誕生石と黙示録
1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
お母様は食事会に着ていく衣装選びに余念がない。
「支度はまだ終わりませんか?」
「もう少し待ってくださいな。服は選び終えましたが、どの首飾りをつけるか、なかなか決められないのです」
お母様の弾んだ声が戻ってきた。「んっふふーん」ってハミングが聞こえてきそうなほど上機嫌だ。
執務室のいすに腰掛けた僕は、窓から見える青い空をぼーっと見つめる。
女性の衣装選びに時間がかかるのは、いつの時代も同じなんだねぇ。
クリュニー修道院長であるユーグ・ド・クリュニーとの食事に同席する事になった。参加者は、お母様、僕とユーグの3人。あと少しでお食事会が始まる。
正直なところ、あまり気が乗らない。
「ユーグって、1月の大宴会を台無しにしたスタルタスの上司ですよ。お母様も僕も、また不愉快な思いをする事になりませんか?」
子は親を見て育つということわざがある。修道院みたいに閉鎖的な組織では、部下と上司の関係は子と親の関係に似ていることだろう。
「安心していいわよ。ユーグ殿はジャン=ステラに会って教えを請わないといけないの。間違いなく下手に出てくるわ」
お母様が言うには、ユーグは教皇猊下からの勅命を受けているらしい。その勅命がぶっとんでいて、僕の前世が天使か否かを調べるというもの。
僕は驚いて、お母様に方法を聞いてみた。
「前世を調べる方法があるのですか?」
現代知識でも前世を調べる技術なんてなかった。いや、僕が知らないだけで存在していた可能性はなきにしもあらず。
そうそう、前世占いってのがあったよね。大きな水晶玉に手をかざし、なにごとかむにゃむみゃと唱える。すると占い師が「あなたの前世は絶世の美女、クレオパトラです」って教えてくれた。
ほうほう、そうだったのかぁ。と思いつつ、違う日にもう一度占ってもらったら今度は「楊貴妃」だった。
僕の前世の前世って凄い人達だったんだねぇ。いや、しらんけど。
水晶玉占いを信じるかどうかはさておき、ユーグはどうやって調べるつもりなのだろう。実は、教皇庁秘蔵の水晶玉ってのがあったりして。って、そんなわけないか。
僕はちょっとわくわくしながらお母様の回答を待つ。
「さぁ、私も知らないわ。もしかすると教皇庁に伝わる秘蹟があるのかもしれないけど……」
お母様にとっては、首飾りを選ぶ方が重要らしい。僕の方を見ることもなく、興味なさげな答えがかえってきた。その視線は2つのアクセサリの間を行ったり来たり。
透き通るような海の色を湛えたアクアマリンのペンダントと、夜空を思わせる濃紺に星を散りばめたようなラビスラズリのビブネックレス。
どちらを身に着けるのか、それがお母様一番の関心事である。
ちなみに、どちらの首飾りもトリートメントとの引き換えで手に入れた品だったりする。お母様からその事を聞いた僕は思わず叫んじゃった、「トリートメントの価値って宝石と同じなのっ?!」って。
100円ショップの商品よりも品質の劣るトリートメントが宝物と物々交換されちゃう世界。僕の価値観がガラガラと音を立てて崩れていってしまいそうになる。
そんな僕とは無関係に、お母様はずっとマイペース。
「ジャン=ステラはどちらの首飾りがいいと思うかしら?」
(いや、どっちでもいいから、早く決めてほしいです)と喉元まで出かかってはいるが、口には出せない。
前世が女性だった僕だから、お母様が首飾りに悩む気持ちがわからないでもない。しかし、男に生まれ変わったせいか、装飾品への関心が薄らいでしまっている。
とはいえ、何か気の利いた言葉を言わなければ。そうしないと、お母様の首飾り選びがもっと長引いてしまいそう。
うーん、宝石にまつわるお話って何かなかったっけ、と前世の記憶を探ってみた。
そうそう! 誕生石ってあったよね。1月から12月までの各月にちなんだ石があって、生まれた月の宝石を身につけると幸せになれる、とかなんだとか。
「3月の宝石はアクアマリンなので、それにちなんでペンダントの方にしてはいかがですか?」
アクアマリンは3月の誕生石で、ラピスラズリは12月の誕生石。誕生月ではないけれど、今は3月だから、3月の誕生石をお奨めしてみた。まぁ、誕生石なんて占いみたいなものだから、厳密じゃなくてもいいよね。
なげやりだなぁ、とは僕も思う。それでも、どちらかに早く決めて欲しかった。ただ、それだけだったのに……
「3月の宝石? 月と宝石に関係があるのですか」
お母様が誕生石に食いついた。
しまった!藪を突いて蛇を出しちゃったかも。
「い、いえ、そんな事よりも、今はどちらの首飾りを選ぶかを決めましょうよ。ほら、ユーグもきっとお母様を待っていますよ」
ここで宝石の話をしてしまうと、食事会の衣装選びがもっと長引いてしまう。そんなの本末転倒だ。
それに、お願いをする立場であるユーグはずいぶん早くから会場入りをしているに違いない。僕は会いたくないけれど、一応お母様のお客様だもの。ホストがゲストを待たせるのは良くないよね。
僕はなんとか回避できないかと頑張った。しかし、だめだった。お母様が喰いついて離れない。
「ユーグ殿にはもう少し待ってもらうことにしましょう。それよりも今は宝石よっ」
ランランと輝くお母様の目が、話し終えるまで逃しませんよ!と僕の顔を捕捉している。
こうなってしまったら、誕生石についてさっさと説明してしまった方が早そうだ。
「はぁ、仕方ありませんね。先ほどは3月の宝石と言いましたが、正確には誕生石といって、産まれた月にちなんだ宝石があるのです。誕生石をお守りとして身に着けていると、運勢がアップするんですよ」
きらきら光る宝石って魅力的だよね。女の子だったら誰でも憧れるのが宝石である。小学校の頃、親に買ってもらった宝石図鑑は、ページが擦り切れるほどを何度も見ていた。だから、誕生石なんてスラスラ暗誦できる。
1月はガーネット、2月はアメジスト。そして3月はアクアマリン。
「お母様の誕生日は3月ではありませんが、誕生石にちなみ、アクアマリンをお勧めしたのです」
僕の説明を聞いたお母様は満足するのではなく、なにやら考え始めてしまった。俯き加減の口から小さくつぶやく声が聞こえてくる。
「順番に並んだ12種類の宝石。うーん。どこかで聞いたことがあるような」
「あの、お母様? お食事会……」
記憶の糸をたどろうとしているのか、難しい顔になったお母様があっちへこっちへと目を動かしはじめた。
僕の呼びかけにも答えてくれない。
「思い出したわ!ヨハネの黙示録ね、そうでしょ?」
しばらくの沈黙の後、お母様が急に叫んだ。僕は意味がわからず、首を傾げるしかない。
「ヨハネの黙示録? 聖書と宝石に何か関係があるのですか」
ヨハネの黙示録というのは、キリスト教の経典である新約聖書の一部分である。
「ジャン=ステラ、あなた預言者なのにヨハネの黙示録の中身を知らないの?」
「残念ながらその通りです。預言者だとしても、なんでも知っているわけではないのですよ、お母様」
キリスト教系の私学なら聖書を学ぶ機会もあったかもしれない。しかし、前世では小学校から高校まで全て公立学校だったのだ。聖書なんて読んだことも触ったこともない。
お母様は執事が持ってきた聖書を受け取り、宝石が載っている場所を指さした。
「ここよ、ここ。聖都エルサレムの城壁には12の門があり、その土台は宝石で飾られている。第一の土台はジャスパーで、第二はサファイア」
第三は瑪瑙で、第四はエメラルド。全部で12個の宝石が並んでいる。
「でもおかしいわね。ジャン=ステラが言っていた誕生石とは順番も種類も違うわ。どうしてかしら?」
「単に誕生石と聖書の宝石は別物というだけではありませんか」
誕生石の最初は、1月ガーネット、2月アメジスト、3月アクアマリン。
黙示録の最初は、ジャスパー、サファイア、瑪瑙の順。
残りの9個も含め、宝石の並びが全く違った。
単純に、僕が覚えていた誕生石と聖書は関係ないという事なのだろう、多分。
「それもそうね。この際、並び順はどうでもいいわ。重要なのは、幸運のアイテムの方よ」
「幸運のアイテム?」
「ええ、そうよ。あなたは不運な方が好きなの?」
「それは、幸運な方がいいに決まっていますけど……」
お母様が何を主張したいのかわからず、僕は首を傾げた。一方のお母様はそんな僕に気を留める事などない。
「ジャン=ステラも思うでしょう。幸運な方が良いに決まっています。ですから、これから私はラッキーアイテムの宝石を毎月、身に着ける事にします」
お母様は声も軽やかに宣言した。
どうやらお母様の頭の中では、月ごとにラッキーな宝石が違うらしい。誕生石の考え方とは少し違うけど、月替わりの宝石というのも素敵だと思う。だから僕は同意した。
「お母様、素敵なアイデアだと思いますよ」
「それでね、ジャン=ステラ。今からこの風習を広げるわよ! せっかくトリートメントとの交換で良い宝石がたくさん集まったのですもの。宝石をお披露目する機会を増やさなくては、宝石が悲しんでしまうわ」
お母様の中で何かのスイッチが入ってしまったみたい。頬を上気させたお母様が話し続けている。
「そうよね、そうでしょ? ジャン=ステラもそう思うわよね。あとはそうね、娘たちにも知らせないといけないわ。次期皇后とシュバーベン大公妃なのですもの。あの子たちも宝石をたくさん持っていて、きっと持て余していると思うの。だから、月ごとのラッキーストーンっていう考え方に賛同してくれると思うわ。そして私と娘たちとで流行を独占よ! そうそう、ジャン=ステラもマティルデ様に贈ってもいいわよ。特別に許可してあげます。うふふふ。楽しくて仕方ないわ♪」
お母様のうきうきワクワクが止まらない。止められない。
2人の姉である、次期神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世の婚約者であるベルタお姉ちゃんと、シュバーベン大公妃となったアデライデお姉ちゃんにも誕生石を教えるらしい。
それにしても、お母様がこれほど宝石コレクションをお披露目したくて、自慢したくて仕方なかったとは。もう、びっくり。
でもまぁ、コレクターってそういう性質の生き物なのかもしれない。
それはさておき、ユーグとのお食事会はどうするんだろう?
僕、もうしーらないっと。