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クロスボウと将の器(後編)

 1063年4月上旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ


 騎士と将は軍事調練の内容も違う。

 考えてみれば当たり前の事を、僕は護衛ロベルトから教わった。


 その当たり前に驚く、僕とティーノ、そしておまけでグイド。


 そして、アデライデお母様も弓を練習していたと聞き及び、ティーノとグイドは僕のクロスボウ訓練に協力的になってくれた。


「ジャン=ステラ様、大人用のクロスボウを持ってきたぜ」

 ティーノが持ってきた大きいクロスボウを受け取った。


 マティルデお姉ちゃんから貰ったクロスボウの2倍は大きい。

 さすが、幼児用と大人用じゃぜんぜん違うね。


 迫力があってなんだかかっこいい。

 持ってるだけで強くなった気がしてくる。


 その大きさにワクワクしつつ、「ではさっそく」と弦を引いてみた。


「んぐぐぐっ」


 いくら力を込めても、クロスボウの弦をフックまで引けない。


 もう一度。


 弓を左手でつかみ、右手で弦を引っぱる。

 胸の筋肉を鍛えるバネ式のエキスパンダーと同じ動作。


 ただし、フックに弦を引っ掛ければいいから、勢いをつけて引っ張る。


 さん、に、いち……

「ふんっ!」


 だめだった。フックに程遠い所までしか弦が届かない。


 さすが大人用のクロスボウ。九歳の僕じゃ、まるで歯がたたないや。


「どれ、ちょっと貸してみな」

 手を差し出してきたティーノにクロスボウを渡す。


「ほいっとな」

 体を鍛えているだけあり、ティーノは軽々と弦を引いた。


「おおっ。すごいっ」

 僕が褒めたらティーノがめっちゃ嬉しそう。

「体を鍛えていない兵士でも使えるような武器だからな、当然ですぜ」


 たしかにティーノの言う通り。

 この修道院では兵士どころか、修道女もクロスボウを使っている。


 つまり、女性でもクロスボウの弦を引けるんだよね。


 それなのに、九歳とはいえ修道女以下の僕……。

 守られるだけの存在なのかぁ、と地味にへこんじゃう。


 そんな僕を見かねたのか、グイドが慰めの声をかけてくれた。

「大丈夫ですよ。ジャン=ステラ様が成人されるまで6年もあるのです。その頃には弦なんて軽々と引けるようになっていますよ」

「ありがとう、グイド」


 でもね、6年後じゃ遅いんだよ。

 マティルデお姉ちゃんを迎えに行く期限は2年後の8月なんだもの。

 それまでに立派な男になってなければ、と気ばかりが焦ってしまう。


「なぁ、ジャン=ステラ様。どうせ兵士用の武器なんだし、ジャン=ステラ様が使えなくたって問題ないって」

 そんな風にティーノも言ってくれるけど、現実の僕は馬に乗ったことない、馬上槍を持ったことない、クロスボウの弦も引けない。

 ないないばっかり。


 はぁ、と自分の非力を嘆きつつ、ちらっとティーノの方を見る。


 両腕がすごく太い。僕の太ももより1回りくらい太い。

 あれだけ太ければ、弦も簡単に引けるんだね。


 一方、僕の腕の細さと言ったら……。

 この細腕をティーノの太さまで鍛えるのにどれだけ時間がかかるのかな。


「ジャン=ステラ様」

 いつもは僕の後ろにいるロベルトが、僕の前に膝をつく。


「ジャン=ステラ様は将なのです。騎士を、傭兵を、農民兵を導き、敵に勝利するのが将の役割です」

 それだけ言うと、ロベルトは僕の後ろへと戻った。


 そうだね。弦が引けなくてもいいというロベルトの言葉も間違っていない。

 将と兵の役割は違う。そういって納得するのは簡単だ。


 だけど、クロスボウも使えない非力な男の子に、戦場で自分の命を託せるとでもいうのだろうか。


 それも大軍の後陣にいるわけじゃない。

 僕が率いるのはせいぜい三百人くらいの軍隊だもの。


 子供を守りながら敵陣に騎馬突撃するのと、三国志の呂布の後ろに付き従っての騎馬突撃。

 騎士や兵士たちはどっちを選ぶと思う? そんなの、明らかだよね。


 そこまで極端ではないとしても、だよ。

 ロベルトとディーノ、そして僕の中から、僕を選んで戦場に向かいたい騎士や兵士っていないだろう。


 脳筋だろうと、体が大きいというだけで頼もしい。敵を倒してくれるって期待しちゃうもん。


 預言者? 

 平和な時ならともかく、戦時に従ってくれるのはイシドロスみたいな心酔者だけ。


 ディーノの筋肉の代わりになる求心力が僕には必要なのだ。

 だったらどうする?


 筋肉の代わりになるもの。そんなの決まってる。僕にあるのは知識だけ。


 思い出せ、教科書を。

 僕のひ弱な体でも、ディーノの筋肉に勝てる方法を。


 力を増幅する方法は習ってる。理科だ。

 小学校の動滑車に、中学校のてこの原理。


 だけど、滑車やてこをクロスボウにどう付ければいいの?

 さっぱりわからない。


 農学部じゃなく工学部に進学してたら、わかったのかな……。


 とっちらかってきた思考を中断し、ふと目線を上げる。すると、ニカッって笑いかけてくるティーノと目が合った。


 もうっ! ティーノの筋肉が悩みの元なのにっ。

 そのふっとい腕の筋肉、もげちゃえ!


 ん? 筋肉?

 ティーノの腕が太いといっても、僕の太ももより一回り大きいだけだよね。


 だったら、腕じゃなくて太ももの筋肉で弦を引いたらいいんじゃない?


 腕で左右に引っ張るのではなく、上下に引っ張ってクロスボウの弦を引く。

 そうしたら、足の筋肉と背中の筋肉も使える。


 おおっ! いいアイデアじゃん。


 さっそくクロスボウを下に向け、弓を両足で踏んづける。

 そして、弦を両手で握る。

 あとは、両足の筋肉と背筋を精一杯使い、勢いをつけて弦を引っ張る!


「せえのぉ、ふんっ!」

 カチッ。


「できたー!」

 よっしゃ~。自分の力だけで弦をフックにかけれたよ。


「おお、すげえ!」とティーノが叫んでる。


「へっへーんだ! ティーノの腕がいくら太いといっても、僕の背中の方が太いんだからねっ」

 僕は自信満々の笑顔をティーノに向けた。


 しかし、このままだと足で踏んづけている弓が(ゆが)んでしまう。

 練習ならともかく、戦場で歪み、壊れるようでは困る。


 それなら、クロスボウに足を引っ掛ける部品をくっつけちゃうのはどうかな。


(善は急げっていうよね)

 早速、新東方三賢者・技術担当のニコラスをこの場に呼び、改造してもらうことにした。


「ティーノ、ニコラスを呼んできて。修道院の中にいると思う」

「は、承知しました」

 言い終わると、ティーノが修道院に駆けていく。


 口の悪い脳筋ティーノだけど、僕が命令したら理由も聞かず、素直に従ってくれた。


 戦場でも僕の命令に従ってくれるといいなぁ。



■■■ 嫁盗り期限まであと2年4か月 ■■■


 西洋において足で弦をひくクロスボウは、紀元前4世紀のギリシアに存在していたそうです。

 しかし西ローマ帝国が滅亡した後、6世紀頃には見られなくなったようです。


 足で固定して体幹の筋肉で引っ張る? そんなのすぐに思いつく、ですか。

 

 そうかもしれません。


 弓は手で引くものという固定観念がなければ、ですね。

 

 アデライデお母様が若かりし頃にクロスボウはありませんでした。


 これぞコロンブスの卵なのだと思います。


 なお、動滑車や梃子(てこ)をつかって弦をひくクロスボウは1300年代に出現したようです。


 こちらの世界の場合、ニコラス率いる技術陣の奮闘によってはもっと早く出現するかもしれませんね。



ーーー

おまけ

ーーー

カクヨムで本作品にとっても素敵なレビューをいただきました。


すでに本作品をお読みの皆様にレビューをおすすめするのもなんですが、とっても素敵だったので、ぜひご一読を☆彡


https://kakuyomu.jp/works/16816927861554647016/reviews





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― 新着の感想 ―
連射可能なバリスタ(城塞に装備する大型の弩)は13世紀にやっと登場しますね。
[一言] クロスボウ作って撃ったりしてるんですが、室内で試射する時、弓の端が棚に置いていた空き缶(鉛筆立て)に当たって物凄い勢いで空き缶と鉛筆が飛んでった事がありますね。 それからトリガーを軽くしたり…
[一言] いやいや預言者ジャン=ステラくん。戦時はその心酔者がやばいんですってw 恐怖なんかで散り散りにならないよう民兵を束ねるのが中世の名将ですが、大体の民兵(一般人)は宗教を信じているので、宗教の…
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