従者と派閥(前編)
1063年4月中旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ
「ジャン=ステラ様、本日から乗馬を始めましょう」
穏やかな笑みを浮かべたグイドが、午前中の予定を教えてくれた。
三人いる護衛のうち、一番おしゃべりなのが優男のグイド。
トリノから東へと流れていくポー川沿いに領地を持つ、メッツィ男爵家の五男だとか。
背は三人の中で一番高いけど、体はさほど分厚くない。
脳筋護衛のティーノと同い年の17歳とは思えないほど、落ち着いてもいる。
ちなみに、おしゃべりといっても、喋り続けているわけじゃないよ。
話が上手でその上、聞き上手でもある。
グイドと立ち話をしている侍女や修道女のお姉さんたちがキャッキャと嬉しそうな声をあげているから、相当なものなんだろうね。
本人に言わせると、「情報収集しているだけですよ、ジャン=ステラ様」という事らしい。
そのグイドが僕に耳打ちしてきた。
「ここだけの話ですが、男性よりも女性の方がいろいろな裏話を知っているんです」
うん、知ってる。グイドに言われなくても知ってるよ。
「ここだけの話よ、他の人に言っちゃだめよ、という呪文で秘密が広がっていくんだよね」
「さすがは、ジャン=ステラ様。ご存知でしたか」
大袈裟に驚いてくれるグイドと話していると面白い。
ちょっとした表情の変化や手振りが絶妙なのだ。
女性達がついついグイドに話し過ぎてしまう気持ちがわからなくもない。
「噂話をひろってくるのは構わないけど、お願いだから、僕の周りの秘密情報を漏らさないでね」
「その点についてはご安心ください」
自分のことを信用して欲しいとグイドが言った後、急に真顔になり僕の目を見てくる。
「逆に家中にうわさを広めたい場合は協力させていただきます」
僕も真顔でグイドの目を見る。
グイドってまだ17歳でしょ? うわさを広めるなんてことを自分だけで考えつくのかな?
お互いの様子を窺いつつ見つめ合っていたのは、10秒くらい。
沈黙を先に破ったのは、グイドの方だった。
「私の実家であるメッツィ家もジャン=ステラ様の未来に賭けております。今はまだ信用いただけないと思いますが、信用いただけた暁には、いつでもご用命ください」
僕の未来に賭けるってなに? メッツィ家もってどういう事?
よくわからないから、あいまいに笑っておこう。
「うん。グイドとメッツィ家の、今後の働きに期待しているよ」
◇ ◆ ◇
三人の護衛を引き連れて、乗馬を練習する馬場まで移動した。
馬場といっても、修道院の村を囲む城壁の内側にあるから、さほど大きくない。
馬をパッカパッカと走らせることはできなくても、歩かせることはできそうかな。
乗馬初心者の練習には丁度よさそう。
「ジャン=ステラ様、お待ちしておりました」
二頭の馬の手綱を持った少年が、僕の到着を待っていた。
(うーん、どこかで見たことある顔だなぁ)
「本日より、ジャン=ステラ様の従者となりますファビオ・ディ・サルマトリオです」
ファビオは、お外で僕の身の回りの世話を担当してくれるんだって。
これからは、お家の中は侍女のリータが担当で、野外はファビオが担当となる。
ふむふむ。乗馬って軍事訓練だもんね。
野外で寝泊まりすることもあるだろうし、考える事を避けていたけど、戦場に行くこともあるだろう。そこに女性のリータを同行させるわけにはいかない。
あ! ファビオってリータに似てるんだ。そして、家名がサルマトリオ。
間違いない。僕の筆頭家臣ラウルと、侍女リータの子供だ。
「ねえ、ファビオ。ラウルは元気?」
「はい、父は元サルマトリオ男爵領の代理統治を頑張っております」
うん、やっぱりラウルとリータの子だったね。
それにしても、なぜファビオが僕の従者なんだろう。
「ねえ、ファビオ。どうして僕の従者なんかしてるの?」
ファビオに会ったのは今日が初めてだけど、ラウルやリータから息子自慢を何度も聞いている。
とっても頭の回転がよくて、サルマトリオ家のお家芸、計算能力に秀でている。僕が書いた教科書も読んだだけで理解して、続きを心待ちにしているって。
そんなファビオが、僕のお世話係なんて、人材の無駄遣いじゃない?
計算能力を活かして、元サルマトリオ男爵領のお手伝いとか、あるいは商売にでも手をだした方がいいんじゃないかな。
僕としては、家臣達に算数を教える先生になってくれたら嬉しいって思っちゃう。
そんな思いから気軽に質問したら、ファビオの顔が蒼白になっちゃった。
「ジャ、ジャン=ステラ様は、私のことがお気に召さないのでしょうか」
ファビオの声が震えている。
「ほへ? ファビオってラウル自慢の息子だって聞いているよ。僕のお世話なんて頭を使わない雑用係よりも、もっと役立てる場所があるんじゃないのかな」
今にも泣き出しそうだったファビオが、不思議そうな顔で僕を見てくる。
「じゅ、従者が雑用係ですか?」
「ん? 雑用係じゃないの?」
その日に着る服を準備したり、ベッドを整える係じゃないの?
うーん。戦場だったらもうちょっと忙しいかもしれない。
ご飯の準備とか、鎧や武器の手入れとか、かな。
でも、それって雑用係だよね。ファビオみたいな優秀な人材には役不足だと思うんだけどな。
ファビオと僕が、お互いにハテナマークを頭に浮かべ、困っていたら、ティーノが口出ししてきた。
「ジャン=ステラ様、従者って確かに雑用係ですが、将来の最側近ですぜ」
最側近とは、側近中の側近。主人の右腕。将来のナンバーツー。
従者として、主人と長い時間を過ごすことになるから親愛度マックスで、最も頼りになる家臣になるんだって。
驚きだよ。雑用係だけど、侮れないんだね。
どおりで、雑用係を辞めさせられそうになったファビオが涙目になったわけだ。
将来のナンバーツー候補だと思っていたら、失格印を押されちゃったと思ったんだろうね。
「へー、知らなかったよ。ティーノは物知りだねぇ」
「ジャン=ステラ様が知らなすぎなんですぜ。箱入り息子じゃなくなったんですから、もっと常識を学ぶといいですぜ」
「ごつっ」「ごちっ」
にこっといい笑顔なティーノの頭にゲンコツ2つ。
ロベルトとグイドが「口を慎めっ!」「この考えなしめっ!」って怒ってる。
「ロベルトにグイド、僕の代わりに怒ってくれてありがとう。でもティーノの言う通り。僕には常識が足りてないのも事実だもの。怒りを解いてほしいな。
そして、ティーノ。教えてくれてありがとう。僕の周りで、直言してくれるのはティーノしかいないから、助かっているよ。ありがとう」
僕の言葉に対し、ティーノは頭をさすりながら、あまり理解していないような口調で言葉を返す。
「お? 褒めいただいているでいいんだよな、ジャン=ステラ様。思ったことを口にすればいいってんなら得意だぜ」
「ごつっ」「ごちっ」
ロベルトとグイドが「言葉を慎め」「言い方が悪い」ってゲンコツを落とす。
そんなティーノは捨て置いて、僕はファビオに向き直る。
「ファビオは僕の従者でいいの?」
「はい! 従者となることをお許しいただけましたら、サルマトリオ家を挙げてジャン=ステラ様に誠心誠意お仕えいたします」
あれ? ファビオ個人の話じゃなくて、サルマトリオ家の話なの?
「筆頭家臣である父ラウル、侍女である母リータ。そして私、ファビオ。
サルマトリオ家のものが、ジャン=ステラ様のお側を固めております。
我がサルマトリオ家はその命運を、ジャン=ステラ様の未来に託しているのです」
これで信用いただけますでしょうか、とファビオが僕の顔色を窺ってくる。
(これが派閥ってやつなのかな?)
サルマトリオ家、そしてグイドの実家であるメッツィ家は、将来の栄達を僕に託したという事なのだろう。
お母様と離れて一人になった途端、政治に巻き込まれちゃった。
面倒だなぁ。ため息が出た。