002.スローライフの落とし物 1
ケルト王国歴457年、5月12日。首都にあたるエーディンは今日も活気にあふれていた。一般市民が住む居住区と店が多い商業区、そして貴族や王族の屋敷が並ぶ上級区の3つに別れた都市では今日もたくさんの人々が自分の職を全うしていた。ある者は飲食を振る舞い、ある者は迷える人々の願いを神様に届け、ある者は己の命を賭して魔物の討伐に向かう。楽な仕事なんてものは一切ないが――
俺、ジョン・スミスは開店と同時にセレスに修理道具一式を持たされ家を追い出された俺は、家から5分くらいの場所にある大衆食堂”ノルン”に向かっていた。確か朝食の席で……。
「昨日スミス様が外回りに出ていた時にエレンさんが飛び込んできて『窯とコンロが壊れたから直しに来て! じゃないと営業できない~!』と鬼気迫る声を出しながらコレを出してくださいましたので」
と、やや長めの緑髪をなびかせながら最優先の依頼書を差し出してきたのだ。4~5年前のセレスはもうちょっと……あれだな。素直でよく感情の起伏があるやつだったのに最近は大人の女性に憧れているのかいつもクールにしていることが多い。まさかとは思うが俺の育て方が悪かったとかないよな……。
なんてことを考えていればあっという間に”ノルン”に到着。昼からの営業だからか未だに表の扉は開いてないので勝手知ったる裏口の扉を何回かノックする。
「さーせん、鍛冶屋スミスの者なんスけど」
「え!? あ、はーい! ちょっと待ってて!」
仕込み中だったのだろう。厨房の方面から何かを切る音がしていたからな。それなら時間がかかると思い近くの壁にもたれかかって道具を確かめていると裏口のドアがバーン! と勢いよく開く。
「あ~、お待たせお待たせ。ごめんねぇ、ちょっと仕込みしてたからさぁ」
「よっ、お疲れ」
エプロンをつけてコックの恰好が似合った金髪の女性、エレンは若干息を切らせながら俺を招き入れてくれた。いつも夜飯をセレスと食いに来るときは表から入るから裏口からは以前エレンの旦那が大魚を搬入したときに腰を痛めたからという理由で手伝いに来たとき以来だ。
「ごめんね~、昨日の夜の営業の仕込みしてる時にいきなりどっちも変な音上げだしてさぁ……結局家のコンロ使うことになって大変だったのよ」
「そりゃ大変だったな。で、旦那は?」
「あの人ならまだ寝てるわ……久しぶりに休暇とれたみたいだから店手伝ってなんて言えないわ」
エレンは俺と同い年なのに既に結婚済み。俺が昔から知っている奴と幸せな家庭を築いている。今は確か王国軍の陸軍省で文官しているとかなんとか。まさか知り合いでこんなに偉くなる奴がいるとはあの時は思わなかった。
「私も、っていうかあの孤児院出身の子たちはみんなあなたに感謝してるのよ?」
「さあな……昔のことはもう忘れたわ。ニートになりたくても依頼が多くて仕事辞められねぇんだわ」
「バステト様の依頼のせい、だっけ? 大変だねぇ」
「まったくだ」
未だに色白で10代と思っても差し支えない彼女は俺に若干の同情と呆れを示しながら俺を厨房の壊れたコンロのところまで案内する。客席の方を見てみると、もう客席は調えられている。昼から営業再開する気は満々のようだ。
……これは頑張ってみないとな。
「これこれ! これが昨日壊れたのよ!」
「で、壊れたときどんなんだったの?」
「そうねぇ……ヴィイイイイみたいな変な音がしたの。窯もコンロも。変な音がしたのに気づいてからはすぐに止めたわ」
「オッケー。じゃあちょっと下がっててくれ。ワンチャン爆発するかもしれないから」
爆発、の2文字に若干怯えたエレンは素直に俺の後ろに下がってくれた。ふとまな板を見てみればこの近くでとれる貝が置いてある。今日は貝柱スパゲッティー定食か……直せたら食ってこうかね。
まずそれを食うためにもコンロと窯は直さないとな……慎重にコンロ下の外開きのドアを開けてみると……一息吹いただけで焦げ臭い灰のようなものが俺向かって飛んできた!
「なにっ!?」
「きゃあ!」
驚いた拍子に俺は思いっきり口を開けてしまった。そこを狙ったかのように細かい灰が口の中に入ってきた……!
「ゲホゲホッ! クッソ、そういうことかよ!」
「な、ナニコレ……」}
ひとまず水をもらってすぐにうがいをしておく。それから工具セットの中にいつもおいているマスクを取って口周りに装着。ついでに最近自分で作った目の周りを防護するアイマスク、と名付けたものも装備。これで飛んでくる灰は敵ではない!
「とりあえず……原因がわかったぞ」
「本当に!? 何が原因なの?」
「お・ま・え」
「えぇ……?」
「お前がこのコンロと窯の下のスペース……つまりは魔石がある周りを一切換気しなかったり掃除しないからだッ!」
王都で主流の魔石コンロと窯は魔石が長く持つが魔石周りを3日に1回くらい掃除しないといけない。それをサボると今回みたいに発熱で周囲が焦げたりして魔石がおかしくなるのだ。確かこれ買い換えたの3年前だった気がするからよくそれまでこれが持ったなというのが今の感想だ。
「だ、だって魔石の周りって熱いんでしょ!? そこを掃除するって……!」
「コンロの電源切って1時間もすればもう別に熱くなんねぇよ……そんなに怖かったら旦那にやってもらえ!」
「あ、っていうことは……」
「窯もおんなじだな」
案の定、エレンは窯の掃除も一切していなかったので同じことになっていた。いや、窯は火力が高い大きめの魔石を使うから被害はそれ以上だ。
「とりあえず、なんとかしてみるが期待してくれるなよ?」
「うん、お願いね。私はあっちで仕込みしてるわ」
「客席の方でやったらどうだ? ここだと灰が……」
「そうね」
もうすでに手遅れとは思いながらもエレンにそう提案して、俺は厨房の窓を開けて換気をしながら魔石があるコンロの下部スペースを掃除し始める。魔石の寿命がわからないが、新しいのを設置するにしてもまずは掃除しないと元も子もない。
「とりあえずこのオチルンデスで……」
持ってきた雑巾にギルドで売られていた「汚れがものすごく落ちる!」と評判の掃除用薬品を使ってこびりついた灰を全部落としていく。なるほど、これは3回くらい同じところを拭いただけでかなり白くなるな。これはまとめて買って備蓄してたら仕事も楽になるかもしれん。
……まあ仕事したくないんだけど。
「とりあえず掃除は何とかなりそうだな。あとで厨房は一回掃除してくれよ?」
「わかってるって」
客席の方からはリズムよく貝から貝柱を引っぺがす音が聞こえる。まだ孤児院にいるころなんて野菜すらまともに切ることができなかったのに……エレンも変わったもんだな。さて、魔石はどうかね。
「……おい、魔石完全に逝ってるぞ」
「え!? ウソホント!?」
「本当だ。これは買い換えないとなんもなんねぇわ」
魔石の表面を慎重に拭いてからスイッチを入れてみても変な音を出すだけだ。あの劣悪な環境でほぼ毎日魔石としての仕事を強いられた魔石くんはとうとう殉職してしまったのだろう。俺と境遇が同じだけに泣けてくる。ちなみに窯の魔石もダメだった
「ええええ……どうしよう! 今日の昼から営業できる!?」
「何とかなるといえばなんとかはなる。ただ窯は使えんぞ」
「わ、わかったわ。じゃあとりあえずコンロだけでもなんとかできない?」
「おう。そっちは任せろ。じゃ、取ってくるわ」
なんと奇跡的にここのコンロとうちにあるコンロは同規格で魔石も同じものをつかっている。だから家にあるコンロのやつをこっちに持ってきてくっつければこっちのコンロは使える。昼と夜はセレスもこっちで飯を食べればいいだろうし、設置も俺ならできる。窯は鍛冶用のとは違うからなんともならない。あとでギルドで発注してこなければ。
「え!? どこ行くの?」
「家。うちのコンロと同じのだからうちのやつ持ってくるわ」
「ええええ!? それだとセレスちゃん困るじゃない!」
「大丈夫、ここで食えばいいから。じゃ、すぐ戻るから魔石のとこいじるなよ」
そういった俺は高速で家に帰りセレスに事情を説明。「エレンさんのところの一大事とあらば」ということでセレスは快く承諾してくれたのでコンロの魔石を取り外してルンルンでエレンのところに帰る。木編み物が終わったらセレスもこっちに来るようだ。
「お待たせ」
「……ありがとう。いつも助けてもらってばかりねぇ」
「困った時はお互い様だ。とりあえずあとでギルドまで行って俺から魔石は発注しとくわ。ある程度融通効くし」
「ほんっとうに助かるわ」
家の魔石を横に置いて、魔石を固定してある固定器具を慎重に緩めて魔石を外して、代わりに持ってきた魔石を固定させる。10分くらいかけ名が慎重に取り付けて、スイッチを入れてみればしっかりと火が出た。そのあとで火力調節と魔石の状態をチェックすれば完了だ。
「ほい。とりまコンロは使えるぞ」
「ありがと~……これで昼からはピザ以外出せるわね。ジョンはお昼ご飯食べていくでしょ? っていうか食べていって!」
「元からそのつもりだ」
「そう。じゃトマトソース準備しなきゃね」
お、今日はトマトソースでパスタ作ってくれるのか。俺の好物のトマトスパゲッティーとなればここで食べる以外の選択肢がなくなるじゃないか。しかも貝柱のやつはここの食堂でも1,2を争う美味さのメニューだ。今から楽しみだなぁ。
「……本当、これだけ頼りになるんだから、そろそろ身を固めてもいいんじゃないって会うたびに思うのよねぇ」
「はっはっは、それは考えてねぇな」
「セレスちゃんもジョンのこと心配だと思うわよ。来年で26のおっさんなんだから」
「それはどうかねぇ」
セレスがいるのもあるが、俺はもう疲れ切ってしまったんだ……人生ってやつに。何をやっても守れぬ者、壊してしまうものがあって、自分の手ではなんともできない。
だから、今はセレスと一緒にのんびり暮らしたいんだ。