家庭教師を集めよう(後編)
1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ (前話の続き)
最後の審判の日を聞かれた僕は、56億7千万年後と答えた。
「そ、それほど後なのですか!」
イシドロス、ニコラス、ユートキアの3人は驚きの表情を隠そうともしない。
そりゃそうだ。
56億7千万年後って、とっても遠い未来だとしか理解できないよね。
「すごい未来だよねぇ。少なくとも生きている間は、最後の審判の日が来ないかと怯える必要ないよね」
僕がニコッと笑うと、イシドロスがうわずった声をだした。
「はい、それほどの未来まで連綿と人の営みが続いていくのだと思うと、神の偉大さを感じずにはいられません」
「うーん、56億年後も人間なのかなぁ」
地球に生命が誕生したのは35億年前。今から56億年後といえば、それ以上の長さになる。
哺乳類が誕生したのが一億年くらい前だし、ヒトとお猿さんのご先祖さんが別れたのだって800万年くらい前でしかない。
このタイムスケールを思うと、56億年後の人間って、もう人間って呼べない生物じゃないかな?
(それ以前に、人間が滅んでなければいいなぁ)
僕の呟きを拾ったイシドロスが、ぎょっとした目で僕を見てきた。
「ジャン=ステラ様。それは、どういう事でしょうか」
「ん、いや、まぁ。進化論の話しなんだけどね」
「シンカロンですか?」
「人間のご先祖様はおさ……」
「おさ?」
おさるさんと言おうとして、途中で言葉を止めた。
頭の中で赤色灯が回転し、ブーブーブーと警報音が鳴り響く。
さすがに、進化論はヤバい。ヤバすぎる。
預言だから仕方ないじゃない!って強弁したとしても、100%異端認定される。
だって、聖書の一節 「神は御自分にかたどって人を創造された」 に真向から喧嘩を売ってるもん。
◇ ◆ ◇
「きっ、貴様、神がサルだと言うのか!」
「うーん、おしい。最初の生命は単細胞生物だよ。ほら、顕微鏡をのぞいてみてね」
「ふざけたことをぬかすな! 神を冒涜する輩に聖なる鉄槌を下せ!」
◇ ◆ ◇
キリスト教どころか北アフリカや中東のイスラム教からも、神敵認定、悪魔認定されちゃいそう。
一神教の敵となってしまった僕に、軍勢がどわーっと押し寄せてくる情景が脳裏に浮かぶ。
そうなってしまったら、大天使ルシフェルみたいに闇落ちするしか生き残れない。
(って、どうやったら堕天して、悪魔になれるっていうのよ? そんなの無理むり~)
僕の顔からさーっと血の気が引き、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
「イシドロス、ごめん。話せない。神様の禁忌に触れちゃった」
「神の禁忌ですと! ジャン=ステラ様、それで顔色が悪いのですね。私の方こそ、うかつに質問してしまい申し訳ございませんでした。 おお、神よ。ジャン=ステラ様をどうかお許しください」
真っ青な顔をしたイシドロス達が、その場で神へと祈りを捧げはじめた。
イシドロスを眺める僕の頭の中を、「口は禍の元」という言葉が駆け巡る。
これからは、軽率に知識を披露しないように気を付けなければ。
(マジで気を付ける。ずっと気を付けるよ、僕)
自重しないと我が身の破滅が待っている。
それにしても、僕の知識って危なすぎでしょう。
広めたらダメな禁忌目録を作っておかないと、いつかまたやらかしかねない。
進化論の他には、なにがキリスト教の禁忌になるだろうか。
うーん。 聖母マリアの処女懐妊? イエス・キリストの復活?
(他には何が……)
手を叩く「パンパンッ」という音で、思考の海から現実に引き戻された。
「預言の内容について話すのは、もう終わりにしましょう」
横に座るお母様が、僕をぎゅっと抱きしめてきた。
「ジャン=ステラ。神の禁忌に触れたあなたが、天に召されるのではないかと心配したのですよ」
ええっ?
天に召されるって、死んじゃうって事だよね。
なんで僕死んじゃうの?
進化論について話していないから大丈夫。まだ神を冒涜したとして悪魔認定はされていない。
「ですが、その様子なら、神から罰は与えられなかったのですね。よかった」
お母様がより強く僕を抱きしめてきた。その腕が小刻みに震えている。
(お母様、それは違います。僕が怖いのは神ではなく、宗教に染まった人間なのです)
進化論を広めたとしても神罰は下らない。人間が神罰と称して襲ってくるのだ。
こんな事、神罰が下らないかと真剣に心配してくれたお母様に言えないよねぇ。
僕は苦笑いを隠しながら、僕を心配してくれたお母様とイシドロスに感謝した。
「お母様、心配をおかけしてごめんなさい。
今回の件で、人類に伝えるには早すぎる知識がある事に気づきました。今後はもう大丈夫ですから、安心してください。
イシドロス達も、神に祈りをささげてくれてありがとう」
◇ ◆ ◇
その後、雰囲気を変えるため、一休みすることをお母様が提案した。
「白湯を人数分持ってきてちょうだい。あとドライフルーツもね」
と、お母様が侍女に命じた。
(どうせなら、コーヒーか紅茶が飲みたいなぁ)
ない物ねだりなのは分かっているけど、白湯を見るたびに思ってしまうのは仕方ない。
いやいや、だめだめ。
お茶やコーヒーも大事だけど、それよりもピザが先。
人も時間も有限だから、優先順位付けがとっても大事なのだ。
そしてピザよりも大事なのは、マティルデお姉ちゃん。
嫁盗りまであと2年半しかないのだ。進化論なんかで時間を費やしている余裕はない。
「では、家庭教師集めの話しに戻しましょう」
ここからは、お母様が仕切ってくれる。
僕が欲しい人材や技術については既に伝えてある。あとは、お金とか住む場所とか、勧誘の条件についての擦り合わせになる。
これは、トリノ辺境伯であるお母様の領分である。
「トリノ辺境伯家からは、余っている小麦手形を全て出します。それに加え、トリートメントや蒸留ワインで稼いだ銀貨を渡します。イシドロス殿、勧誘の指揮をよろしくお願いしますね」
「アデライデ様、それはいくら何でも多すぎませんか?」
お母様が出す金額がどのくらいなのかは、分からない。しかし、特産品の儲けを管理しているイシドロスが驚いているから、結構な金額なのだろう。
「いいえ、多すぎませんよ。質の高い人材と技術を、それも量も多く集めるのです。しかも短い期間なのです。時間を銀貨で買うのだと考えてください」
お母様は、ここがお金の使い所だと思い定めているのだろう。
思いっきりが良すぎるくらいに気前がいい。
「次は、トリノ辺境伯領での住処ね。ジャン=ステラの家庭教師は、ジャン=ステラの居場所が働き場所になります」
来月4月になったら、お母様と僕はアルベンガ離宮を離れ、トリノに戻る。さらに6月頃にはアルプス南麓のアオスタで夏を過ごすことになっている。
中世の領主って、領地を点々と移動して政務を執るから、家庭教師も同時に移動することになる。その度に大名行列みたいな引越し行列ができるから、大変なのだ。
「技術者達は、イシドロス達の修道院で引き取ってもらってもよいかしら」
お母様が、イシドロス達に技術者の面倒をみるようにお願いした。
技術漏洩を防ぐためには、技術者を一か所に集めて置き、世間から隔離しておいた方がいいというのは、一理ある。
しかし、こちらには、ユートキアから異論がでた。
「女性の修道院近くに、聖職者ではない殿方が多数住まわれるのは困ります」
現在は、同じ城壁内に男性用の修道院と女性用の修道院が並んで立っている。
しかし、これは緊急避難的な措置であり、本来ならば、別々の場所に建てるものらしい。
「では、トリノ近辺に残っている城壁跡を修理して使って下さるかしら。場所は後で指定します」
古代ローマが滅んだ際に人口が激減した影響で、打ち捨てられた町や村の跡がたくさん残っている。
何もないところに技術者の村、あるいは修道院を作るよりも、とても楽に作ることができるだろう。
(お母様、すごいね!)
白湯を飲んで休憩する前とは違い、話が流れるように進んでいく。
僕も見習わなくっちゃ。
「他に何か懸念する所はないかしら」
お母様の問いかけに、技術担当のニコラスが口を開いた。
「技術者を金銭で連れてくるのは難しいと存じます」
技術者に限らず平民は、その土地に縛られた存在であり、自由に引越せない。
生活基盤もあるし、親族関係もあるだろう。
しかしなによりも、領主が有益な技術者を手放さない。
お金で簡単に手放してくれるのなら、紙を作る職人さんを既に獲得できていただろう。
「拉致してしまうのが一番手っ取り早いですが、そういう訳にも行きませんよねぇ」
お母様、そりゃ拉致はダメですよ! そんな非人道的なこと、絶対に止めてくださいね。
そう言いたいけど、中世に人権なんて存在しない。平民は貴族の所有物。
拉致だって、お隣さんのお家に忍び込んで、ちょっとお宝を盗っちゃいましょうか、くらいの感覚にちがいない。
(え、ちょっと待って。それって、泥棒さんじゃない!)
あ、だからお母様も拉致はダメって言っているのか。納得、なっとく。
「うーん、困ったわね。ジャン=ステラ、なにか良い案はないかしら?」
お金で買えないなら、別のものとの交換ならどうだろう。
「お母様、お金がだめなら、技術ではどうでしょう」
トリートメントや蒸留ワインの作り方と引き換えにすれば、技術者の領主も納得してくれないかな?
「だめよ、だめだめ!」
お母様が慌てて声をあげる。
「トリートメントは、絶対にダメ!」
お母様と同格の上級貴族ならともかく、自分より格下の貴族が美しくなるのは許せないらしい。
許すとしても、お母様の許可が必要な状態を保ちたいんだってさ。
(美は譲りませんからね!)との強い意思がお母様の目に宿っている。
「では、蒸留ワインの作り方ならいいですか?」
「ええ、いいわよ」
一方の蒸留ワインについては、あっさりとお母様の許可が得られた。
しかし、今度はイシドロスが難色を示す。
「ジャン=ステラ様。トリノ辺境伯家は蒸留ワインから莫大な利益を得ています。技術を手放すと、利益も手放すことになりますが、本当にそれでよろしいのでしょうか」
蒸留ワインは作れば作っただけ、それも超高値で売れていく商品である。トリートメントと違ってたくさん作れるから、トリノ辺境伯家一番の稼ぎ頭の特産品なのだ。
ただ、正直に言うと、僕には蒸留ワインのどこが美味しいのかさっぱり分からない。
(アルコールがきついだけで、ぶっちゃけ、不味いよね)
少なくとも5年くらいは地下倉庫で寝かさないと飲めたものじゃないと思うのだ。
それでも売れているのは、新しいお酒という物珍しさと、トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世の宣伝のお陰だとおもっている。
「俺よりも酒の弱い奴は近衛騎士にさせねーぞ。ぷっはぁ~」
ゴットフリート3世が、トリノで販売している一番高い蒸留ワイン、勇者の証を一気飲みしながら、宣言してくれた。
それ以降、騎士になりたい貴族や富裕商人たちがこぞって蒸留ワインを買い漁ってくれている。まいどあり~。
「イシドロスの懸念は当然だよね。だけど、もっと美味しい蒸留ワインを作ればいいし、何より時間が惜しいんだよ」
あと2年半で、トスカーナ辺境伯家を上回らなきゃならないんだもの。四の五の言ってる余裕はない。
「ただ、技術を安売りする必要はないからね。せいぜい高く売りつけてきてくれると嬉しいな。あと、技術の修得はトリノ辺境伯領で行うって条件を付けてね」
僕は「技術を学ぶなら、トリノに行け」というイメージを作り出したいのだ。
僕の知識を使った技術が今後もたくさん出来るはず。それを学ぶためにはトリノに来なければいけない。
うまくいけば、勝手に技術者が集まり、勝手に技術を磨き、勝手にトリノの名声を高めてくれる。
頑張って技術者を集める手間が省けるというものだ。
「家庭教師と技術については、こんな所でいいかしらね」
お母様の言葉にイシドロス達3人がうなずいた所で、長時間の面会はお開きとなった。