東と西の教会対立
1064年1月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
あからさまに不機嫌なアデライデお母様と顔色の悪いイルデブラント枢機卿。そして、オロオロしていて頼りにならなそうな豪胆伯ことピエトロお兄ちゃんと僕。
この4人で今回の条約の件に収拾をつけ、そして今後の行動について詰める必要がある。ユーグの首根っこを抑えるために、そして僕の平穏のためにも、イルデブラントから詳しい事情を聞き出さないと。
それは分かっているけど、とっても気が重い。
発端はお兄ちゃんの婚約話だったはずなのに、もうそれどころの騒ぎじゃなくなった。せっかくお嫁さんが決まったというのに、お祝いの雰囲気が霧散しちゃったよ。ピエトロお兄ちゃんゴメンね。
さてと。本当ならプリプリしているお母様のご機嫌取りから始めたいけれど、まずはイルデブラントから話を聞き出さなくっちゃ。今回の件の背景について、教皇の思惑について少しでも情報が欲しいのだ。
「ねえ、イルデブラント。教皇はどうして急に僕のことをにせ預言者だって言い出したの?」
去年の2月、教皇庁で僕の異端審問が開かれたことは覚えている。その時に出た結論は、僕が地図を提供し、ユーグがその真贋を確認するというものだった。
そして、地図に描かれていたカナリア諸島はちゃんと存在した。そのことはノルマン人の船団を派遣したユーグが一番よく分かっているはず。それならば、僕の事を預言者認定してくれてもいいのに、結果は真逆。僕のことをにせ預言者だと疑いの目で見ていた。
「表面的には、地図に載っていなかった島々が存在したことです」
イルデブラントが枢機卿会議における議論の顛末を語ってくれる。
アゾレス諸島とマデイラ諸島が僕の地図には載っていなかった。ユーグと複数の枢機卿たちから、その点に疑問があがったらしい。
「でも、地図に書いてあったカナリア諸島は見つかったよね」
「はい、そうなのです。地図の真贋定かならず、ということになり結論は出ませんでした。雲行きが怪しくなったのは、東ローマ帝国からの使者との会合の後になります」
ハンガリー戦役が終わった後、東ローマ帝国の特使であるミカエル・プセルロスはローマへ向かった。僕に対する異端審問会議に参加し、僕が預言者だと主張してくれる約束を交わしていたはず。
「プセルロスは教皇に、僕が預言者だと言わなかったの?」
「もちろん、プセルロス様は、ジャン=ステラ様が預言者であると声高に訴えられました。この件は、東ローマ帝国の皇族も了承していると、何度も語っておられましたとも」
その東ローマ帝国皇族とは、先代皇弟のヨハネス・コムネノスのこと。ウィーンの地で僕と協約を結んだから、プセルロスはその約束を守ってくれたということだろう。
「だったら、なぜプセルロスの言葉、つまり僕が預言者であるという事は受けられなかったの?」
「それは、ジャン=ステラ様が東ローマ帝国にお渡しした地図が原因なのです」
「地図?」
東ローマ帝国に僕の地図を渡したのは今から7年前。僕が2歳の時だった。その地図を使うことにより、東ローマ帝国は外交で有利に立つことができたと、ヨハネス・コムネノスが感謝していたっけ。
その地図があれば、僕が預言者だと推測する方に天秤が傾くように思うのだけれど?
「ローマの西方教会は、ジャン=ステラ様の世界地図を手に入れたのは昨年でした。一方で、コンスタンティノープルの東方教会は7年も前から持っていたのです。
その件に関し、教皇猊下は『西方教会の権威が貶められた』と酷くご立腹になり……」
ほうほう。
「つまり、僕の地図を先に手に入れられなかったからって、教皇はプンプン怒っちゃってるの?」
「ご存じないかもしれませんが、ジャン=ステラ様がお生まれになった1054年に、西方教会と東方教会は相互に破門するという事件を起こしております。それ以来、両教会の間柄はギクシャクしているのです」
ローマの西方教会は、教皇は全聖職者に卓越した地位、つまりイエス・キリストに次ぐ存在だと主張している。
一方の東方教会は、教皇とコンスタンティノープル大主教は同格だと譲らない。
「???」 よくわからないという顔をしていたら、イルデブラントがもっと簡単な例えを出してくれた。
「教皇と大主教の関係を、父子とするのが西方教会。兄と弟とするのが東方教会です」
つまり教皇は、大主教にとって父なのか兄なのかで喧嘩しているのね。
とってもくだらない事で争っているような気がするのだけれど、本人たちは真剣そのものなんだろう、という事は理解した。全く同意できないけれど。
「僕が地図を先に、東方教会に渡したのが気に入らない、という事ね」
「はい、端的にいうとその通りです」
「そして、東方教会への反発もあって、僕がにせ預言者かもしれないと、教皇が主張するようになった、と」
「お恥ずかしい限りです。ジャン=ステラ様が預言者かどうかと、地図とは関係ない。私は強く主張しました。しかし、それが教皇猊下及び、枢機卿団に認められる事はありませんでした」
イルデブラントは己の力不足を嘆くかのように天を仰ぎ、大きなため息をついた。
うん、僕もため息をつきたいなぁ。
「つまり、今回の教皇が提案してきた二分割案は、僕への意趣返しってことであってる?」
「ええ、概ねその通りです。ジャン=ステラ様が条約をお呑みになった事で、教皇猊下は満足されると思います」
カナリア諸島の緯度で世界を南北に二分する。その条件を僕が了承したから、教皇は溜飲を下げるだろうとの推測をイルデブラントが口にする。さらに、仲介者であるユーグへ銀塊の寄付を約束した事も、教皇の心象をよくするだろう、と。
「つまり、にせ預言者だと本気で思っているわけでもないんだね」
「本心まではわかりませんが、にせ預言者だと匂わせることで、譲歩を狙ったものと思われます」
これって、つまり僕は、ローマの西方教会とコンスタンティノープルの東方教会との権力争いに巻き込まれてしまったという事だよね。
前皇弟のヨハネス・コムネノスと協約を結ぶ事で、全てがうまく動き始めるって思ったのになぁ。東ローマ帝国を味方につけただけじゃ、ダメかぁ。
本当にがっかりだよ。
「でもさ、イルデブラント。どうして世界二分割案が僕への意趣返しになるの?」
教皇の意図としては「全部はお前にやらない。半分よこせ」って事だよね。
半分しかあげない事で溜飲を下げるつもりなのだったのだろう。
しかしながら、そもそも僕は領地なんか欲しくない。教皇の提案は、僕への嫌がらせになっていないのだ。
まぁ、世界の半分の面倒を押し付けられた、という意味では嫌がらせにはなってはいるけれど、教皇の意図とは真逆の話だよね。
「その件については、ジャン=ステラ様がハンガリー王家より譲り受けた剣と関係があるのです」
「剣というと、アッティラの剣だよね」
『この剣の所有者は、全世界の支配者になる運命を持つ』という曰く付きの剣。それがアッティラ大王の剣。
ピエトロお兄ちゃんが、ハンガリー王家から譲り受けた一振りの剣で、今は僕が所有者になっている。
「俺が持つよりも、ジャン=ステラが持っている方がふさわしいだろう」ってピエトロお兄ちゃんに押し付けられちゃったんだもん。
「はい、その剣を受け取ったことも教皇猊下はお気に召さなかったご様子でした。ジャン=ステラ様は世界の全てを手に入れようとするつもりなのか、と」
「それで、世界を二分することで、全世界の支配を阻止したつもりになっているのかぁ」
僕への嫌がらせの方向が全く間違っている。それなのに、領地なんて不要な僕にとっては、これ以上ないくらい的確な嫌がらせにもなっているのだ。
ああ、どうしたものだろうか。頭がいたい。
しかし、僕には考える暇が与えられなかった。
イルデブラントとのやりとりを静かに見守っていたお母様だったが、とうとう感情を爆発させてしまったのだ。
「これだからアレクサンデル様を教皇に推戴するのは嫌だったのです!
私が対立教皇のホノリウス様への支持を続けていれば、こんな事は起きなかったのに。ああ、私はなんて決断をしてしまったのでしょう。
ジャン=ステラ、今からでも遅くありません。アレクサンデル様を教皇の座から引き摺り落としましょう」
本話を投稿したのは、バレンタインデーです。そこで、バレンタインデーにまつわる閑話を投稿しています。
残念ながらマティルデお姉ちゃんとのあまーいお話ではありませんが、歴史の小話は詰まっています。
タイトルは「チョコレート警察。」
もしよろしければ、ご一読ください(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
https://ncode.syosetu.com/n3236iq/




