閑話:イースターの贈り物(侍女視点)
1064年3月中旬 北イタリア カノッサ城 ニナ
お屋敷の窓から見下ろせば、冬の終わりを告げるかのように、緑の若葉が芽吹き始めていました。陽光は穏やかにカノッサ城の廊下を照らし、新しい季節の訪れを私に感じさせてくれるのです。
「春は恋の季節だというけれど、私にも訪れてくれないものかしら」
私もそろそろ25の年を迎えようとするお年頃。私の身に結婚という二文字が訪れることはなさそうだと自覚はしています。でも、いいじゃない。いつの日か素敵な殿方が私を迎えにきてくれる。そんな想像をしたって。ねえ、あなたもそう思うでしょう?
妄想を逞しくして楽しんでいた私の時間は、バタバタと部屋に駆け込んできた同僚のクラリスによって中断を余儀なくされてしまいました。
「ニナ、急いで。マティルデお嬢様があなたを呼んでいるわ」
私たちの主人であるマティルデ様が私を呼んでいるようです。私と相部屋のクラリスが伝えにきてくれました。
「え、ちょっとまって。まだ身支度が終わってないの」
クラリスの助けを借りつつ、私は淡い春色のドレスに急いで袖を通します。
「ニナの髪って、さらさらしてて羨ましいなぁ」
私の髪を櫛っているクラリスが、聞き慣れた愚痴をこぼしてきます。
「そうよね、クラリスの髪ってすぐに絡まっちゃうものね」
くすくす笑いながら手早く髪型を整えつつも、私たちのおしゃべりは止まりません。これもいつも通りのことなのです。
「はい、これで終わり。いってらっしゃい。おつとめ頑張ってね」
身支度が終わるや否や私は部屋を飛び出しました。
初春にふさわしい色を身に纏う喜びを味わう間も惜しんで、マティルデ様の執務室へと足を運びます。
「ニナ、待っていたわ。あなたの意見を聞かせてちょうだい」
扉を開けたとたん、若い女性特有の跳ねるような声が私の耳に入ってきました。声の主であるマティルデ様がクリクリっと大きな目を輝かせつつ、私の方へと歩み寄ってこられます。
「何に対する意見をお求めでしょうか?」
「まぁ、ニナったら意地悪ね。ジャン=ステラへのプレゼントをどうするかに決まってるじゃない」
まるで最高級の絹のように艶やかな頬を少し膨らませながら、マティルデ様が想いを声にして奏でました。
ジャン=ステラ様とはマティルデ様の想い人なのです。お二人がお会いした7年前からの両思いだと伺っています。
「あら、マティルデ様は銀鎖のピアスを宝石商に注文なさっていましたよね。それはどうされるのですか?」
「もちろん、それもジャン=ステラに贈るわよ。でもね、ニナ。ジャン=ステラは私が手作りした物をプレゼントした方が喜ぶんだもの」
あらあら、頬を上気させたマティルデ様のなんと可愛らしいこと。いえ、マティルデ様はもう19歳なのですから、かわいいは失礼かもしれません。本当にお美しい女性に成長なされましたこと。
「そういえば、マティルデ様が手作りされた黒ネコのぬいぐるみを、ジャン=ステラ様はいたくお気に入りのご様子でしたものね」
ジャン=ステラ様はトリノ辺境伯家の三男で、ご自身もアオスタ伯爵であらせられます。押しも押されぬ上級貴族にもかかわらず、高価な装飾品よりも、マティルデ様が手作りされた品を好まれる奇特なお方なのです。
「ええ、そうなのよ。手紙に書いてあったんだけど、今も黒ネコと一緒に寝ているんだって」
頑張って作った甲斐があったとマティルデ様がおっしゃいます。黒ネコのぬいぐるみをベッドに持ち込むジャン=ステラ様の寝姿を想像しているのか、マティルデ様の口元が緩んでいます。
お日様色の髪をした10歳の男の子がぬいぐるみを抱きしめ、すやすや寝息を立てている。そのような微笑ましい光景が私の脳裏にも浮かびました。なんとも平和な光景に、私の目尻も下がってしまいます。
ですが、そこでハッと現実に引き戻されてしまいました。マティルデ様は19歳で、ジャン=ステラ様は10歳。つまり9歳も年下なのです。
貴族の結婚相手としては、男女逆であれば問題ない年齢差ではあります。しかし女性が9歳も年上となる結婚は、滅多にあるものではありません。
具体的に考えてみましょう。ジャン=ステラ様が20歳になった時、マティルデ様は29歳。行き遅れと言われる25歳をとうに越えてしまいます。
他国の事は知りませんが、ここイタリアの貴族女性は15歳までに初産を終えるのは普通のこと。実際、ジャン=ステラ様のお姉さまは昨年、12歳で男の子を出産されました。29歳となると、そろそろ娘が結婚し、孫がいてもおかしくない年齢なのです。
ああ、なんてことでしょう! 九歳差という絶望が、私の心に暗い影を伸ばしてきます。
大人になったジャンステラ様は、マティルデ様よりもっと若い娘へとお心が移ってしまうかもしれない。そんな単純な可能性をどうして今まで気づかなかったのかしら。
そのような悲劇的な結末を迎えないためにも、マティルデ様にはぜひともジャン=ステラ様の心をしっかりと掴んでおいていただかなければ!
小さな決意を胸に秘めつつ、危機感が感じられないマティルデ様に私は詰め寄りました。
「マティルデ様!」
「んっ? ニナったら急に怖い顔をしてどうしたの」
私はマティルデ様の手を取り、目を合わせました。
「ジャン=ステラ様の心を掴みに行きましょう」
「ええ、もちろんよ。だからニナを執務室に呼んだんじゃない」
目をしばたたかせたマティルデ様がおっしゃいます。
そういえば、そうでした。マティルデ様が私を部屋に呼んだ理由は、ジャン=ステラ様のプレゼントについて私と相談するためでしたね。もちろん全面的に協力させていただきますとも。
まずは情報を整理いたしましょう。
ジャン=ステラ様はマティルデ様の手作りの品が好きな男の子です。そして黒猫のヌイグルミと一緒に寝るくらい、肌身離さずマティルデ様を感じていたい甘えん坊さん。
でしたら、常に身に着けていられる装飾品が最適でしょう。
「じゃあ、指輪がいいってこと?」
一番に思いつくのは指輪ですが、それはプロポーズや結婚の時にまで取っておくべきだと思います。それに、指輪を贈ったとあっては、マティルデ様の婚約者であるゴットフリート様が黙っていないかもしれません。この恋を黙認しつづけて頂くためには、指輪はさけたほうがよいでしょう。
「手首に巻きつける革製のブレスレットはいかがでしょうか?」
革製のブレスレットであれば、少々手先が不器用なマティルデ様が作るにも丁度いいと思われます。
「革のブレスレットかぁ。ちょっと地味じゃないかしら」
「いえ、そのようなことはありませんよ。宝石を編み込むことだってできますもの」
ジャン=ステラ様の「ステラ」はお星様という意味です。星のチャームを取り入れるのはいかがでしょうか。
「ニナって天才ねっ!」
私を褒める言葉を口にしたマティルデ様は、ぱぁっと周りが輝くような笑みを浮かべています。その満ち溢れた喜びが春風に乗って部屋中に広がっていくようでありました。
このように感情を大きく表に出すことは貴族女性としては好ましいことではありません。しかし、マティルデ様の魅力は、喜びの感情を素直に出すところだと思うのです。
ああ、この笑顔をジャン=ステラ様にお見せしたい。そうすればマティルデ様に惚れ直すことでしょう。
「マティルデ様、ブレスレットを選んだ理由はもう一つあるのですよ」
アクセサリのプレゼントには、贈る人の意味や想いが乗り移るのです。
例えば指輪には「契約」や「独占」という情念が込められており、ここから「これから二人で生きていこう」という意味が派生します。
そしてブレスレットの意味とは「永遠」そして「束縛」なのです。
願わくば、マティルデ様の愛の輝きがジャン=ステラ様の魂を捉え、永久に愛の虜となりますように。