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大西洋航路は一方通行

 1064年1月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


「えー、二分割するの!」


 石造の執務室に僕の声がキーンと響く。

 驚いて思わず大きな声を出してしまったじゃない。


【カナリア諸島以北をアキテーヌ公爵領、以南をサヴォイア領とする】


 冗談にしては度を過ぎてるよ、イルデブラントはそう思わなかったのかな。


 まぁ、イルデブラントの神妙な顔をみたら、冗談じゃないってことはわかるけど……。


 記憶をたどるとスペインとポルトガルで世界を二分(にぶん)する条約が交わされたって、世界史で習った。


 世界を二分って一体何様のつもり? とか、そこに住んでいる人の存在は全く無視ですか、そうですか。

 などと、教室のクラスメイトと話した記憶がある。


 まさか、自分がその悪名高き条約の当事者になるとは思ってもみなかったよ。


 それとも、あれか?

 イルデブラントの提案にOKしちゃったら「セカイノハンブン」って書かれた部屋に閉じ込められたりしちゃったりするのだろうか。


 そんなバカな事が頭をよぎるほど、僕には衝撃的だった。

 しかし、そんな僕の驚きの意味をイシドロスやユーグは間違って受け取ったみたい。

 僕が二分割案に反対していると勘違いしたまま話しが進んでいく。


「ジャン=ステラ様。新たに発見した者こそが、その地の支配者となるべきなのは当然です。


 しかし、ジャン=ステラ様の地図に記されていない島々があったのもまた事実であります。


 そのような島々の探索を効率的に行うためにも、地域を分割しておくべきではないか。そのような議論が交わされた結果としての、教皇猊下のご提案なのです」


 イルデブラントが暗い口調で理由を説明し、それに続きユーグが明るい口調で補足する。


「イルデブラント様の申される通りにございます。さあ、ジャン=ステラ様。教皇猊下のご聖断に同意いただきますよう、このユーグからもお願い申し上げる次第にございます」


 僕に決断を迫ってくる二人の聖職者に、アデライデお母様が怒りも露わに喰ってかかった。


「イルデブラント様、そしてユーグ殿。なぜそのような取り決めに従わねばならないのです。教皇庁に地図を渡さなければ、すべての地はジャン=ステラのものだったのですよ。


 地図を提供した見返りを頂けるならともかく、逆にさらに利益を欲するというのが教皇庁の総意なのですか」


 その剣幕にイルデブラントは下を向いてしまう。


 だよね。お母様の剣幕って怖いもの。普段は優しいお母様だけど、舐められたと思った瞬間、自分よりも弱いものには容赦ない。


 そんなお母様が怖くないのか、ユーグはにこやかに反論する。


「アデライデ様、教皇猊下の(げん)ゆえに従うのではなく、犠牲を減らすためにこそ取り決めが必要なのだ、と。そのようにご理解いただけませんか?」


 新しい領土を求めて、海の外へと打って出るには潤沢な資金と、多くの人の協力が必要になる。


 ユーグがカナリア諸島、マデイラ諸島、そしてアゾレス諸島を見つけるにあたり、聖堂が二つ三つ建つくらいのお金が必要だったという。さらに、多数のノルマン人の犠牲も伴っていた。


 ユーグは自らの経験談を、涙を誘うように脚色された物語として語ってみせた。


 ピエトロお兄ちゃんが「ユーグ殿の探検は、そんなに大変だったのですか」と同情するつぶやきを発する。


 もうっ、お兄ちゃん。流され過ぎ。そんな純真でどうするの? そんなんじゃ(だま)されちゃうよ。


 そして、アデライデお母様は白けた表情でユーグを見つめていた。

 さすが、お母様。ピエトロお兄ちゃんと違って頼もしい。


「なるほど、ユーグ殿の言いたい事は理解しました。ですが、それは聖職者であるユーグ殿が兵の指揮に不慣れであったからでしょう。人には得手不得手があるのは当然ですが、ご自身が招いた結果の責任を転嫁しないでもらえるかしら」


 ちょっ、お母様。ユーグへの打ち返しが直球すぎっ。


 ユーグが軍を統率する能力が低いせいで、お金もかかったし犠牲者も出してしまったのだ。無能なお前がやらかした失態の結果を、僕達に押し付けるなって。

 それはそうかも知れないけれど、いくらなんでも厳しすぎじゃないかな。


 ユーグや、下手(へた)すると教皇すらも敵に回しかねないでしょ?


 お母様はこの事態をどう収拾するつもりなのだろう。ちゃんと着地点を考えているのだろうか。

 不安と緊張からか、心臓がドキドキと早足で拍動するする音が僕の胸から聞こえてくる。


 しかし、お母様がここで引かないのは、引いたら()められると感じてるのかもしれない。

 強く押せば譲歩するのだと思われれば、今後はずっと譲歩を迫られる。その方が危険なのかもしれない。


 お母様に厳しい言葉をかけられたユーグはというと、蛙のツラに水とばかりに涼しい顔をしている。

 厳しい切り返しを予想していたのだろう。


「アデライデ様、そうはおっしゃいますが、ノルマン人の船団を雇う値段は誰であろうと大差はありません。むしろ、地図が不備であったために生じた犠牲ではないでしょうか」


 カナリア諸島から南へと探検に赴いた船団は、誰一人として戻ってこなかった。

 これは、航海能力に長けたノルマン人の能力不足ではなく、地図が間違っているからだろうと、ユーグが主張する。


「えっ、それって……」

 海流と風向きのせいだよね、と思わず喉まで出かかった。


 ヨーロッパからカナリア諸島へは、南向きの海流が流れている。それでも南西から吹く貿易風を使えば、ヨーロッパへ戻ってこられる。


 しかしカナリア諸島以南の外洋航路は、一方通行の道なのだ。いったん来た道をそのまま戻ることは出来ない。


 カナリア諸島からさらに南に行くと、海流の向きが西向きへと変化する。いわゆる北赤道海流ってやつである。そして風向きは北東からの貿易風へと変わってしまう。


 そのため、北西へと大回りをして北大西洋海流を捕まえなければ、ヨーロッパに戻ってこられない。


 つまりは、だ。ノルマン人の犠牲が出たのは、僕の地図が間違っていたせいではない。

 しかし、僕のせいだった。カナリア諸島から南へ行くな、と僕がユーグに強く言わなかったため。


 そんな事、分かっていたのに……。


 アデライデお母様とユーグが言い合いを続けている言葉が、なぜか遠くに聞こえる。


 僕が知識の出し惜しみをしたせいで、ノルマン人がたくさん死んじゃった。海の藻屑へと消えていったのだ。


 悔恨の情が僕の心にしみ込んでくる。

 ユーグを使役せず、僕が指揮を執っていたらノルマン人の犠牲は生じなかったんじゃ……。


 下を向いて考えこんでしまった僕だったが、ユーグ、そしてお母様の声により、現実へと引き戻された。


「アデライデ様、このままでは平行線を辿るだけです。ここはもう、ジャン=ステラ様に決めていただくのはいかがでしょう」

「それもそうですね。当事者であるジャン=ステラを差し置いて話をするのも無駄ですわね」


 冷静なユーグに対して、ぷりぷり怒っているアデライデお母様。

 そのお母様の目が、「いいこと、ジャン=ステラ。ユーグに妥協してはだめですよ!」と僕に命じてくる。


 よっぽどアデライデお母様は、世界を二分する案が不愉快らしい。


 僕の事を思って、ユーグ、ひいては教皇を相手に大立ち回りを演じてくれているのは分かる。

 しかし、僕は領地なんか欲しくないので、正直ありがた迷惑なんだよねぇ。


 ほんと、困ってしまう。


 とはいえ、お母様が反対しているなら、僕も後に引くわけにはいかない。


(仕方がないから、なにかいい案を考えなくっちゃ)


 うーん。お母様も僕も満足できる修正って何かあるかな。

 えっとえっと。


 カナリア諸島で世界を南北に二分するんだよね。その線を西に引いていくと北アメリカ大陸がある。

 そして、東海岸のフロリダ半島を二分している。


 うん、それを使おうっ!


「ユーグ殿、僕はカナリア諸島で南北に分割する案に基本的に賛成します」


「ジャン=ステラっ!」

 そういった途端、お母様から叱責(しっせき)混じりの声で名前を呼ばれた。


(お母様、大丈夫です。(だま)っていてください)と、僕はお母様に目で訴えて話を続ける。


「ですが、この条件には改善すべき点があります。


 新しく見つけた島の中を、この分割線が通っていると考えてください。


 一つの島の北側がアキテーヌ公の領地に、南側が僕の領地となってしまいます。


 しかし、一つの島なら、同じ者が統治した方が混乱は少ないでしょう」


 そこで、南北で分断されるような島が見つかったら、僕の領土にしたい、と僕は提案する。


 僕の心臓がバクバクとうるさい。

 ペテンを仕掛けている自覚があるからか、うまく話せず、いつもよりも言葉遣いが丁寧になっている。


 それに、口から出てしまった言葉は、もう引っ込めることはできない。あとはみんなの反応を待つばかり。


 口火を切ったのは、さきほどの議論では空気だったイルデブラント。僕の案に賛同の意を示してくれた。

「その程度の条件でしたら、教皇猊下にかけ合う事はできるでしょう」


 アデライデお母様は不満そうだけど、どうやら口出しはしないと決めたらしく、黙ってくれている。


 あとは、何やら考えているユーグの反応を待つだけ。


 ユーグは少し考えた後、「ジャン=ステラ様のご提案には裏がありませんか?」と、問いかけてきた。


 おいおい、直接裏があるかと聞くっのてありなの?

 交渉相手が子供の僕だと思って、()めてかかっているのかもしれない。

 それは、上々な反応だね。それでこそ、(わな)に引っ()けやすいというもの。


「そりゃ、あるよ。今の条件ではアデライデお母様は呑めない。お母様が呑めないなら僕も呑めない。


 だから、少しだけでも面目を立てて欲しい」


 この程度の条件も呑めないなら、この交渉は決裂(けつれつ)だね。


 そういう意図を込めて、僕はユーグをンググっと(にら)んだ。


 そんな僕の行為をみたユーグは、ふふふっと笑ったあと同意を返してきた。


「まぁ、良いでしょう。私も賛成いたします。ジャン=ステラ様、条件はそれだけですか?」


「いや、もう一つ条件があるよ。ただし教皇猊下の条約案ではなく、ユーグに受け入れてもらいたい条件なのです」


 ユーグに探検から手を引いてもらう事。これが僕の出した条件。


 ノルマン人の犠牲をこれ以上出さないためには、ユーグに任せておけない。

 そして、これからは僕が直接指揮をとる。


「だから、ユーグが雇っていたノルマン人船団を僕に譲り渡して欲しい」


「そのような条件でよろしいのでしたら、喜んでノルマン人の傭兵団をお譲りしますとも。私としては、金銭的負担も減って有り難いこと、この上ありません」


 それは良かった、と僕はユーグに笑顔を向ける。不自然な笑顔にならないように気をつけながら。


 これまでしてきた事の報復をユーグにしなければ、ね。僕だってユーグには腹が立っているんだもん。

 お兄ちゃんの縁談を持ってきたから許してあげようと思っていたけど、もういいや。


「では、もう一つ。この条件変更を皇帝猊下にお認め頂けた(あかつき)には、ユーグ殿の功をねぎらうため、クリュニー修道院に毎年僕の体重と同じ重さの銀を寄進したいと思う」


「ジャン=ステラ様、寄進、ですか?」


 ユーグが驚き混じりで問い返してきた。


 きっと、僕から無理難題でも押し付けられると思っていたのだろう。

 ところがどっこい、そんな事はしない。


「うん、そうだよ。ユーグは寄進が嫌いなの?」

「いえ、そんな事はありませんが……」


 ユーグの見つめる先には、奥歯を噛みしめて感情を押し込めているアデライデお母様がいた。


 背中に冷たい汗が流れていくけど、ここで止めるわけにはいかない。


「お母様ではなく、僕が交渉の主体です。問題ありません。それに、兄・ピエトロの仲人もしていただくのです。その貢献も加味した上での寄進です。お受けいただけますか?」


 いままでユーグに対して使っていた口調と全く違うけど、僕だって、もう緊張しすぎて、口調にまで構っていられない。


「いえいえいえ、もちろん寄進をお受けいたしますとも。ジャン=ステラ様に神のご加護がありますように」



 交渉が(まと)まった後、ユーグは嬉しさを隠そうともせずに、足取り軽く執務室を退室していった。


 そして、イルデブラントは重苦しい雰囲気が漂う執務室に残っている。僕が退室しないようお願いしたためだ。


「ジャン=ステラ! イルデブラント様が残っていても、私の怒りは消えませんよっ!

 後できちんと説明してもらいますからね」


 ユーグが退室していってすぐ、お母様の怒りが爆発しちゃった。

 よっぽど我慢していたんだろうね。


「お母様、その説明のためにもイルデブラントに残ってもらうのです。しかしまずは、教皇がどうしてこのような条約を出してきたのかについて、イルデブラントから話を聞きませんか」


 ヨーロッパ発着のアフリカ南下航路を近況ノートと下記URLに記します。


 https://38568.mitemin.net/i818686/


 道路だけでなく、海上航路にも一方通行があることがよくわかります。


 ヨーロッパ発着のアフリカ南下航路と貿易風・偏西風を記した図です。


挿絵(By みてみん)


 道路だけでなく、海上航路にも一方通行があることがよくわかります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 元々は「目的とする場所まで行ってみせよ。到達したなら続きを渡そう」という大きな試練の一種であって、達成が難しい事は教会も承知済みの話ですし、ユーグが武力による占領を目的としなければ犠牲はもっ…
[一言] この条件だと北極圏のぺんぺん草も生えない不毛な島以外は全部ジャン・ステラのものになるのか
[一言] これを了承するってことはユーグは主人公の地図を信じてないんだろうな これアメリカ大陸は主人公のものってことだよね
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