宴会の席次
1063年9月1日 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ
「ジャン=ステラ様の席はこちらとなります」
神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世が主催する、ハンガリー遠征の必勝を願う宴会が開催されるということで、僕もアオスタ伯として招待された。
宴会場となる大広間にはコの字型に机が並べられており、入り口から向かって真正面、部屋の一番奥の机がハインリッヒ4世たち王族の席となっている。
そして王族に向かって左側の机が軍を率いてきた伯爵以上の当主、そして右側の机が軍を率いてきた司教以上の席となっている。
アオスタ伯爵領は人口も少ないし、率いてきた兵は護衛の50人だけなので、僕の席は末席中の末席。
入り口から一番近い席へと案内された。
「ピエトロお兄ちゃん、また後でね」
「おう、ジャン=ステラこそ、粗相しないように気を付けるんだぞ」
大広間まで一緒に来たお兄ちゃんは、部屋の奥の方へと案内されていった。
列席する諸侯の中でトリノ辺境伯は、大公4名、公爵1名、そしてオーストリア辺境伯に次ぐ序列6位になる。末席の僕とは違い、王族の近くに席が用意されているのだ。
あーあ、知らない人の中に一人取り残されちゃったよ。
僕の近くに座っているのは見たこともない伯爵さんたちばかり。
僕はイタリア在住だから、ドイツ人の知り合いがいないのは、ある意味当然なんだけどね
このまま話し相手もなしに宴会を過ごすのも悲しいし、せっかくなので、席が隣になった人とはお知り合いになっておこうかな。
そう思い立った僕だったけど、ちょっと僕にはハードルが高そうなのだ。
隣りの席に座っているおじさんは、とっても強面で厳めしい顔をしている。
縦にも横にも大きくて凶暴な悪役プロレスラーみたい。日本で目撃したとしたら、ぜったい近くに寄らない、寄りたくない。むしろ逃げ出すべきだろう。
それでも、宴会で隣に座っているという事は、僕と同格の伯爵のはず。
話しかけたとたん、「無礼者っ!」て上意討ちされることはないよね。
僕は勇気をふり絞ってお隣のコワモテおじさんに声をかけてみた。
そう、心臓がドキドキ脈打つのが聞こえるほど緊張したけど、頑張って話しかけたんだよ。それなのに、そもそも言葉が通じないだなんて……。
僕がラテン語で話しかけたら、多分ドイツ語で返答があった。
「ぼく、ドイツ語わからない」ってドイツ語で返したら、まじまじと顔を見られたあと、そっぽを向かれちゃった。
そのおじさん伯爵は、僕とは反対側の伯爵さんとドイツ語で談笑して、僕は無視される形となってしまう。
(独りぼっちかぁ)
長時間の宴会中、話し相手もおらず一人寂しく時間を潰すことになる未来が脳裏に浮かぶ。
そもそも、宴会に列席している諸侯は、ハインリッヒ4世の直臣ばかり。僕みたいな家臣の家臣、つまり陪臣は列席していない。
(あ~ぁ、僕みたいな陪臣をわざわざ列席させなくてもいいのに)
と恨み節の一つも口からこぼれ出るというもの。
先日、ピエトロお兄ちゃんはハインリッヒ4世に謁見し、着陣の挨拶をしたのだが、僕は謁見には同行しなかった。
「僕は陪臣だから謁見しなくてもいいよねー」
面倒な場所に行くのは苦手なんだもん。このままハインリッヒ4世の記憶から、僕の事が抜け落ちないかな。
そんな淡い期待を、ほんのちょっぴり抱いていたんだけど、やっぱりだめだった。
ハインリッヒ4世直々の命令が、宿泊先に届けられたのだ。
「ジャン=ステラに宴会への参加を許可する。なお、聖剣セイデンキを持参すること」
いや、宴会になんて参加したくありません。許可もいりません。
できる事なら、そう言いたかった。
これがピザとコーラが出る宴会だったら、揉み手に土下座してでも参加をお願いするだろう。
しかし現実は非情なのだ。
肉を焼いただけの野蛮な料理が並んでいて、それを手づかみで食い散らかす宴会なんて、だれが参加したいと思うものか。
けれども、直臣の宴会に陪臣が参加できるのは、大変な名誉なんだってさ。
「私もそのような名誉にありつきたいものです」
参加許可を持ってきた使者の人が羨望の眼差しを僕に注いでいた。
(そんな名誉なんていらないやーい)
◇ ◆ ◇
案内の人に先導された人々が、宴会場に次々と入ってくる。
入口に近い末席はほぼ埋まり、奥の方はまだスカスカ。当然、王族席は4つとも空いたまま。
偉い人は後から現れるんだなぁ。
なるほどなるほどーなどと観察していたら、ふいに声を掛けられた。
「ジャン=ステラ様、どうしてこのような末席にお座りなのですか?」
声の主の方を見ると、濃く鮮やかな赤色をした枢機卿の正装に身を包んだイルデブラントが立っていた。その目には驚きが浮かんでいる。
「こんにちは、イルデブラント。どうしても何も、僕は陪臣の伯爵だもの。そんなの末席に決まっているでしょう」
「諸侯としてみた場合、確かにそうかもしれません。しかしジャン=ステラ様は正式に認められていないだけで、預言者ではありませんか。そもそも諸侯の列に席がある事が間違っています」
大広間の机はコの字型に並んでいて、向かって左側が諸侯、右側が聖職者の席となっている。
諸侯末席の僕は、左側の入口に一番近い場所に座っている。
しかし、イルデブラントに言わせると、僕は右側の列、聖職者側の最上位に座ってしかるべきなのだとか。
イルデブラントがぷりぷり怒っているけど、そんな事を僕に言われてもねぇ。
文句なら、ハインリッヒ4世に言ってほしいものである。
ちなみに聖職者の最上位は、教皇勅使としてこの地を訪れているイルデブラントだったりする。その彼が、諸侯の末席に立ち止まっているから目立つこと目立つこと。
周囲の目線が痛い。
僕は目立ちたくないっていうのに、イルデブラントのばか〜。
「僕は目立ちたくないんだよ。ほら、僕って暗殺の危険があるってイルデブラントも言っていたじゃない」
目立てば目立つほど、暗殺の危険が増すだろうから、目立ちたくないんです。
「それは逆です。ジャン=ステラ様の場合、教皇庁において既に預言者の真偽判定が開始されているのです。このような公式の場で大人しくしていると侮られ、より大きな危険を招き寄せることになりかねません」
暗殺も危険だが、僕にとって一番危ないのは、預言者でないと教皇庁に判断されることだと、イルデブラントに諭される。
預言者なのに諸侯の下風に立っていて何も言わない。それは僕自身が預言者ではないと無言で示しているように見て取られかねない。
真実はともかく、僕の不利になるような噂の火元にされかねない、とイルデブラントは危惧しているのだ。
(うへっ、政治って面倒くさいねぇ)
席次が政治に直結していて、あらぬ噂の原因になっちゃうなんて、中世のなんと面倒くさい世の中だこと。
いや、まてよ。
そういえば、農業高校の校長先生も酒席での席次にこだわっていたなぁ。
「上座はこちらで、入口に近い方が下座。なおタクシーの場合も同じだぞ」
同僚の先生方は、「はいはい、わかりました~」って適当に聞き流していたけど、席次にこだわるのは現代でも同じなのかもしれないや。
「ジャン=ステラ様!お聞きになっていますか」
前世の事を思い出していて、イルデブラントの言葉を聞き流していたら、怒られちゃった。
「うんうん、聞いていたよ。預言者じゃないと教皇庁に否定されたら身が危ないんだよね。その時はどこかに逃げちゃうことにするよ。イルデブラントはどこがいいと思う?」
最初の選択肢は新大陸だけど、文明の香りがない所はできたら避けたいなぁ。
そうだね、イシドロスにお願いして東ローマ帝国のコンスタンティノープルに亡命しちゃうなんてどうだろう。
イタリアやドイツのようなユーラシア大陸の片田舎よりも、よっぽど洗練された世界が広がっていて、美味しい食べ物も沢山ありそう。
洗練されたっていうなら、ペルシアの方が上だし、いっそ、インドとか中国に逃げちゃうのもあり?
インドならカレーが食べられるかな。
マティルデお姉ちゃんと一緒に、美味しい料理を求めて世界周遊旅行、なんてのもあこがれちゃうよね。わくわく素敵な大冒険で、きっと楽しい旅になるにちがいない。
想像しただけで、顔の筋肉が緩んでニヨニヨしちゃう。
とはいえ空想のネタとしてなら楽しめるけど、トラブル続出で実現するのは難しいだろうね。いざとなったら逃げるけど、出来る事ならそういう事態になって欲しくない。
空想から戻ると、目の前で屹立するイルデブラントの顔が、みるみる青ざめていくのが見てとれた。
「ジャン=ステラ様。ご冗談はほどほどでお願いします」
イルデブラントの声がすこし掠れて震えている気がする。
えー、ほんのお茶目な冗談だよ。いやだなぁ、イルデルラントったらぁ。顔が真っ青になっちゃってどうしちゃったのかな。
愛の逃避行なんて現実的にありえない。そのくらいは僕だって理解している。賢いイルデブラントの事だから、後で落ち着いたら分かってくれるだろう。
「はーい。へんな冗談をいってごめんね」
うやむやにするために、ひとまず謝っておこうっと。
「私も教皇庁への働きかけを強めますので、ジャン=ステラ様は何卒早まったことをなされませんように」
僕と目を合わせたイルデブラントは丁寧にお辞儀をした後、ふらふらと少し覚束ない足取りで自分の席へと戻っていった。