マヨネーズはダメよ クリュニー修道院の美食(後編)
1062年12月中旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(8才)
白鳥飼育係のオロールが執務室まで相談にやってきた。その内容は、1月に行う大宴会でクリュニー修道院の人たちに出す料理の事だった。
クリュニー修道院とは、美味しいワインのため、ぶどう畑を作る所から始めるような常軌を逸した美食家集団である。
確かに『ワインはキリストの血であり、パンはキリストの体』という言葉は知っているよ。それでも、どうして修道士の集まりである修道院が美食家集団になっちゃうんだろうねぇ。
これまで何度も大宴会を取り仕切ってきたオロールでも、舌の肥えた修道士達を満足させるような料理は思いつかなかったらしい。
「お母様は、あちこちの諸侯に招かれていますよね。何か特別に美味しかった料理ってありましたか?」
「うーん。そうねぇ。先代皇帝のハインリッヒ3世の饗宴に招待されたこともありますが、代わり映えのしない料理ばかりでしたよ。アルプス山脈の北側は寒いからかしら、酸っぱいキャベツが印象に残っていますが、うーん。正直なところ微妙な味でした。むしろジャン=ステラの方こそ心当たりがあるのでは?」
残念なことに、お母様はノーアイデアらしい。もしお母様がお気に入りの料理があったなら、オロールが見逃すわけないよね。すぐ料理人が再現してトリノ辺境伯家の食卓に並ぶことだろう。つまり、お母様の知っている料理のレパートリーは、全てオロールが知っているはずなのだ。
「たしかに、美味しい食べ物はいろいろ浮かぶんですけど……」
真っ先に浮かぶのは当然、じゃがマヨコーンピザ。じゃがいものほくほくとした食感とコーンのほんのりとした甘さ。そして全てを包み込んでくれるマヨネーズのまろやかな味わいが口いっぱいに広がってくる。
じゃがいもとコーン、そしてベースとなるトマトソースもヨーロッパにない。作れるとしたらマヨネーズだけど……
マヨネーズは結構簡単に作れる。卵黄とオリーブオイル、ワインビネガーをひたすら混ぜたら出来上がる。しかし、ほぼ間違いなくおなかを下す。熱が出て、おトイレとお友達になること間違いなしの危険調味料になってしまう。
原因は、卵の殻にうようよいるサルモネラ菌。加熱したら死んでしまう弱い菌だけど、生の卵黄を使うマヨネーズとの相性は最悪だろう。
卵の殻を殺菌するため、蒸留ワインをもっともっと蒸留して消毒用アルコールをつくればワンチャンあるかな? でも、今からアルコールを作る時間はないよねぇ。うーん、どうしよう。
どれくらい考えていたのかな。ああでもない、こうでもない、とうんうん唸っていたら、お母様が声をかけてきた。
「ジャン=ステラ、ひどく難しい顔をしていましたが、何か浮かんだのですか?」
「色々浮かびはするのですが、ここに無い食材もあるんですよね」
「オロールに頼んでも手に入らなさそう?」
「オロールでは無理なんですよ、お母様」
僕が残念そうに首をふると、オロールが声をかけてきた。
「ジャン=ステラ様、僭越ながらこのオロール、トリノ辺境伯の食卓を支えてきた自負がございます。言いつけていただけましたら、その食材を精一杯、探してきます。どうかお任せいただけませんか」
「オロール、ありがとう。その言葉は嬉しいけど無理なんだよ」
「せめて、その食材の名前だけでも教えていただけませんか。すぐには無理だとしても、私の伝手を使ってあちこちの商人達に伝えておけば、あるいは手に入るかもしれません」
結構必死になってオロールが僕に頼み込んでくる。
職務に忠実なのは頼もしいけど、ジャガイモもコーンもヨーロッパに存在しないのだ。新大陸まで行かないと手に入らないから、オロールの伝手ではどうにもならない。
がっかりさせちゃうけど、食材の名前を伝えておこう。
「ぼくが欲しい食材は、ポテトとコーンとトマトなんだ。聞いたことないでしょう?」
「ぽてと?こーん?とまと? はい、初めて耳にした名前です」
がっくりと肩をおとすオロールを僕は宥める。
「気にしないでね。ポテトにコーン、それにトマトは旧世界にはない食材なんだ。ほんっとうに残念なんだけどね」
「さすがはジャン=ステラ様。現世にはない食材でしたか。私ではどうしようもなさそうです」
さきほどまでがっくり肩を落としていたオロールが、一転してキラキラした目で僕を見てくる。
ーー どこかにキラキラできる要素って、あったかな?
まぁいいや。
「じゃあ、ピザは横においておき、他の料理を考えてみるね。クリュニー修道院がこだわっているのは、ワインとパンだよね。ワインはトリノ特産の蒸留ワインがあるでしょ。じゃぁ、パンを考えてみよっか」
黒っぽくて固いパンから、発酵させた白くて柔らかいパンまでいろんな種類のパンが食卓に上がっていた。しかし、ぱさぱさとしたパンばかりで、食パン、牛乳たっぷりのパンや、クロワッサンみたいなパンを僕は見たことがない。
さらに言えば、菓子パンなんて影も形もなかった。パイも無ければドーナツもない。
うん、バターをたっぷり練りこんだパイ生地でクロワッサンはどうだろう。外側さっくさくで、中はしっとりのクロワッサン。一口食べるとバターの香りがふんわりと漂う贅沢な味わい。うん、贅沢ってところが今回の目的にばっちり合う。
「ねえ、オロール、フォカッチャってあるでしょ?」
「はい、発酵したパン生地にオリーブオイルを混ぜこみ、窯で焼くパンですよね」
フォカッチャを簡単に説明すると具の乗っていないピザである。
「そう、そのフォカッチャの生地を作るとき、オリーブオイルの代わりにバターをたっぷり練りこむの。その生地を薄く伸ばして四回くらい折りたたみ、最後にくるくるっと巻いてから焼けばクロワッサンのできあがり~」
「三日月、という名前のパンですか? 料理人に正しく伝えるため、もう少し詳しくご説明いただけませんでしょうか。大きさや巻くという部分が理解できないのです」
「確かに見たことがなかったら、どんなパンなのか想像できないよね。
ねえお母様、料理人と一緒に作ってみてもいいですか?」
「うーん、そうねぇ」
勢い込んでお母様にお願いしてみたが、お母様はちょっと悩んでいる様子。
ーー そういえば、もっと小さいころ、料理をしたくて調理室に潜り込もうとして、しこたま怒られたっけ。
毒殺の危険があるから、そもそも調理室って監視の目が厳しいのだ。
そんな監視区域に、貴族の子供とその護衛や付き人がぞろぞろ同行するのは良くないんだろうね。
「だいぶん昔にも言いましたが、やっぱり、あなたが調理室に行くのはだめね」
ーー ああ、やっぱりだめかぁ
ちょっと、いやとてもガッカリ。しかしお母様の話には続きがあった。
「ですが、執務室で料理するならいいわよ。(私も天国の料理に興味がありますしね)」
「わーい、やったぁ!」
料理の許可が得られた喜びのあまり、お母様の言葉を最後まで聞かずに返事しちゃったけど、仕方ないよね。だって嬉しいんだもん♪
自分で料理できるなら、ドーナツ作りたい! 油でふっくら揚げたドーナツの外側に粉砂糖をふりかけて、出来立てを食べるのだ。甘い香りが鼻腔をくすぐり、口の中で溶けるように儚く消えていく。そんなドーナツを食べたいのだ。
オロールが相談に来るまでドレミの歌の事を考えていたから、頭からドーナツが飛び出てきたのかな。
これまで揚げ物料理が出てきたことがないから、この時代に存在しない料理法なんだと思う。それに、ドーナツって揚げパンの一種なので、クリュニーな人たちの要望にもマッチしているよね?
その上、揚げ物ができるならドーナツだけでなく、中に具を詰めたピロシキも作れる。こちらもありだよね。
いや、まてよ。パンにこだわる必要もないよね。オリーブオイルでも唐揚げとかトンカツとか、さらには天ぷらだって作れるんじゃない? ああ、これで貧弱な食事からおさらばできるっ。
もう待ちきれないったら待ちきれない。 これが落ち着いていられるわけないでしょう? こころが踊っちゃってるもの。
「お母様、僕、今すぐにでも料理を始めたいです。さあ、オロール急いで準備してっ! ああ、もう待ちきれないっ」