ランスチャージと馬上槍
1063年5月中旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ
ドドッ、ドドッ、ドドッ。
修道院の広場の向こう端から、ティーノが馬を全速力で走らせ迫ってくる。
ランスと呼ばれる長い槍を右脇に挟み込み、的に向かって突き進む。
「ウォー!」
雄叫びを上げつつティーノが僕の前を通過する。
刹那の後、ランスの切先が的へと突き刺さり、「パーン」という乾いた音が僕の耳に響いた。
「あたった! ティーノすごい!」
今日は馬上で槍を使う戦闘訓練を行なっている。
まずはティーノがお手本を示してくれた。
馬上からランスで的を貫くという、ランスチャージの基本にして最終形態、らしい。
「戦場での勝敗を決めるのが、ランスチャージのなのです」
お手本を見せる前、ティーノが説明してくれた。
「相手の騎馬隊を粉砕し、歩兵を蹴散らし、本陣めがけて突進する。隊列の乱れた敵陣を味方の歩兵が蹂躙する。そして我らは勝利を手に入れるのです!」
うーん。ティーノの言いたい事はわかった。
騎馬隊こそが最強、っていう脳筋思考だよね。
敵陣にランスチャージすれば勝てるってティーノは言うけど、本当はそんな単純じゃないよね。だって、それだけで勝てたら誰も苦労しないもの。
「そんなに簡単に勝てるものなの?」
「もちろんです!」
疑いが色濃く混じった僕の疑問を、ティーノが力いっぱい肯定する。
「そんなわけあるかっ!」
そこに間髪を容れず、ロベルトが怒声と共にティーノの頭を叩き、ツッコミを入れる。
「ジャン=ステラ様、ティーノの言葉を真に受けてはいけませんよ」
どこが間違っているのか、グイドが解説してくれた。
「ランスチャージの成否が勝敗を決するという点では、ティーノは間違っていません」
しかし、何も考えずにランスチャージすると、歩兵の持つ槍の餌食になってしまう。
「馬は槍のような尖ったものの前では、立ち止まってしまうのです」
全速力で歩兵陣地に突撃したら、その手前で止まっちゃいました。そこを歩兵の槍に貫かれて負けちゃいました。てへっ。では困っちゃう。
そのため、弩弓で歩兵の陣形を乱した後にランスチャージする。
とはいっても、戦場には相手がいる。敵だって弩弓で味方歩兵の隊列を乱し、ランスチャージするタイミングを虎視眈々と狙っている。
「ランスチャージで勝てる状況に持ち込むのが、戦場における将の役割なのです」
(ですよねー)
ティーノの脳筋ぶりにも困ったものだ。
と、あきれ顔をティーノに向けていたら、意外なことにロベルトからティーノを擁護するような言葉が出た。
「グイド、それでは片手落ちだ。ジャン=ステラ様、戦場は混沌が支配する場なのです」
興奮した若い騎兵が戦場の雰囲気に呑まれ、命令を待たずに敵歩兵陣に突撃する。
「こらー止まれ!」と指揮官が怒鳴ると、なぜか命令とは真逆に、他の騎兵も突撃を開始する。
「あぁ、このままでは負けてしまうっ!」
味方騎兵が敵槍兵の餌食になると指揮官が焦っていたら、なぜか敵騎兵がこちらに向けて突撃してくる。
「歩兵も弩弓兵も無関係に、騎兵だけが戦うこともよくある事なのです」
戦術も戦法もあったものではないのが、戦場のよくある姿なんだって。ひどいねぇ。
そしてティーノのような脳筋だけが一騎駆けする、というわけではない。
「戦場の興奮状態と功名心によって、若者ならだれにでも起きる事なのです」
ロベルトの目が遠くを見ている。きっと、そういう状況を何度となく経験してきたんだろうね。
「そういえば、ティーノとグイドは、武功を挙げて、領地持ちの騎士になるって言ってたよね」
「ですから、二人とも抜け駆けする可能性はあります」
ティーノとグイドはそれぞれ男爵家の三男と五男。後継ぎではないから、貴族でいられるのは彼ら一代限り。自力で領地を得なければ、彼らの子供は平民落ちしてしまう。いや、それ以前に、領地がないとお嫁さんが来てくれない。
だから、後継ぎでない若年の騎兵は一か八かの賭けに出て、突撃しちゃうんだってさ。
「そして彼らの大半は命を落とすのです」
話し終えたロベルトの目が遠くを見やっている。
戦場って怖いね。
◇ ◆ ◇
「まずは、ランスの持ち方から始めましょう」
戦場のお話が一段落したので、槍を使った戦闘訓練が始まった。
グイドが僕に手渡してくれたのは短いランス。
ティーノのランスが僕の背の3倍くらいで、僕のランスは2倍ほど。
なんかやだ。だって、長い方が強そうだもん。
口をとんがらせて、グイドに文句を言ってみた。
「だいぶん短いよね。ティーノの槍の方がかっこいいから、あっちがいいなぁ」
「ジャン=ステラ様、短いランスが使えるようでしたら、長いのをお渡ししますよ」
グイドがふふっと笑い、子供を諭すような口調で僕をあしらった。
「グイド、あしらうのに慣れていない?」
「槍を初めて習う男の子は、ジャン=ステラ様と同じようなことをよく言うのですよ。かくいう私もそうでした。しかし、ランスは重いのです」
「そうかな? 結構軽いと思うけどな」
手渡されたランスはそれほど重くない。多分、前世の尺度で2kgもない。
「それはジャン=ステラ様が、ランスの真ん中を両手で持たれているからですよ」
ランスは片手で持つ武器なので、両手で持っていたら軽いのは当たり前。
軽いなんて言っちゃって、ちょっと恥ずかしいね。てへっ。
「ご納得いただけたようですね。まずは右手にもち、穂先を天に向けて構えてください」
ランスを両手に握ったまま、穂先を上に向ける。右脇に挟み込み、そして左手を離す。
「できたよ」
「これが突撃準備の体勢です。では、ランスを水平に構えてください」
ランスの柄を右脇に挟み込んだまま、ゆっくり傾けていく。
「水平に構えたよ」
「ジャン=ステラ様、穂先が揺れています。動かさないでください」
「りょーかいっ」
水平に保つのも大変だけど、穂先を安定させるのはもっと大変。
右へ左へ、上へ下へとゆーらゆら。全然安定しない。
がんばっているけど、右腕が疲れてぷるぷる震えてきた。
「もっと脇を締めるのです」
脇をぎゅっと締めたら、すこし穂先が安定した。
これは、しんどいね。
槍を構えるだけが、これほど大変だとは思ってもみなかった。
「穂先が安定しましたね。では、このままゆっくり100数えましょう」
「いち、に、さん、し……」
「穂先が動いています。やり直しっ!」
こ、これは厳しい。10でも大変なのに、100は無理というもの。
「いち、に、さん、し……」
◇ ◆ ◇
「ジャン=ステラ様、今日はここまでにいたしましょう」
グイドが訓練終了を告げる。
「た、たすかったぁ」
ようやくランスを水平に持つだけという地獄から解放された。
ぷるぷるぷる。右腕が小刻みに震えている。右腕ばっかり使いすぎだよ。
涙目の僕にグイドが追い打ちをかけてくる。
「ジャン=ステラ様はまだまだ筋肉が足りませんね」
そんなの僕だってわかっているよ。でも、まだ9歳で体も小さいんだから無理をいわないでよ。
プンスカする心を抑えられず、ギッってグイドを睨んだら、グイドに上から目線で微笑まれた。
「ジャン=ステラ様、いい顔をしていますよ。その反抗心があれば直ぐに上達しますよ」
ふーんだ。その反抗心ってやつで、グイドをとっちめちゃうんだからねっ。
今にみてろよ!
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