新たな目的
1063年2月下旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ
高揚感に包まれている。いまなら、空を飛べるんじゃないかなってくらい。
いや、飛ばないけど。
心の霧が晴れて、体を動かしたくて仕方ない。何か行動を起こさずに居られない。
マティルデお姉ちゃんのために全力を尽くすのだ。
だって、迎えにきてって言われたんだもん。
「何のために生きているのか」
前世を思い返しても、なぜ生きているかなんて、考えたことは無かった。
その場しのぎで生きてきたのかもしれない。あるいは、お仕事してお金を稼ぐことが人生の目標だったのかも。
農業高校の先生だったから、生徒の就職相談や恋愛相談には乗ってきた。
「実家の農家を継ぐから就職活動なんてしねーよ。勉強して成績良くなっても関係ないんよ、俺」
そんな生意気な学生に、
「今は農家もコンピュータが必要なのよ。作物管理に人工知能を使ってるんだからね」
と諭したり。
「ねーねー、あかりちゃん。彼氏ってばひどいんだよ。既読ついてるのに返信こないの。これって浮気かな?」
「これっ、藤堂先生でしょ! でも、うーん、どうだろうねぇ」
「ごっめーん、あかり先生、喪女だもんね~」
「やっかましいわ(怒)」
うーん。恋愛相談ちょっと無理っぽかったね。
白馬の王子様に出会えぬまま死んじゃったんだもの、仕方ないじゃない。
それでも、日々をなんとなく過ごしていた。周りの人だって「人生とは何か?」なんて真剣に考えているようには見えなかった。
しいて言えば、文学部哲学科に行くような、ちょっと変わった人なら考えるんだろうな、って思ってた。
あとは……そう。道徳の教科書には、他者の為に生きよ、みたいな事が書いてあったっけ。
「人生の目的は、自分自身を超越し、他者のために何かを成し遂げることにある」
はいはい、えらいですねー。他人の為に生きるって、聖人君子でも育成したいのかね~って。斜に構えてた。
それなのに、転生したら引きこもってしまうほど重い命題だったとは。
ほんと、びっくりだよね。
最初の目標は、じゃがマヨコーンピザを食べる事だった。
イタリアなのにピザがない。そんなの信じられないでしょ?
とはいっても、ピザを食べるためにと、それほど熱心に動いていたわけじゃない。
方位磁針を作ったり、望遠鏡のレンズの作成をイシドロス達に依頼はした。
しかし、万難を排して新大陸にレッツゴー、と猪突猛進することはなかった。
ピザは食べたいけど、たかがピザ。料理の一つでしかないから、唐揚げやトンカツ、マヨネーズでもある程度は満足できる。
そうなのだ。人生の目標がピザじゃだめだった。自分を満足させるだけの目標だったから、妨害されたらすぐに崩れてしまう。目標が達成できなくても、自分にしか影響しないんだもん。僕みたいな怠け者だと、先延ばしにできる目標ってすぐに放りだしちゃう。どうでもよくなっちゃって、無気力になっちゃうんだよ。
だからこそ、「他者の為に何かを成し遂げること」が必要だったんだね。
やるじゃん、道徳。
マティルデお姉ちゃんが求めているのは僕で、僕だけがお姉ちゃんを救える。
僕が挫折したら、お姉ちゃんが不幸になっちゃう。そして僕も不幸になっちゃう。
よっしゃ~、がんばるっきゃないでしょう!
アデライデお母様の執務室に向かって全力疾走。
護衛?そんなの気にしない。
今の僕を止められる者などだれもいないのだ~。
かくして、僕はアデライデお母様にお願いをした。
「マティルデお姉ちゃんを迎えに行くから、協力してください」
◇ ◆ ◇
「ええ、いいわよ」
執務机の向こう側に座っているお母様はにっこり笑って了承してくれた。
オッケーしてくれるとは思っていたけれど、こんなに軽くもらえるとは思わなかった。
「ねえ、アデライデお母様。自分で言うのも変ですが、そんな簡単に協力しても大丈夫なのですか?」
勢い込んでお母様にお願いしたのだが、なんだか肩透かしをくらった気分である。
逆に、そんな簡単にOKしてもらちゃっていいのかな、って僕の方が不安になってきた。
マティルデお姉ちゃんを迎えに行くという事は、トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世と戦争になる可能性もあるのだ。
もちろん、お姉ちゃんの手紙にあった通り、カノッサ城でお姉ちゃんと結婚してしまえば戦争にはならないかもしれない。だが、ゴットフリート3世の軍と衝突する事なくカノッサ城にたどり着けるとは思えない。
カノッサの城門に到着しても、門を守るのがお姉ちゃんの配下とは限らない。もしゴットフリート3世の部下が守っていたら、城門を攻め破らないといけないかもしれないのだ。
お母様はかわいく小首を傾げ、「そうねぇ」と一呼吸置いた。
「私がダメって言ったら、ジャン=ステラは思いとどまるの?」
「いいえ、一人でもお姉ちゃんのお城に行きます」
即答した僕に対し、お母様は僕に微笑みかけてくれた。
「でしょ? だから協力するのよ。それにね……」
お母様の目に暗い影が入り込む。ドスの効いた為政者の声色で思いが吐露される。
「オッドーネの事を、私は忘れていないのですよ。ジャン=ステラも忘れていないでしょう?」
6年前の1月、父オッドーネは領内巡察中に暗殺された。今も下手人は捕まっていないが、十中八九はゴットフリート3世の仕業だろう。
昨年の騒動だって、ゴットフリート3世が絡んでいる。
サルマトリオ男爵とひと悶着あった時、お母様や僕と戦った傭兵は、ゴットフリート3世に雇われていた可能性が大なのだ。
今は乱世だから油断する方が悪い。弱肉強食だから、ゴットフリート3世よりも弱い僕たちが悪いのだ。
だからといって人の恨みは消えないし、お母様はゴットフリート3世に復讐するつもり満々なのである。
「では、お母様と僕は仲間ですね」
ゴットフリート3世からマティルデお姉ちゃんを奪う。僕はお姉ちゃんを手にいれる。
ゴットフリート3世は、トスカーナ辺境伯領を統治する正統性を失う。
兵力の大半を失ったゴットフリート3世なら、お母様が懲罰を加えるのも容易だろう。
執務机越しに僕が差し出した右手を、お母様が力強く握ってくれた。
「ええ、あなたと私は運命共同体なのですよ」
ジ:ジャン=ステラ
ア:アデライデ・ディ・トリノ
握った手をお母様がまじまじと眺めている。
ジ:右手がどうかしましたか?
ア:顔つきは大人びても、手は小さいままだなって思ったのよ
ジ:まだ9歳ですもの
ア:9歳の子がお婿にいっちゃうんだなぁって
ジ:仕方ないでしょう。お姉ちゃんもう18歳だもの
ア:嫌いやイヤッ ジャン=ステラはいつまでも私のものなの!
ジ:え?
ア:あなたと私は運命共同体なんでしょ?
ジ:ええ、そう言いましたけど……
ア:マティルデ様に盗られるなんて許せない!ムキー
ジ:そこは、OKしてくださいよー
ア:あなたより9歳も年上なのよ
ジ:年なんか関係ないですって
ア:おねショタ、いやこの場合、ショタおねかしら?
ジ:はい?
ア:ぐふふふふ……(なんか妄想中)じゅる
ジ:お、お母様?!
たぶん、ギリシア神話に毒されているアデライデお母様なのでした。