二年後までに
1063年2月下旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
お母様と僕は運命共同体。
マティルデお姉ちゃんと僕が結婚すれば、ゴットフリート3世はトスカーナ辺境伯の地位を失う。
そしてお母様は、「これで仇に報いられた」と留飲を下げられる。
「そう簡単にはいかないと思うけど、なにか方策はあるのかしら?」
僕の顔をのぞき込みつつ、お母様がトリノ辺境伯を巡る情勢を簡単に教えてくれた。
最初は軍隊の比較。弱肉強食の世界を生き抜くために、一番必要な直接的な力だよね。
「軍の力はゴットフリート3世が圧倒的ね。神聖ローマ帝国内で一番強いと思うわ」
軍事的にはトリノよりもトスカーナが圧倒的に強い。動員できる兵数は3倍から4倍くらい相手の方が上。将の質も圧倒的にトスカーナが上。ゴットフリート3世は当年57歳。名将の誉れ高い歴戦の強者である。
一方のトリノ辺境伯家の将は、長兄ピエトロの15歳。戦場に出た経験はなく、その才能は未知数。
うわぁ。「圧倒的だね、我が軍は」
もちろん弱い方に圧倒的。もうダメダメ。戦場で戦ったら鎧袖一触、あっという間に負けちゃいそう。
「お母様、トリノ辺境伯家は、よく滅びませんでしたね」
「皇帝家に嫁いだベルタのお陰もあるけど、城を落とすのは難しいですからね」
次女のベルタお姉ちゃんは、次期皇帝ハインリッヒ4世の婚約者。トリノ辺境伯家を相手に戦争すると、皇帝家を敵に回すことになる。
そして、城はなかなか落ちない。城を囲むことはできても、城門を破れないらしい。
「大きな石を投げる器械はあるのですが、扱いが難しいのよ」
攻城にはマンゴネルと呼ばれる投石機が使われると教えてくれた。しかし、石がどっちに飛んでいくのかわからないのだとか。
(なにそれ怖い。自爆兵器じゃん)
攻める城の近くにマンゴネルを設置したあと、敵の方に石を飛ばすための調整と訓練が必要なのだとか。その訓練期間中はとても危なっかしい兵器という事らしい。
そういう事もあり、軍隊で城を攻め落とすというのはほぼ不可能なのである。
つまり、城を落とすには心を攻めよって事になる。
その点、トリノ辺境伯家は、お母様を中心によく纏まっている。
……よね?
サルマトリオ男爵の件はあったけど、トスカーナ辺境伯家に比べれば良好である。
なにせ、正統継承者という権威を持っているマティルデお姉ちゃんと、権力・軍事力を握っているゴットフリート3世が裏で対立しているのだもの。
お次は経済力。
経済力といっても、お金を稼ぐ能力ではない。武器や兵糧を買う能力と言った方がしっくりくる。
こちらは同じくらい。それどころか最近はトリノ辺境伯家の方が上なのだとか。
「トスカーナ辺境伯家は商業都市のピサを従えています。10年前まで経済力でもトリノを圧倒していました」
「という事は、10年で逆転したって事ですよね。凄いじゃないですか!何があったのです?」
軍の力で圧倒されているのだ。さらに経済力まで圧倒されていたら打つ手はなかっただろう。この10年で何があったかわからないけど、ちょっとだけ希望の光が見えてきたよ。
「何がって…… はあ。」 と、お母様が溜息をつく。「ジャン=ステラ、あなたのお陰に決まっているでしょう?もしかして無自覚ですか?」
トリノ辺境伯家の稼ぎ頭は、トリートメントと蒸留酒。それぞれ女性貴族相手と男性貴族相手の商品である。その二品だけで、トスカーナの中心都市フィレンツェやピサを上回っているらしい。
「たったの2品ですよ。そんな事、想像できませんよ」
そんなの分かる訳ないじゃん。
商品総額は間違いなくフィレンツェやピサが上だろう。
ぶつぶつとぼやく僕に対し、優位に立てるだけの希少性がトリートメントと蒸留酒にあるのだと、お母様が教えてくれた。
トリートメントは上級貴族女性への限定販売が功を奏したみたい。値段がつけられる事はなく、宝石や武器と物々交換しているらしい。
「なにせ、値段をつけられるような代物ではありませんからね。うふふっ」
なぜか得意げなお母様。その指にはめている指輪がキラリって光った気がした。
そのようなお母様のもとには、トリートメントの対価である金銀財宝とともに、恨み節も届いていた。
「私から美しい髪を取り上げようというのですか!」という奥様からの突き上げをくらう貴族家男性当主。
「妻には買い与えるというのに、母をないがしろにするのですか」と、ママに頭があがらないお坊ちゃま。
「ねえ、お父様。私にも買って欲しいな」 娘のかわいいおねだりに負けちゃうパパさん。
そんな殿方から「お願いだからもっと安くしてくれ~」と異口同音の要望が寄せられているらしい。
それにしても、悪徳商人も真っ青な事をしていたとは知らなかった。
「ねえ、お母様。それってちょっとまずくないですか? 敵に回っちゃいません?」
「あら、ジャン=ステラったら心配性ねぇ。大丈夫、だいじょうぶ」 そういってコロコロ笑うお母様。「敵に回ったらトリートメントが手に入らなくなるもの。ご婦人方が全力で止めるわよ。美に対する女性の執着心を侮らない事ね」
「はぁ……」 二の句が継げない。戦争が始まったら貴族女性もそうは言ってられないだろうけど、まあいいか。
「それにね、そういう殿方には、蒸留酒をすこし多めに売っているのよ」
その蒸留酒は殿方に大人気。やはり品薄のため作れば作るだけ売れていく。欲しくても買えないから、蒸留酒を売ること自体で恩を売れるのだとか。
そのような中でも別格なのが、「勇者の証」と銘打った強アルコールの蒸留ワイン。中部と南部のイタリアで大人気なのだ。
耳を疑う話なんだけど、敵であるはずのゴットフリート3世が、広告塔になってくれている。
「俺よりも酒の弱い奴は近衛騎士にさせねーぞ。ぷっはぁ~」
勇者の証を一気飲みしながらそう宣言したのだとか。
戦場で景気づけのために放った戯言らしいけど、大勢の前で言ってしまったから、さあ大変。
トスカーナ辺境伯家の騎士たちは、勇者の証を手に入れようと上へ下への大騒ぎとなってしまったのだとか。
「男どもって、つくづく馬っ鹿だねぇ」 溜息をつく僕と違い、お母様はにっこり微笑む。
「そのお陰で儲かったし、恩も売れました。これでいいのですよ」
トリノ辺境伯家に好意的な人物や、マティルデお姉ちゃんに強い忠誠を誓っている人物に優先して売っていると教えてくれた。
つまり、これって、トスカーナ辺境伯家を切り崩すための内部工作だよね。
さすが、お母様!
他にも固形石鹸とか木酢液、さんすう本にフォークと幅広く儲けているらしい。儲けているのは良い事なんだろうけど、納得いかない事もある。
僕がまだ2歳だった7年前、従兄のアイモーネ兄ちゃんから説教をくらったことがある。
「お金儲けは悪い事なのですよ」、と。
僕はその事をお母様に問いただしてみた。
「お母様、お金儲けは悪徳ではないのですか?」
「トリノ辺境伯家のためになるからいいのよ。ジャン=ステラもそう言ってアイモーネを説得していたでしょ」
うーん、そうだっけ? もう昔のことだから詳しく覚えていないや。
でも、儲けていいというなら、それも良し。前世の知識を使えば、儲けるネタはもっと転がっている。
(歴史の授業を思い出すなら、もっとも儲かるのはお金貸しだけど……)
お金を貸して金利を受け取ることはキリスト教の教義に反するから、だめだよね。残念だけど諦めよう。
お母様の説明も終わり、本題へと戻ってきた。
つまり、どうやってマティルデお姉ちゃんを迎えに行くか、だ。
「うーん、方法がない事もないのですが……」
自信がないから、どうしても歯切れが悪くなってしまう。
お母様の説明が正しいのなら、軍で城は落とせないのだ。ならば奇策を使うしかないだろう。
たとえば、カノッサ城に少しずつ味方を潜入させておいて、一斉に蜂起して占領しちゃう。
あるいは、カノッサ城を監視し続け、その警戒態勢が緩んだ一瞬の隙をつく。城門が閉じる前に、騎馬部隊で突破しちゃえば、籠城できないだろう。
しかし、奇策なだけあって、確実性に欠けている。
うーん、時間をかけて軍を育成した方がいいのかな。
だけど、お姉ちゃんの手紙には2年後の8月までに迎えに来てって書いてあった。タイムリミットがあるのだから、悠長にはしていられない。
そういえば、どうして2年後なのだろう。2年後の1065年に大きな歴史的イベントでもあったっけ?
【世界史の期末テスト】
『問:1065年におきたヨーロッパの出来事を400文字以内で書け』
うーん。わからない。高校で世界史を習ったはずだけど、全然覚えてない。理系クラスだったから入試に関係ない科目は全部一夜漬け。覚える気なんてこれっぽちも無かった。
(あー、当時の私のばかばかばか!)
「ねえ、お母様。2年後に何があるかわかりますか?」
「2年後に予定されている出来事ですか? そうねぇ」
ちょっと上を見て考えて始めたお母様だったが、すぐに何か思いついたようだ。
「ハインリッヒ様の親政が始まるわ」
神聖ローマ帝国次期皇帝ハインリッヒ4世が15歳に達するのが1065年。
成人したハインリッヒ4世が親政を開始し、全権を握ることになるだろう。
「ねえ、お母様。親政が行われたらどうなるのですか?」
「さぁ。分からないわ。ハインリッヒ様のお考え一つで何が起きるかわからないの。いきなり戦争を始めるかもしれないし、そうでないかもしれない。家臣の粛清が行われても不思議ないわね」
お母様の口から物騒な言葉が次から次に飛び出してくる。
君主制の国家が代替わりすると国が乱れる、そんな事を世界史で習ったっけ。当時はふーんとしか思っていなかったけど、自分の身に降りかかってくるとは。
とほほ。ついていない。もっと平和な時期に生まれ変わりたかったよ。
嘆いても仕方ないから、背筋をシャキッと伸ばしてお母様に相対する。
「つまり、国が乱れる、という事ですね」
「そうね」
「では2年後、神聖ローマ帝国が乱れた隙を突いて、お姉ちゃんを迎えに行くことにします」
準備期間は2年間。
自重している余裕はない。
だから、前世の知識の出し惜しみは無し。
実現できない事もあると思うけど、やれるだけはやってやる。
マティルデお姉ちゃんに会えるその日を夢見て。
ジ:ジャン=ステラ
ア:アデライデ・ディ・トリノ
ア:トリートメントをね、ぜひ手に入れたいって言っていた人がいるのよ
ジ:誰ですか?
ア:教皇猊下
ジ:あれ、髪の毛ありましたっけ?
ア:少ないわね
ジ:髪がないのにトリートメントですか?何に使うのでしょう
ア:頭に塗ったらしいわよ
ジ:意味ないですよ
ア:髪が生えてくるんじゃないかって
ジ:トリートメントは毛生え薬じゃありません
ア:そう!その毛生え薬を作れないかしら
ジ:残念ですが、作り方を知りません
ア:そこをなんとかっ!
ジ:うーん……
ア:教皇猊下に恩を売れるチャンスなのよ?
ジ:わかめ食べたら、生えるかなぁ
ア:わかめ?
ジ:東アジアの海藻ですよ
ア:わかったわ!ワカメを取りにいくよう教皇猊下にお伝えするわね!
かくしてインド洋航路の開拓は教皇猊下以下、ローマ教皇庁が一丸となって推し進める政策となりました。彼らの合言葉は「我らの頭に天使の輪を!」であったと、教皇庁の歴史書に記されているのでした。
注:ワカメはハゲに効かないらしいです