アメーデオお兄ちゃんの恋
1063年7月下旬 ブルクント王国 サヴォイア伯領 シヨン城 ジャン=ステラ
馬上、街道を進む僕たちの目の前に、シヨン城が見えてきた。少し傾きかけた陽の光の中で、輝いているようにさえ見える。
「うわ~っ! お城が湖に浮かんでるよ!」
レマン湖東岸に浮かぶ小島に建築されたシヨン城。水面のさざ波が触れるその城壁は、湖の中まで続いていた。
トリノから道中を同じくしてきたピエトロお兄ちゃんが、我が物のように誇らしげな声をあげる。
「そうだろう、そうだろう。領内で一番気品のある城だと俺は思ってる」
借景となっているアルプスの山々とも調和していて、溜息が出てしまうほど綺麗なお城なのだ。
そして、お兄ちゃんが我が物顔なのは当然。このお城はサヴォイア伯でもあるピエトロお兄ちゃんの所有物なんだよね。
いいな~。うらやましいな~。
シオン城はサヴォイア家の中でも、最北端のお城である。ドイツから北イタリアへと抜ける交通の要衝に立っているから、関税収入が多いのだろうね。小さいお城なのにお金がかかってそうな、豪華な造りをしている。
五日前、65名の騎馬部隊を引き連れてトリノを出発したお兄ちゃんと僕は、アルプス山脈を超え、スイスのレマン湖に到着した。
うっかりスイスって言ってしまいそうになるけど、今はまだスイスという国は存在しない。ブルグント王国のレマン湖なのだ。
「アルプス山脈の景色も綺麗だったけど、このシヨン城も負けていないね、お兄ちゃん」
「俺にとっては、夏だというのに寒かった事ばかりが記憶に残っているなぁ」
「あはっ、確かに寒かったよね」
アルプスを超える峠道のあちこちには、万年雪が残っていた。七月だというのに寒くて、外套が必要なほどだった。
そんな峠に山小屋を作るとは、聖ベルナルドってすごい人なんだなぁ、と改めて実感しちゃったよ。
なお、ベルナルドからもらった子犬のポチはトリノでお留守番。
本当は連れていきたかったけど、「成犬になるまではダメです」って護衛のロベルトに言われ、泣く泣く諦めた。
しつけが終わって、無駄吠えしない、いい子に育たないとダメなんだって。
子犬を戦場には連れていけないよね。
道中のあれこれについてピエトロお兄ちゃんと話しているうちに、シオン城に到着。城門をくぐると次兄のアメーデオお兄ちゃんが、笑顔で僕たちに手を振っていた。
「ピエトロ兄ぃ、そして、ジャン=ステラ、待ってたぜ」
「ああ、アメーデオ。出迎えありがとう。兵士と物資は集まっているかい?」
「もちろんだとも。ローヌ川の水運が使えるから楽なもんさ」
皇帝から要請された兵数は500。ピエトロお兄ちゃんと僕は騎馬だけを率いてトリノを出発した。
残りの歩兵は、アメーデオお兄ちゃんがサヴォイア伯爵領とモーリエンヌ伯爵領で集めたのだ。
シオン城が面するレマン湖は、地中海に注ぎ込むローヌ川の出発点になる。
そして、サヴォイア伯領とモーリエンヌ伯領は、いずれもローヌ川流域に位置するため、シオン城まで船を使って人と物資を運べる。
荷物をたくさん持ってアルプスを越えるのは大変だから、船を使えるのは大助かりだったよ。
「今日は、久しぶりの再会を祝う宴会だぜ。白鳥の唐揚げも準備しているから楽しもう」
アメーデオお兄ちゃんと最後にあったのは去年の九月だった。もう10ヶ月も前なんだね。
言葉遣いもちょっと荒っぽくなってるし、少し見ないうちに逞しくなっちゃった。それとも、13歳だから、ちょうど粋がりたいお年頃なのかもしれない。
旅装を解いた後は大広間で、兄弟3人、水入らずでの宴会である。
まぁ、水入らずといっても、護衛も給仕もいるんだけど、それはいつもの事。気にしたら負けなのだ。
「白鳥の唐揚げは、いつ食べても美味しいね」
野生の鳥のためか、白鳥の肉は少し硬めだけど、やっぱり唐揚げは美味しい。
「そうだな、赤ワインとの相性もばっりちりだ」
アメーデオお兄ちゃんが赤ワインで唐揚げを流し込むように食べている。
「おいおい、アメーデオ、せっかくの唐揚げなんだ。もう少し味わって食べろよ」
「ピエトロ兄ぃ、仕方ないだろ。唐揚げが美味しすぎるのが悪いんだ」
二人の兄は、15歳と13歳。唐揚げのような脂っこい料理が大好きで、いくらでも食べてしまいそう。
大皿に盛られた唐揚げがみるみると無くなっていく。
「ぷっはぁ、くったくったー。もう喰えねえ」
「喰っただけじゃないだろ、アメーデオ。おまえ、飲みすぎて、顔が真っ赤だぞ」
「硬い事言うなよ、ピエトロ兄ぃ。折角、久しぶりに会えたんじゃないか」
ワインを飲んで口が軽くなったのか、二人の兄が上機嫌で会話を楽しんでいる。
うんうん、仲良きことは美しきかな。
僕はお酒を飲んでいないので、一人だけ素面。酔っ払いの会話に入り込めていないけど、2人を眺めているだけで幸せな気分でいられる。
ただし、自分の身に火の粉が降りかかってくる前は、である。
「そういうジャン=ステラも、背が伸びたぞ。大きくなったなぁ。それに、なんだか顔つきが凛々しくなった。もしかしてお前、女でもできたか」
ぶはっ、てジュースを吹き出しそうになった。
酔っ払うと、すぐ下世話な話をしだす奴がいるよね。アメーデオお兄ちゃんがそうだったとは。
「そ、そんな訳ないでしょう。僕はまだ9歳ですよっ」
「そうそう、その通り。なにせジャン=ステラはアデライデお母様とべったり一緒にいるからな」
ピエトロお兄ちゃんが、僕を援護してくれた。しかし、アメーデオお兄ちゃんの矛先がピエトロお兄ちゃんに向いただけだった。
「あぁ、お母様と一緒じゃ無理だな。だが、それってピエトロ兄ぃも同じだろ」
「まあな。女遊びなんてしたら、殺されかねないものな」
「違いない」
わっはっはと笑いあう2人の兄たち。
そんな兄たちの言葉から、気になったことを聞いてみた。
「もしかして、お兄ちゃん達は、お母様が怖いの?」
ピキッ。
その場を支配していた桃色な雰囲気が、一瞬で静寂へと反転した。
(あちゃぁ、しまったね)
話の腰を折っちゃったと後悔しても、それは後の祭りである。
兄たちが互いに顔を見合わせた後、おずおずと聞いてきた。
「なぁ、ジャン=ステラ。逆に聞くが、お前はお母様が怖くないのか?」
「俺なんて、お母様の前に出たら、軽口も叩けないんだぜ」
「うーん、僕は別に怖くありませんよ。というか、甘々だと思いますけど?」
お兄ちゃんたちとは態度が違うのかな?
普通の親って末っ子には甘いっていうし、お母様もそれなのかもしれないね。
「うわっ、勇者だ。勇者がここにいる」
「だよなー。まぁ、勇者じゃなくて預言者だけどな」
うわっはっはと、再び笑い出すお兄ちゃんたち。
何が面白いか分からないけど、酔っ払いってそんなもんかな。
それよりも、凍った空気が元通りになってよかった。
そして、兄たちの話は再び、女性の話へと戻っていく。
どうやら、アメーデオお兄ちゃんが一目ぼれしちゃったらしい。
「ひと月ほど前、ジュネーブ伯の招待を受けたんだけどな、そこにすっごい美人がいたんだよ」
ジュネーブ伯の領地は、ここシヨン城のあるレマン湖の西の端。レマン湖がローヌ川として注ぎ出る場所にジュネーブの町がある。
アメーデオお兄ちゃんの惚れた相手というのは、ジュネーブ伯の娘さんでジャンヌという名前だとのこと。
「それで、アメーデオ。おまえが惚れたというのはどんな感じの美人さんだったんだ?」
よもやお母様とは似ていないよな、と直球で失礼な事をいうピエトロお兄ちゃん。
僕からすると、お母様はとっても美人だと思うんだけどなぁ。
「それがな、お母様と違って、ふわふわっとして優しげな目をしていてな、明るい笑顔がすんげ~魅力的なんだ」
うんうん、たしかに美人にも方向性ってものがある。
お母様みたいな、クールな感じの美人もいれば、ほんわかな雰囲気を醸し出す美人さんもいるよね。
「そしてこれが一番重要なんだけどな。隣にいても威圧感を感じないんだぜ」
「うんうん、わかるぞ、アメーデオ。お母様みたいな人が隣にいたら緊張が解けないもんなぁ」
お兄ちゃん二人が肩をたたきあって共感している。
まぁ、人の好みはいろいろあるよね。
「アメーデオお兄ちゃん、そんなに好きなら、結婚を申し込んだらどう?」
もう13歳なんだし、婚約者がいてもいいよね。
「え? ジャン=ステラ。俺が結婚を申し込んじゃってもいいのか?」
二人とも、そんな驚いた顔で僕を見なくてもいいんじゃない?
「お兄ちゃん、好きなんでしょ、その人の事」
「そりゃ、好きだけどさ……」
もう、煮え切らないなぁ。ぐちぐち言っているなんて男らしくないぞ。
「アメーデオお兄ちゃんも男なら当たって砕けてきなよっ」
「いや、砕けたくはないんだが……
でも、そうだな。ジャン=ステラがそこまで言うのなら、いいんだろう。
ピエトロ兄ぃとジャン=ステラを見送ったら早速行ってくるぜ」
最初は不安顔だったアメーデオお兄ちゃんだが、最後には拳を突き上げて決意を表明してくれた。
うんうん、好きな人と結ばれるがいいよ。
「そうこなくっちゃっ」
アメーデオお兄ちゃんを心から応援しちゃうよ。だって、僕もマティルデお姉ちゃんと結婚したいもん。
「もし成功したら、お母様の説得はジャン=ステラに任せたからなっ!」
「大丈夫ですって。お母様が反対するわけありませんよ」
優しいお母様だもの、反対なんてしないって。
アメーデオお兄ちゃんが本気な惚れた相手なら許してくれる。
ふと、ピエトロお兄ちゃんの方を見ると、頭を抱えていた。
「ジャン=ステラ、俺は知らないからな」
史実におけるアメーデオお兄ちゃんのお嫁さんが初登場です。
ピエトロお兄ちゃんは辺境伯だから、それに釣り合う家柄のお嫁さんを探すのは大変なのです。きっと、アデライデお母様も頭を痛めているはず。
その点、アメーデオお兄ちゃんは伯爵なので、相手候補はたくさんいます
それはさておき、ジャン=ステラちゃんが立ち寄ったシヨン城は、現スイスのレマン湖の東端に位置するとてもステキなお城です。
観光地としても有名で、スイスで最も観光客が訪れる城の一つとして知られています。
といっても、日本人にとっては「ふーん、そうなの」でおしまいですよね。
そこで、分かりやすい説明を一言。
実はこのシヨン城は、「ルパン三世 カリオストロの城」のモデルだと言われています。
俄然興味が湧いてきませんか?
ぜひwikipedia の写真をご覧ください。
シヨン城の写真(wikipediaより)