馬上槍試合
1063年10月下旬 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ
「ジャン=ステラ、元気だったかい?」
朝の空気に冬の匂いが感じられるようになった頃、ピエトロお兄ちゃんがハンガリーから戻ってきた。
「ピエトロお兄ちゃん! んーん、ちがうね。やりなおしっ」
お兄ちゃんに飛びつきたくなる気持ちを抑え、僕は大人っぽく帰還の祝辞を述べる。
だって、僕の後ろでアレクちゃんが見ているんだもん。
お兄ちゃんとしてはカッコいいところを見せなくっちゃね。
「ピエトロ豪胆伯殿、無事のご帰還をお喜び申し上げます」
「おっ、おう? ジャン=ステラも息災の様子。何よりである。うおっほん」
お兄ちゃんの面食らっている姿がおかしいや。
「手紙にも書いたけど、東ローマからのお客さんをお兄ちゃんに紹介するね。アレク、こっちにきて」
僕の後ろにいたアレクをピエトロお兄ちゃんの前に押し出す。
僕は「おほん」、と咳ばらいをしたあと、真面目に、礼儀に乗っ取ってアレクちゃんを紹介する。
「アレクシオス様、こちらは我が兄、トリノ辺境伯ピエトロ・ディ・サヴォイアです。このハンガリー戦役の活躍により、豪胆伯との二つ名を与えられました」
アレクちゃんが頷いた事を確認した後、今度はピエトロお兄ちゃんにアレクちゃんを紹介する。
「そしてピエトロ殿、こちら東ローマ皇帝の甥・アレクシオス・コムネノス殿下です」
ピエトロお兄ちゃんが片膝をつき、アレクちゃんに挨拶をした。
「アレクシオス殿下、お初お目にかかります。トリノ辺境伯ピエトロ・ディ・サヴォイアにございます」
お兄ちゃんが上品な振る舞いで、アレクちゃんに礼を示した。
二か月前のお兄ちゃんとはまるで別人みたい。
ハンガリーで王族の人達を相手にしたお陰で、礼儀作法のレベルが上がったのかな。
アレクちゃんも頑張って背伸びの挨拶を返す。ラテン語が上手く話せるのか、見ている僕の方がドキドキしてきた。
「ピエトロ殿。アレクシオス・コムネノスである。当分の間、トリノでジャンお兄ちゃんと過ごすことになった。ピエトロには世話になるがよろしくたのみゅ」
あ、噛んだ。アレクちゃんの顔が真っ赤っか。
でも、笑っちゃだめだよね。この場ではアレクちゃんの立場が一番上だもの。スルーしなくっちゃ。
「さて、公式な挨拶も終わったし、ここからは私的な場にするよっ!」
僕はそう宣言し、普段の言葉遣いで話すことにする。
「なあ、ジャン=ステラ。俺はいいのだが……」
ピエトロお兄ちゃんが、アレクちゃんを見やりつつ、困惑げに声を上げる。
言外に、皇族のアレクちゃんに対しての配慮が見て取れるけど、僕にとっては今更のこと。
「いいのいいの。だって、アレクは僕の弟だもん。アレクもそれでいいでしょう?」
「うん、いいよ。ジャンお兄ちゃんのお兄ちゃんだから、ピエトロお兄ちゃんって呼ぶね」
「え、あ、あ。うん。アレクシオス殿下がそれでよろしいのでしたら」
ピエトロお兄ちゃんが思いっきり困惑している。
貴族社会において、王族・皇族と、貴族の間の身分差って、もしかして大きいのかな?
ま、いまさらだよね。
「ピエトロお兄ちゃん、硬い硬い。アレクは僕の弟なんだよ。ピエトロお兄ちゃんも『アレク』って呼んであげて。
そうじゃないと、アレクが仲間外れにされたみたい感じちゃうよ。
ね、アレクもそう思うでしょう?」
「うん、僕の事はアレクでいいよ」
ピエトロお兄ちゃんが、アレクちゃんの後ろに控えている従者や護衛騎士たちの方に目線で確認している。
(本当にアレクって呼んじゃっていいの?)
(はい、我々はもう諦めました。ジャン=ステラ様には敵いません)
そんな会話が交わされたのか、ピエトロお兄ちゃんがぎこちなく、アレクちゃんを呼び捨てにした。
「わかりました。いや、わかった。これからはアレクって呼ぶ。新しい弟の誕生だな、これからよろしく」
片膝をついていたピエトロお兄ちゃんが立ち上がり、アレクちゃんと握手した。
うんうん、仲良きことは美しきかな、だよね。
ハンガリー戦役もそうだけど、みんな仲良くなって戦争なんてなくなればいいのに。
まぁ、理想なだけで、無理ってわかっているけどさ。
なにせ男の子って戦争、というか武器とか勝負事とか大好きなんだよね。
勝ち負けにすっごくこだわるし、そういう生き物だとしか思えない。
しかも、それはアレクちゃんみたいな小さい子でも同じ。
「ねぇ、アレク。ピエトロお兄ちゃんに聞きたいことがあったんじゃない」
「あ、そうだった。ねえ、ピエトロお兄ちゃん、どうやったら馬上槍試合に強くなれるの?」
対峙した騎士がお互いに向かって馬を突進させる。そして、相手を落馬させたら勝ち。
これが馬上槍試合。
馬上槍試合に勝つことによって、己の強さを誇示できるため、大変人気のある競技なのだ。
先日のハンガリー戦役は、ピエトロお兄ちゃんの一騎打ちで勝利をもぎ取った。
裏事情はともかく、ハンガリー王ベーラを討ち取ったことになっている。
つまり、この有名なピエトロお兄ちゃんに馬上槍試合で勝てば、
「俺はあの豪胆伯ピエトロ様に勝ったんだ!」
と末代まで語り継がれる存在になること間違いなし。
諸侯たち、貴族達から幾度となく馬上槍試合を申し込まれて困っていると、ピエトロお兄ちゃんからの手紙に書いてあった。
その全部をピエトロお兄ちゃんは断っていたのだが、最後にはハインリッヒ4世陛下からの直々の命令が下ってしまった。
「ピエトロよ、余の妹の結婚に華を添えてくれないか」
哀れピエトロお兄ちゃんは、馬上槍試合に参加せざるを得なくなってしまったのだ。
そもそもハンガリー戦役の大義名分は、前ハンガリー王の忘れ形見・シャラモンをハンガリー国王にすること。
そして、ハインリッヒ4世の末妹ユーディットと結婚させ、神聖ローマ帝国の東側を安定させることだった。
その結婚に華を添えろというお願い、というか命令を断る事は、ピエトロお兄ちゃんには難しかったらしい。
「俺は、馬上槍試合なんて嫌だったんだが、命令で仕方なくだったんだよ」
とほほ顔で、ピエトロお兄ちゃんが不本意だったと打ち明けてくれる。
「ただ幸いな事に、一対一ではなく、集団戦の馬上槍試合を陛下は所望された」
集団戦の馬上槍試合は、二チームに分かれての騎馬突撃戦。
勝つためには、騎士同士の連携や戦術が重要になる。
参加を希望する者が多すぎて、一対一ではさばき切れないと判断したのかな?
そう思ったけど違った。
「集団戦の方が人気が高いんだ。そして、今回のハンガリー戦役では、諸侯も騎士も活躍場所がなかっただろう?」
「ピエトロお兄ちゃんの一騎打ちで終わっちゃったもんね」
「ああ、その通り。だから諸侯や騎士たちに、己の才能を披露する舞台を与える必要があったのさ」
騎士たちには馬術や槍術の腕前を披露させる。
諸侯たちには騎士たちを巧みに指揮する戦術の妙を誇示させる。
そして、ハインリッヒ4世は、勇者や優れた指揮官を褒める。
ハンガリー戦役で活躍できなかったけど、武勇は認められたぞ!との土産を持ってドイツ各地に帰らせる。
そうして不満を逸らしておくのも、上位者の役割なのだ。
「おぉっ!お兄ちゃんすごい詳しいね!」
「そりゃあ、俺が一番の当事者だったからな」
そんなやり取りはさておき、馬上槍試合。
伯爵以上の諸侯がそれぞれ1チーム八騎を編成してのトーナメント戦が行われた。
なぜ伯爵以上かって? 男爵では八騎も騎士を準備できないから。
そんなハインリッヒ4世が主催する馬上槍試合の結果は以下の通り。
三位 ハンブルク・ブレーメン大司教アーダベルト
準優勝 オーストリア辺境伯エルンスト
そして優勝は、トリノ辺境伯のピエトロお兄ちゃん!
だからこそ、アレクちゃんは「どうやったら馬上槍試合に強くなれるの?」と尋ねたわけだ。
そして、ピエトロお兄ちゃんが得意満面に話し出す。
「なぁに簡単なことさ。戦術も個人技もトリノ辺境伯軍が一番優れていたからな」
へっへーん! 俺ってすごいだろうって副音声が聞こえてきそう。
戦術も個人技も一番だったってどういう事だろう。
もっと具体的に知りたい僕は、ピエトロお兄ちゃんに続きを促す。
「というと?」
「戦術に関しては簡単なことさ。敵チームの全員が俺を目指して突撃してくることがわかっていたから、それを利用したんだ」
主催者のハインリッヒ4世が、「ピエトロを落馬させた勇者には、特別の褒賞を与える」と宣言したのだ。
理由としては、ハンガリー戦役を一騎打ちで終わらせたピエトロの武勇を讃えるため。
その誉高き武勇の士に挑む者もまた勇者なり、とか何とか吐かしていたらしい。
「ねえ、ピエトロお兄ちゃん。それって私怨が入ってない?」
馬上槍試合は、怪我人どころか死者がでる事もある危険な競技なのだ。
そりゃ、馬から突き落とされるのだから当たり前だよね。
その危険を承知の上で、ピエトロお兄ちゃんを落馬させた者に褒美を与えるのだ。
お兄ちゃんの落馬を期待しているとしか思えない。
「ああ、ハインリッヒ陛下ではなく、アンノの差金だと思いたい所だが……。まぁ、今は横に置いておこう」
俺は無事だったしな、とあっけらかーんと言うお兄ちゃん。
「で、戦術だったな。前衛5騎、後衛3騎に分けた。おれは後衛の真ん中な」
「うんうん」と、うなずきつつ耳を傾ける僕とアレクちゃん。
「まず、後衛3騎が敵の右側に突撃し、直後に前衛5騎が敵の中央に突撃したんだ」
「後衛が先に突撃するってどういうことなの?」
前衛をさしおいて後衛が突撃って変だよね。
「そりゃ、相手の突撃のタイミングをずらすためさ。とっさに行動できる奴って案外すくないんだぞ」
「でも、一番守らないといけないピエトロお兄ちゃんが、真っ先に突撃するのってダメじゃ無い?」
相手の意表をつくのはいいけど、もし失敗したら、ピエトロお兄ちゃんが危険に晒されることになる。
「ああ、その通り。そこで直進せず、すこし斜め方向、つまり敵の右側に向かって突撃したんだ」
詳しく聞いてみると、急な突撃により敵騎馬の速度が乗り切らない間に、敵陣の右を通過したらしい。
つまり、後衛3騎は相手と槍を交えないから、ピエトロお兄ちゃんは安全だった、と。
でも、それってずるくないかな?
「お兄ちゃん、それって卑怯だ、とか言われなかった?」
「いいや、言われなかったぞ。タイミングが合わなかったとはいえ、俺の方に全部の敵騎馬が襲いかかってきたからな。いやはや、ハインリッヒ陛下の恩賞の効果は抜群だったぞ」
ピエトロお兄ちゃんを落馬させた騎士だけが、特別な恩賞を与えられる。
そのため、我も我もとお兄ちゃんに群がってきた。
うーん、それでいいの?
「通常ならば、誰を相手にするか事前におおよそ決まっているから混乱しない。
しかし、俺が最初に突撃したせいで、目論見が狂ったんだろうな。
俺たち後衛3騎の方に向かってきた敵8騎に対し、すこし斜め向きに前衛5騎が突っ込んだ。あとは連携がとれていない敵を蹴散らして、俺の勝利が決まった」
「すごいすごいっ!」ってアレクちゃんが僕の隣で大興奮している。
僕はといえば、勝ったことよりもピエトロお兄ちゃんが無事であったことに、ほっと胸を撫で下ろした。
総大将が先陣を切って突撃するのはやめて欲しいなぁ。
今回は大丈夫だったけれど、次も大丈夫とは限らないもの。
「次は、個人技だな」
そうそう。お兄ちゃんは、戦術も個人技もトリノ辺境伯家が卓越していたと言っていた。
「こちらはとても単純。トリノの槍は他家よりも長かった」
槍は長い方が、相手に早く届くんだぞ、とピエトロお兄ちゃん。
そりゃそうでしょうけど。
長くなるデメリットはどうしたの?
「長くなると重くなるし、馬上での取り扱いも難しくなるよね」
トリノ辺境伯家の騎士だけが体を鍛えていた、なんて訳もない。
それに、イタリア男よりもドイツ男の方が体が大きいんだよね。
ドイツ諸侯の方が長い槍を使っていたと言われる方が、僕にはしっくりくる。
「ああ、その通り。槍が長くても使えなければ意味がない。
しかしだな、ジャン=ステラ。お前、もう忘れたのか?」
「えっ、何を?」
「何をって……。まぁ、どこか抜けている方がジャン=ステラらしいけどな。
お前が教えてくれたランスレスト。これがあれば敵より長い槍を使える」
鎧の右脇下に付けられた小さい金具がランスレスト。
ここにランスをちょこんと乗っける事で、槍の重量を脇だけで支える必要がなくなるし、取り回しも楽になるのだ。
そういえば、大人用の馬上槍を持つために僕が思いついたんだった。
ここの所ずっと馬上槍を練習していないから、すっかり頭の中から存在が消え失せていた。
「そういえば、そんなのもありましたね」
「いやいやいや、ランスレストの威力は凄いんだぞ! これがあれば、一対一の馬上槍試合でも優勝できそうなんだぞ」
話半分としても、敵より長い槍を自由自在に使えるのだ。馬上槍試合を有利に戦えるのは間違いないだろう。
だからといって、ピエトロお兄ちゃんに突撃して欲しくはないのだ。だって、やっぱり、危ないもん。
豪胆伯という二つ名があっても、落馬したら怪我するし、下手したら死んでしまう。
「ピエトロお兄ちゃんの言う事は分かったよ。でもあまり無茶はしないでね」
「ああ、分かっているさ。ジャン=ステラは心配性だなぁ。アレクもそう思わないか?」
「うん!僕も馬上槍試合で優勝したい!」
ああ、もうっ!
男の子って奴はどうしてこうなんだろう。勝ち負けにこだわり過ぎだってどうして分からないのかなぁ。
◇ ◆ ◇
ピ: ピエトロ
ジ: ジャン=ステラ
ピ: 馬上槍試合はさておきアレクの事、お母様にどう説明するんだ?
ジ: 説明ってなに? あ、弟にしたこと?
ピ: いや、そちらよりも、アレクって呼び捨てにすること
ジ: だって弟じゃん
ピ: おまえなぁ。義兄でもハインリッヒ陛下は、陛下だろう?
ジ: そういえば、そうだね
ピ: 呼び捨てなんてしたら、不敬罪で殺されるかもよ
ジ: でも、アレクって可愛いもん。お母様だってわかってくれるよ
ピ: いや、お母様、礼儀にはキビシイだろう?
ジ: あれ? そうだっけ?
ピ: 俺、お母様には今でも敬語だぞ。
ジ: なんで?
ピ: だって、恐いだろ?
ジ: お母様が恐いの? 僕にはとっても優しいよ
ピ: ……
ジ: ……
ピ: まぁ、いい。アレクの説明はお前にまかせた
ジ: 大丈夫、みんな同じ人間だもん
ピ: (はぁ)それを言えるのって、この世でお前だけだろうなぁ
ジ: ???
ピ: さすがは預言者だと、今は言っておくよ




