表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

163/279

ランスチャージと馬上槍

 1063年5月中旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ


 ドドッ、ドドッ、ドドッ。


 修道院の広場の向こう端から、ティーノが馬を全速力で走らせ迫ってくる。

 ランスと呼ばれる長い槍を右脇に挟み込み、(まと)に向かって突き進む。


「ウォー!」

 雄叫びを上げつつティーノが僕の前を通過する。

 刹那(せつな)の後、ランスの切先が的へと突き刺さり、「パーン」という乾いた音が僕の耳に響いた。


「あたった! ティーノすごい!」



 今日は馬上で槍を使う戦闘訓練を行なっている。

 まずはティーノがお手本を示してくれた。


 馬上からランスで的を貫くという、ランスチャージの基本にして最終形態、らしい。


「戦場での勝敗を決めるのが、ランスチャージのなのです」

 お手本を見せる前、ティーノが説明してくれた。


「相手の騎馬隊を粉砕し、歩兵を蹴散らし、本陣めがけて突進する。隊列の乱れた敵陣を味方の歩兵が蹂躙(じゅうりん)する。そして我らは勝利を手に入れるのです!」


 うーん。ティーノの言いたい事はわかった。

 騎馬隊こそが最強、っていう脳筋思考だよね。


 敵陣にランスチャージすれば勝てるってティーノは言うけど、本当はそんな単純じゃないよね。だって、それだけで勝てたら誰も苦労しないもの。


「そんなに簡単に勝てるものなの?」

「もちろんです!」

 疑いが色濃く混じった僕の疑問を、ティーノが力いっぱい肯定する。


「そんなわけあるかっ!」

 そこに間髪を容れず、ロベルトが怒声と共にティーノの頭を叩き、ツッコミを入れる。


「ジャン=ステラ様、ティーノの言葉を真に受けてはいけませんよ」

 どこが間違っているのか、グイドが解説してくれた。


「ランスチャージの成否が勝敗を決するという点では、ティーノは間違っていません」

 しかし、何も考えずにランスチャージすると、歩兵の持つ槍の餌食(えじき)になってしまう。


「馬は槍のような尖ったものの前では、立ち止まってしまうのです」

 全速力で歩兵陣地に突撃したら、その手前で止まっちゃいました。そこを歩兵の槍に貫かれて負けちゃいました。てへっ。では困っちゃう。


 そのため、弩弓で歩兵の陣形を乱した後にランスチャージする。


 とはいっても、戦場には相手がいる。敵だって弩弓で味方歩兵の隊列を乱し、ランスチャージするタイミングを虎視(こし)眈々(たんたん)と狙っている。


「ランスチャージで勝てる状況に持ち込むのが、戦場における将の役割なのです」


(ですよねー)

 ティーノの脳筋ぶりにも困ったものだ。


 と、あきれ顔をティーノに向けていたら、意外なことにロベルトからティーノを擁護するような言葉が出た。


「グイド、それでは片手落ちだ。ジャン=ステラ様、戦場は混沌が支配する場なのです」


 興奮した若い騎兵が戦場の雰囲気に呑まれ、命令を待たずに敵歩兵陣に突撃する。

「こらー止まれ!」と指揮官が怒鳴ると、なぜか命令とは真逆に、他の騎兵も突撃を開始する。


「あぁ、このままでは負けてしまうっ!」

 味方騎兵が敵槍兵の餌食になると指揮官が焦っていたら、なぜか敵騎兵がこちらに向けて突撃してくる。


「歩兵も弩弓兵も無関係に、騎兵だけが戦うこともよくある事なのです」


 戦術も戦法もあったものではないのが、戦場のよくある姿なんだって。ひどいねぇ。


 そしてティーノのような脳筋だけが一騎駆けする、というわけではない。


「戦場の興奮状態と功名心によって、若者ならだれにでも起きる事なのです」

 ロベルトの目が遠くを見ている。きっと、そういう状況を何度となく経験してきたんだろうね。


「そういえば、ティーノとグイドは、武功を挙げて、領地持ちの騎士になるって言ってたよね」

「ですから、二人とも抜け駆けする可能性はあります」


 ティーノとグイドはそれぞれ男爵家の三男と五男。後継(あとつ)ぎではないから、貴族でいられるのは彼ら一代限り。自力で領地を得なければ、彼らの子供は平民落ちしてしまう。いや、それ以前に、領地がないとお嫁さんが来てくれない。


 だから、後継ぎでない若年の騎兵は一か八かの賭けに出て、突撃しちゃうんだってさ。


「そして彼らの大半は命を落とすのです」

 話し終えたロベルトの目が遠くを見やっている。


 戦場って怖いね。


 ◇  ◆  ◇


「まずは、ランスの持ち方から始めましょう」


 戦場のお話が一段落したので、槍を使った戦闘訓練が始まった。


 グイドが僕に手渡してくれたのは短いランス。

 ティーノのランスが僕の背の3倍くらいで、僕のランスは2倍ほど。


 なんかやだ。だって、長い方が強そうだもん。

 口をとんがらせて、グイドに文句を言ってみた。


「だいぶん短いよね。ティーノの槍の方がかっこいいから、あっちがいいなぁ」

「ジャン=ステラ様、短いランスが使えるようでしたら、長いのをお渡ししますよ」


 グイドがふふっと笑い、子供を諭すような口調で僕をあしらった。


「グイド、あしらうのに慣れていない?」

「槍を初めて習う男の子は、ジャン=ステラ様と同じようなことをよく言うのですよ。かくいう私もそうでした。しかし、ランスは重いのです」


「そうかな? 結構軽いと思うけどな」

 手渡されたランスはそれほど重くない。多分、前世の尺度で2kgもない。


「それはジャン=ステラ様が、ランスの真ん中を両手で持たれているからですよ」


 ランスは片手で持つ武器なので、両手で持っていたら軽いのは当たり前。

 軽いなんて言っちゃって、ちょっと恥ずかしいね。てへっ。


「ご納得いただけたようですね。まずは右手にもち、穂先を天に向けて構えてください」


 ランスを両手に握ったまま、穂先を上に向ける。右脇に挟み込み、そして左手を離す。


「できたよ」

「これが突撃準備の体勢です。では、ランスを水平に構えてください」


 ランスの()を右脇に挟み込んだまま、ゆっくり傾けていく。


「水平に構えたよ」

「ジャン=ステラ様、穂先が揺れています。動かさないでください」

「りょーかいっ」


 水平に保つのも大変だけど、穂先を安定させるのはもっと大変。

 右へ左へ、上へ下へとゆーらゆら。全然安定しない。


 がんばっているけど、右腕が疲れてぷるぷる震えてきた。


「もっと脇を()めるのです」

 脇をぎゅっと締めたら、すこし穂先が安定した。


 これは、しんどいね。

 槍を構えるだけが、これほど大変だとは思ってもみなかった。


「穂先が安定しましたね。では、このままゆっくり100数えましょう」


「いち、に、さん、し……」


「穂先が動いています。やり直しっ!」


 こ、これは厳しい。10でも大変なのに、100は無理というもの。


「いち、に、さん、し……」


 ◇  ◆  ◇


「ジャン=ステラ様、今日はここまでにいたしましょう」

 グイドが訓練終了を告げる。


「た、たすかったぁ」

 ようやくランスを水平に持つだけという地獄から解放された。


 ぷるぷるぷる。右腕が小刻みに震えている。右腕ばっかり使いすぎだよ。


 涙目の僕にグイドが追い打ちをかけてくる。


「ジャン=ステラ様はまだまだ筋肉が足りませんね」


 そんなの僕だってわかっているよ。でも、まだ9歳で体も小さいんだから無理をいわないでよ。


 プンスカする心を抑えられず、ギッってグイドを(にら)んだら、グイドに上から目線で微笑まれた。


「ジャン=ステラ様、いい顔をしていますよ。その反抗心があれば()ぐに上達しますよ」


 ふーんだ。その反抗心ってやつで、グイドをとっちめちゃうんだからねっ。

 今にみてろよ!


■■■ 嫁盗り期限まであと2年3か月 ■■■


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 40年近く前に調べた時の記憶かつ、調べた時代場所が征服王ウィリアムからばら戦争までの期間だったので下記について絶対の自信があるわけではありませんが一言。 兵士は農奴階級に属するため将より前…
2023/09/03 22:35 退会済み
管理
[一言] ランスチャージはあくまで騎兵同士の戦闘用で騎兵の本分は騎馬による突進の衝撃力による歩兵の蹂躙だと聞いたことがあります。人と馬あわせて600キロ近い質量でだいたい50km/hの襲歩で突っ込んで…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ