ノルマン人の系譜
1064年2月下旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
柔らかな日差しが天から注がれているのに、青色の地中海に吹く風は寒いなぁ。
石造りのバルコニーの手すりに身を乗り出し、海へと続く斜面を見下ろすと、白い帆を張った船が点々と行き交うのが見える。
体が冷えてきたから、そろそろ部屋に入ろうかと思った頃、従者のファビオが来訪者の到着を知らせに来た。
「ジャン=ステラ様、エイリーク様がお見えになりました」
「それじゃ、中庭に行こっか」
エイリークは2日前、ユーグからの紹介状を持って僕への面会予約を依頼してきた。
ユーグとイルデブラントが教皇の世界二分割条約を持ってきたのが1か月前。その時に交わした約定に従い、ユーグが紹介してくれたのが、今日の面会相手であるノルマン人の船長・エイリークだった。
これで、新大陸へ向かう船団の指揮を執れるかと思うと胸が躍る。
三方を離宮の建物に囲まれた中庭には、白い陣幕が張られている。本来ならば戦場の矢避けに使うものだけど、今日は寒いからと風よけのために家臣達が張ってくれた。
シルクの陣幕をファビオがまくり上げ、僕が通れる道を作ってくれる。
その中には、僕が座る椅子が一つと、木の板が一つ。
木の板には、赤銅色の髪をした大男が座っている。
冬だというのに半袖の服を着ていた。袖から覗く腕は強く日焼けしており、厳しい海の風と塩に晒されてなめされた革のようになっている。
さすがは、ノルマン人の船長さん。強そうだよね。
僕が椅子に座った所で、エイリークとの対面が開始された。
「本日はカナリア王兼、アオスタ伯であらせられるジャン=ステラ・ディ・サヴォイア様の御尊顔を拝謁賜り恐縮至極でございます」
まずは、エイリークの大げさな挨拶を受ける。
(え、僕って公にカナリア王なの?)
教皇がもう手を回しちゃったのかな。
そんな些細な驚きはさておき、早速にエイリークとの交渉の口火を切った。
「ヨーロッパから西へ西へと進んだ場所に大きな島がある。エイリークにはその島へと行ってほしい」
大西洋を西に行くと、北アメリカ大陸かカリブ海諸島に行きつく。
まずは島でも大陸でもいいから、行ける事を証明して欲しいのだ、と僕は要求を口にだした。
それに対して、エイリークは首を横に振った。
「私は西には行けません」
深い海を思わせる青色の双眸が僕を力強く見据えている。
いきなりピシャって断られちゃったけど、それで諦めるわけにはいかない。ピザへの情熱はその程度で冷めるものではないだよ。
「理由は聞かせてもらえるよね」
「西にはいけないのです。ユーグ様がジャン=ステラに何をおっしゃったか分かりませんが、私はカナリア諸島から南に船を走らせたのです。西ではありません」
「でもヨーロッパの西にある島々を見つけたよね」
エイリークは、カナリア諸島から南下し、そしてヨーロッパの西にあるアゾレス諸島を経由して戻ってきた。
「はい、その通りです。ですが、西にはいけないのです。ジャン=ステラ様のご要望に応えることはできません」
エイリークの答えに、僕の護衛達が色めき立った。
鎧が擦れるカチャッ、カサカサっという微かな音が僕の耳に届いたのだ。
きっと、「平民風情がジャン=ステラ様の要求を断るのか!」って怒っているんだろうな。
護衛達の無言の圧力が掛かっているエイリークは、全く動じていない。全く意に介さず僕の方をじっと見つめている。
「それは、ユーグがエイリークの事を誹謗した事を言っているのかな」
ユーグはエイリークに対し、カナリア諸島を南下しろと命じた。しかしエイリークが西方からヨーロッパに帰還した事を指して、方向もわからぬ愚か者、と中傷したと聞いている。
エイリークの顔が少しの間、強張った。
「ただ、西には行けないとだけお答えいたします」
言葉短く、同じ事を繰り返した。怒りを隠そうとしているのかもしれないね。
「やっぱり、そうなんだ。海を知らない者に、海の男の誇りを汚されたら腹も立つよね」
「……」
「僕は知っているよ。海には一方通行の道があるってことを」
「……」
相変わらず、エイリークは無言だけれど、表情には変化が現れた。
僕を訝しむよう、疑いの色が目に浮かんでいる。
「大西洋には、ずっと同じ方向の流れがあり、また風の向きも決まっている」
海流と、そして貿易風・偏西風について僕が匂わせると、エイリークは喰いついてきた。
「どこでその知識を?」
「僕の噂を聞いたことがないかい? この地に僕が生まれた時からだよ」
「預言者……」、とエイリークがささやいた。
「ユーグからは聞いていなかったかな。もしかすると、嘘つきとか、詐欺師だとか吹き込まれていた?」
「……」
無言に戻っちゃったね。
「まぁ、いいや。僕はエイリークが南に行き、西から帰ってきた理由を知っているよ」
まず、アフリカ西岸を南下するカナリア海流に乗って南へ向かう。次に西行する北赤道海流に流されながら、北東から吹く偏西風を使ってすこしずつ北上する。最後は北大西洋海流を使って一気に北上し、最後は南西の貿易風に乗ってヨーロッパに帰還する。
海流や風の名前は使わなかったけど、海流の向きと風向きでエイリークは理解してくれた。相変わらず無言だったけど、青色の目が大きく見開いているから、納得はしてくれたのだろう。
「だから、ヨーロッパから西に向かえない事を僕はよ~く知っているよ」
そこまで言った僕は、エイリークの反応を待った。
「……それならなぜ西に行けと言うのですか」
西には行けない事を知っているのに、西に行けとはこれ如何にと、エイリークが僕に問うてきた。
「それは簡単。エイリークも体験したでしょう? 南に行けば西向きの海流と、東からの風が吹いているって」
これに乗れば、西に行ける。
「西に行った後、ヨーロッパに戻ってくるのはどうするのです?」
エイリークの言葉に力が乗ってきた。睨むような目線がちょっと恐いけれど、僕の言ったことを理解している事がわかっているから、嬉しくもある。
「西に行くと大きな島がある。そこで西向きの海流は終わり、北に向きが変わる。その流れに乗って帰ってくる。道のりは長くなるけど、エイリークが体験した事と同じだよ」
「西に行くと大きな島があるのを、ジャン=ステラ様はどうしてご存じなのですか?」
「それはね、生まれた時から知っていたから」
「……」
エイリークは、先ほどまでと違い、すこし俯き加減で無言になった。きっと頭の中で何かを整理し、考えているのだと思う。
いくつもの雲がゆっくりと空を流れていく。
しかし、エイリークは無言のまま。
なかなか返事をしてくれないので、僕の方から水を向けた。
「エイリーク、西へと行く気になってくれた?」
「ジャン=ステラ様にお聞きします。その西の島とは、ヴィンランドの事でしょうか?」
「ヴィンランド?」
質問に対して質問で返された僕だったが、そもそもヴィンランドが何かわからない。
エイリークの視線が何かを訴える情熱に満ちたものへと変わり、口から言葉が溢れてきた。
「ヨーロッパの北にはユニコーンが生息する土地があります。そこからさらに西方に行った所に島があるのです。そこは我が曾祖父母が移住した島・ヴィンランドなのです」
ユニコーンの土地って、イッカクの獲れるグリーンランドだよね。さらに西ってことは、北回り航路でアメリカに到達したってことだろうか。もしそうなら多分、カナダ北辺の島々のどれかなんだろう。
「エイリークのひいお爺ちゃんって凄いんだね」
「はい、一族の誇りです」
エイリークがその厚い胸板を張り、目がランランと輝いている。僕が「凄いっ」て言ったことがとても嬉しかったみたい。
「西の島はヴィンランドではないけれど、その島の場所を地図で示せるよ」
「で、では、その地図をお見せいただけませんでしょうか?」
前のめりになり、木の板から立ち上がりそうになったエイリークだったが、僕の護衛によって強制的に座らされた。
「僕の家臣になって、西に行くと約束してくれるなら、見せてあげる」
「な、なります!それが家臣だろうと、奴隷だろうと。身命を賭して西へと向かいます。ですから、地図を!」
■■■ 嫁盗り期限まであと1年6か月 ■■■
エイリークの曽祖父はエイリーク・ソルヴァルズソン、またの名を赤毛のエイリークと言います。




