ユーグとの食事会
1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
ユーグとの食事会がようやく始まった。
「ユーグ殿、すこしお待たせしてしまいごめんなさいね」
「アデライデ様、ご機嫌麗しゅうございます。この度は食事会にご招待いただき、誠にありがとうございます」
うーん。お待たせしたのはすこしではないと思うけど…… まぁいっか。
お母様の首飾り選びのせいで、ユーグとの食事会の開始時刻がずれこんだ。
首飾り以外にも、毎月のラッキージュエリーを決めるのにも時間がかかってしまったのだ。
僕の知っている誕生石をそのまま毎月のラッキージュエリーにすればすぐ済んだはず。見込みが外れたのは、「慈悲深い」お母様の一言が原因だった。
「この際、侍女たちのラッキージュエリーも決めてしまいましょうよ」
トリートメントと引き換えに宝石を集めたお母様と違い、侍女たちにとって宝石は高嶺の花なのである。
お母様に仕えている侍女はみんな貴族ではあっても、当主ではない。当主の2女や3女、直系から外れた姪ばかりなので、それほど裕福ではない。
そんな侍女たちでも頑張れば手に入る、お手頃価格なラッキージュエリーを決めようというお母様の提案だった。しかし、これが難航した。宝石って小さければ値段が安くなる。色がくすんでいても安くなる。
それなら、侍女用にわざわざラッキージュエリーを決めなくてもいいのではないか、と。
侍女たちも女性なので、綺麗な宝石の事を話し始めたら止まるはずもなく。だれもが目をキラキラ輝かせ、白熱した議論が交わされることとなった。
そして、それをボーっと眺める僕。
(ああ、早く終わらないかなぁ)
他にもお母様の侍女であるニコレからの、僕に対するありがた迷惑な提言もあった。
「ジャン=ステラ様のラッキージュエリーはいかがなされますか? アデライデ様と異なる色の宝石を身に着けていた方が映えると思うのです」
「まあ、ニコレ、いいアイデアだわ。そうねぇ、女性と男性とで、別のラッキージュエリーにしましょう」
僕が断る前に、お母様が早々と賛成してしまった。
議論の結果だけを言うと、女性用と男性用の2種類のラッキージュエリーを作ることになった。
女性用は、僕の知っている誕生石の順番。
男性用は、ヨハネの黙示録に記されている、エルサレム城門を飾る宝石の順番。
とどのつまり、ユーグとの食事会の事は、お母様の頭から完全に抜け落ちていたんだと思う。
なんとなく、僕が言い出してしまった誕生石の話題が止めを刺してしまった気がするけど、元をたどれば首飾り選びなのだ。食事会に遅刻した原因は僕じゃない。僕はちっとも悪くない。悪くないったら悪くない。
◇ ◆ ◇
(いっただきまーす)
ユーグとの初対面の挨拶をした後は、すぐ食事会へと移行した。子豚の丸焼きの前に陣取ったお母様が、ナイフで肉を切り分けていく。テーブルに着くのはお母様、僕、ユーグの3人だからすぐ切り終わる。
食卓上には、トリノ辺境伯家自慢の歓待料理である唐揚げとトンカツも並んでいる。僕はレモンを絞った唐揚げを一口かじった。
はぁ、美味しい。鶏肉の旨みが口に広がり、レモンのさわやかな香りが鼻へと抜けていく。
そういえば、1月の大宴会からずっと、食べるもの全てに味が感じられなかった。心が落ち込んでいる間は、何を食べても美味しくなかった。でも、もう大丈夫。今は元気。だって、唐揚げが美味しいんだもん♪
久しぶりに料理の味を堪能していた僕の耳に男の声が響いてきた。
「ジャン=ステラ様、この唐揚げという料理は素晴らしいですな。イタリア産の赤ワインとの相性も抜群です」
同席しているユーグから賞賛の声が上がった。料理が美味しいと言ってくれるのはうれしいよ。しかし、僕は意図的にユーグの方を見ないようにしていた。ユーグの部下であるスタルタスの姿がどうしてもチラつくのだ。手づかみでくっちゃくっちゃと食べていたスタルタスの不愉快な姿を。
美味しい唐揚げを食べるなら、一緒にいて楽しい人と食卓を囲みたかったな。
だから、僕が返すのは生返事。
「はぁ、そうですね」
視線を落とし、ユーグを見ないよう答える。無礼な態度だとわかっていても、見たくないんだもん。僕がユーグのことを避けている事を、これで分かってくれないかなぁ。
それなのにユーグは僕に話しかけてくる。
「おお、こちらのトンカツも素晴らしい。豚肉を包んでいるカリカリの食感たるや!このような料理に出会ったのは初めてです。こちらの料理を考案されたのもジャン=ステラ様と聞きました。イタリアにも、もちろんフランスにもない唐揚げとトンカツ料理。どのようにして思いついたのでしょうか。ぜひお聞かせいただけませんか」
右から左に受け流しつつ、もう一度生返事。ただし、ちょっとだけユーグが視界に入っちゃった。
「はぁ、そうですね。ん?」 視界の端に映るユーグに何か違和感がある。思わず二度見してしまった。
「ぇえ!」 と、驚きが口をついて出てしまう。
「ジャン=ステラ様、どうかされましたか?」
にこっと僕に微笑んでくるユーグ(おっさん)。その右手には箸が握られており、トンカツを一切れつまんでいる。
「あの、その手に持っているのは?」
「ええ、ハシですよ。フォークも便利ですが、このハシというカトラリーも素晴らしい。ジャン=ステラ様もそう思われませんか?」
ユーグは箸でトンカツを口に運ぶことによって、自在に箸が使える事を僕にアピールしてきた。
「うん、まぁ。箸は便利だけど。でも、どうして?」
僕に問いかけられたユーグはテーブルの上に箸を置き、居住まいを正した。
「クリュニー修道院にも文化を愛する者がいることを、ジャン=ステラ様にお分かり頂きたかったのです」
クリュニー修道院長であるユーグの部下のスタルタスは、1か月少し前の大宴会で大粗相をやってのけた。料理を手づかみで食べるわ、くっちゃくっちゃと汚らしく咀嚼するわと、僕を挑発してきた。
スタルタスのような修道士は例外であり、クリュニー修道院に属する者は礼儀作法を重んじる。ユーグは僕に力説した。
「ふーん」
心の内を読まれないよう、僕はできるだけ素っ気なく返す。
僕の家臣には、箸を上手に使えるものが何人かいる。イシドロス達ギリシア組の箸使いもずいぶんと様になってきた。しかし、公式な食事会で箸を使う者は目の前のユーグが初めてである。
お母様だって箸は使えないんだもの。お母様の招待客が箸を使うとは思いもよらなかった。下手をするとお母様への不敬だと言われかねないからだ。わざわざそんな危険を侵さずとも、スプーンとフォーク使えば良いはず。
果たしてお母様の方を見ると、にこにこと笑ってこちらを見ている。
やっぱりそうだ。ユーグに箸を使うようお母様が助言したので間違いない。
つまりお母様は、僕とユーグとの間を取り持とうとしているわけだ。
そりゃ、ユーグ率いるクリュニー修道会は、傘下の修道院数が100を超える大勢力だよ。今もスタルタスを捕らえていることもあり、トリノ辺境伯家との関係は険悪だと思っていた。
確かにずっと敵対しているわけにもいかないし、ここらでスタルタスの所業を水に流して手打ちしようと、お母様は考えているのかもしれない。
(別に、僕の事は気にしなくてもいいんですよ、お母様)
トリノ家の当主はお母様なのだ。スタルタスの成敗に失敗した僕に遠慮せずに、クリュニー修道会と仲直りすればいいのにね。
いくら僕が食いしん坊でも、交渉相手が箸を使えるようになっただけでニコニコできるわけじゃないんですからね~。
ユーグが唐揚げに箸を伸ばす。それを眺める僕。
その唐揚げが口に運ばれるのを、目で追っていた。気にならないと言えば嘘になる。
とても懐かしいような、ちょっと胸が苦しいような感情が押し寄せてきた。
(外国に長い間暮らしていた日本人が故郷に戻ってきたら、こんな風に感じるのかな)
お母様が切り分けたお肉を箸で食べるユーグ。もぐもぐもぐ。スタルタスと違い、口を閉じて食べている。
家臣以外で口を閉じて食べる男性を初めてみたかも。
お父様もお兄ちゃん達も、僕が指摘するまで豪快に口を開けて食べていた。なんだか懐かしいね。
ユーグが箸をパンに伸ばす。大きく広げた箸でパンをムギュっと掴み、口へと運ぶ。
「ちょっとまったー!」
ぎょっとした僕は思わず叫んでた。
「どうしてパンを箸で食べるの! 手でちぎって食べればいいでしょ? 全くもうっ」
ぷんぷんでしょ? パンを食べるのに箸を使うなんておかしいって思わないの? ユーグに箸を教えたのはだれよ。ちゃんと作法も教えといてよ、まったく。
僕の言葉にユーグが反応した。ドキッと驚いたあと、少しの不安がユーグの顔色に表れるのを僕は見た。
そして、お母様が不思議そうに問いかけてきた。
「ねえ、ジャン=ステラ。どうしてパンを箸で食べてはだめなの?」
「え? どうしてって?」
思わぬ質問に、僕は言葉につまってしまった。
パンは箸で食べないのって常識でしょ?
でも、どこの常識? 現代日本?
ここは現代でもなく日本でもない。11世紀のイタリアなのだ。箸を使う習慣がないから、パンを箸で食べないという常識も存在しない。むしろ箸を使うこと自体が非常識といえる。
「ふふふっ」
なんだか、おかしくなった。常識逆転世界だよね。気づいたら笑ってた。
ここはイタリア。日本じゃない。でも、日本にいた頃をちょっと思い出した。あの頃に戻りたいという郷愁の思いではなく、なんだか懐かしかった。あぁ、遠くに来たんだなって。
「そうですね。ここは11世紀のイタリアだから、パンを箸で食べたっていいです。ユーグ、驚かせちゃったね」
僕はユーグの顔を見て、目を逸らさず話しかけた。
(箸を使えるように努力してきてくれてありがとう。それなのに驚かせ、不安にさせてごめんね)
ユーグが僕に歩み寄ってくれたのだ。僕もお箸の分だけユーグに歩み寄ろう。
「ユーグはどうして僕に会いたかったの?」