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お肉と名刺

 1063年8月上旬 ドイツ シュヴァーベン大公領 ラインフェルデン ジャン=ステラ


「ねえ、ピエトロお兄ちゃん。豚の丸焼き、すごかったね」

「ああ、いろいろな意味ですごかったな」


 アデライデお姉ちゃんとその旦那さん、シュヴァーベン大公ルドルフが催してくれた僕たちの歓迎宴会が先ほど終わった。


 夏のお日様も地平線へと消え、そろそろ暗くなってきた宿の一室。

 お兄ちゃんは酔いが回っているのか、椅子にだらしなく座っている。


 宿といっても、ホテルじゃないよ。

 ルドルフが提供してくれた、お城の貴族区域にある別館を僕たち二人で貸切状態。


「えっ、貸切?!」って最初は驚いたけど、お兄ちゃんからすぐツッコミが入った。

「そんなの当たり前だろ、ジャン=ステラ」


 僕たちの護衛や側仕え、トリノから連れてきた料理人、そしてトロトゥーラ親子達といった随行員もいるのだ。別館まるまる貸切でもしなければ、収容しきれない。


 それでも軍全員を別館に入れることはできず、歩兵達は城外で野宿している。

 そもそも、農民兵や傭兵をお城の貴族区域に入れる事なんてできないしね。


 宴会での目玉料理は、庭で焼かれた豚の丸焼き。肉を焼く匂いが漂う、なかなかワイルドな歓迎会だった。


 というかあれって、バーベキューパーティーだよね。


 ただし、焼いた肉を主人のルドルフが切り分け、それを参加者が頂戴するというちょっと変則的なバーベキューではあったけど、これは中世なら当然のこと。

 そう、お肉は主人が分け与えると決まっているのだ。


「ピエトロ殿、ジャン=ステラ殿、この肉汁したたる部分が美味しいんじゃよ」

 大公ルドルフが僕たちの皿に、お肉を乗せてくれる。


「ルドルフ様、ありがとうございます。これは実に美味(うま)そうですな」

「ああ、丸々と育った豚だから脂が乗っているだろう。贅沢に塩をたくさん振って食べると最高だぞ」


 大きなお肉が乗せられた皿が置かれたテーブルへと目を移すと、そこにはフォークとスプーンが用意されていた。

 きっと、アデライデお姉ちゃんが僕たちに気をつかってくれたんだろう。


 少し離れた席に座っているお姉ちゃんに「ありがとうっ」って目で合図をし、僕はお肉を食べ始めることにした。


 ステーキって言われた方がしっくりするような、大きく切り分けられた豚肉に、フォークをグサッと力強く突き刺して、口に運ぶ。

 がぶっと()みつき、犬歯を使って引きちぎる。


 一口大になんて切り分けられていないし、切り分けるためのナイフもないんだもの。

 食べ方もワイルドにならざるをえないよね。ちょっと野蛮人に戻った気分。


 周りの列席者達はどうかと見渡してみると、肉を手づかみで持ち、口で軽々と引きちぎって食べている。


 そんな彼の姿はまるで、おにぎりを口いっぱいに頬張(ほおば)る小学生みたい。

(ドイツ人にとってのお肉って、おにぎりなの?)


 けっこう硬い肉なのに、どうしておにぎりみたいに食べられるのか不思議でならない。


 たしかに、肉を大きく切り分けるだけの料理だったら手で食べた方が便利ではある。実際、フォークを使うとかえって食べづらい。つい先ほど、僕は身をもって知った。


(フォークを普及させるためには、料理も一緒に変える必要があるんだね)


 ヨーロッパ人が手づかみを卒業するのには、まだまだ時間がかかりそう。そのことに気づいた僕の口から、小さなため息がこぼれ落ちた。


 ちなみに、味付けも粗野だった。焼いた肉にお好みの量の塩を振るだけ。


 ソースもなし。

 丸焼きだから、肉をワインにつけておくとかの下味もないし、トンカツを作る時のように筋切りもされていない。


(あぁ、イタリアの料理が恋しいなぁ)

 とはいえ、そのイタリアにもピザがないんだけどさ。


 久しぶりの野蛮人に囲まれた、ワイルドな料理に涙がこぼれてしまいそう。


 さて、料理の話はこれでおしまい。


 宴会の目的は僕たちの歓迎以外にもう一つある。それは、ルドルフ大公の義弟であるトリノ辺境伯ピエトロお兄ちゃんと、アオスタ伯である僕のお披露目である。


 頼もしい力を持った親族がいることを、ルドルフは自分の家臣に知らしめたいのだ。


「俺にはこんな頼りになる親族がいるんだぞぉ」と己の力をより強くみせたいという訳である。


 十五歳のピエトロお兄ちゃんはともかく、九歳の僕をお披露目したところで、家臣達に頼りになると思ってもらえるのかな? そんな疑問が頭に浮かぶけど、まぁいいや。


 そんな思惑の漂う中、今回のハンガリー戦役に参加する貴族達と、そして高位聖職者を紹介してもらった。


 彼らは次から次へとやってきては名乗ってくれるのだけど、貴族達は基本ドイツ語で話しかけてくる。何を言っているかさっぱりわからないから、お兄ちゃんの横で、僕は適当にうんうん頷いていただけ。


 流石(さすが)に聖職者達はラテン語を使ってくれるけど、ずいぶんと(なま)っていて聞き取りづらい。


 いや、訛っているっていうのは失礼かな。

 そう。ラテン語にも方言があるとは知らなかったな~。


 それにしても、挨拶してくる人が多すぎる。次から次へと押し寄せてくる人波の全員を覚え切れるわけがない。


 全員の挨拶が終わって一息がついた後、隣に座るピエトロお兄ちゃんに尋ねてみた。

「ねえ、ピエトロお兄ちゃん。挨拶にきた人の名前は覚えられた?」

「そんなの無理だって。素面でも無理なことを、酔った頭で覚えられるわけないだろ」


 お兄ちゃんは最初から覚える気がなかったみたい。ではどうしているかというと、ピエトロお兄ちゃんの後ろに覚える専門の人が控えているんだってさ。


 へー。全員護衛だと思っていたよ。さすが辺境伯なお兄ちゃんだね。

 そう褒めたら、こそっと真相を教えてくれた。


「実はな、お母様が連れて行けって貸してくれたんだよ」


 うん、さすがお母様。抜かりがないね。


 それはさておき、面会した相手をさっぱり覚えていないのもどうかとは思う。

 だけど、それは覚えられるような仕組みがないのが悪いんだよね。


 例えば、名刺を配ってくれれば、後からじっくり覚えられるのに。


「せめて名刺を準備して欲しいよね。ピエトロお兄ちゃんもそう思わない?」


 僕自身、名刺を持っていない事を棚に上げて、お兄ちゃんに愚痴(ぐち)ってみた。


「メイシ? なぁ、ジャン=ステラ。メイシって何だい」


 うそっ。名刺ってないの?


「名前と所属や称号を書いた手のひらサイズの紙ですよ。いや紙じゃなくて、木札でもいいのかな」


 僕の場合なら、ジャン=ステラ・ディ・サヴォイアという名前、トリノ辺境伯家臣、そして称号・アオスタ伯爵を書くことになるだろう。


(電話番号は当然ないとしても、住所ってあるのかな?)


 貴族なら、地名で特定できるから不要な気もする。


「その名刺を初めて挨拶する人に手渡しするのです。そうしたら相手に名前を覚えてもらえると思いませんか」


「たしかにそれは便利そうだね。もし覚えてもらうのが目的なら、アオスタ伯よりも預言者って方がいいんじゃないか?」


 ピエトロお兄ちゃんが笑いながらちょっとした軽口を言ってきた。


 いやいや、そんな事、できませんって。自分で預言者を名乗るのは恥ずかしすぎる。


「せめて、教皇から公式認定されるまでは保留でお願いします」


 そうしないと、あちこちで敵を作ることになりそうだし。ほら、クリュニー修道会のユーグとかスタルタスとか、ね。


「覚えてもらうかぁ。ん? まてよ」

 先ほどまで笑顔だったお兄ちゃんが、いきなり真剣な表情に変わった。

 一体なんだろう。僕は何も変なことを言っていないはず。


「なあ、ジャン=ステラ。そのメイシには顔が描かれてたりするのかい?」

「描いているものもありますよ」


 学生時代に先輩からプリクラを貼った名刺をもらったことがある。


「顔の代わりに紋章を()ってあるメイシは?」


 名刺に()ってはいないけど、会社のマークとかは印刷されているのが普通だった。

 あ、紙の名刺ではなく木札だったら、彫るのもありってことかな。


「紋章のようなマークが載っているのが普通だったよ」


「紙や木だけでなく、銀や金のメイシもあるのかい?」


 ぐいぐいと迫ってくるお兄ちゃんが、僕を質問攻めにしてくる。

 一体なんだろうと不思議だけど、別に変な質問でもないしなぁ。


「うん、あるよ」


 雑誌の「変わり(だね)名刺特集」で、金地に黒文字の金ピカ名刺とか、アルミ板の名刺とかが載っていた。アルミのは、とある軽金属会社のプロモーションで作った特注品らしい。


 真剣みがさらに増してきたお兄ちゃんの、ごくりと唾を飲む音が聞こえてきた。


 お兄ちゃんが僕の瞳を真っすぐに見つめ、口を開いた。


「なあ、ジャン=ステラ。お前がメイシを作るって事は皇帝になるつもりかい?」


 ふへっ? なんでそうなるの?

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人が切り分ける形式だとステーキみたいな厚さにならざるを得ないのかもですね。 17世紀ごろにケチャップ(魚醤)が中国から入ってきて現代の形になるので、(ローマ滅亡と共にガルムの製法が途絶え)…
[一言] 貴金属でできていて顔が載ってる 普通に考えて硬貨ですね
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