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12歳の後家が兄嫁に

 1064年1月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ



「ピエトロ様の嫁に、アキテーヌ公爵家の娘はいかがでしょうか」


新しい一年が始まったとたん、ピエトロお兄ちゃんに縁談が舞い込んできた。


「去年はいい年だったよね、ピエトロお兄ちゃん」

「ああ、今年もいい年になるといいなぁ」


などと暢気(のんき)に年始の挨拶をしていたのが数日前。


ハンガリー戦役で大活躍したお兄ちゃんが、豪胆伯という二つ名を貰った事は記憶に新しい。


そして、12月にはアデライデお姉ちゃんが無事に、女の子を出産した。

母子ともに健康で本当に良かった。


女医師のトロトゥーラに、体や手指の消毒を徹底させた甲斐があったというもの。

今後は、少なくとも僕の目の届く範囲内では、出産時の消毒を徹底しようと思う。


去年の回顧はともかく、縁談話である。


いいご縁だといいな、と思うのだけれど、ピエトロお兄ちゃんは16歳。

前世だったら高校1年生。ちょっと早すぎない?と思わなくもない。


しかし、13歳のアデライデお姉ちゃんが女の子を出産しているのだ。

違和感を感じる僕の感覚が、周りとずれてしまっているんだろう。


前世での体験が邪魔をして、なかなか中世の常識が身についてくれないのも困ったものだよね。


年齢のことは横に置いておくとして、縁談を持ち込んできた人物に少々問題があった。

その人物の名は、ユーグ・ド・クリュニー。


僕の事を偽預言者だと吹聴(ふいちょう)したお詫びとして、アフリカ大陸西岸の探検を指揮している人である。


ただし、カナリア諸島における拠点作りに失敗し、僕がめっちゃ怒った相手でもあるのだ。


僕は大西洋横断のための港が欲しいだけだったのに、なんで占領しようとしたのやら。全く困ったものである。


このやらかしの発覚が去年の6月で、それ以降、今日までの半年の間ユーグは音信不通だった。


そこに来て、いきなりピエトロお兄ちゃんの縁談を持って訪れたんだもの。何か裏があると勘繰ってしまう僕は間違っていないよね。


その点をユーグに追求したら、あっさりと詫びを入れてきた。


「ノルマン船団の不始末を、心よりお詫び申し上げます」


ただし、言葉とは裏腹に、ユーグの頬が、ぴくぴくって引き()っている。

実は口先だけで、ユーグは反省してないのでは?  


(許しちゃってもいいのかなぁ)


結論から言うと、許さなきゃだめだったんだって。

この点について、ユーグとの面談後にアデライデお母様から「めっ!」て怒られちゃった。


「ジャン=ステラ。ユーグ殿が詫びを入れにきたのは明らかなのですから、追求しすぎてはだめよ。あなたの言葉には力があるの。その力を間違って使うと敵が増えてしまうわ」


窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、という言葉があるように、追い詰めすぎたら恨みを買って、反撃されちゃう。


さらに言うとユーグは、ねずみなんて可愛いものじゃない。

ユーグ率いるクリュニー修道院は、西欧各国に隠然たる影響力を持っている。


ハンガリー戦役でアンノ2世から受けた嫌がらせの数々だって、目の前のユーグが裏で糸を引いていたとしても不思議ではない。


そういう意味では、確かに僕がうかつだったと少し反省。ユーグに腹が立ってはいても、阿吽(あうん)の呼吸で腹芸しなければいけなかったのだろう。


今回は失敗しちゃったけど、今度から気をつけよう。

とはいえ、どこに気をつけたらいいのだろう。いつか僕も腹芸ができるようになる日がくるのかな。


さて、お兄ちゃんの縁談に話を戻そう。


ユーグが持ってきた縁談先のアキテーヌ公爵家は、フランス最強の貴族と言っていいだろう。

フランス南西部において、大西洋に面した広大な領地を保有している。


現公爵ギヨーム8世は、アキテーヌ公爵領に加え、ガスコーニュ公爵領とポワティエ伯爵領も統治しており、その勢力はフランス王家よりも強大なのだ。


「アグネス・ド・ポワティエ様は、アキテーヌ公ギヨーム様の同母妹にございます」


ピエトロお兄ちゃんのお嫁さん候補は、アグネスちゃんという12歳の女の子。


アキテーヌ公爵家なのに、アグネス・ダキテーヌではなく、アグネス・ド・ポワティエなのは、なんでだろう? ま、いいか。


アグネスちゃんの紹介が続いているので、答えが出ない問いは横においておき、ユーグの声に耳を傾ける。


「そしてご存知の通り、ハインリッヒ陛下の従妹(いとこ)でもあります」


アグネスちゃんの父方の叔母が、ハインリッヒ4世の母であるアグネス・フォン・ポワトゥーなんだって。


アグネスちゃんの「ド・ポワティエ」と、アグネス皇后の「フォン・ポワトゥー」ってフランス語読みとドイツ語読みの違いで、同じポワティエが出身地であることを意味している。


名前って難しいね。


つまりアキテーヌ公爵家は、神聖ローマ帝国の皇后を輩出するほど良い家柄だという事を、ユーグは言いたかったのだ。アグネスちゃんの家柄に非の打ち所はなく、トリノ辺境伯家と釣り合いがとれている。


そして、ピエトロお兄ちゃんが16歳なので、年齢の釣り合いもばっちりである。


それでも、全く問題がないわけではなく、その点についてアデライデお母様は、ユーグに質問している。


「ユーグ殿、アキテーヌ公爵家のアグネス様といえば、アラゴン王妃ではありませんでしたか?」

「さすが、アデライデ様。遠くスペインの地の事情にまでお詳しい」


ユーグがお母様を持ち上げ、そして、アグネスちゃんの婚歴について披露した。


「アグネス様は、イベリア半島のアラゴン国王ラミロ陛下の2番目のお(きさき)でありました。しかしラミロ陛下は昨年5月8日に亡くなりました」


(アグネスちゃんも可哀想に。12歳で後家さんになっちゃうとは嫁ぐ時には思いもしなかっただろうね)


ラミロの死後にアラゴン王を継いだのは、先妻との息子であるサンチョという男。


後妻であるアグネスちゃんとアラゴン国王ラミロの間に子供はなかったため、幸いな事に後継者争いは発生しなかった。


しかし、子がいなかったからこそ、12歳と若いアグネスちゃんは実家に戻されることになった。


「そこで、アグネス様の次の嫁ぎ先を探していた所に、ハンガリーより吉報が訪れました。


そう、ピエトロ様が豪胆伯という二つ名を授けられたとの報告を受けたアキテーヌ公ギヨーム様は、運命を感じられたとの事でした」


アキテーヌ公ギヨーム8世とアグネスちゃんの父、ギヨーム6世は「豪胆公」との二つ名を持っていた。


そこから、ピエトロお兄ちゃんの豪胆伯とを結びつけたのだとか。


うーん、縁というには何とも微妙だけれど、きっと仲人役のユーグが色々と考えた結果なんだろうね。

まぁ、その努力は買ってあげよう。


ふと、僕の横に座るピエトロお兄ちゃんを見ると、満更でもなさそうな顔つきをしていた。


「亡きギヨーム公と同列に扱っていただき光栄です」とでも考えているんじゃないかな。


ま、お兄ちゃんが喜んでいるならいいのか、な?

そんな程度で喜色を顔に表していいものだろうかと疑問符がつくけど、まあ、いいや。


そして、この縁談をアデライデお母様があっさりと了承してしまった。


「ユーグ殿、素敵な縁談を仲介いただきありがとうございます。トリノ辺境伯家の当主として、喜んでお受けいたします。その旨、アキテーヌ公ギヨーム様によろしくお伝えください」


「え、お母様。ピエトロお兄ちゃんの意向は聞かないのですか?」


これはピエトロお兄ちゃんの縁談だよね。せっかくお兄ちゃんが同席していることだし、意思ぐらい確認してもいいんじゃないの?


「聞かなくてもいいのですよ。私が家長ですからね」


なぜ分かりきった事をジャン=ステラは聞くのです? とでも言いたげに、僕の疑問は切って捨てられちゃった。


「ピエトロもそれでいいですね」

「は、はい。お母様。私に異存はありませんっ!」


お母さまのいうことは絶対なのです、とでも言うように、ピエトロお兄ちゃんが了承の意を慌てて返した。


そして、僕の方を見て「ジャン=ステラ、余計な事を言うんじゃない」と目だけで僕に抗議してくる。


はぁ、こんなお兄ちゃんが豪胆伯って名乗ってていいのだろうか。

二つ名詐欺(さぎ)になっちゃわないか、心配になっちゃうよ。


そんな僕の心境をよそに、縁談を寿(ことほ)ぐ言葉をユーグが(つむ)いでいく。


「いやぁ、おめでたい事でございます。両家を結ぶ縁談の架け橋となれましたことを嬉しく思っております。


また、この縁談により大西洋を西へと進む航海が楽になります。この点について、ノルマン人を束ねている私としても、肩の荷が一つ降りた気がいたしております」


ん? ユーグから聞き逃してはいけない言葉がでてきた。


大西洋を西にすすむって、大西洋横断のことだよね。

ユーグが担当しているのはアフリカ沿岸の南下であって、西に進むことを僕は要請していない。

それに、そもそも大西洋を横断するための地図をユーグに渡していないのだ。


「ねえ、ユーグ。大西洋を西に行くってどういうこと? ユーグはアフリカ沿岸を南下して、寄港地を確保することが目的だったよね」


その寄港地の確保すらも、ユーグはカナリア諸島で失敗しているのだ。

まずは、自分のなすべき事をして欲しい。


「もちろん、それは理解しておりますとも。しかしですな、アキテーヌ公爵領は大西洋に面しているのです。大西洋を西に行く港として使えるのではありませんか」


「たしかに、使えるかもしれないけど……」


「それは良うございました。実はこの後、大西洋に浮かぶ島々の領有権についてお話をしたいと思っております」


僕の抗議をしれっと()らしたユーグが、思いがけない話題を出してきた。


「領有権という事は、島をだれが所有するか、という事だよね」

「はい、その通りです。本件はすでに教皇猊下に話を通しているのですが、今回改めてジャン=ステラ様のご意見を(うかが)いたいと存じます」


ユーグはすでに教皇にも手を回しているらしく、教皇からの使者としてイルデブラントを帯同してアルベンガに来ていた。


「よろしければ、イルデブラント枢機卿をこの場にお呼びいただけますか」


なにかキナ臭いんですけど。


「えーいやだー」とは言えないよね。

それにしても、なぜお兄ちゃんの結婚話のタイミングで領有権の話になるのだろうか。


 アグネス・フォン・ポワトゥーは、史実におけるピエトロ・ディ・サヴォイアのお嫁さんです。12歳で後家というのも驚きですが、アデライデ・ディ・トリノだって三回目の結婚でようやく子供を得ています。


 現代とちがって人が簡単に亡くなる世の中のため、いろいろな常識が異なるのでしょう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 親も自分の寿命を低く見積もってそうですしね。20歳まで待っていたら、老い先短いなんて事も。 子供を立派な貴族に育てる為には結婚・孫は早くの精神…。 ユーグというだけで胡散臭くなってきました…
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