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逆立ち望遠鏡

 1063年4月上旬 トリノ近郊 イシドロスの修道院 ジャン=ステラ


 地中海に面したアルベンガ離宮からトリノへと戻る途中、イシドロスの修道院に立ち寄った。

 ここには東方新三賢者であるイシドロス、ニコラス、ユートキアをはじめ、100名以上の修道士・修道女達の住居でもある。


「ジャン=ステラ様、アデライデ様。ようこそおいでくださいました」


 修道院を囲む城壁の門をくぐると、修道士・修道女たちが勢揃いで僕たちを出迎えてくれた。


 城門から修道院へと続く道の両側に整列する修道士・修道女の間を、お母様と僕の馬車が進んでいく。


 窓から顔をだして手を振りたいけど、そんなことはしない。


(だって、お母様に怒られたくないもの)


 半年前に修道院を訪れた時、出迎えの列に向かって手を振ろうと窓から顔を出した。

 そうしたら、お母様に力ずくで馬車の中に引き戻され、「危ないからダメ」って叱られた。


 修道院は僕の味方しかいないから大丈夫。

 しかし、出迎えの列に向かって手を振るという癖がつくのは困る。


 出迎えの列を準備したら、狙撃できるかもしれない。そう思われてしまったら暗殺の危険度が跳ね上がる。


「ジャン=ステラ、あなたも暗殺されるわけにはいかないのです」


 お母様が神経質なまでに暗殺を警戒するのは、父オッドーネが暗殺されたから。

 暗殺が日常茶飯事な中世世界だとはいえ、無防備なのはよくないって僕だってわかってる。


「大丈夫ですよ、お母様。僕だって暗殺されたくありませんから」


 マティルデお姉ちゃんと一緒になりたいし、じゃがマヨコーンピザだって食べたい。

 やり残した事がたくさんあるから、まだまだ死ねないもん。


 ということで目指せ、畳の上の大往生!

(ヨーロッパに畳ってあるのかな?)



 修道院の客間に入り、一息ついたと思ったら、さっそく面会依頼が入った。


「ジャン=ステラ様、イシドロス様とマクシモス様がお目通を願っております」


 修道院の建物は男女別に分かれているから、今日は部屋に僕一人。


 いや、一人じゃない。護衛のロベルトがそばに控えているし、部屋付きの修道士がドア付近で待機している。


 お母様がいないから、僕一人って思っちゃってた。


 無意識のうちに、護衛や側仕えを人数に数えないようになってきたって事は、僕も貴族社会に馴染んできたのだと思う。


 それはさておき、この場で一番年上である、初老のロベルトに聞いてみた。

「お母様がいないけど、僕一人でも面会してもいいのかな?」

「私には分かりかねます」

(ですよねー)

 いつも護衛に徹しているロベルトに聞いた僕が悪かったです。


 こんな時、筆頭家臣のラウルが側にいたら相談できたのに。


 ラウルには、旧サルマトリオ男爵領の代官を勤めてもらっている。

 小麦騒動で失脚したラウルの兄、アマルトリダ・ディ・サルマトリオ男爵の代わりだから仕方ないとはいえ、早く戻ってきてほしいなぁ。


 頼れそうな人もいないし、今回は僕が決断しなきゃいけないんだよね。


 うーん、どうしよう。

 面会を希望しているのはイシドロスだし、安全だよね。

 お母様だって後で文句を言う事もないと思うし、会うことにしよう。


「いいよ~、入ってもらって」


 イシドロスと一緒に部屋に入ってきたマクシモスは、初老のおじいちゃん。

 ギリシアで磁石を研究していた知見を生かし、トリノに来てから方位磁針を作ってもらっていた。


 そして今は、イシドロスと一緒にレンズについて研究してくれている。


「マクシモスと会うのは半年ぶりだよね。元気にしていた?」

「ジャン=ステラ様、レンズが完成いたしました! トスカーナ産のガラスとちがって水晶はいいですな。透明度が全く違います。丸い水晶玉を最初に薄い板状に削り出し、そこからレンズ型に削り出そうと思ったのですが、なんと、水晶玉の表面を含む板は、そのままレンズになっておりました」


 挨拶の交換もなにし、マクシモスが嬉々としてレンズの話を早口で捲し立てはじめた。

 話しながら少しずつ僕の方に近づいてくる。


「そのレンズを通して物を見ると、たしかに大きく見えるのです。さらには、レンズ豆のように両面を丸く削った方が、さらに大きく見えました。これはジャン=ステラ様がおっしゃっていた虫眼鏡という道具に間違いないと、私めは確信した次第でございます。ただ、大きくはなるのですが、ものが歪んで見えるため、それを改良するために……」


 おーい、マクシモスさん。瞳孔が開いちゃってないですか?

 それに一体どこを見ているの?

 目の焦点があっていない歓喜の表情が怖いです。

 そして、顔が近いよっ!


 ずりずりと近づいてくるマクシモスへの恐怖に駆られ、僕は思わず一歩、後ずさる。


 その途端、護衛のロベルトが、僕とマクシモスの間に体を割り込ませ、

「無礼者っ! それ以上近づくな」と警告を発した。


「マクシモス、下がれっ!」

 ほぼ同時にイシドロスがマクシモスの肩を後方へと引っ張る。


 よろけて2歩下がったマクシモスは、そこでようやく周りの状況に気がついたみたい。

 目をぱちくりと瞬いたのち、顔が強張り、青ざめていく。


「……。も、申し訳ございません。レンズが完成したことが嬉しく、その事を一刻も早くジャン=ステラ様にお伝えしてたくて、我を忘れてしまいました。どうかお許しください」


 先ほどまでの勢いはどこへやら。怯えたうさぎみたいにガクガク震えながら、両膝を床につけて僕に許しを乞うてくる。


 僕を(かば)うため前に立っているロベルトを見ると、その手が腰の剣に()えられていた。


(あ、あっぶなー)


 これ、面談相手が僕じゃなかったら、マクシモスは処罰されていたんじゃないかしら。

 お母様が同席してなくてよかったぁ。


 心の中で胸をなで下ろしていたら、イシドロスもマクシモスの横で膝をついていた。

「ジャン=ステラ様。悪気がなかったからといって、平民に許される所業ではございません。しかし、これまでの功績に免じ、何とぞマクシモスをお許しください」


 ギリシアで磁鉄鉱を研究していたマクシモスがいたからこそ、方位磁針の制作も上手くいった。そして今回はレンズを作ってくれた。


 ちょっと、レンズができた嬉しさを伝えたくて暴走しちゃっただけで、才能はあるのだ。

 才能があれば、ちょっとくらい変人でもいいじゃない。


 そうそう。前世の大学にもマクシモスと似たような変人教授がいたっけ。


 自分の研究について話始めると、やめられない、止まらない。周り見ない。

 大学一年生の授業なのに、自分の研究について延々とハイテンションで話し続けていた。


「ここが、面白いんだよ。なぜだか分かるかい?」


(話をこっちにふらないでよ。そんなこと聞かれても知らないですって)


 教授にとっては面白いかもしれないけど、学生を巻き込もうとするのはやめて欲しかったなぁ。


 マクシモスは生まれる時代を間違ったのかもね。


「ロベルト、僕を守ってくれてありがとう。もう大丈夫だから、後ろに戻ってね」

「はっ」

 ロベルトが僕の後ろの定位置に戻ったことで、場の緊張感がいくぶん緩和された。


「ねえ、マクシモス。今日はお母様が同席していなかったから幸いだったけど、もう少し言葉と態度に気をつけてね」

「それはもう、心に刻み込んでおきます」

「じゃあ、ゆるします。せっかく物作りの才能に恵まれているんだから、命を無駄にしないでね」


 いくら才能があったとしても、礼儀が(おろそ)かになるのはよくないよね。

 前世での大学だってセクハラ・パワハラしたら首を切られるのだ。

 11世紀で無礼を働けば、首を切られても仕方ないもの。


(マクシモス、本当に気をつけてよっ!)


「そして、イシドロス。マクシモスの面倒をみるのは大変だと思うけど、よろしくね」


 才能ある者は、どこか常識が欠けている事がある。

 そういう者に常識を押し付けてしまうと、せっかくの才能が無くなってしまうかもしれない。


 だから、それを補佐する者も同じように大切である。

 そんな話をイシドロスに伝えておく。


「イシドロスには、コンスタンチノープルの帝都大学まで家庭教師を探しにいってもらうでしょう?」


 僕が持っている前世の知識を研究できるとはいえ、大都会であるコンスタンチノープルから、片田舎のトリノまで来てくれる人たちだもの。変人に決まっている。

 蓋を開けてみたら、マクシモスみたいな研究バカしかいないかもしれない。


「研究一筋の人たちがトリノで生きていけるよう、研究に専念できるように心配りをお願いするね」


 イシドロスには感謝の言葉しかありません。ありがとう。


 ◇  ◆  ◇


「さーてと、本題に戻ろうか。マクシモス、レンズはできたんだよね」

「はい、ジャン=ステラ様。レンズを組み合わせることで、遠くの景色を近くにたぐり寄せる道具も作れました」


 マクシモスの言う、遠くの景色が近くに見える道具って、望遠鏡だよね。

 望遠鏡があれば、船のマストの上から遠くを見渡せる。

 遠洋航海が楽になるから、ピザにぐっと近づくよ!


「マクシモス、すごいじゃない! 望遠鏡ができたんだ。みせて見せて!」

「お待ちください、ジャン=ステラ様。まだ完成はしていないのです」

「いいじゃん、早く早くっ」


 困った表情のイシドロスから望遠鏡を受け取り、さっそく筒の中をのぞいてみる。

 あれ? おかしいな。ぼやけていて何も見えない。


「ねえ、マクシモス。見えないんだけど?」

「ジャン=ステラ様。ある決まった距離にあるものは、近くに見えます。しかし、それ以外の距離にあるものは、ぼやけてしまうのです」


 どれどれ~。客間の窓から望遠鏡で外を見てみる。


 はたして、100mくらい先にある、隣の建物の壁は大きく見えた。

 しかし、もっと遠くの景色はぼやけてしまうし、当然近くのものも見えない。


(ああ、これ、焦点が調整できないんだね)

 マクシモスの望遠鏡は、2つのレンズが筒の両端に付いている。

 このレンズ間の距離が固定されているから、ある決まった距離にあるものしか見えない。


「なるほど、なるほどー」

 僕は一人で、うんうん頷く。

 この解決法は簡単。望遠鏡の筒の長さを伸び縮みできるようにすればいい。

「あとで、どうすればいいか教えるね」


 僕はそれだけ言ったあと、もう一度望遠鏡を覗き込んだ。


「あれー。上と下が逆さになっているよ」

 焦点があって鮮明に見えていた隣の建物の壁は、よくみると上下反対だった。

 望遠鏡を動かして屋根を見ると、屋根が上下ひっくり返っていて、空が下に広がっている。


 マクシモスが真剣な面持ちで解決策を教えてくれた。

「ジャン=ステラ様。足を大きく広げ、(また)の間から後ろ向きに望遠鏡を覗き込んでください。そうすれば上下反対ではなくなります」


「どれどれ~」

 股の間から覗いてみると、たしかに上下反対は解消される。

「おお、元通りの景色になったよっ!」


 少しの間、望遠鏡を覗き込んでいた僕だったが、頭がくらくらしてきた。

 頭を下向きにしていたから、頭に血が昇ってしまったのだろう。


「ふぅ。面白かったぁ」

 望遠鏡を机の上に置き、イシドロスとマクシモスを褒め称えた。


「やったじゃん!すごいよ。 望遠鏡ができたよ! もうっ最高!」


「ジャン=ステラ様にお喜びいただけて、嬉しく思っております」

 イシドロスは僕の賞賛を素直に受け止めてくれた。


 一方、マクシモスはそれほど喜んでいない。

 何か引っ掛かる所があるのかな?

「マクシモス、何か言いたい事があるのかな?」


「ジャン=ステラ様がお望みの望遠鏡は、上下反対にならないのですよね。その問題を解決しなければ、使い勝手が悪すぎます。なにか良案はございませんでしょうか」


 おお、マクシモスは貪欲だねぇ。

 今回の望遠鏡の出来では満足できないらしい。

(研究バカはこういう時、とっても頼もしいよね)


 たしかに僕の知っている望遠鏡は、上下反対に見えたりはしない。

 どうして反対になっちゃうのかな?


 ……うーん。わかんないや。

 高校の理科便覧に載っていた気がするけど覚えていないね。


 昔の記憶の掘り起こしに失敗し、ふと前をみるとマクシモスと目があった。

 うぅっ。マクシモスの期待に満ちた視線が痛い……。


 これは、そう。なんかヒントになる事を言わなきゃ。


「レンズ2枚で上下反対になるのなら、レンズを増やしてみたらどうかな。反対の反対で元通りになるよ、きっと」


 望遠鏡一体で像が反対になる。だったら、二つの望遠鏡を連結しちゃえばいいんじゃない?

 しらんけど。


「おお、ジャン=ステラ様。たしかにその通りです。早速、部屋へと戻り実験してきます」


 言い終わるやいなや、退室しようとしたマクシモスの肩をイシドロスが引っ掴む。

「これ、マクシモス! 退室の挨拶が先だっ」


 あーあ、マクシモス、全然懲りてないじゃん。


 適当なアドバイスだったから、ちょっと後ろめたかったけど、マクシモスの最後の態度で帳消しだね。

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