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家庭教師を集めよう(前編)

 1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 前世の知識を使うこと、そしてトリノをヨーロッパで一番強い国にするとお母様に誓ったのが三日前。今日は、お母様の執務室にイシドロス達、新東方三賢者を呼んでいる。僕の知識を研究してもらう家庭教師を彼らに集めてもらうのだ。


「ジャン=ステラ様、アデライデ様。ご機嫌(うるわ)しゅうございます。イシドロス以下3名、お召しに従い参りました」


 イシドロスが3人を代表して挨拶した。彼が代表なのは、3人の中で唯一司祭の位を持っているからである。残り二人のニコラスは副輔祭で、女性であるユートキアは輔祭である。


(みんな、だいぶん歳をとったなぁ)


 イシドロス達が聖霊の言葉に従ってトリノを訪れたのは9年前。当時28歳だったイシドロス・ハルキディキも今や37歳となり、威厳と貫禄を兼ね備えるようになった。


 修道院で道具作成などの技術を担当しているニコラスは白髪頭の54歳。平民出身だからか、とても人当たりがよく、しわしわだけど笑顔の似合うおじいちゃん。


 農業を担当するユートキア・アデンドロは、よく日に焼けた肌を持つ健康的なおばちゃん。見るからに頼りになりそうな包容力に溢れる素敵な女性である。


 いつだったか忘れちゃったけど、「ユートキアって何歳なの?」って聞いたら「ジャン=ステラ様、女性に年齢を聞いてはいけませんよ」って言われちゃった。たぶんお母様と同じくらいかなぁ。


 彼ら3人にはとても感謝している。


 トリートメントや蒸留酒。木酢液(もくさくえき)と木のタール。そして固体石鹸に亜麻の生理用品。

 僕が考えたトリノの特産品を作っているのは、彼ら率いる100人を超える修道士・修道女たちなのだ。


 算数の教科書も、聖書と一緒に写本してもらっている。


(あれ? 教科書の扱いが聖書と同じになってない? ま、いっか)


 方位磁針の開発もしてくれた。そして、今はレンズを研究して望遠鏡と顕微鏡の発明に全力を注いでくれている。


 彼らがトリノに来てくれたおかげで僕がどれだけ助かったことか。

 いくら感謝しても仕切れないくらい。


 久しぶりに3人そろって並んでいるのを見た僕から、思わず気持ちが言葉となって溢れ出てしまった。

「イシドロス、ニコラス、ユートキア。これまで何年もの間、ずっと僕を支えてくれてありがとうね」


「もったいないお言葉をかけていただき、誠にありがとうございます。われわれこそ、ジャン=ステラ様にお会いできた幸せを噛み締める日々を過ごしているのです。神とジャン=ステラ様に感謝を表明いたします」


「みんな、ありがとう」

 前世の癖か、つい頭を下げてしまったけど、それは仕方ないよね。


「さて。今日は3人にお願いがあって、集まってもらいました」

 執務机の椅子に座る背中を伸ばし、真面目な顔を作ったあと、僕は本日の要件を切り出した。


「みんなには、僕の家庭教師を集めてもらいたいの」


「家庭教師ですか?」

 僕の言葉に、イシドロスが不思議そうな顔をする。

「そもそも、ジャン=ステラ様はこの世の誰よりも博識ではありませんか。そのジャン=ステラ様の家庭教師を集めるのですか?」


「僕は前世の知識を持っているから、いろんな事を知っているけど、知っているだけなんだよ」


 僕はイシドロス達に、なぜ家庭教師が必要なのかを説明した。


 前世の知識はそもそも、昔の人が積み重ねてきた経験、実験、発見といった知識の集大成である。

 それなのに、中世から現代までに人類が体験した部分がごっそり抜け落ちている。


 だから、そのすきまを埋めるために研究者を必要としている。ただし、教皇庁に配慮するために名目上、家庭教師と呼ぶこと、さらには軍事技術にも手を出す事も3人に伝えた。


「そういう事情でしたら、我ら喜んで協力いたします」とイシドロス。

 ニコラスとユートキアも大きくうなずいてくれた。


「ジャン=ステラ様、私はコンスタンティノープルにある帝都大学で哲学を学びました。その時の伝手(つて)を使って家庭教師を探したいと思います」


「え、大学があるの?」

 イシドロスが大学で学んだということは、大学が存在してたってことになる。びっくりしておもわず声をあげちゃった。

 横に座るお母様の方を見ると、僕と同じように驚いていた。


「はい、ございます。テオドシウス2世陛下が開設した大学ですから、もう500年以上続いております」

 テオドシウス2世は、東ローマ帝国テオドシウス朝の皇帝だと、イシドロスが解説してくれた。

 その帝都大学では医学、哲学、法学、算数、天文学、音楽を教えているのだとか。


「そんな所で学んでいたなんて、イシドロスはすごい人なんだね」

「恐縮でございます」

 僕がすごいなーって褒めたら、イシドロスがとっても嬉しそうに笑う。


 その会話にお母様が割って入った。


「イシドロス殿はたしか、メギスティ・ラヴラ修道院に所属していたのですよね」

「その通りです、アデライデ様。メギスティ・ラヴラ修道院では副院長でした」

「そして、帝都大学で学んでいた、と」

「はい」

「では、ミカエル・プセルロス様と面識はありますか」

「帝都大学での恩師にあたります」

「なるほど、なるほど……」


 お母様が一人で納得している。僕は何のことだかさっぱりわからない。


 ただ、さきほどのユルい空気が一変して険しいものと変わっている。

 政治のお話なのだと思う。


「では、イシドロス殿。ミカエル・プセルロス様に伝言をお願いします。『貸しをお返しください』とだけで結構です」

「は、確かに承りました」


 ミカエル・プセルロスって誰? 貸しってどういう事なのかな。


(まだまだ、お勉強が足りなくて、お母様の話についていけないや)


 こういう時に前世の知識って全く役立たないよね。

 僕は心の中でそっとため息をついておくことにした。ふぅ。


「ジャン=ステラ、お話に割って入ってしまい、ごめんなさいね。家庭教師の続きをお願いしますね」

「はい、わかりました」


 お母様はにこやかに戻ったけれど、イシドロスの表情はギクシャクしている。


 この雰囲気の中でお願いを切り出すのは、ちょっと嫌だけど、仕方ないよね。

 僕はイシドロス達に顔を向ける。


「まずはイシドロスにお願い。大学があるのなら丁度いいや。そこの先生とか生徒とかをたくさんトリノに呼んでもらえる? 分野はなんでもいいや。報酬は僕の知識に触れること。ただし、2年後の8月までは秘密厳守で」


 3日前にお母様と話し合った内容をそのままイシドロスに告げる。

 ただし、なぜ2年後の8月なのかは教えない。


「学問分野はなんでもいいのですか?」

「どんな分野でもいいよ。あ、でも神学はいらないよね」


 僕の知識に神学は含まれないから、神学の研究者は不要である。

 もし必要になったとしても、イシドロスがいるし、アイモーネお兄ちゃんだっている。


「もし必要になったら、イシドロス達が教えてくれるでしょう?」

「それはもちろん」

 イシドロスが嬉しそうに返答してくれたので、僕も笑顔でうなずき返した。


「次はニコラスとユートキアへのお願いです。僕の家庭教師には、物を作る技術者と、食べ物を作り動物を飼う技術者も欲しいのです」


 僕の知識をこの世に実現するためには研究者だけではなく、たくさんの技術者が必要になる。そして、トリノを強くするためには、手っ取り早く人口を増やす必要があり、それは農業と畜産の技術が必要なのだ。


(食べ物がないと人って増えないもんね。飢えるのは嫌だし)


 ニコラスは修道院で使う道具類の面倒を一手に引き受けてくれている。

 蒸留酒を作る装置を作ってくれたのも、レンズの開発を担ってくれているのも、ニコラスとその配下の修道士である。


(そういえば、方位磁針を作ってくれたマクシモスお爺ちゃんは、元気にしているのかな?)


 そんなニコラス率いる修道士は、技術者集団だといっても過言ではない。道具を作るための木工だけでなく、祭事で使う食器を作る陶芸、そして金属を加工する鍛冶も担っている。さらには、製鉄ができる修道士もニコラス配下にいるらしい。


 そしてユートキアの担当は農作物。人間が食べる小麦やぶどうを栽培し、えん麦やカブといった馬の飼料を育てている。亜麻から布を織るし、野山から薬草を採ってお薬を作ったりもする。豚や牛の世話もユートキアが担っている。


 道具も作れば、食べ物も作る。

「彼らがいれば何でもできるから、自給自足できるんじゃない?」

 僕の疑問に対する彼らの答えは至極シンプルだった。

「修道院ってそういうものですから」


 僕のイメージしていた修道院って神に祈りをささげ、毎日を宗教活動に(いそ)しむというものだった。食べ物は近所の村々からのお布施で(まかな)っているんだと思ってた。だから、自給自足できると知った僕は、とっても驚いたものだ。


(修道士達ってすごいね!)


「ニコラスは技術者を、ユートキアは農業や牧畜ができる人を重点的に集めてもらえるかな?」

「承知いたしました」とニコラスがうなずいた。早速どのように人を集めるかを考えているのか、思案げな顔つきになっている。


 ユートキアの方はと言えば、少し首を(かし)げつつ、僕が望む技術や知識について確認してきた。


「ジャン=ステラ様が具体的に思い描いている、必要な技術や知識はあるのでしょうか」

「欲しい技術ならたくさんあるよ。でもまずは、トリノになくてギリシアにある技術を集めてほしいんだ」


 東ローマ帝国になら、イタリアに残っていない古代ローマ時代の技術がたくさん残っているはず。

 たとえば、ローマンコンクリート。この技術があれば、古代ローマ時代に作られた上下水道の補修ができる。中世になって人口が減り、廃棄されてしまった町や村を復活できるはず。


「その上で、やっぱり紙を作る技術が欲しいな」

 大勢の人に研究してもらうためには、僕の知識を書き写して渡す必要がある。それには羊皮紙より植物紙の方が安くつくだろう。


「でもね、一番欲しいのは、火薬なの」



 火薬があれば何ができるって? そりゃ銃や大砲だろう? そんな陳腐な? 

 そう思われた方はぜひぜひ、その記憶を保持しつつ、続きをお待ちくださいませ☆彡



 ミカエル・プセルロスについては、少し後に出てきます。

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― 新着の感想 ―
[一言] テロリストは肥料から爆薬を作りますが、火薬を作る技術の応用で土壌改良出来れば、食料生産が捗りますね。 他に、大学では神の権威を後ろ盾に科学的思考を普及させて、神の創造を人の思い込みに依らず…
[一言] 火薬…? むしろ、ジャン=ステラ君でしたら原材料の硝石の方を欲しがるのかなぁ。って思いましたが。 二重構造の箱を作り、内と外との間に断熱性の高いモノ詰め込んで、二重底の下の部分と二重天井…
[一言] 火薬は中国で発明されてモンゴルによって欧州に持ち込まれているかと思うけど、はたして何に使われるのか楽しみですね。
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