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馬上槍を支えるランスレスト(前編)

 1063年5月中旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ニコラス副輔祭


「ニコラス、ちょっと作ってもらいたいものがあるんだけど、お願いしてもいいかな?」


 弟子達とあぶみ付きクロスボウを作っていた私に呼び出しがあったのは、昼食の少し前のことでした。慌ててジャン=ステラ様のお部屋へ行くと、挨拶もなしにお願いごとを切り出されました。


 私はジャン=ステラ様の忠実なるしもべ、新東方三賢者のニコラス。ジャン=ステラ様の言葉に否やがあろうはずがありません。


「もちろんでございます。お次はどのような物の作成でしょうか」

 自分の声が弾んでいます。きっと私は満面の笑みを浮かべていることでしょう。なにせ、楽しくて仕方ないのです。


 方位磁針、トリートメントに固体石鹸、蒸留ワインと木酢液の製造装置、そして改良型クロスボウ。ジャン=ステラ様の命に従い、さまざまなものを作ってまいりました。


 今回は、どのような物を思い付かれたのでしょうか。ああ、早く聞きたくて仕方がありません。


「ランスを水平に構えるための補助具が欲しいの」

 ジャン=ステラ様がすこし恥ずかしそうです。


 つい先ほどまで、ジャン=ステラ様はランスの扱い方を学んでいたそうです。しかし、お体の小さいジャン=ステラ様は重いランスを水平に保つのが難しかったご様子。


 穂先が揺れる事を、教師役のグイド殿に指摘されたのが悔しかったらしく、グイド殿の鼻を明かすための補助具をご所望でした。


「僕は体が大きくなるまで待っていられないんだよ。だから補助具が今すぐ必要なの」

「なるほど、グイド殿を見返す様な補助具ですね」


 ジャン=ステラ様の後方で護衛しているグイド殿の方をちらっと見ると、苦笑しておりました。ジャン=ステラ様は大らかな方ですね。この場だけでも、グイド殿を人払いされればよかったのではないでしょうか。


「グイドをとっちめるのも目的の一つだけどさ、それだけじゃないよ。僕が戦場に出るためには、ランスが構えられないとダメなんだ。そんなひ弱な将にだれも従いたくないと思わない?」


「ジャン=ステラ様、そんな事ございません。この修道院に集まっている物達は、ジャン=ステラ様のご命令とあらば、どのようなものでも従います」


 たとえこの命が失われたとしても、天国への門の前でジャン=ステラ様をお待ちするだけのこと。どこに躊躇(ためら)う要素があるというのでしょう。


「う? うん……。 そうだね。ニコラス、ありがとう。でも兵が全員、ニコラスみたいな考えではないからね」


 なぜかジャン=ステラ様が少し戸惑っているように感じられます。私は何か変なことを言ったのでしょうか。

 ですが、ジャン=ステラ様のおっしゃる事はごもっとも。嘆かわしい事に、ジャン=ステラ様の尊さを理解できない人間も多くいるのが現実です。



 それはさておき、ランスの補助具ですか。私も騎乗しますのでランスは使えます。しかし、どうにもイメージが浮かびません。


「ジャン=ステラ様のおっしゃる補助具について、もうすこし詳しくお伝えいただけますでしょうか」


「ランスを水平に構える時って、右手と右脇で支えるでしょう?」


 はい、とジャン=ステラ様にうなずきます。

 私も若かりし頃、穂先を安定させるために握力と腕の力を鍛えたものです。


「ランスって長いから、ちょっと手の力を緩めただけで槍の先っぽがぐらんぐらん揺れちゃうよね」

「誠にその通りにございます」

 再び首を縦に振りました。


 地面に立って練習していても、穂先は揺れるのです。上下に揺れる馬上では、なおさらの事。ジャン=ステラ様はそのことを仰っているのでしょう。


「だったら、槍を支える場所を増やせば安定するんじゃないかなって考えたんだよ」

「支える場所、ですか?」

「そうなの!」


 はて。

 右手で持つランスを、両手で持てるようにする補助具が欲しいという事でしょうか。


 私の考えをジャン=ステラ様に伝えると「違う違う、ニコラスちがうよ」、と否定されてしまいました。


「ランスを両手で持ったら、手綱が握れないでしょ?」


 たしかにその通りです。馬を操れなければ、馬上槍を持つ意味がありません。


「ニコラス、右脇に長くて重い荷物を抱えると思ってよ。そうだね、ランスが3本くらい入った重い箱を想像してくれる?」

「はぁ」 意図が掴めず、間の抜けた返答をしてしまいました。


「僕の体って軽いでしょう? ティーノやグイドの重さの半分も無いんだから、僕にとってのランスの重さは、ニコラスにとってはランス3本分ぐらいになると思わない?」


 たしかにジャン=ステラ様のおっしゃる通りです。

「ランス3本分となると、片手で持つのは少々難しい重さでございますね」



「でしょ? その重さを右脇に抱えることを想像してみてよ。とっても重いから、脇を絞める力を緩めると、落ちちゃいそうになるよね」


 たしかにその通りです。ランスを使う際は、常に脇をきつく絞めておかなければなりません。力を緩めると、ランスが下に落ちそうになります。


「だから、ニコラスには、ランスを下から支えるような補助具を作って欲しいの」


 ジャン=ステラ様の欲される補助具について、ようやく理解できました。


 それにしても、武器であるランスを荷物扱い、ですか。

 そして、長くて重い荷物を運びやすいようにすれば、穂先が安定する、ですか。


 私自身は武芸の師匠より「体の鍛え方が足りぬ!」と怒鳴られてばかりでした。

 先人の教えに従い体を鍛えることはしても、己自身で工夫してみようとは、考えた事すらありませんでした。


「さすがはジャン=ステラ様!」


 さすがは預言者です。私も技術者としては一目置かれております。

 しかし、ジャン=ステラ様と私と比べることなど烏滸(おこ)がましいというものです。


「このニコラス、改めて感服いたしました」


 おお、神よ。ジャン=ステラ様との出会いに、わたくしを新東方三賢者に選んで頂きました事に感謝いたします。

 アーメン。

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