悪魔払いの方法
1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
わぉ、ユーグって生贄だったのかぁ。
「ジャン=ステラの前世を調べろ」というローマ教皇の勅命をユーグは受けていた。もし僕の前世が天使だった場合、僕の機嫌を損ねちゃうと闇落ちして堕天使化、つまり悪魔になってしまうんだって。
悪魔召喚どころか、僕が悪魔だったんかーいっ!
なんとも酷い風評被害もあったものだよね。預言者とか天使ならまだしも悪魔かぁ。全人類を敵にまわして果たして僕は生き残れるのだろうか……
って、人間が悪魔に変身するわけないじゃん。あほらし。
荒唐無稽なこの考えを、教皇庁はいたって真面目に議論していたらしい。少なくともクリュニー修道会が僕をこれ以上刺激するのは不味いと判断したのだ。
そして万が一、僕が悪魔になっちゃったら、ユーグ達クリュニー修道会が責任を持って何とかするよう教皇から命じられている。これがお母様の言うところの「最初の生贄」なのだ。
ユーグも大変だねぇ。どうりでユーグがお土産にも気を配り、下手に出るわけだ。
「ねえ、ユーグ。一つ聞きたいんだけど、もし地上に悪魔が誕生したら、どうするの?」
「それはもちろん、悪魔祓いをします。これは教会法に定められているのです」
ユーグの言う悪魔祓いは、キリスト教の洗礼と同じような儀式らしい。僕の全身を聖水に浸せば、その体から悪魔が抜けていくらしい。
「え、たったそれだけ?」
そんな簡単な方法で悪魔退治できるだなんて、拍子抜けしちゃったよ。それなら僕が悪魔になっても大丈夫だね。聖水のお風呂にちゃぷんって浸かれば問題解決!
それならなぜ、教皇庁を巻き込んだ大がかりな事件になっちゃっているのかな。
「ジャン=ステラ様がおっしゃるように方法はいたって簡単です。しかしどうやって悪魔を聖水に浸けるかが問題なのです」
悪魔が大人しく聖水につかるはずもない。それはもう暴れまわるのだとか。
たしかに、教会の言いつけを素直に守る悪魔って、矛盾している。それってもう悪魔とはいえないよね。
だから、聖水に浸けるよりも手っ取り早く殺しちゃって、十字架に磔にするのだとか。
「え、殺しちゃうの?」
「それはもう、悪魔ですから当然です」
ユーグが大きく頷いた。そりゃそうだよね、悪魔だもんね。
お風呂に入るのだけで済めばいいけれど、悪魔だと判断されちゃったら問答無用で殺されちゃいそうだ。
うーん、どうしよう。
考え込んでいたら、お母様が話しかけてきた。
「ジャン=ステラ、大丈夫よ。あなたは悪魔ではないもの。なんの問題もありません。そうですよね、ユーグ殿」
「ええ、その通りです、アデライデ様。悪魔でなければ何の問題もないのです」
お母様とユーグとで少し意味合いが違う気がするけど、まぁいいや。要は悪魔じゃなければいいんでしょ。
「じゃあ、いま僕が聖水のお風呂に入れば問題は解決だよね」
聖水に浸かれば悪魔はどこかに行っちゃうんでしょ。みんなの前でお風呂に入るのはちょっと恥ずかしいけど、そのぐらいは我慢がまん。
なのに、ユーグが否定する。
「ジャン=ステラ様、堕天して悪魔になる前ならば、聖水に浸かっても意味を為さないのです」
そうなのかぁ、残念。じゃあ第二弾いってみよう!
「だったらさ、『僕の前世は天使ではありません!』って宣言すればいいんじゃない?」
天使でなかったら堕天使になることはできない。つまり悪魔になることもない。
しかし、この案もだめだった。
「ジャン=ステラ様を疑うわけではありませんが、我々はそれをどう信じたらよいのでしょうか」
僕の言葉だけではだめらしい。ユーグはともかく、教皇と枢機卿団が納得しないとユーグが言う。
「なぜならば、枢機卿団は、ジャン=ステラ様の前世が天使であるという証拠を持っているのです」
はい? 僕の前世って日本人だよ。いつの間に天使になっていて、しかも証拠があるってどういう事なの?
頭に浮かんだ疑問をユーグにぶつけてみた。
「ねえ、ユーグ。どんな証拠があるの?」
「前世における母上様と姉上様のお名前が判明しております。さらには、前世において空を飛んだという証言あります」
枢機卿会議において、前世のお母さんとお姉ちゃんの名前が報告された。母がトドエルで、姉はノエル。
さらには、教皇庁の知らない新大陸が存在すること。そして、前世の僕は空を飛んでその新大陸に到達したのだと、ユーグは僕に告げた。
「ジャン=ステラ様。これだけの証拠が挙がっているのです。これでも、前世が天使であったとお認めいただけないのでしょうか」
ユーグが僕に迫ってくる。
(なんてこったい。情報が駄々洩れじゃない)
「だれだっ、秘密を漏らした奴は!
って僕か、僕だよね。僕しかいないもの……」
一瞬で噴火ちゃった僕だけど、最後は尻すぼみ。一言叫んで冷静になった。原因は僕だったよ。
アルベンガの大宴会においてスタルタスを成敗しようとした直前、感情に任せて色々と吐露しちゃったものね。
お母さんの名前を聞かれて「藤堂える」って答えたのに、トドエルって言われてぷんすか怒った記憶が蘇ってきた。それに、飛行機で空を飛んでいたとも言ったはず。
ああ、2か月前の僕のバカバカバカッ! おまえなんて頭ぽかぽか、お尻ぺんぺんの刑に処してやる!
お母様が「はぁっ」と溜息をつきつつ、僕を諭してくる。
「ジャン=ステラ、あなたもこれでよく分かったでしょう。食事会の席では当たり障りのない会話で留めないといけない理由が」
公的な食事会での会話は公的なもので、証拠にもなるんだってさ。つまり、僕は言い逃れできないのだ。
「それでしたら、もう一度みんなを集めて食事会を開き、『僕は天使じゃありません』って言えば証拠になりませんか?」
「ならないわよ。そうよね、ユーグ殿」
「なりませんな」
二人に一刀両断されちゃった。そんな即答されるほどダメな案なのはどうしてだろう。
僕が納得していないのを見て取ったユーグが口を開く。
「2つの証拠が矛盾した場合、その証拠は使えなくなります。その点ご理解いただけますでしょうか」
天使であるという証拠があるのに、新たに天使でない証拠を重ねても意味がない。
その場合、天使であるか、ないかを決めるためには全く別の証拠が必要になる。
理屈としてはたしかにその通り。
しかし、そんな事言われても困惑しかない。教皇や枢機卿団が勝手に誤解しているだけなのだ。
(だって、僕の前世は天使じゃないもん)
しかし、それを証明するだなんて、無理難題にも程がある。
(もう、しーらないっと。ユーグの勝手にすればいいよ)
匙を投げちゃった僕は、投げやりにユーグへと問いただした。
「じゃあ、どうするっていうのさ。僕が天使かどうか、ユーグはどうやって判断するつもり?」
「それなのです、そこが問題なのですが、枢機卿団は方法を既に用意しています」
ユーグが少し前のめりなりつつ、判断する方法を打ち明けた。
「我々の知らない新大陸の場所を教えていただけませんか」