布教なんてしたくないっ
1064年8月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
「エイリーク、生きて戻ってきただけで充分だよ。よく無事に戻ってきてくれた」
エイリークは大西洋の横断に成功し、新大陸に到達した。
しかしながら現地民の戦争に巻き込まれ、ヨーロッパへの撤退を余儀なくされた。
もしかすると、エイリークがもたらした武器や品物を巡る争いが発生したのかもしれない。たとえば、こんな会話が現地人の間で交わされたのかも。
「やいやいやい、お前の村が異国の珍しい品々を独占するのはけしからん。俺たちにも平等に配分しろよ」
「そんなのいやだ。全部俺たちのものだ。分けてなんかやるものか」
「よろしい、ならば戦争だ。奇襲で奪いつくしてやるからな」
エイリークの話を聞き、僕はそんな風に思った。この推測が正しいとしたら、決してエイリークだけが悪いわけではない。むしろ僕のせいだ。
石器を使っている人達の所に、鉄の武器をもったエイリーク達が行く。僕が一番気にしていたのは、エイリークたちが武器の優位性を使って略奪、さらには虐殺に走ることだった。
史実のコロンブスも虐殺はしなかったものの、略奪しまくっていたと歴史の先生が語っていた。
それを覚えていたせいで、まさかエイリークの方が襲われるとは考えもしなかったんだ。
立場上、エイリークに頭を下げて謝ることはできない。
僕にできる最大限のことは、エイリークを労う事くらい。
「エイリークはよく頑張った。無事に戻ってきてくれて僕はとても嬉しいよ」
エイリークの手をとり、ありがとうの気持ちを込めて、力いっぱい握りしめた。
「ジャン=ステラ様ぁ……」
感極まったのかエイリークは涙を流し始めた。
カリブ海のエスパニョーラ島を離れた後、エイリークたちは飢えに苦しみつつアゾレス諸島へとたどり着いた。
エイリーク船団のロングシップ三艘中、大西洋横断に耐えられると判断されたのは一艘だけだった。その一艘に生き残りの船員を全部乗せたため、途中で食料が尽きてしまったのだ。
「アゾレス諸島には、アキテーヌ公爵の手のものがおりました」
世界を二分する条約において、アゾレス諸島はアキテーヌ公爵の領土となった。
アキテーヌ公爵には僕からおおよその場所を伝えておいたのだが、無事にアゾレス諸島を発見できたみたい。
「嫌味は言われたものの、食料と水を手に入れる事ができました。ただ、食料との引き換えにピエトロ様の婚約者であるアキテーヌ公爵家令嬢アニェーゼ様の海上護衛を引き受ける事となりました」
「大西洋を往復するだけでも大変だったのに、アニェーゼさんの護衛まで引き受けてくれて、本当にありが……じゃなくて、ご苦労様だったね。ピエトロお兄ちゃんに代わって謝意を表明するよ」
大西洋を往復した後、そのまま護衛任務って、ブラック企業も真っ青になる働きぶりだ。
エイリークの大忙しぶりには本当に頭が下がる。まぁ、頭を下げたらアデライデお母様に怒られちゃうから、下げないけどね。
僕のねぎらいの言葉を聞いたエイリークが口をぽかんと開け、不思議そうに質問してきた。
「ジャン=ステラ様は私の言葉をお疑いにならないのですか?」
「なんでエイリークを疑うの?」
訳がわからない。どこかにエイリークを疑う所ってあったっけ?
「私は証拠となる品を何一つ持ち帰れませんでした。新大陸で手に入れた宝石類は、ヨーロッパにも存在するものばかり。そして、現地民と交換したトウモロコシや芋は、船上の飢えで食べつくしてしまいました。
つまり、新大陸まで言ったという証拠が何一つないのです」
「なーんだ、そんな事か。気にしないでいいよ。僕はエイリークの事を疑っていないもの。むしろ僕の地図を信じて大西洋を横断してくれたことに感謝しているんだよ」
トウモロコシが残っていなくて残念という思いはもちろんある。しかしエイリークへの感謝は間違いなく僕の本心なのだ。これで一歩、ピザに近づいたんだもの。
「で、ですが。アキテーヌ公ギヨーム様は、アゾレス諸島に漂着した私のことを嘘つきだ、ペテン師だとおっしゃられ、まったく取り合っていただけなかったのです」
アキテーヌ公とのやりとりを思い出したのか、エイリークはギリッと音がするほど、奥歯を噛み締めていた。
エイリークはアゾレス諸島に二度、たどり着いたことがある。一度目はクリュニー修道院長ユーグの命に従い、カナリア諸島から南下した時。海流と風の関係上、アフリカ沿岸の大西洋を時計回りにぐるっと回ってアゾレス諸島にたどり着いた。しかし、ユーグとアキテーヌ公の二人はエイリークの南下を信じることはなく、エイリークを嘘つきと断じていた。
そして二度目の今回も、大西洋を横断したという嘘をついているとアキテーヌ公に言われたのだ。
「エイリークを疑うだなんてアキテーヌ公はひどい人だよね」
「……」
僕が同情を示すと、エイリークが無言のまま涙を流していた。
今までに、どれだけ苦労してきたんだろうか。それは僕にはわからない。だけど今はたくさん泣くといいよ。
でもね。そんなに泣いてると、泣き虫エイリークってあだながついちゃうぞ~。
泣いているエイリークを眺めていたら、イルデブラントが話に割って入ってきた。
「ジャン=ステラ様、やはり新大陸は神の恩寵なき大地なのでしょうか?」
新大陸には、小麦どころか麦類がない。エイリークの報告を僕と一緒に聞いていた枢機卿のイルデブラントが話題を新大陸に引き戻した。
「麦類がないのは間違いないよ。でも、その地には別の神がいるんじゃないかな。少し前のハンガリーみたいな多神教か、自然崇拝の神様がいると思うよ」
昨年、ピエトロお兄ちゃんと僕はハンガリー戦役に参加した時、現地でハンガリーの国情について教えてもらった。
キリスト教がハンガリーの国家宗教になったのは西暦997年。今も多神教が残っていて、自然崇拝と先祖崇拝が盛んなんだって。
なんだか日本みたいだよね。というよりも、古代ローマの多神教がハンガリーに残っていると言った方が正しいのかも。
「つまり、異教の邪神がはびこる魑魅魍魎の土地ということですね」
いやいや、イルデブラントさん。異教はともかく邪神って……。
前世で世界史を学んだからキリスト教の排他性は知っているけど、目の前で言われるとドン引きしてしまう。
引き気味の僕とは異なり、邪教という言葉を吐いたイルデブラントの顔が紅潮しはじめた。明らかに興奮しているイルデブラントの様子に、なんだか嫌な予感がする。
「ジャン=ステラ様、いかがでしょう。新大陸から邪教を排除し、その地に生きる者どもを救済しませんか?
ご存じの通りイエス・キリストの教えを広めることは、我々キリスト教徒が神から与えられた使命の一つ。
かの地の邪教を滅ぼし、神の恩寵を大いに施そうではありませんか!」
自分の言葉に酔っているのか、目に情熱の炎が宿っている。
うひぃ~。やめて~。宗教なんて広めなくてもいいじゃん。どうせ広めるならピザ教でしょう?国を作るならグルメニア王国でしょ?国是は美味しいものをお腹いっぱいでしょう?
そんな僕を置いてきぼりにしたままに、その場が大いに盛り上がる。
「イルデブラント様、素晴らしい!我々も賛同いたします。ユートキアもそう思うだろう」
「ええ、もちろんですわ。預言者ジャン=ステラ様の御威光を新大陸にお届けするのです」
新東方三賢者のイシドロス・ハルキディキとユートキアが真っ先に賛成を表明したかと思えば、アレクちゃんも協力を申し出る。
「ジャンお兄ちゃん、僕も布教に協力するね。お父様を通じて陛下や大主教にお手紙を届けてもらうのはどう?」
アレクちゃんのお父さんは、東ローマ帝国前皇帝の弟であるヨハネス・コムネノス。そして大主教というのは、東方教会コンスタンティノープル総主教のイオアン8世。
「アレクシオス様、それは良いお考えです。不肖このヨハネス、総主教イオアン様とは大学で法学を共に学んだ間柄。その伝手も使って、布教への協力を呼びかけましょう。ニケタス殿、貴殿も賛同いただけますかな」
「もちろんですとも、ヨハネス殿。私も添え状を書かせていただきます」
ギリシアからアレクちゃんと一緒にやってきた僕の家庭教師達、ヨハネス・マウロポスとニケタス・ステタトスも諸手を挙げて大賛成。コンスタンティノープル帝都大学の教授だった二人の人脈を使って、新大陸の布教を働きかけてくれるという。
さらには泣き虫エイリークも参戦してきた。
「聖職者の皆様の移動は私が責任を持って行いましょう」
わいわいがやがや。興奮のためか、みんな好き勝手に話している。静かにしているのは護衛の面々だけ。その護衛達も顔に高揚感が浮き出している。
(勘弁してよぉ)
内心で頭をかかえる僕をよそ目に議論が進んでいく。西方教会と東方教会の勢力圏をどうするかという話が、イルデブラントと東方教会所属のヨハネスとの間で交わされ始めた所で、僕に話がふられた。
「この分割布教案に対して、ジャン=ステラ様はどう思われますか?」
(どう思われるか、じゃないってーの!)
布教なんて面倒なことを僕がどうしてしなくっちゃいけないのさ。やるなら勝手にやって僕を巻き込まないでよ。
そもそも何で僕の執務室で、僕の許可なく勝手に話が盛り上がっているの?
もしアデライデお母様がここにいたら、アレクちゃんとイルデブラント以外は不敬だとして処分されちゃうよ。
とはいえ、もしお母様がこの場にいたなら、イルデブラントが僕とエイリークの会話に割って入るようなことはなかっただろう。
僕って威厳ないものね。
そのことを深く、ふかーく実感する。
はぁ。どうやってこの場を収拾すればいいのだろう。
お母様、はやくアルベンガに帰ってきてくださーい。
◇◆◇◆◇
ア:アデライデ・ディ・トリノ
ジ:ジャン=ステラ
ア:私の不在中、問題はおきなかったかしら?
ジ:は、はいっ。何も起こりませんでしたっ
ア:嘘おっしゃい!
ジ:ひ、ひぃぃ。お母様ごめんなさい
ア:で?
ジ:イベリア十字軍に参加することになりました
ア:それは問題ないわ
ジ:え? じゃ、じゃあ。新大陸に布教する事になりました
ア:キリスト教徒なら当然ね
ジ:(まじかぁ)あ~、えっと。円卓の無礼講?
ア:アニェーゼ様と対等に話したかったというのは悪くないわ
ジ:うーん、他に何かありましたっけ?
ア:2つも大問題があったでしょう
ジ:え? 2つも?
ア:アニェーゼ様側近のベルナールは処分したの?
ジ:しょ、しょぶん!
ア:執務室であなたに無礼を働いた者はどうなってる?
ジ:あ、あれは議論していただけでして……
ア:嘘おっしゃい!
ジ:ご、ごめんなさーい
ア:(まだまだジャン=ステラには私の後見が必要なようね。しょうがない子だこと。うふふっ)
ジ:(あ、あれ? お母様、笑ってる)