相容れぬ宿敵
1063年9月1日 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ
「諸侯ならびに聖職者の皆様、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世陛下のお出ましです」
それぞれに談笑していた列席者の声が止み、静かになった宴会場に豪華な衣装を身に纏った少年が周りを睥睨しながら入場してきた。王冠はかぶっていないけれど、この少年がハインリッヒ4世である。
(なんか嫌な感じの男の子だなぁ)
一目見ただけなのに、なぜか嫌悪感が湧き上がってくる。
顔の造形が悪いわけではなく、むしろすらっとした顔の美男子なんだけど、虫が好かない。
(そっか、中学生の頃同じクラスにいたいじめっ子に似ているんだ)
もちろん見た目は全然違うし、そもそも男女も逆。しかし目と態度が似ている。
先生の前では優等生ぶって悪さはしない。男の子の前でもいい顔していた。腹の立つことに、陽キャでモテてた。しかし影では気の弱い女の子をいじめてた。しかも、いじめた女の子が泣いたり、謝ったりする姿を見て喜んでいたのだ。
「先生に告げ口したらどうなるかわかってるんだろうね」と、周りの女生徒をにらみ回していた陰湿な目つきは、転生した今でも忘れていない。
傲岸で、自己中心的で、わがままで、気分屋。そんな気質と相反するはずなのに、場の雰囲気も読めるから、自分が不利になりそうになったらうまく立ち回る。マジで性格悪すぎだった。
そんな最低ないじめっ子の目つきと、王族席の中央に座る少年の目つきとが重なるのだ。
自分が上位者であると確信していて、下位者はいじめられようが、何されようが絶対服従して当然だと思っている態度と目つき。
(最悪だ)
そのいけ好かない奴が、トリノ辺境伯家の主君であるハインリッヒ4世だとは。
前世よりも状況は悪い。いじめっ子には先生という上位者がいたけど、皇帝であるハインリッヒ4世には、彼よりも上位の者はいない。
強いていうならローマ教皇が上位者になれるかもしれないが、軍事力を持たない教皇に素直に従うとは思えないのだ。
つまり、いじめっ子ムーブ全開な皇帝がドイツとイタリアの支配者。これを最悪といわずしてなんと言おう。
あれとは、同じ空気を吸っていられない。ともに天を抱けない、不倶戴天の敵の匂いがぷんぷんする。
いや、別に僕は皇帝や教皇の位に興味はないし、天下を治めたいわけでもないから、ちょっと違うか。
むしろ、いじめっ子といじめられっこの関係に近い。蛇ににらまれたカエルさんが僕だ。
逃げるが勝ちって言うし、こりゃ揉め事が起きる前に国外に逃亡した方がいいかもしれない。そう感じてしまうぐらい、あれとは相性が悪いと僕の直感が警鐘を鳴らしてくる。
へたに関わった後に僕が逃げ出したら、残った家族に報復が降りかかるだろう。イタリアの地に残らざるをえないアデライデお母様やピエトロお兄ちゃん達のためにも、早急に逃亡すべきだろうかと悩んでしまう。
さきほどイルデブラントに言った冗談、マティルデお姉ちゃんとの愛の逃避行を真剣に検討した方がいいかもしれない。いっそ家族全員で新大陸移住でもする?
今ならイシドロス達も付いてきてくれるだろうか……
そんなことを考えているうちに、ハンガリー戦役の必勝を願う宴会が始まっていた。
宗教側における席次二位のケルン大司教アンリ2世が進行役となり、ハインリッヒ4世のお言葉が宴会場に垂れ流されていた。
現在ハンガリーを支配しているベーラは、その兄である先王アンドラーシュから不当に王位を奪った。したがって、いまハインリッヒ4世の横に座っているアンドラーシュの嫡男、シャラモン(10歳)がハンガリー王に就くべきだ。ハンガリーに攻め込むのは、正統を糺すために必要な行いである。皆も力を貸してくれ。
まぁ、そんな感じの大義名分を述べているのだろう。
ドイツ語で演説されても、僕には人名くらいしか理解できないんだもん。それでも、大枠は間違っていないはず。
演説が終わると、すぐにビールと料理が配られていった。
主催者であるハインリッヒ4世が、肉を切って渡したのは王族席に座る皇妹ユーディット、シャラモンくん、そしてシャラモンの母アナスタシヤの3名だけで、あとは使用人に任せていた。
なるほど~。王族と諸侯とでは階級が違うのだと改めて認識した。階級が違うからハインリッヒ4世がお肉を切り分けるのは、王族のみなのか。
「アオスタ伯ジャン=ステラ様の料理とビールになります」
給仕が僕に食事を持ってきてくれた。
アルプスの北側はワインじゃなくてビールを飲むんだね。そんな事に感心しつつ、給仕のお仕事を見守っていたけど、なにかおかしい。
隣の席の強面おじさんと僕とでは料理が違うのだ。それにビールも違う樽から僕のコップに注がれている。
「ねえ、僕の料理だけどうしてみんなと違うの?」
何か嫌な感じがする。しかし、成人していない僕に配慮したお子様料理なのかもしれない。
そういう可能性を捨てきれないから、給仕に尋ねてみた。
「ジャン=ステラ様は、陪臣のため、メニューや飲み物が異なります」
あぁ、これが階級社会というものかぁ。
同じ飛行機でも、ファーストクラスとエコノミークラスとでは違う機内食が提供されるものね。
ただし、悲しいことに陪臣なのは僕一人。つまり、僕一人だけ貧相な別メニューということ。
それも仕方ない事なのかもしれない。そう諦めかけた所で気づいた。
これっていじめの一種じゃない?
ふと、最上位席に座るハインリッヒ4世を見ると、相手もこちらを見ていた。
ニヤッと嫌らしく口角を上げ、見下したような目線をこちらに投げかけてくる。
(あ。これ、わざとだな)
僕よりも自分の方が上位者であることを分からせるための仕打ちが、この料理なのだろう。
いや、本当の所は分からない。陪臣の扱いとしては当然なのかもしれない。
けどね、この思いが募るのだ。
あいつ、嫌い。