株式会社の原型とセーラー服(前編)
1063年3月中旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
ああ、忙しいったら、忙しい。やらなきゃいけない事が多すぎる。
4月にはアルベンガからトリノに戻ることになった。アルベンガは地中海に面しているけど、トリノはそうじゃない。トリノに戻るまでに、海に関係するお仕事に区切りをつけておかなきゃね。
交易の話とか、アフリカ大陸の西側に浮かぶ島、カナリア諸島のこととか。そうそう、サボナの商人2人組、カポルーチェとトポカルボに渡した方位磁針についても話を聞かなくっちゃ。
(方位磁針を上手く使えているといいなぁ)
そういう理由で2人をお母様に呼び出してもらっていたんだけど、今日がその面会日。場所はいつもと同じ、お母様の執務室。
たまには執務室以外で面会したいな~。それに離宮のお外に出てみたい。
ということで、面会場所をアルベンガ街中の商館にしようとお母様に提案してみたんだけど、「危ないからだめっ」って言われちゃった。自分の身を自分で守れるようになるまでお預け。そうでないと、護衛の負担が大きすぎるんだって。
自分の身を守るって、つまりは武術の修練だよね。剣道じゃなく剣術で、切った張ったで、殺すの活かすの練習。想像するだけで怖くなってしまう。いやだなぁ。まったく気乗りしない。
「男なんだから、しっかりしなさい!」ってお母様に叱咤されちゃった。
「お母様、その考えは古いです。今は男女同権の時代ですよ」って言えたらいいのに。今はその古い時代に生きているんだもなぁ。はぁ。
上の2人のお兄ちゃん達は6歳から騎士の訓練を積んでいる。三男のオッドーネお兄ちゃんの進路は聖職者なので、武術訓練ではなく聖書のお勉強をしてた。
僕の場合、謎の預言者枠だったから、騎士の訓練も聖書のお勉強もなしのまま9歳になっちゃったんだよね。
今回も、のらりくらりと逃げようとしていたら、お母様にビシっと言われちゃいました。
「マティルデお姉ちゃんと結婚するなら、軍を率いることになるのですよ」
確かにそうなるよね。お母様のいう事は間違ってはいないんだよなぁ。
マティルデお姉ちゃんはトスカーナ辺境伯だから、結婚したら僕もトスカーナ辺境伯になっちゃうんだよね。そして、男女非同権だから、僕がトスカーナ軍を率いることになる。
(僕が軍の指揮官? 柄じゃないよねぇ)
それでも、マティルデお姉ちゃんを引き合いに出されると弱い。
仕方がないので、渋々と、いやいやだけど、僕の予定に軍事訓練を入れることにした。
(んもうっ。ただでさえ忙しいのにっ)
忙しいけど、楽しい事だってある。
たとえば服飾。
お母様や僕の普段着はブリオーという、ワンピースみたいなチュニック形の服である。
服がブリオーだけでは味気ないし、おしゃれでもない。そこで記憶に残っている服をいくつか仕立ててもらっていて、そのうちの一つがセーラー服。
そして、今日のお母様と僕は、お揃いのセーラー服を身にまとっているのだ。
ふふふっ。お母様とのリンクコーデ。嬉しくて口元がゆるんで、ニヨニヨしちゃう。
インドの藍で染めたインディゴブルーのセーラー服には、同じ色の大きな襟がついている。
襟と袖口は白色の三本線で縁取られており、これまた白いスカーフが胸元で揺れている。
(一度、着てみたかったんだよね~)
高校は制服の指定がなく、中学校はブレザーだった。服飾にそれほど興味のなかった前世だったけど、心のどこかに憧れが残っていたみたい。
すこし残念なのは、僕のボトムスはスカートではなくスラックスなこと。
お母様が履いているスカートがちょっと羨ましい。
(男の子に生まれちゃったから、残念だけど仕方ないよね)
ちなみに、お母様のスカートは足首丈。
こんな長い丈のセーラー服を見たことない。
しかし、ふくらはぎどころか、「足首が見えるような破廉恥な服は着られません」ってお母様に断られちゃった。
ざーんねん。
◇ ◆ ◇
「アデライデ様、カポルーチェ様とトポカルボ様がお越しになりました」
お母様の執事がサボナの商人2人組の到着を告げる。
2人と挨拶を交わして早々、カポルーチェがお土産の品を渡してきた。
「アデライデ様、ジャン=ステラ様。昨年は家臣に取り立てていただきました事、および方位磁針を下賜いただきありがとうございました。つきましては、感謝の気持ちを込めて、砂糖をお贈りいたします」
北アフリカ産の質が良い砂糖を、イタリア半島のつま先にあるシチリア島で手に入れたらしい。シチリア島では、東ローマ帝国とイスラム勢力とノルマン人が三つ巴の戦いを繰り広げている。
「シチリア島では、蒸留ワインが飛ぶように売れるのですよ。そうだよな、トポカルボ」
「ええ、その通りです。部隊の士気をあげるためでしょうか。将軍や指揮官連中が『あるだけ売ってくれ』と、ものすごい高値で買ってくれるのです」
どれだけ儲かったのかを、ほくほく顔の2人がそれはもう嬉しそうに報告してくれた。
「二人とも、儲かってよかったね。それでも戦場に荷物を運ぶのは骨が折れたでしょう?」
「いえいえ、幸運なことに東ローマ帝国の方々には味方扱いされております。また、ノルマン人の皆さまは呑兵衛な方々が多いらしく、積荷に蒸留ワインがあると知ると大歓迎されるのです、ジャン=ステラ様」
危険な目にもあったんじゃないかと、心配したけど、杞憂だったみたい。ああ、よかった。
儲け話が一区切りついた後、カポルーチェとトポカルボがそれぞれ一枚の羊皮紙をお母様と僕に差し出した。
羊皮紙は、2人がトリノ辺境伯家の家臣になって以降の交易報告だと、カポルーチェが説明を始めた。
「アデライデ様、ジャン=ステラ様。こちらの羊皮紙には、交易で売れた商品とその価格を記しております。売上高の二割をトリノ辺境伯家に上納いたします」
売上の二割も上納して大丈夫なの? それって赤字じゃないのかと、僕は思わず驚きの声をあげてしまった。
「ええっ、二割も!」
「ええっ、二割だけ?」
僕の声にお母様の発言が重なった。僕と正反対で、二割では少ないらしい。
あれ? お母様と僕は顔を見合わせた。
お母様は僕のことを驚きをもって見つめてくる。きっと僕も驚いた顔をしていると思う。
「お母様、どうして二割だと少ないのですか?」
「どうしてって、ジャン=ステラ。彼らにはトリノの特産品を独占的に販売しているのよ。儲けは彼ら2人とトリノ家とで半分ずつが妥当ではないかしら」
「ちょっと待ってください、お母様。売上高って儲けじゃないですよ?」
売上の金額と儲けは全く違う。
銀貨50枚の蒸留ワインを銀貨100枚で売ったら、銀貨50枚の粗利。
粗利から、人件費や運送費を引いた金額が最終的な儲けなのだ。
売上高である銀貨100枚の半分、銀貨50枚を上納してしまったら、赤字になってしまう。
「ですから、僕は売上の二割でも破格の上納だと思うのです」
お母様に理由を伝えた後、「そうだよね」とカポルーチェとトポカルボに確認する。
商人の2人は、青ざめた顔で大きく頷いてくれた。
「ジャン=ステラ様のおっしゃる通りです。売上の半額を上納していては、商売ができません」
それに対して、お母様の言い分は次の通り。
「農民は農作物の半分、いえ、半分以上を領主に納めるのよ。種籾も農民達が準備しているじゃない。種籾って、商売だったら商品の仕入れですよね。どうして半額を収められないのかしら。
商業が重要なのは分かっていますが、農民にくらべてあまり優遇するのもねぇ。もしかして商品を安く売りすぎてるのではなくて?」
半額を上納できる金額で商品を売らないのが悪いと、カポルーチェとトポカルボに苦言を呈するお母様。
「いくらなんでも、それは無茶というものですよ、お母様」
今でも仕入れ値の10倍以上の値段で蒸留ワインを販売しているのだ。十分に無茶苦茶な値段で売っている。これ以上、彼らにどうしろと?
それに、彼らは蒸留ワインだけを売っているのではない。戦争で必要となる武具や弓矢、食料品といった物資も取り扱っていると羊皮紙に書いてある。これらは蒸留ワインほど利益率は高くない。
「農業と商業って全く違います。なぜなら……」と言いかけたところで、僕は困ってしまった。
どうして農業と商業の待遇を変える必要があるか、説明できないのだ。
もちろん、売上の半分も取られちゃったら、商売上がったりなのは分かってる。だけど、農民だって半分も持っていかれちゃったら苦しいよね。さらに農民には労役だって課せられてるんだもん。
商業だけ優遇はしませんよ!ってお母様に主張されると、どう答えたらいいかわからない。
(どうしよう?)
お母様、政治や軍事には詳しいけど、それでも商売のことは僕以上にわかっていない。
このまま放っておいたら、カポルーチェとトポカルボがお母様に潰されちゃう。せっかく家臣になってくれたのに、離反しちゃうかもしれない。
(もしかして、商売上手だったサルマトリオ男爵がサボタージュしていたのって、お母様の商売に対する無理解も原因だったりする?)
去年、謀反容疑をかけられたあげく、小麦手形によって財産を没収されたサルマトリオ男爵のことが思い浮かんだ。
カポルーチェとトポカルボの2人に、サルマトリオ男爵と同じ道を歩ませるわけにはいかない。
商人の2人は、すがるような表情で僕をみている。「助けてください」と目で訴えかけてくる。
(な、なんとか知恵を絞らないと)
この場を収集できるのは僕しかいないよね。
「え、え~とですね、お母様。いっそのこと、僕たちも商売を始めてみませんか?」
トリノやアスティの商人達は、馬鹿正直に売上の報告をしていません。
「今期はがんばってこれだけ稼ぎました~」と利益を自己申告して、5割を納めています。
イシドロス達も内訳は提示していません。そもそも彼らは帳簿も付けておらず、どんぶり勘定です。
対してカポルーチェとトポカルボの2人は、
1) アデライデ&ジャン=ステラちゃんに家臣として認められたのが嬉しくて、
2) 方位磁針を商人として最初に下賜されたのが嬉しくて、
3) 蒸留ワインが高値で売れたのが嬉しくて、
つい正直に申告してしまいました。
そこには、お母様&ジャン=ステラちゃんが商業を理解しているとの信頼もあったのでしょう。
それをぶち壊しちゃうお母様の破壊力たるや……