001.不思議な夢は地獄の始まり
ある日の夕方、教会から響いてくる鐘の音が聞こえてきて店を閉める時だと知る。
閉店の準備をしてから窯の火を消して住み込みの従業員が用意してくれた夕飯を食べて、風呂に入って、家の一室にある部屋で女神像に祈りをささげてから眠りにつく。なにも変わらない日々。
そう、だったのだ――
「あなたはよくやりました」
「はぁ?」
自室のベッドで眠りについたはずの俺を待ち構えていたのは、摩訶不思議な夢と家に置いてある女神像の……モデルではなくご本人だった。どうしてこうなった。俺はただ、平穏な日々を過ごすだけの一般人だったはずだ。まさか俺死んだ!? 死んだのか! そうか、消していたと思った窯の火を消し忘れたとか従業員の料理に毒が盛られていたとかなぜか暗殺者がうちまで来て俺を殺したとか!
「安心してください、あなたは生きています。ただ、ちょっとだけ魂を神の世界に呼び出しただけですよ」
「そうか、俺死んでなかったのかぁ……よかった。じゃ、俺寝るんで」
「ええ、そうですか。おやすみなさ――じゃなくてね!? え、ちょっと待って寝ないでお願いだから!」
どういうわけか魂として呼び出されたらしいが、俺に女神様の事情なんて知ったことではない。確かに俺の家にある女神像の本物だろうけど、明日も明後日も明々後日も仕事が待っている一般人を寝ているときに神の世界に呼び出すとか非常識だろ。明日寝不足気味になったらどうしてくれるんだ。
「お願いだから! ただあなたに頼みたいことがあるだけだから!」
「……俺は鍛冶屋だ。俺に依頼があるんだったら店が営業時間中にしてくれないか?」
「そこをなんとかぁ! 私たちも大変なのよぉ! もう毎日私に祈りを捧げてくれていたあなたくらいにしか今から頼める人いないのよ!」
魂というからにはアンデッドのように怨霊の火の玉ボディのような感じだと想像したが、実際は猫のような体だった。その体を丸め込んで眠りについたら、女神様……いーや、女神は俺の体を撫でたりつねったり、くすぐったり泣き落として作戦をしてみたりと実に多彩な芸を見せ始めた。くそっ、これじゃあ本当に不眠症になっちまう!
「あなた、そんな毎日仕事ばっかりで生きてて楽しいわけ!?」
「俺は今みたいに楽な仕事ばっかりでゆったり生きるスローライフがしたいんだ。だけどうちの従業員が”せめて定時から定時までは仕事してください”って言ってるんだよ! それを破れば何をされるか!」
「そう、じゃあその従業員の子に”少し遅くまで寝かせてあげなさい”と神託を送っておきましょう。そうすれば睡眠時間を引き延ばしてくれるでしょう」
俺の近くにいた女神は猫獣人のような尻尾を振り回しながら王座のような席に戻ると、一通の手紙のようなものをどこかへ送って「これで大丈夫よ」とのたまっている。こう外堀を埋められたら……聞くしかないのか。
「じゃあ、さっさと寝たいから要件は短く頼む」
「ええ、わかったわ。実をいうと、あなたが住む世界は他の世界に比べて文明が遅れているの。魔法や剣の技術はあるけど、”文明の技術・革新”が一切ないのよ」
「はぁ……ほかの世界とか言われても知らないがそうなのか?」
「ええ、それはもうゴブリンメイジのずる賢さと雑魚ゴブリンくらいの差ね」
例えがわかりにくいんだが……まあ要するに圧倒的に違うと。ほかの世界がどんなことになっているのか知らないが、そんなことを突然言われても困るものは困る。どう反応していいかわからないし、国のお偉いさんが聞いたらぶち切れ案件だろう。
「そ・こ・で! 神様たちの特別サービスであなたたちの世界に技術革新を起こしてあげるの! だいたいそうね……やる気次第で何千キロと離れた地からリアルタイムで話せるような便利なアイテムも授けてあげましょう」
「そんなのがあったら冒険者も何も要らないだろ……」
「ところがそういうものがある世界もあるのよ。我々神様たちはそれを誰かに作ってほしい。もちろんそのための知識も道具も材料のありかも託すわ。その担当が私なんだけど……今繋がれる鍛冶屋はあなた、一人だけよ!」
ビシッと人差し指をこちらに向けてくる女神。おいコラ、指で人のこと指しちゃダメってママに教わらなかったんですか~?
「コホン。あなた……ジョン・スミスよ。あなたに今から神々の力の一部を授けます。その力を大いに使い、落ちぶれた世界を発展させなさい!」
「え、嫌なんですけど」
「そうそう、嫌なのねぇ。……って、えええええええええええええ!?」
スッパリと俺に切り捨てられた女神はうんうんと頷いた後に突如奇声を上げながら尻尾の毛並みを逆立たせた。何を驚くことがある、俺はスローライフがしたいんだ。ただでさえ社畜となんら変わらないことになっているのになぜ技術の革命を我が手から発さねばならん。俺はね、疲れたの(人生に)。だからスローライフしたいの! 巷の若いモンが言ってる”ニート”ってやつになりたいのわかる!?
「か、神様の願いをそう簡単に切り捨てて……あなたそれいいことだと思ってるの!?」
「いいも何も、どう生きるかは俺次第や! 別に鍛冶屋じゃなくてもそこらへんの神父にでもやらせとけばいいじゃん!」
「ダメなのよ! 神父は民と私たちとの仲介役だし、調子乗るアホなの多いじゃない! だから野心もクソもへったくれもないあなたに頼んでるの!」
「人に頼むときに出てくる言葉かそれ!?」
そんな調子でギャーギャー言い争っていると、頭の中に「起きてください」という言葉に加えて揺さぶられているような感覚が襲ってくる。うっ……かなり気持ち悪い。
「残念、時間切れ」
「ああ、わかったか、絶対に俺はやらないからな……!」
「でも、”依頼”ならいいんでしょ? フフフ、待ってなさい!」
最後の言葉は聞き取りにくかったが、とりあえず早く起きないとまずい。最悪の場合昼ご飯が抜きになってしまう! ボケーっとした寝起き特徴の感覚から徐々に思考が回り始めると同時に、猫だった身体も消えてゆく。そして、暗い世界から目を覚ませば、店の制服を着て俺を起こそうとする緑髪の少女と窓から入ってくる光に変わる。
「スミス様、やっと起きられましたか。女神と名乗る方から”遅くまで寝かせてやれ”と言われたから起こしませんでしたけど……さすがに起きていただかないと困りますよ。もうちょっとで開店時間です」
「あ、ああ……とりあえずリビングに行っててくれ。朝飯食いに行く」
「わかってますよ」
今日は妙に優しい彼女が渡してくれた服に着替えてからリビングに行き、朝食を食べたら店を開店して窯に火をつける。変な夢こそ見たものの、別になんも変わっちゃいない。あれだけ技術がなんちゃらとか言ってたのに、たいしたことなかったな。
そう思っていた矢先だった。
「スミス様、依頼です」
受付カウンターの方からそんな声が聞こえたので行ってみると、黄色く縁どられた紙の依頼書が。黄色ってことは冒険者ギルドの紹介できた依頼なんだろうが……。内容を確認してみる
と……。
『あなたに今から神々の力の一部を授けます。その力を大いに使い、落ちぶれた世界を発展させなさい! 依頼人名:バステト』
と、どっかで聞いたことのあるセリフと名前が。いや、どっかでじゃない! そうだ、今日の夢の中で女神に言われた言葉だ! そいて、さらに俺は思い出した。夢から覚めるときに女神はこうも言っていた。
『でも、”依頼”ならいいんでしょ?』
って。まさか……まさか! 本当に依頼として出してきやがったのか!?
「あまりこのあたりでは聞かない名ですが……」
「……ッ! やめろ、その先をいうな! いうと――」
「もちろん、”依頼受けます”よね?」
直感的に依頼書の引き金に気付いたときにはもう手遅れだった。緑髪の少女が発したその一言に反応した依頼書は、突如神々しい輝きを放ち始めて俺たちの視界を奪い、家全体を包み込んでいき――
「ここって有名なんでしょ!? これも頼むわ!」
「こっちも頼むわ!」
「あれも」
「これも」
次の瞬間、店の入り口にある受付カウンターには人・人・人の群れ! 手にはそれぞれ数枚の依頼書をもって押し合いへし合い、まるで潰される小麦のようになってしまっている。
やられた……ほんっとうにしてやられた! こんな汚い手を使いやがってあのクソ女神……今すぐ俺のスローライフを……スローライフを返せ!!
「ら、ら、ら……ラグナロクじゃあああああああああああああ!!!」