墾田永年私財法
1063年5月下旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ
「グイドよ。我が盾となりて、我を害さんとする矛を阻め。我は汝の忠誠を受け止めるに相応しい主人たらんとここに誓おう」
ティーノとの騎士ごっこの後、結構大変だった。
「ティーノが槍なら、私は何でしょうか?」
「ほへ?」
グイドの質問に対して、おもわず間の抜けた声が出た。
ニコラスが改良してくれた僕専用クロスボウを戦場で使うため、適当にでっちあげたのが槍のティーノだったんだもん。
グイド達のことは、まるっきり頭から抜け落ちていた。
ティーノはにやけた顔を隠そうともしていないし、グイドはティーノをとても羨ましそうに見ている。
(そんな顔をされてもねぇ)
だけど、このままではティーノへのえこひいきになってしまう。ティーノも大切な護衛だけど、グイドも同じくらい大切。
仕方ないので、グイドは盾にした。
そして最古参のロベルトだけ何もなしってわけにいかないよね。ということでロベルトは鎧にしといた。
護衛達に我が槍、我が盾、我が鎧の称号を授けおわったら、ニコラスが物欲しそうに聞いてきた。
「ジャン=ステラ様、私にも何か称号をいただけませんか?」
「ニコラスはもう称号をもっているでしょう?」
新東方三賢者の一人という凄い称号を持っているんだから、これ以上必要ないよね。
そうニコラスに伝えたら、肩を落としてがっかりしていた。
小さな声で、「それはそれ、これはこれ。ジャン=ステラ様から直接称号を授けていただきたかったのです」、とブツクサ言っていた。
(そんなんしーらないっ)
ここでニコラスに称号をあげたら、あと何人に称号をあげる事になるか予想もつかないもの。
この辺りで打ち止めってことにしておかなければ、面倒だよね。
◇ ◆ ◇
お昼を食べた後の昼下がり、ユートキアが担当するお仕事を案内してもらっている。
「ねえ、ユートキア。何を見せてくれるのかな?」
「そうですね。開墾作業をご覧になるのはいかがでしょう」
修道院は、新しい畑の開墾に力を入れている。ギリシアから招く家庭教師達が食べる分、小麦を栽培する畑を広げる必要があるのだ。
ユートキアの提案に乗る形で、白馬のブランに乗って城外へと向かった。もちろん、僕の護衛達も一緒。
「そういえば、ユートキアって乗馬が上手だよね。馬がよそ見せず、落ち着いて歩いているって感じがする」
「あら、ジャン=ステラ様もお上手ですよ。習い始めたばかりとは思えませんわ」
ユートキアは男爵家のお嬢様で、小さいころから乗馬を習っていたそうだ。昔は結構おてんばで、お兄さん達と一緒に馬で領内を走り回るのが好きだったんだって。
遠出を繰り返すうち、馬に負担が少ない乗り方を覚えたのだと教えてくれた。
そんなユートキアからみても、僕の乗馬は上手という事らしい。
「背筋がピンと伸びていて、お姿がとてもお綺麗ですわ」
そして何よりも、ユートキアの乗馬が上手だと分かる事が素晴らしいのだと言われた。
「ジャン=ステラ様は、きっと乗馬の名手になられますよ」
「うん、これからも頑張るよ」
そんな他愛のない話しをしながら馬を歩ませ、開墾現場へと向かった。
道中に見える景色の半分は、あと少しで収穫時期を迎える冬小麦の畑で、残り半分では羊がメーメー鳴いている。
イタリアは二圃式農業の国。農地の半分で小麦を冬に育て、残り半分の休耕地で羊を育てている。
それにしても、夏の雨が少なすぎて三圃式農業ができないのが残念すぎる。前世の知識が一つ、役立たない事が確定しちゃった。
「ジャン=ステラ様、こちらが開墾現場になります」
開墾の現場は、木の切り株がたくさん残っている草原といった感じ。木を事前に切り倒しておいたのだろう。
そして開墾しているのは20人くらいの男性陣。3人一組のグループに牛が一頭ずつ割り当てられていて、一生懸命に切り株を掘り起こしている。
馬の上から、彼らの開墾作業を見学する。
まず、根の周りの土を手作業で掘り出し、最後は牛さんが力任せに引っこ抜く。それを見渡す限り全部の切り株に行うのだ。
「これは根気のいる作業だね」
切り株はいったい何個あるのかな。ざっと見ただけで100個はありそう。それを全部引っこ抜くまでどれほど時間がかかるのだろう。
いつ終わるのかと考えただけで気が遠くなっちゃうよ。
そんな僕の頭に「コンデンエーネンシザイホー」って呪文がふと浮かんだ。
中学の歴史で習った墾田永年私財法。
朝廷は田畑を増やしたいけど、開墾って大変だからちっとも田んぼが増えてくれない。困っちゃった朝廷は、「それなら、開墾した人の私有財産にしてもいいから、田畑を増やしてね」ってお願いしたのがこの法律。
目の前で繰り広げられる開墾作業を見ていたら、好き好んで開墾する人なんていないってのがよくわかる。子孫代々に受け継がれるとでも思わなければ、やってられなかったんだろうね。
そんな事を考えていたので、汗水垂らして開墾してくれている人たちの努力に頭が下がる。
僕の思いつきで呼ぶ事になった家庭教師のため、こんなにも頑張ってくれてありがとう。
じーっと作業員を見つめていた僕にユートキアが話しかけてきた。
「ジャン=ステラ様、ここの開墾はまだ楽な方なのですよ」
「えー、こんなに大変そうなのに?」
「土を掘っても、大きな石や岩が出てこないのです。この辺り一帯は林になっていますが、昔は畑だったのでしょう」
畑にするためには、切り株だけでなく、土中の岩も取り除く必要がある。そうしないと、小麦の根が伸びる邪魔になってしまう。
切り株を掘り起こすのも大変だけど、土中の岩石を取り除くのも大変な作業なのだとユートキアが語る。岩はなにせ重いのだ。土中から掘り出した岩を地面の高さまで持ち上げ、邪魔にならない場所に捨てに行くのは大仕事になる。
そういえば、この修道院は廃村跡を利用して建てたんだった。一度は開墾された畑の跡が、林になっていたんだね。
「結局なにも出来なかったなぁ」
開墾している場所を見学したら、使える知識が浮かぶかとおもったけど、結局何も浮かばなかった。
いや浮かびはしたけど、墾田永年私財法じゃ、役立てようがなかった。
ま、そんな事もあるよね。
「そろそろ修道院に戻ろっか」
「はい、ジャン=ステラ様」
ユートキアや護衛たちと一緒に修道院へと戻る途中、伝令の馬が全速力で僕の方へと駆けてきた。
「ねえ、何かあったのかな?」
「さぁ、どうでしょうか」
ユートキアと顔を見合わせたけど、何が起こったのか見当も付かなかった。
護衛のロベルト達の方を見ても、首を横に振るばかり。
「ジャン=ステラ様に報告しますっ!
トリノのアデライデ様より、緊急の使者が来られました。至急、修道院へとお戻りください」