「戦場に落とし穴でも掘っておくのですか?」


「さぁ、どうなのかしらね。しかし、ゾウの事はどうでもよいのです。


 ジャン=ステラ、あなたもアルプスの北からカノッサを奇襲するのはどうかしら」


 マティルデお姉ちゃんの居城であるカノッサ城は、トリノから騎馬で約1週間ほど東南東に進んだアペニン山脈の北端に位置している。


 北イタリアに広がるポー平原の南端を通る道路を東に5日進み、そのあとパルマから南下することになる。


 当然、ゴットフリート3世はこの経路を見張っていて、僕の騎馬隊が通れば確実に見つかってしまう。


 一旦見つかれば、伝書鳩によって僕がカノッサを奇襲するよりも早く、カノッサの城門は閉ざされてしまい、お姉ちゃんの嫁盗り作戦は失敗してしまう。


 では、どうすれば奇襲が成功するだろうか。考えに考えた結果、お母様はハンニバルの故事になぞらえた奇襲計画を思いついたらしい。


「幸いジャン=ステラは、アルプスの北側のシュヴァーツに領地を持っています。そこで準備を整えた後、一気に帝国街道を南下し、カノッサを東側から奇襲するのです。どうかしら?」


 神聖ローマ帝国を南北に結ぶ帝国街道は、ドイツ北辺のバルト海から地中海のローマを結んでいる。


 その帝国街道がアルプスを北から南へと超える位置にあるのが、ドイツのインスブルックとイタリアのベローナである。


 このインスブルックは、僕の領地であるシュヴァーツのちょっと西に位置している。そこでシュヴァーツを起点として南下しブレンナー峠でアルプスを越えてイタリアのベローナへと出る。


 ベローナからさらに南下しモデナを抜ければ、カノッサ城を北東方向から奇襲できる。


「馬鹿正直に西から奇襲するよりも、よっぽど成功しそうですね。


 しかし、僕はどうやってシュバーツまで行けばいいのですか。途中で見つかってしまいますよ」


 シュバーツを起点にカノッサを奇襲するとしても、僕がシュバーツにいる事をゴットフリート3世に知られてしまっては意味がない。


 僕が考えつくような懸念は既にお母様も思いついていて、解決策も準備してくれていた。


「もちろん、それも考えてあるわよ。ゴットフリート3世に見つからないよう、アルプス西側のローヌ川を北上すればいいわ」


 トリノ辺境伯領には、ゴットフリート3世のスパイがいて、お母様や僕の動向を見張っているはず。


 そのため、トリノからそのまま北上したら、僕がアルプスの北側に行ったとばれてしまう。


 だったら、どうすればいいか。


 アルベンガから地中海を西行し、フランスのローヌ川を北上すればいいというのがお母様の計画だった。


 アルベンガからジュネーブに行き、そこから東行してインスブルックに出る。あとは時間を見計らって帝国街道を南下しカノッサへと至る。


 頭の中でざっと経路を思い浮かべて距離を計算してみると、1500kmは軽く超えていた。馬で一日に進める距離が50kmだとしても、30日かかる。


 奇襲部隊を騎馬だけで編成したとしても、さすがに長距離にすぎる。


「うげげっ。お母様、あまりにも大回りじゃありませんか? 奇襲よりも前に僕の方が倒れてしまいそうなんですけれど」


 倒れてしまうことも心配だけど、その前にお尻の皮がぺろんって()けちゃう気がする。だって、馬の鞍って固いんだもん。


「大丈夫よ、ハンニバルが成功したのです」


 ハンニバルの場合、アフリカからの奇襲だった。


 一方の僕はアフリカよりも近いイタリアからの奇襲のため、お母様的には問題ないらしい。


 しかし、全く論理的ではないよね。ハンニバルの方が道のりは長くても、僕のような時間の制約は考慮していないんだもの。


「そんな無茶なぁ」

「無茶でもいいではありませんか。それでマティルデ様をお迎えできるのなら、お尻の皮くらい()いてしまいなさい」


 ああ、僕のお尻はお猿さんみたいに真っ赤っかになっちゃう運命なのかぁ。


 僕のつぶやきを無視して、お母様が奇襲計画の細部を詰めていく。


「いくらアルベンガを出発して大回りするにしても、ジャン=ステラの所在は隠しておく必要があるわ。


 そこでアルベンガにいる水軍を使って、ピサが支配するサルディーニャ島を攻めましょう。いえ、実際に攻める必要はないわ。本気で攻めるふりをすればいいのよ。


 そうすれば、ゴットフリート3世の意識も南に向くから丁度いいわね」


 サルディーニャ島を実質的に支配しているのは、トスカーナ辺境伯家に従っているピサである。そのピサの領地を攻めるそぶりを見せれば、ゴットフリート3世の意識は南に向く。


 その分だけ、カノッサ北方の監視が疎かになるはず。


 それに僕がアルベンガを出港したことがばれても、その行き先はサルディーニャ島だと誤認してくれるだろう。


「これなら、ジャン=ステラがローヌ川を北上しているとは誰も思わないわよね」


 サルディーニャ島に船を進めることで僕の奇襲計画をゴットフリート3世から隠ぺいする。


 その計画を言い終わったお母様は自信たっぷりに胸を張り、ふふふんっと、上機嫌な笑みを浮かべた。



「お母様、すごいです!」

 僕の口から感嘆の言葉が飛び出した。


 もともとはごく少数の騎馬でカノッサを急襲し、マティルデお姉ちゃんと一緒に逃げてくるだけの計画が、すごく大掛かりなものに化けちゃった。


 なんだか、アルプス越えの奇襲が間違いなく成功するような気がしてきた。



「あとはそうね。ジャン=ステラ、グイドを借りるわよ」

「はっ。アデライデ様、何なりとご下命を」


 僕の従者の一人であるグイドがお母様の前に進み出てひざまずく。


「グイド、あなたはアルプス北側のシュヴァーツに先行し、ジャンステラの騎馬隊を迎える準備をなさい。その道中においてインスブルックからカノッサまでの水と食料、そして馬の糧秣を道中に手配するのです。当然ですがゴットフリート3世に準備を悟られないように秘密裏に行動するのですよ」


 グイドの実家であるメッツィ家は、北イタリアのポー川沿いに領地を持つ男爵家である。その力を使って僕の奇襲計画をサポートするようお母様が命令を次々と下していく。


「マティルデ様をトリノにお迎えした暁には、褒美としてグイドに男爵位を授けましょう。全力をもって取り組むように」


 グイドが驚きと喜色を同時に露わにし、「はっ!」と一言快諾の意を表した。


「お母様、アルベンガからシュヴァーツまでの食べ物はどうすればいいですか?」


 アルプス北側のシュヴァーツからカノッサまでの補給物資はメッツィ家が担当する。では、残りの道中は誰に担当してもらおう。本来ならば僕が案を出すべきだけど、トリノ家の事情に通じていない僕には誰が適任なのかさっぱりなのだ。


「アルベンガからレマン湖までは船だから問題ないわね。そこから先は、あなたの筆頭家臣であるラウル・ディ・サルマトリオに任せなさいな。あなたの代官としてアオスタ伯領を統治しているのだから、適任でしょう」


 そんなこんなで、あっというまに僕のカノッサ襲撃計画が立案されたのだった。


『マティルデお姉ちゃん、もうすぐ迎えにいくから待っていてね』



ーーーー

あとがき

ーーーー


カノッサ襲撃計画(ジャン=ステラ):

7月1日 アルベンガ発 船でジュネーブ伯領(アメーデオ兄の嫁の実家)

7月5日 ジュネーブ出発 インスブルックへ (道程500km)

7月20日 インスブルック発 ベローナへ (道程270km)

7月27日 ベローナ発 カノッサへ (道程120km)

8月1日 カノッサ急襲


陽動:アルベンガの同盟海軍アメーデオ

7月1日 サルディーニャ島へ進軍すると見せかける示威行動を開始


合流:トリノ軍主力(豪胆伯ピエトロ)

7月30日 トリノ発 ポー川沿いに進軍。ミラノ経由でパルマへ

カノッサ襲撃後のジャン=ステラを回収する

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― 新着の感想 ―
[一言]  ローマ人の物語でしか知らないけど、ハンニバルが頑張って連れてきたゾウさんはあんまり役に立たなかった模様……。
[一言] >ジャン=ステラの所在は隠しておく必要があるわ 影武者の「ジャソ=ステう」ちゃんとかを用意するのも手ですね
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