四角の船と三角の船
1064年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
「その木材をあちらへ運べっ!」
「釘が足りないぞ。だれか持ってきてくれ」
アルベンガの町を囲む城門を抜けると、そこには地中海が広がっている。海岸に近づくにつれ、ガレー船を作る船大工たちの声がだんだんと大きくなってきた。
視線の先には、船体を陸の上に曝け出している建造途上のガレー船が2隻並んでいる。一隻はほぼ完成していて、もう一隻はまだ舷側の板が貼られておらず骨組みが露わになっていた。
「ジャン=ステラお兄ちゃん、大きな船だねっ」
僕と手を繋いで歩いているアレクちゃんが、小鳥のように可愛らしい響きで感嘆の声をあげた。
「そうだね、アレクちゃんがギリシアで乗っていた船とどちらが大きいのかな?」
「うーん、よくわかんないや」
今日は浜辺での社会見学が予定に入っている。東ローマ帝国からトリノ辺境伯家に預けられたアレクシオス・コムネノス、通称アレクちゃんと、船を作っている様子を一緒に見て楽しい一日をすごすのだ。
アレクちゃんも一緒なのには理由がある。
ガレー船建造の指揮を執っているのは、アレクちゃんと一緒に来ているギリシア人なのだ。その理由は、東ローマ帝国の秘密兵器である「ギリシアの火」を搭載する船を建造しているから。そして、この「ギリシアの火」の責任者がアレクちゃんなんだよね。
たった六歳のアレクちゃんが責任者って酷くない?
何かあったとしても、どうやって責任を取るのさ、って文句を言ってみたけど無駄だった。「皇族の血を引いているから当然です」って言い返されちゃった。
ふーんだぁ、いいよーだ。
言い返されて悔しかったから、「責任者だったらギリシアの火を載せる船を詳しく知っているべきだよね」って建造現場を見学する口実に使わせてもらっちゃった。
ガレー船を作っている浜辺は、周りに遮るものが少ないため風が結構強い。アレクちゃんのちょっと長めの髪が、浜風に吹かれてバサーバサーって揺れている。
そして僕たちの後ろに控えているエイリークの短い赤毛もたなびいている。なんとこの社会見学には、ノルマン人のエイリークも一緒についてきているのだ。
「ギリシアで設計されたガレー船の構造については、私もたいそう興味があるのです。ぜひとも私も見学に同行させて下さい」
そんなエイリークの申し出に対し、アレクちゃんの側近は拒否するつもりだった。だって渋い顔をしていたもの。きっと、ギリシアの火だけではなく、船の構造も軍事機密なんだろうね。
だというのに、側近よりも早くアレクちゃんが「エイリークって英雄なんでしょ? いいよっ」って二つ返事でOKしてしまったんだよね。
僕は思わず「アレクちゃん、グッジョブ!」って心の中で喝采をあげちゃったよ。
エイリークのことを、大西洋を東西南北、縦横に船で走りまわるすごい人なんだよって紹介しておいた甲斐があったというもの。これでエイリークの作る船、つまり大西洋を横断する船が少しでも良いものになってくれたら嬉しい。
「ジャンお兄ちゃん、はやく早く~」
「急がなくても、船は逃げていかないよ」
手をひっぱるアレクちゃんに導かれ、僕たちはまず、ほとんど完成しているガレー船に乗り込んだ。甲板上には木の香りが立ち込めていて、新造船だという印象を強く抱かせる。
「わぁ、高いね」
「遠くの方までよく見えるねっ、お兄ちゃん」
船べりから身を乗り出すように海をみていたアレクちゃんがとっても楽しそう。高いところからの景色ってテンションあがるよね。釣られて僕も楽しい気分になってきた。
「ジャン=ステラ様、ここに『ギリシアの火』のタンクをすえつけます。出来るだけ高い場所が望ましいのです」
案内してくれた大工さんが、甲板よりも高い位置にある台を指さしている。
秘密兵器「ギリシアの火」の正体を簡単にいってしまうと、ガソリンみたいに燃える液体である。ホースを使って敵船にぶっかけ、火をつける。すると敵船が燃え上がって大勝利!っていう、言ってしまえば火炎放射器なのだ。
そんな単純な原理の兵器だけど、秘密兵器と言われるのは「ギリシアの火」の液体に秘密があるから。なんと、水をかけても消えないのだ。それどころか、海上でも燃え続けるんだって。
この火炎放射器を活用するためには、燃える液体を遠くまで飛ばす必要がある。遠くに飛ばせるほど、遠くの船を燃やせるからね。
遠くに飛ばすための勢いをつけるため、「ギリシアの火」の液体タンクは船の高いところに置くというのが、重要なポイントなのだとか。
大工さんの説明を聞いていたエイリークが渋い顔になっている。
「エイリーク、どうしたの?」
「いえ、このタンクに火矢を射かけたら、燃え上がるんじゃぁないかと、心配になりまして」
可燃物満載のタンクに火がついたら、船自体が燃え上るのは間違いない。ギリシアの火を搭載した船の弱点は火矢ということになる。
「はははっ、ご懸念には及びません」
案内役の一人が明るい声でエイリークに答えた。
「火に弱い事はわかりきっておりますので、その分防御を厳重に固めております」
それに対しエイリークも負けてはいない。
「いや、だがなぁ。火矢がダメなら、バリスタならどうだ? 赤くなるまで熱した矢じりをバリスタで飛ばせ火が点くんじゃないか?」
バリスタというのは大型のクロスボウであり、極太の矢や槍を飛ばせる攻城兵器である。設置型の兵器だから、今風に言うと大砲みたいな感じ。
大砲だったら防壁も打ち破れるし、弾が当たったらタンクごと粉砕されちゃうだろう。
「たしかにバリスタの弾が当たれば、ただでは済まないでしょうなぁ」
降参とばかりに手を上にあげた大工さんが、にこっとエイリークに笑いかけた。
「ですが、当たらなければどうという事もないのです」
いや、それってどうよ!
おもわずツッコミを入れそうになった僕だったけど、エイリークはうんうんと頷き賛同の意を示していた。
「確かにその通りですな。神のご加護があれば何の問題もありません」
そして、エイリークと大工さんは「うわっはっはっは~」って互いの肩を叩きあって意気投合しちゃっている。
なんだ、そりゃ? 全ては神の思し召し、とでも思っているのかしら。ってそれは違う宗教か。
ひとしきり笑いあっていた二人だったが、話しにはまだ続きがあった。
真剣な面持ちに戻った大工さんが、口火を切った。
「だからこそ、『ギリシアの火』を設置する台の場所は建造の秘密でもあるのです」
「まぁ、そうだろうと思っていたさ」
「それがお分かりでしたら、エイリーク様もここは一つ、ノルマン人の船の秘密を教えてくださいませんか?」
ギリシア船の秘密を一つ知ったのなら、お返しに一つ秘密を教えろ、という事だろう。
エイリークは、うーん、と少し考え込んだ後、「ま、いっか」と独り言を言ったあと、僕に了承を求めてきた。
「ジャン=ステラ様、ノルマン人の船の作り方を披露してもよろしいでしょうか」
「え、それを僕に聞くの?」
つい先日、エイリークは僕の家臣になったけど、船の作り方まで教えてもらえるとは思っていない。だってそれこそ、ノルマン人が海の覇者であるための、最重要の機密情報だよね。
僕の驚きに対して、エイリークは当然だと言わんばかりに肯首する。
「もちろんです。私の知識は全て主君であるジャン=ステラ様に捧げております。これは世界地図をお見せ頂いた時、神に誓いました。
ジャン=ステラ様の知識の前では、私の知識なぞ取るに足らないかもしれませんが、どうかお使いください」
僕の知識は僕のものだけど、エイリークの知識も僕のものだったのかぁ。いつの間にかこんな事になっていたとはね。でもエイリークが納得しているなら、まぁ、いいか。
「東ローマ帝国は僕の同盟国だからね。お互いが強くなるのは良い事だと思うよ。ということでエイリーク、船の作り方を教えてあげてくれるかな」
「かしこまりました!」
僕に対して勢いよく返答したエイリークを見ていた案内役の人が、ギリシアの船大工たちを急いで集め始めた。
「ノルマン人の船と、ギリシアのガレー船。一番の違いはなにか知っているか? それはな……」
建造途中のガレー船の甲板上でエイリークの講義が始まった。
僕も興味があったから、アレクちゃんと一緒に耳を傾けている。新しい事を知るのってワクワクするよね。
ガレー船とノルマン人のロングシップの違い。それを端的に表すと、船の断面の形になる。
ガレー船の船底は平らで、船体を横切りにすると四角形をしている。まぁ、ぶっちゃけ木の箱を浮かべているような感じ。
それに対して、ロングシップの断面は下向きの三角形▽。頂点にあたる船底は竜骨と呼ばれる1本の太い木が通っているのだとか。
「エイリーク様、船底が下三角形だと座礁しやすくなりやすぜ」
「ああ、良い質問だ」
船大工の一人が、エイリークに質問をした。同じ重さの荷物を載せたら、ロングシップの方が深く沈んでしまう。深く沈むという事は、その分海底に接触しやすくなる。
「ガレー船の方が浅い海でも船を走らせれる。一方のロングシップは帆を使って風上へ進む事が可能だ。これが最大の利点になる」
ギリシアの大工たちの目に疑問の色が浮かぶ。
「どういう事だ? 風上に進むなんてできるのか?」
当然、僕もわからない。
そんな僕らをエイリークは見回し、ごほんと一つ咳ばらいした。
「もちろん、風の吹いてくる向きに直接進むことはできません。しかし、風に向かって斜めに進めます」
風向きに対して、ジグザクに進むことで結果的に風上に進めるのだとエイリークはいう。
なるほどね。農学部水産学科の友達が言っていたっけ、ヨットは風上に進めるんだよって。
ヨットと同じ事がロングシップにもできるんだね。
うんうん、と僕はうなずき、理解した。だが、大工たちは納得いかない。
「なぜそうなる? 風に対して横向きに進むことすら出来ないんだぞ」
「そうだそうだ。風と反対の向きにしか進めないだろう。常識的に考えて」
だんだんと大工たちが発する疑問の声が大きくなっていく。
それにつられてエイリークの声も自然と大きくなっていく。
「ああ、不思議だろう? おれも不思議だ。だが、ガレー船に出来なくても、ロングシップにはできるんだ」
大工たちと違って、エイリークの声には自信が満ち溢れている。自分の経験に基づいているのだから、それは当然のこと。さすが、ロングシップでグリーンランドまで行き、カナリア諸島から戻ってきただけのことはあるよね。
エイリークが「できる」と自信満々に言い切った事で、いったん大工たちの声は止んだ。
静かになった甲板に、アレクちゃんのかわいい声が澄み渡った。
「ねえ、ジャンお兄ちゃん。どうして風上に進めるの? エイリークが知らなくても、お兄ちゃんなら知っているでしょう?」
ええ~。その質問を今、ここで僕にふるのっ?
そんなの習った記憶ないよぉ。
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