クロスボウと将の器(中編)
1063年4月上旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ
修道院の広場で、僕はクロスボウの練習中。
僕は指導役のティーノから、騎士はクロスボウは使わない、と真顔で言われた。
「いいえ、クロスボウは騎士の武器ではないから私は使いません」
あ、お兄ちゃんたちが言っていた、平民の武器だって事かぁ。
それなら、どうして僕はクロスボウの使い方を習っているのだろう。
「ゴスッ」という音とともに、ティーノの体が横に倒れた。
僕の後ろに控えていた護衛のロベルトが、ティーノに鉄拳制裁したのだ。
「不敬にすぎる」
ティーノに一言述べると、僕の後ろの定位置に戻っていく。
「いてて。ロベルト殿、いきなり酷いでh……。むぐむぐ」
ティーノの口をグイドが慌てて塞ぐ。
そのままティーノの頭を無理やり押さえつけ、地面に膝まづかせた。
「ジャン=ステラ様、申し訳ございません。口の利けないティーノに代わって謝罪いたします」
いや、口が利けないのってグイドが口を押さえているからじゃない。
そんなことは全く気にせずグイドは、軍事訓練の指導役からの言葉だから、大目に見てほしいと僕に訴えてくる。
そっか、ティーノって僕の先生だったんだ。
それでクロスボウを僕に渡してきたのか。
しかし、どう見てもティーノって指導者向きじゃない。
若いから、僕に教えるという面倒ごとを上司から押し付けられちゃったのかな?
そう考えたら、ティーノが可哀想になってきた。
でも、許しちゃっていいのだろうか。
僕への無礼は、トリノ辺境伯家への無礼。軽々に許してはいけないのかもしれない。
こちらの世界の常識がわかっていないから、そのあたりの匙加減がさっぱりわからないのだ。
しかし、お母様がいないから、僕が決めなければならない。
僕としては許してあげたいけど……。
ちらっと、後ろのロベルトを見たら「ご随意に」と短く返ってきた。
相変わらず言葉が少ないなって思いながら、ティーノとグイドの方を向く。
「ティーノを許します。でも、すこしは気をつけようね。口は災いの元っていうんだよ」
「お許しいただきありがとうございます。ティーノにもよく言い聞かしておきます」
グイドは言い終わると、ティーノの首根っこを掴み、有無を言わさずを後方へ下がらせようとした。
そこに僕は待ったをかけた。ティーノに聞きたいことがある。
「グイド、ちょっと待って。ティーノに質問です。僕の指導役だったら答えてくれるよね」
ちょっと顔が青ざめるグイドに対し、ティーノはへっちゃらみたい。
ティーノの首を掴んでいる手をグイドは乱暴に振り解き、首を2度、3度と回した後、とても気さくに話しかけてきた。
「何が聞きたいんだい、坊や」
「ゴスッ」「ゴスっ」
2つの鈍い音。ロベルトとグイドの拳骨がティーノの頭に炸裂した。
「ロベルト、そしてグイドも、もういいよ。でも大丈夫だから後ろに下がってね」
ティーノって脳筋だとは思っていたけど、アホの子だね。
前世で教えていた高校生にも、似たような子がいたなぁ。
「これっ。授業中ですよ。起きなさいっ」
「ん~、お袋? あと5分~」
「私はあなたのお母さんじゃありません。起きて!」
「いいじゃん授業ぐらい。夜更かししたから眠いんだって」
この子やティーノみたいに、思ったことをそのまま口に出してしまう子って結構いるのかもしれない。
それはさておき、ティーノに聞きたいことはいろいろある。
「ティーノはどうしてクロスボウを使わないの?」
「そりゃ、騎士の武器ではないからですぜ。騎士の華は馬上槍試合と騎馬突撃なのです。そもそも馬上でクロスボウなんて使えんです」
騎士の華といわれれば、ティーノの言う通りだろう。他人の評価を上げるためには派手な方がいい。
クロスボウだと、敵を倒した矢が自分のものかどうか、すぐには確認できない。
その場で武功を誇れない、という意味でどうしても地味になってしまう。
でも、どうして馬上でクロスボウを使えないのかな。
「馬の上でもクロスボウは打てるよね?」
「打てますが一発だけです。その一発を失敗したら、迫ってきた馬上槍に貫かれます」
なるほど。次の矢を射る前に、敵が迫ってきてしまうのか。
揺れる馬上だと狙いも不正確で失敗確率が高いのかも。それなら不人気なのも理解できる。
「ですが、それだけではありませんぜ、ジャン=ステラ様」
「うん」
「クロスボウでは相手が死んでしまいます」
「うん? ティーノ、どういう事なの? 馬上槍試合ならともかく、戦場って切った張ったの殺し合いの場でしょう?」
戦争なんだから、相手を殺すのは当たり前でしょ?
殺らなかったら、相手に殺られるだけ、だよね。
ディーノは頭をぽりぽり掻きながら、分かっていないなぁと首を振る。
「ジャン=ステラ様、相手を殺してどうするのです。身代金が取れないでしょうが」
「へ? 身代金?」
「そうです、貴族をふん捕まえ、身代金をとって儲けるために戦場に出向くのです」
ティーノから「おまえは何を言っているんだ?。まったく理解できないぜ」という意図がひしひしと伝わってくる。
しかし、それは僕も同じ事。ティーノの言うことが全く理解できない。
戦争って、相手を打ち破ることが目的だよね。
生け捕りだなんて手加減していたら、負けてしまう。
負けないまでも、勝てる戦争で勝てなくなってしまう。
「んー。さっぱり理解できないんだけど。生け捕りにするなんて手加減していたら、負けちゃわない?」
「そんなことありませんぜ。対戦相手も俺たちを生け捕りにしようとするから五分五分です」
相手も同じ事をするなら確かに、お互いに優劣は発生しない。
でも戦争ってお互い死力を尽くすものでしょ。にわかには信じられない。
「ティーノの言っている事は本当なの?」
僕の後ろに控えているロベルトに聞いたら「本当です」と短く返ってきた。
「そうなのかぁ。教えてくれてありがとう」
「いえいえ、どういたしましてっ」
ロベルトではなく、ティーノが満足げな顔で返答した。
人に物事を教え、それが伝わった時って嬉しいよね。
ぼくも嬉しい。とてもいいことを聞いた。
「によっ」て口角が上がってるのが自分でもわかる。
自分の軍だけに生け捕りを禁止できれば、相手を不意打ちできて、戦闘に勝てるんじゃない?
相手はゴットフリート3世だもの。手加減なんてしてあげないんだから。
だって、マティルデお姉ちゃんを嫁盗りするんだもん。
少しでも勝てる算段を増やさなきゃ、ね。
「では、もう一点。平民の武器であるクロスボウが、どうして僕の訓練メニューに入っているの?」
指導役であるはずのティーノには、クロスボウの扱いについて、明らかに教える気がない。
それどころか、クロスボウを練習する僕を馬鹿にしている感じで、不愉快だった。
「さぁ。俺は知りません。なんで平民の真似事を俺が教える事になったのか、俺も不満です」
おぉ、そうかそうか。ティーノも不満だったのね。
僕を馬鹿にしているのではなく、クロスボウを教えることが嫌だったのか。
「ゴスッ」
ロベルトによる今日3度目の鉄拳が、ティーノの頭に炸裂した。
ティーノの同僚であるグイドは「あっちゃぁ」と呟き、天を仰いでいる。
ロベルトが面前で片膝をつき、話し始めた。
「申し訳ございません。こやつを指導役としたのは私の失態です。まさかクロスボウが使えないとは思っていませんでした」
ティーノは荒削りながらも、馬上槍の使い方が若手騎士で一番上手なのだとか。
それなら、クロスボウも使えるだろうとロベルトは思っていたらしい。
「ロベルト、気にしなくてもいいよ。クロスボウを騎士が嫌がることを知れたのは有益だったしね」
あと、ティーノみたいな面白い人材も見つかった。
僕の周りの人って、僕がなんでも知ってるという前提で話をすすめるんだもん。
おかげで、今の世界、11世紀北イタリアの常識に詳しくないまま9歳になっちゃった。
これって僕にとっても、周りの人にとってもよくない事だよね。
だがティーノなら、僕の知識のことを気にせず、思ったことを話してくれる。
僕がこの世界の常識を知り、この地で生きていくために、ティーノを身近に置くべきだと直感した。
「じゃあ、改めてロベルトに質問するね。僕はどうしてクロスボウを習ってるの?」
「将だからです」
「将?」
ロベルトの言葉、短すぎ。もう少し詳しく説明してほしいと、水を向けた。
「騎士と兵を束ね、統率する将は、騎士も兵も知らなければなりません。騎士であるティーノとはお立場が異なります」
そっかぁ。僕は騎士になるわけじゃないものね。
ティーノみたいに個人の武を磨く必要はない。
騎士と兵を使って、戦争に勝ち、領地を守ることが僕の役目だと教え諭してくれた。
その話を聞いていたグイドは、恥いるように少し下を向いていた。
一方のティーノはのん気そうに「へー、そうなんだ」と感心していた。
「なお、アデライデ様もお若い頃、馬上槍だけではなく弓も習っておりました」
「弓? クロスボウじゃなくて?」
「当時、クロスボウはありませんでした」
なんと、クロスボウって新兵器だったのね!
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あとがき
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古代中国や古代ローマで使われていたクロスボウ(弩)ですが、東ローマを含む西洋では6世紀から10世紀にかけて戦争の舞台に登場しなくなります。
理由は不明です。
ギリシア人の言では、弓矢は平民・傭兵の武器として蔑まれていたらしいのです。
その後、1139年にはキリスト教徒相手にクロスボウを使ってはダメという禁止令が出されます。
つまり、この時期までにクロスボウが西洋全体に普及していたのだと思います。
ジャン=ステラちゃんが生きているこの時代は、クロスボウが普及し戦争に用いられはじめた過渡期だと想定しています。