男根が写った心霊写真
ある日、俺たち幽霊研究会は地元で有名な心霊スポットを訪れた。目的はもちろん、幽霊を見ることである。
俺にはいわゆる霊感はなく、今までに一度も幽霊やそれに類するものを見たことがない。一度くらいは見てみたいものである。この墓地には『出る』らしいから、かなり期待している。
墓地に着くと、車を降りて、懐中電灯で辺りを照らしながら散策した。こうして適当に歩いているだけでも、幽霊と遭遇したり、声を聞けたりできるはずだ。……多分ね。
「どうだ? いたか?」
「いや、いないな」
「菅野、どうだ?」
俺は後輩の菅野に尋ねてみた。どうやら、彼には霊感があるらしく、昔から霊の声を聞いたり、霊の姿を見てきたりしてきたのだとか。うらやましい――かどうかは微妙なところだ。どちらかというと、うらやましくないような……。
「うーん……今のところ、それらしき姿や声はありませんね……」
三〇分粘ってみたが駄目だった。
三〇分経って駄目なのだから、一時間経とうが二時間経とうが結果は変わらないだろう。ただ散策するのではなく、別の手段を――アプローチをすべきだろう。
「写真を撮ってみるのはどうですかね?」菅野が提案した。「ほら、心霊写真が撮れるかもしれないですし」
「いいね。写真撮ろうか」
というわけで、写真を撮ることにした。
本当は一眼レフカメラとか、本格的なカメラで撮りたかったのだが、誰も持ってきていなかったので、妥協してスマートフォンのカメラで撮影することにした。
スマートフォンのセルフタイマー機能を使用して撮影する。墓石の上にスマートフォンを置き、俺たち幽霊研究会メンバー一〇名が集まり、それぞれピースなどのポーズをとる。
「はい、チーズ!」
「いえーいっ!」「ううぇーい!」「そぉうい!」
こんな感じで、墓地を背景に写真を一枚。パシャリ。
撮った写真を――スマートフォンの画面を全員で見てみる。
心霊写真というのは、一〇人で撮ったはずなのに一一人写っているとか、誰かの肩に謎の手が置かれているとか、そういったものだろう。
「どうだ? 幽霊さん、写ってるか?」
「うーん……」
皆でそれらしき痕跡がないか、目を皿にして、血眼になりながら、死に物狂いで探す。俺もスカートの中が見えないか凝視するときのような必死さで、スマートフォンの画面を睨みつける。菅野も親の仇であるかのような形相でスマートフォンを睨みつけている。
「ん……? あれっ? これ、もしかして……」
やがて、佐藤が何かに気づいた。
見間違いじゃないか、何度も確認する。ぎゅっと目をつぶって瞬きを繰り返してから、こんなことを言うのだった。
「なあ、これ……ダンコンじゃないか?」
「弾痕?」
どのダンコンなのか、よくわからなかった。
「男根――ちんこだよ。ちんこちんこ」
「……はぁ? 何言ってるの、お前?」
佐藤が冗談を言っていると思ったので、俺はへらへらと笑った。つまらないしょうもない冗談だな。しかし、佐藤は笑ってなどなく、いたって真剣な表情だった。
「ほら、これ」
そう言って、佐藤は人差し指で指差した。その場所を俺たちは全員で凝視する。
なるほど、そこには半透明の男根が確かに写っていた。鈴木のすぐ隣である。しかも、ただの男根ではなく、とても立派で(つまり大きい)、それは屹立している(つまり勃起している)。
……わけがわからない。
心霊写真で写っている幽霊の部位は大抵――というか、ほとんどが顔か手である。だが、よくよく考えてみると、別に顔や手である必要はない。普通は見えない幽霊の姿が、何らかの要因によって可視化されるのだとしたら、体のどの部位が写っていてもおかしくはない。
だが、それにしても男根かー……。
「うーん、これは確かに心霊写真だけど……」
「ちょっと期待外れだよねー」
「うわあっ……まじキモイわー。もう帰ろうよぉ」
「いやいや、ちょーうけるじゃん」
みんなが口々に言う。
俺は勃起した男根の持ち主である幽霊のことを考えた。
幽霊研究会メンバー一〇人のうち四人が女子だ。性欲が溜まったあるいは生前に性に対して心残りのあった幽霊氏は、久しぶりに見る生きた女子を見て興奮し、自らのイチモツを隆起させた。そう考えると、気持ち悪さと憐れみが同時にこみ上げてくるので不思議である。
「幽霊は見たかったけど、イチモツを勃起させた裸の幽霊は見たくはないな」
俺の呟きにみんなが同意する。
「撤収しよう」
というわけで、俺たち一〇人は車へと戻った。幸い道中に幽霊が出現する、なんてこともなく……。
「あーあ、期待外れだったな……」
鈴木が残念そうに言葉を漏らした。
――しかし、話はこれで終わらなかった。
◇
数日後、大学構内にて鈴木と遭遇した。
鈴木は体調がすぐれないのか、顔が青ざめていて、頬がやつれていた。何かあったのかもしれない。彼女と別れたとか……いや、今、鈴木に彼女いないか……。
他に考えられるのは、先日の墓地の件。あのとき、幽霊に憑かれたとか……。非現実的かもしれないが、あり得ないと否定することはできない。
「鈴木、どうした?」
「ああ、里中か……」
鈴木は敗れたボクサーみたいに椅子に座ると、うつむいた状態で話し出した。
「実はな、あの日以降、怪奇現象が起こるようになったんだ……」
「怪奇現象?」
「ああ。見知らぬ男の声が聞こえたり、夜中金縛りにあったり……」
ごにょごにょ、と声がだんだん小さくなっていった。あまり話したくない怪奇現象とやらもあったのだろう。
これはきっと、霊に憑かれているに違いない。そういえば、あの日撮った写真――心霊写真に写った男根は、鈴木の隣に出現していたな……。
「でも、まあ、きっと気のせいだろうよ。幽霊に憑かれたなんて馬鹿馬鹿しいよな。いるはずないよ、幽霊なんて」
「いや、それはわからんだろ」
俺は言うと、スマートフォンで後輩の菅野を呼び出した。
菅野は霊感があるので、何らかのアドバイスをしてくれるかもしれない。あるいは、見えてしまうかもしれない。
大学の別校舎にいた菅野は、鈴木を見るなり「うわあっ!」と驚いた声を出した。ドッキリを仕掛けられたような驚き方だ。周囲にいた学生が「なんだなんだ?」と俺たちのことを見てくる。笑ってごまかした。
「どうした、菅野?」
「な、なんかいますよ……」
この辺りです、と菅野は鈴木のすぐ後ろらへんを指差す。
鈴木が振り返った。彼には霊感などないので、その実体は見えない。しかし、何かを感じるのか、体を大きく震わせた。俺には何も見えないし、感じない。
「なんかって……見えるのか?」
俺の質問に、菅野は首を振った。
「具体的に見えるわけじゃ……でも、ぼんやりと靄のように見えるというか、感じるというか……」
そこで、菅野は腕を組んだ。
「僕の知り合いに『お祓い』をしている人がいます。その人のところへ行ってみませんか?」
「うーん、でもなあ……」
「大丈夫です。お祓いは趣味みたいなものらしいですから、大した金はとられませんよ」
鈴木はどうしようかとしばらく考えた後、
「わかった。行ってみるか……」
藁にも縋る思いなのかもしれない。
当事者ではない俺もついていくことになった。妙な成り行きになったな、と思いつつも、面白そうなので存外乗り気だったりする。
◇
その人は道程寺という寺の和尚らしく、今からその寺へと行くことになった。大学の講義はもちろんサボタージュである。
菅野の運転する車に揺られること三〇分。道程寺に到着した。なかなか立派な寺だと思う。境内に入ると、剃髪した四〇前後の男が柔和な笑みを浮かべてやってきた。
「久しぶりだね、菅野くん」
「お久しぶりです、桜木さん」
桜木という男は菅野に挨拶すると、すぐに鈴木に視線を移し、目を眇めた。俺たちには見えない何かが見えているようである。
「ほう……べっとりと、憑いているね」
「ほ、本当ですか!?」
鈴木が言った。
「ああ、僕には見えるよ。……男根を勃起させた全裸の男がね」
「祓うことはできますか?」
「もちろんできるよ。でもね、その前に彼からお話を――む」
和尚は上半身を横に揺らし、何かを避けた。
「威勢がいいじゃないか。ふんっ」
何かを掴んで投げ飛ばすと、懐から取り出したお札を放った。矢のように鋭く飛んでいったお札は、地面にぶつかる前に止まり、見えない何かにぺたりと貼り付いた。
「~~~~~むんっ」
お経か何かを唱えると、だんと地団駄を踏んだ。
すると、お札が光を放って『不可視の存在』を『可視の存在』へと変えた。つまり、半透明の姿の全裸の勃起男が姿を現したのだ。
「「「うわっ……」」」
俺たち三人の反応は見事にそろっていた。引いた。
全裸男は倒れた状態でジタバタとあがいた。しかし、不可視の鎖か何かで拘束されているのか、その場から動けなかった。勃起した男根が、ゴルフのクラブみたいに砂利を跳ね飛ばす。
「畜生っ! 放せっ!」
「さてと、お話を伺いましょうか」
「話すか、ボケナスがっ! 拘束を解け――」
「語らぬというのなら、祓ってしまいますよ」
和尚の脅しに、ぐっと言葉を詰まらせ沈黙した。
「まず初めに、どうしてあなたは勃起しているのですか?」
「興奮してるからに決まってるだろっ!」
「興奮? 誰に?」
「お前らにだっ!」
その言葉には、四人全員が含有されていた。
どういう意味だろうか、と四人とも考えた。
そして、俺ははたと気づいた。勘違いしていた。奴は幽霊研究会メンバーの女子四人に勃起していたのではない。残りの男子六人に興奮して勃起していたのだ。
つまり、こいつは男好きな幽霊なのだ。
幽霊は自らのリビドーについて語り始めた。別に聞きたくはなかったので、軽く聞き流しておいた。
彼は生前、自らの欲を抑えていたようだ。そのあたりには様々な事情があったりする。抑えつけた欲求は死後に爆発した。どうやら、この幽霊は男の裸を見たり、風呂を覗いたり、エロいことをしたかったようだ。
俺が四六時中エロいことを考えているのと同じようなものか。しかし、生者の俺と違って、死者の彼にはフラストレーションを解消させる方法は少ない。
「男なら誰でもよかった」
と、幽霊は語る。
語り終えるころには、彼の立派なイチモツはノーマルモードへと戻っていた。
「あなたも、生前は大変だったのですね」
いささか同情したように和尚は言った。
「俺は生涯童貞だった。だから――」
「甘えるな!」
和尚は一喝した。
「私だって今年四二になるのに童貞なんだ! それに彼らだって――」
「すみません。僕は童貞では……」と菅野。
「俺も、その……」と鈴木。
「まあ、俺も違います」と俺。
この場に童貞は二人しかいなかった。
気まずい沈黙が流れる。緩やかな風が吹き、木の葉が何枚かひらひらと宙を舞った。和尚は俺たち三人の回答を聞かなかったことにして話を続ける。
「世の中にはたくさんの童貞がいて、童貞でこの世を去った人だってたくさんいます。あなただけが特別なわけではないのです。ですから、諦めて素直に成仏してくださ――」
「嫌だっ! 俺は生前できなかったことをいろいろしてやるんだっ! 俺の邪魔を、するなあああああ――っ!」
幽霊はお札による拘束を解き、立ち上がった(二重の意味で)。そして、クラウチングスタートのように低い姿勢で走り出した。ロケットスタート。
男は四人いる。男なら誰でもいい、とのたまう全裸幽霊のターゲットが誰なのかわからない。どの顔が、体が好みなのか――。
奴は和尚に向かった。熟男好きなのか、それとも童貞厨なのか……。
「クソ童貞和尚、やら――」
「ふんっ!」
飛びかかってきた幽霊の顎に突き上げるような掌底を放った。
重力が希薄なのか、掌底の衝撃で幽霊は一回転して、顔と股間から地面にダイブした。屹立した男根が地面にぶつかり、
「あおおおおうっ!」
獣のような苦悶の声を上げる。
和尚の攻撃が当たったことから、奴の肉体は幽体から実体化していることがわかる。つまり、奴の男根も実体化しているということで……硬い地面に激突した衝撃、その悲劇を想像すると、股間にひゅっと寒気が走る。
「あああああ……」
「悪いが成仏させてもらうぞ。これ以上煩悩を募らせると、悪霊となる恐れがあるからな」
「やめろ……やめろぉお……」
「悪霊退散! むんっ!」
和尚はお経のような呪文を唱えながら、お札を五枚、幽霊の周囲に放った。幽霊が悪霊なのか悪霊予備軍なのかはわからない。どっちなんだよ。
五枚のお札が光を放つ。
「うわああああああ」
幽霊が浄化されていくのがわかる。光の奔流に包まれて、心が洗われていく。折れていた男根が元の形に戻り、その姿が希薄になっていく。
「輪廻転生――来世で童貞を卒業しなさい」
「嗚呼……俺は……俺はただ……」
幽霊は光の粒子となって、天に召された。
その最後の輝きを、四人で黄昏るように静かに見守ると、和尚は俺たちを見て優しく微笑みながら、
「これにて一件落着だね」
確かにその通りなのだが、幽霊は強制的に除霊されたので、彼の視点から見るとバッドエンドと言えなくもない。
それにしても、この和尚さん……四〇代童貞なのか……。いや、別に童貞だからどうというわけではないのだが……。
「お祓いの料金として二万円ほどいただこうかな」
鈴木はお礼の言葉とともに、諭吉さん二枚を和尚に渡す。除霊してもらって二万円なら、かなり安い部類なんじゃないかと思う。
和尚はその二万円を握りしめると、「じゃ」と言って寺の外へ向かって歩き出した。
「桜木さん、どこに行くんですか?」
菅野が尋ねると、和尚は一瞬足を止めて振り返って、
「風俗にね」
不敵な笑みを浮かべてそう言うと、颯爽と歩き去っていった。その背中は力強く、歴戦の猛者を連想させた……。
……って、素人童貞じゃねえか!