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食後の話し合い

 

 1056年8月下旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


 家族と一緒にとった初めての夕食の後、 アイモーネと僕は執務室に残るように言われた。 密談の時間の始まりである。残るように言われなかった3人の兄たちとアデライデねえがちょっと羨ましそうにこちらを見ていたが無視である。


 僕だってできることなら、残りたくなんかないよ。 面倒な事が起きるに違いないもの。 平穏な生活プリーズ。


 執務机前のソファーセットに座り、 側仕えたちが食事で使った机と椅子を別室へと運んでいくのを眺めていた。 この時代は貴族であっても屋敷内にダイニングのような食事専用の部屋は存在しないらしい。 だから食事のたびに机と椅子を運ばないといけない。 


 運んでいる間、母アデライデが僕に話しかけてきた。

「ジャン=ステラ、 先ほどはあまり食べていなかったようだけど、お口に合わなかったの?」


「いいえ、そういうわけではないですよ、お母さま。 少しずつしか食べていませんが、どれもとっても美味しかったです。 ただ...」


「ただ、 何かしら?」

 言い淀む僕に対して、アデライデは話を促した。


「3つほどお伝えしたいことがあるのですが、それは人払いの後にしたいと思っています」

「そうね。私もあなたに聞きたいことがあるわ」


 しばらくの後、人払いが終えた執務室で真っ先に話し始めたのはアデライデであった。


「あのね、ジャン=ステラ。 今朝のトリートメントはすごかったわ。 私の髪もつやつやのぴかぴかになったもの。 教えてくれてありがとうね。」

 自分の髪に手櫛を入れて、さらさらになったことを確かめながら嬉しそうにアデライデはそういった。


「それは大変よかったです。 僕も嬉しいですよ。」

 喜んでもらえるのは素直に嬉しい。 でもアデライデの話はまだまだ続きそうだ。 


「私の髪をトリートメントしてもらった後、侍女から聞いたわ。 卵を使ったトリートメントがあるって。 ジャン=ステラ、あなたまだまだいろいろな事をしっているのよね。 それをぜーんぶ私に教えてもらえないかしら」

 上品にすまし顔を作ってはいるものの、アデライデの目が期待に満ち溢れている。 確かにいろいろ知っているけど、全部といわれてもねぇ。 今回はたまたま簡易トリートメントの作り方を覚えていたけど、知識だけで作れないものばかりである。 たとえば精製水にグリセリンを混ぜたら肌の水分を保ってくれる化粧水になるけど、 グリセリンの作り方なんてしらない。 


「そうですねぇ。 卵を入れた方が髪ツヤが増すと思いますよ。 卵を入れたトリートメントを肌に塗ってしばらく待てば、もちもち肌になります。 ただ......」

 前世の母が自然派化粧品とかいっていろいろ作っていたのを見て育ったから、たぶん、あってる。 ただ配合が分からないので、これは試行錯誤するしかない。


「オリーブオイルとはちみつ、卵黄、卵白をどれだけ使えばいいのかわかりません。 これはお母さまや他のご婦人方、侍女の方とで色々試してもらえると嬉しいです」

 試行錯誤なんて面倒だし、そもそも自分が使うわけではないからやりたくない。 そういう事は情熱をもっている人に丸投げしちゃおう。 


「そうよねぇ。ジャン=ステラは男の子だもんね。 美容なんてあまり興味ないわよね。 女の子だったら良かったのに。」

 アデライデが残念そうに首を振っている。 最後の言葉は小声だったけど、きっと本心なんだろうな。でも残念。 前世は女の子だったけどあまり化粧とかには興味なかった。 女の子のまま転生していたとしても、あまり関心は抱かなかったと思うよ、お母さん。


 そうそう、全部教えてほしいっていっていたし、化粧の話もしておこうかな。

「あとは、そうですね。 化粧の仕方についても少しなら知っていますよ」

「化粧ですか……」

 アデライデがアイモーネの方をちらっと身ながら、あまり乗り気でない返事を返してきた。 


 あれれ? おもったよりも反応が弱いなぁ。  お母さまも侍女たちも以前あったマティルデも化粧っけがなかったから、喜ばれると思ったのにな。 もしかして、化粧するという文化がまだない? 


「お母さま、もしかして化粧がなにか分からないですか?」

「ジャン=ステラ様、いえそういうわけではないのです。 化粧は売春婦が行うものであって、貴婦人が行うことではないのです。 それにキリスト教の教えに反しているのですよ」

 アイモーネお兄ちゃんが申し訳なさそうに理由を説明してくれた。


 キリスト教において化粧は2つの点で良くないものとされているらしい。 一つ目は「神がお作りになったものに手を加えてはならない」という教えで、もう一つは「虚飾は罪」という考え方である。 この虚飾というのは所謂(いわゆる)七つの大罪の傲慢(Superbia)に含まれるものらしい。


「それなら、どうして教皇猊下は金銀宝石で着飾った服を着ているの? あれは虚飾ではないの? 」

 この間トリノに滞在していた教皇ウィクトル2世は高位聖職者にふさわしい豪華な服を着ていた。

「あれは虚飾ではないのですよ。ジャン=ステラ様。 教皇である事を示すためにあのようなお姿をされているのです。」

 アイモーネお兄ちゃんは “まだ小さい子だから違いは分からないよね” とばかりに首を横に振りながら教えてくれる。


 うーん、納得いかないよ、そんな説明では。  

「なるほど。そうなんだ。 知らなかったよ~。 教皇猊下には教皇猊下にふさわしい姿、 辺境伯には辺境伯にふさわしい、 そして売春婦なら売春婦にふさわしいそれぞれの姿があるという事だよね。」

「よくお分かりですね。 それぞれの地位や立場にふさわしい姿というものがあるんですよ」

 したり顔でアイモーネお兄ちゃんが説明してくれる。 ちょっとドヤ顔になっているのがムカつく。


 でも、いいもんね。 お母さまにはナチュラルメイクを施してやるんだから。 メイクと一言でいっても色使いや見せ方が異なるいろいろな種類がある。 その違いが分かりやすいのは、同じ女優さんでも女性雑誌と男性雑誌とではまったくメイクが異なるのだ。  口紅の色一つとっても、女性雑誌の方は濃い赤がよく使われ、 男性雑誌の方は薄い色である。  この男性雑誌のメイクを見た男性は、女優がすっぴん、つまり化粧していない顔だと思い込んでいるんだよ、困ったことに。 実際はすっぴんに見せかけているだけで、すごく手間がかかっているのにね。 そして、このすっぴん見せかけメイクがナチュラルメイクである。 


 令和の男たちでも勘違いしていたんだもん。 お母さまにナチュラルメイクを施しても男性はだれも気づかないだろう。 


 “後でこっそりお母さまに教えてあげよっと”

 ジャン=ステラは、いたずらを思いついた子供のようなちょっとイイ笑顔になっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「手は最高の道具である」という教義のせいで食器が発展しなかったり、この時代のキリスト教って屑だもの(笑) 実際にまともな食器が使われるようになるのは16世紀以降。(大航海時代で日本での布教活…
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