弩のあぶみ
1063年4月下旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ
「ジャン=ステラ様~ できましたぁ!」
ニコラスがクロスボウを両手に掲げ持ち、僕の方へと走ってくる。その後ろには、弟子たちの姿があり、「ニコラス様、お立ち止まりくださいっ」と大声で叫んでいる。しかし、ニコラスに言葉は届かず、その足は止まらない。
そんなニコラスの前に、馬上のロベルトが立ちはだかった。
槍を構えて一言、「近づくな!」
「ひっ」と声をあげて、ニコラスが立ち止まった。
護衛の残り2人、ティードとグイドはロベルトの声に慌てて、僕を守る体勢に入った。
しかし、反応が遅すぎたらしく、ロベルトがティーノとグイドに雷を落とした。
「遅いっ!知っている者であろうと、簡単に近づけさせるな!」
「「は、申し訳ありません!」」 ティーノとグイドの2人の声が重なった。あとでロベルトの有り難いお説教があるらしい。二人とも頑張ってね。
一騒動が終わったあと、僕は両ひざをついているニコラスに声をかけた。
「ニコラス、武器を持って走り寄ってきてはだめだよ」
「ジャン=ステラ様、申し訳ございません。クロスボウの改良を終えた所で、ジャン=ステラ様のお姿をお見かけしたのです。気づいたら我を忘れて走り出しておりました」
ニコラスが肩をがっくりと落として反省するのを見届けた後、護衛に下がるようお願いした。
「ロベルト、ありがとう。もう下がっていいよ」
「はっ」
短い返事とともに、ロベルトは僕の後ろに馬を戻す。
「そして、ティーノとグイド」
「「はっ」」
「お説教、楽しんできてね。でも、ロベルトに教われば、よい護衛に間違いなくなれるから。期待しているよ」
僕の言葉にティーノとグイドは「楽しんでくる、ですか?」、と苦笑い。
ありゃりゃ。二人とも分かってないね。
「そうだよ。お説教で済むなら、それは楽しいことだよ。6年前、お父様の護衛に失敗した人たちは今でも悔やんでいるからね」
お父様はクロスボウの毒矢で暗殺された。ロベルトはその事を間違いなく鮮明に覚えている。
一方、ティーノとグイドは当時、まだ11歳の子供だった。ニュースとしての衝撃はあっても、当事者意識はあまりなかったのだろう。
この機会にティーノとグイドの護衛能力が上がってくれますように。
そして、二人に負けないよう、僕も護衛される者の心得を学ばなければ、ね。
僕がお父様の暗殺の事を思い出させてしまったため、微妙な雰囲気になってしまった。
ニコラスが先ほどにも増して、縮こまっている。
こんな時こそ、明るい声で話しかけよう。馬を降りて、ニコラスに笑顔を向ける。
「さてと、ニコラス。思わず走り出しちゃうくらい僕に見せたかったものは何かな?」
蒼白だったニコラスの顔面に朱が戻ってきた。
「ジャン=ステラ様。先ほどは返す返すも申し訳ございませんでした」
「うん、次は気を付けてね」
軽く謝罪を受け入れて、話を促す。
「一般兵士用クロスボウの先端に、あぶみのような足場を付けました」
あぶみというのは、馬に乗るときに、足を乗せておく馬具である。いろいろな形のあぶみがあるけれど、僕のクロスボウについているのは、電車のつり革みたいな形をしている。
ニコラスは、手に持っていた僕のクロスボウをグイドに差し出した。
グイドは、クロスボウをさっと確認した後、僕に手渡してきた。
「あぶみに片足を入れ、背中の力で弦を引いてください」
ニコラスの説明を聞きながら、試してみる。
鉄でできたつり革に片足を入れて、「えいやっ」とクロスボウの弦を上に持ち上げる。
カチッ
弦がフックにかける音がした。
両腕で左右に引くよりも、とっても簡単。同じクロスボウとは思えないくらい楽になった。
「ニコラスすごい!これで僕も大人のクロスボウを使えるよ」
ニコラスがいい仕事をしてくれた。これで僕もクロスボウを使うことができる。
「よーし、広場に移動して、早速試し撃ちだ!」
自分でも、オモチャを与えられた子供みたいだなぁ、と思いながらもわくわくが止まらない。
修道院裏手の広場に準備された的に向かって、クロスボウの矢であるボルトを打ち出す。
パシュ、トスッ。
パシュ、トスッ。
7mくらい先の的に面白いように当たる。
「前の子供用のクロスボウと違って、ニコラスが作ってくれたクロスボウはすごいね。狙った所に飛んでいくよ!」
はしゃいだ声で、ニコラスに喜びを伝えたら、僕にとって意外な言葉が帰ってきた。
「この間お使いになっていたクロスボウは、子供用のおもちゃでしたから。ボルトが真っすぐ飛ばない代物だったのですよ」
弓と台座が歪んでおり、ボルトの重さも弦の強さと合っていなかったと、ニコラスが説明してくれた。
子供用のおもちゃと違い、今僕が使っているクロスボウは実戦用に調整されており、また弦に合った重さとサイズのボルトなのだとか。
(ふむふむ。同じクロスボウでも実用品は、全く別物なんだね)
一通り楽しんだので、そろそろ終わりにしようと思った頃、ニコラスが一回り大きなクロスボウを出してきた。
「足場があればより強い弦が使えます。強い弦に見合った大きさのクロスボウを作成しました。お試しいただけませんか」
グイド経由で大きなクロスボウを受け取る。
足場に足を入れ、「せいやっ!」と気合を入れて弦を引っ張る。しかし弦がフックまで届かない。
「弦が強すぎて僕には引けないや。グイド、試してもらえる?」
僕からクロスボウを受け取ったグイドは、「はっ!」と少し気合をいれるだけで弦を張れた。
ニコラスからボルトを受け取り、的をめがけてと打ち出す。
バシュッ、ドスッ。
力強い音がした。僕のクロスボウとは明らかに違う音だ。
「グイド、使い勝手はどう?」
「良い出来ですね。大人の男性なら、弦を張ることに問題はないでしょう。そして、このクロスボウを使えば、より強くボルトを打ち出せます。今よりも強力なクロスボウ部隊となるでしょう」
つまり、このクロスボウを使ったら、トリノ辺境伯の軍が強くなるってことだよね。
「ニコラス、すごいじゃん!」
「ジャン=ステラ様、ありがとうございます。ジャン=ステラ様をお守りする軍に貢献できることは我が喜びです。そして、グイド様がおっしゃった以外にも、利点があるのです」
胸の筋肉をつかって左右に引くクロスボウよりも、背筋をつかった方が早く弦を張れる。
「そして、何よりも大切なのが、このクロスボウは疲れにくいのです」
ニコラスによると、クロスボウの弦を何度も引っ張っていると、すぐ疲れてしまうのだそうな。その点、このクロスボウなら、長い時間、ボルトを撃ち続けることができる。
ニコラスの説明にロベルトが感嘆の声をあげた。
「それはすごいな……」
疲れにくいって、ロベルトが驚くほどのことなの?
「ロベルト、疲れにくいって重要なの?」
「もちろんです。城の守りが強くなります」、とロベルト。
敵が攻めてきた時は、長時間、ずっとクロスボウを使い続けることになる。
しかし、疲れてくると手がプルプル、胸の筋肉もプルプルして弦をセットできなくなってしまう。
「それに、普段から訓練をしていない平民がクロスボウを使うのです」
クロスボウのメリットはほとんど訓練しなくても、ボルトを飛ばせるところにある。つまり、普段は胸筋を鍛えていない素人でも使えるのがクロスボウの売りなのだ。
そして、城の守りを担うのは、軍人ではなく城内の市民達。
この修道院の場合、修道女だってクロスボウで城壁の守りにつくのだ。すぐに細腕がプルプルして使えなくなってしまう。
その点、このクロスボウなら素人でも、長時間ボルトを撃ち続けられる。
「このクロスボウはトリノの守りを強くしてくれるでしょう」
珍しく長文を話してくれたロベルト。その声は、ちょっと興奮気味で上擦っていた。
さすが、戦場経験が豊富な軍人さんは発想が違う。
「ロベルトは物知りでスゴイね!」
「経験では若いものに負けません」
老齢のロベルトが誇らしそうに胸を張り、若いティーノとグイドがちょっと眩しそうにロベルトを眺めていた。
「そして、なによりもニコラス、とってもスゴいものを作ってくれてありがとう。早速だけど、この大きなクロスボウをたくさん作ってもらってもいい?」
兵士が使うクロスボウを替えて、お城を守る平民用のクロスボウも替える。
そうすれば、トリノ最強!ってなるんじゃない?
わくわくしながら、ニコラスにお願いしたら、首を横に振られてしまった。
「ジャン=ステラ様、残念ですが量産はできそうにありません」
「ええ、なんで? お金なら何とかするよ」
「お金も必要ですが、作るための人手が全く足りないのです」
ニコラスが率いている修道士たちは、蒸留ワインや固体石鹸をたくさん作ってくれている。
特に蒸留ワインは、作ればすぐに高値で売れる大ヒット商品。頑張って量産してくれているけど、今でも人手が足りていない。クロスボウ作成までニコラスにお願いするのは無理っぽい。
「じゃあ、人を雇えばなんとかなる?」
「木工細工士や、鍛冶ができる人がいれば大変たすかりますが……。しかし、修道院にいるためには修道士になっていただかなくてはなりません」
うーん、適当に人を集めても何ともならないのかぁ。
「あれ?城壁外に家庭教師用の区画を作っているよね」
修道院の城壁外に、僕の家庭教師たちの住居を作ってもらっている。僕の家庭教師って、べつに修道士じゃないよね。それでも、修道院に住めるのはなぜ?
僕の質問にニコラスが答えてくれた。
「コンスタンティノープルの帝都大学の先生方は、聖職者ばかりですから」
聖職者というのは、司祭や助祭など、なんらかの叙階を受けた人の事をいう。この聖職者が修道院に暮らすことは、何の問題もないみたい。修道士よりも聖職者の方が叙階の分、偉いってことなのかな。
いやいや、それよりも、僕にはびっくりなことがあった。
「大学の先生ってみんな聖職者だったの?」
「学問を志すのに、聖職者になる以外の道はないと思うのですが……」
僕とは逆方向にニコラスが困惑している。
うーん、そうなんだ。
たしかに生活に余裕がなければ、お勉強をしようって考えられないよね。
平民がお勉強するには聖職者になるしか道はなさそう。
そして貴族はといえば、お勉強よりも腕っぷしを磨く方に専念している。計算をお家芸としていたサルマトリオ男爵家の方が例外なのだ。
「大学の先生が聖職者っていうのはわかったよ。だけど、城壁を作っている人の中に傭兵がいたよね。彼らはどうして修道院にいてもいいの?」
さっき城壁を一周した際、傭兵のお頭だったジャコモが働いていた。元傭兵がいるんだったら、何か抜け道があるんじゃないかな。
「いいえ、ジャン=ステラ様。彼らは労働奉仕を務める10年の間、修道士に準じた者として扱われているのです」
元傭兵達は、修道院で労働することを聖書に誓ったから、犯罪者だけど修道院に住んでもいいんだって。
なんだか理屈がよくわからないけど、そんなものなのかな。
それにしても、元傭兵で人殺しもしてきた人たちをそんな簡単に信用し、修道院の中にいれてもいいのだろうか。
「ねえ、ニコラス。ジャコモ達が誓いを破ることってないの?」
「ふふふっ。大丈夫ですよ、ジャン=ステラ様。ジャコモ達は、目の前で聖剣セイデンキの奇跡を見たのです」
そういえば、そんな事もあったね。
ジャコモを縛りつけていた大木に丁度いいタイミングで雷が落ちた。
聖書の誓いを破ったら、今度は彼らの頭に直接セイデンキの神罰が下されると伝えてあるんだって。
(そんな奇跡、というか偶然は、もう起こらないけどね)
そんな真実は、心の中だけでつぶやいておく。
それはさておき残念ながら、新しいクロスボウをたくさん作ることはできなさそう。
「クロスボウ強化計画は当面無理だね。残念だなぁ」
がっかりへにょん。ゴットフリート3世に対抗するためにもいい考えだと思ったのになぁ。
そんな僕の嘆きを拾ってくれたのは、護衛のグイドだった。
「ジャン=ステラ様はアオスタ伯なのですから、アオスタに人を集めればよろしいのではないでしょうか」
今いるイシドロスの修道院にこだわることはない、とグイドが言う。
そうだね。グイドの言うことに一理ある。
僕が修道院にいる理由は2つ。
一つ目が自分の身を自分で守れるようにする軍事訓練で、2つ目がよそに漏れない場所で前世の知識を試すこと。
前世の知識を本格的に試すのは、ギリシアから家庭教師がやってきてからになる。まだまだ半年くらい先の話になりそう。
だったら、軍事訓練が一段落したらアオスタに行ってみよう。
食事の美味しいところだといいな〜。
そんなことを考えていたら「ググゥー」ってお腹がなった。
あ、お昼ご飯食べるのわすれてた!