1 諦めからの出会い
「自分は異質で、日常に馴染めないと思っている泡野湊人様! それはあなたの特異な癖のせいかもしれません!
そんなあなたは、実はラッキーだったのです! なぜなら、この『3泊4日海の旅! ベルベット嬢の癖当て大会』に参加できるのですから!
同じような方々と一同に会し、当家の第一姫であるベルベットお嬢様の『癖』を当てて賞金を手に入れましょう! 賞金はベルベットお嬢様のご資産半分です! 生涯、遊んで暮らせること間違いなしです!
ご参加希望の際は、瀬戸内海に期日までにいらっしゃって下さい! ベルベットお嬢様のお住まいである『揺り籠』にご招待いたします!
泡野湊人様のご参加お待ちしております!」
やたらエクスクラメーショナルな文章の後には、手紙主である「ベルベットの揺り籠」の執事である石田のサインと集合の期日がはんこで押されていた。期日は届いた日から半年後、つまり今日この日だった。
(で、どこにあるんだよ、揺り籠は)
僕は言われた通り瀬戸内海を見渡せる、淡路島の展望台の観覧部にいた。
瀬戸内海はいくら小さいから海域を示す名前だとしても、海は海でしかなく、地図帳にあるほど小さくなかった。僕の調べだと、瀬戸内海は東は兵庫から西は山口に渡る海域で、その距離はおおよそ40,000kmくらいあるらしい。
そりゃ、海は繋がっているのである。厳密に測れば地球一周分だ。まさにグランドラインである。もちろん、陸ではないのだが。
しかし、40000kmは言い過ぎだとしても、かなりの広さがある瀬戸内海上から島なのか船なのか、はたまた本当に揺り籠なのかを見つけるのは至難の技だ。
もちろん、某検索プラットフォームで「ベルベット 揺り籠」と検索して実態を探ろうと思ったが、検索結果では僕なんかには到底及びつかない高級感のある揺り籠の画像が出てくるばかりである。きっと、あんな入れ物で育った子供は内面も良くなるのであろう。
僕のように、人間としては欠落している者とは似て似つかぬような賢明な子供に育つのだろう。
有力な情報もなくままなので、展望台にきてから目を凝らして海を見るばかりだった。
というか、これしか僕には出来なかった。僕は160cmくらいの体と雀の涙ほどのお金しかなく、画期的な方法を考える学すらないからだ。
学校にはほとんど通ったことがない。僕に言わせれば、学校なんてリスクの塊、もしくは鬼が巣食う場所である。鬼と生活をともにするなんて桃太郎でもできない所業である。
なので、僕は瀬戸内海と聞いて淡路島しか浮かばなかったし、展望台で目を細めることしか出来なかった。さすがに望遠鏡も使ったが渋々であった。僕にとっては、100円であっても貴重な財産なのだ。帰りはまた泣いたふりをしながらヒッチハイクしなければならなそうだ。
(やっぱり、騙されているのかなぁ……)
少しして、なんの成果もないと、僕は当然の感想を漏らしてしまう。
そもそも、なぜいつもは無いものばかりに警戒し、怯えてしまう僕がはるばるよく知らない島の高い展望台にいるのか、と自分でも不思議になってしまう。
全てあの手紙の言葉のせいだ。最近はあんなに僕を肯定的に認めてくれる存在はいなかった。だから僕は、柄になく「いい妄想」をしてしまった。
「……ここに行けば何が変わるかもしれない」
僕はお世辞かもしれない言葉と多額のお金という甘い言葉に背中を押されて、家から何百キロも離れた島に来て、高いところに登っていたのだ。
誰が見ても、「バカは高いところが好き」という言葉に納得してしまう光景だ。
そんな期待もここで終わりかもしれない。やっぱり、救いなどない。現代には、おおよそキリストなどいないのだ。まあ、癖というパーソナルな情報を私的に利用している人間が神なわけがないが。
それに、手紙の記述通りならこの大会は多額のお金が動く。多額のお金にはそれを持つだけ『格』が必要だ。格が無ければ、お金はただの浪費に消えてしまう。僕の周りの人間がそうであったように。
何が言いたいかというと、揺り籠の位置が記載されていなかったことは、『格』を見定めるための足切りだったのではないか、ということだ。
それなら見つけられないのも納得である。もちろん僕にはそんな格など無いのだから。
(帰ろう)
休憩に、展望デッキのベンチで潮風に当たりながら、財布をさらに軽くしたくれたジュースを飲み、僕はやっと決心した。
男がするべき大きな冒険も出来た。もう、この痛いくらいの陽の光に当たる必要もないだろう。
そして、あの寂れた故郷で少し早めの余生を過ごそう、そう決めた。
きっと、僕は木こりにでもなって、大して強くもない体を痛めつけ、誰に看取られることもなく早逝するのだろう。今、手元に白い紙があればこんなダサい人生を詳細に書き連ねることができるくらい、はっきりと予感できた。
そんな人生が僕にはぴったりだろう。
ふと、大事にポケットに入れていた手紙のことを思い出した。あの手紙がここに来て憎たらしく感じてきた。改めて思い出すと、あの僕を認めていたような記述が、むしろ今では僕を煽っているようにしか思えなくなってきた。
結局、奴らは僕を弄びたかったのだ。学校の小畜と変わりはしない鬼だったのだ。
僕は手紙を海の藻屑、いや紙屑にするために紙飛行機を折った。
便箋だった手紙は綺麗な水色をしていた。それを出来るだけ遠くに飛んでいけるように変形してやった。僕は紙飛行機を折ることだけは自信があった。紙であれが形を問わずよく飛ぶ紙飛行機にできるのだ。
そうだ、これからは紙飛行機を折って生きていこう。きっと、紙も金もよく飛んで、僕もすぐにお空の向こうへ飛んでいくことだろう。
僕は折終わったイカ飛行機を大きく振りかぶった。さぁ、よぉく飛んでいくんだぞー、僕の想いを乗せて。
「青い紙ヒコーキはー」
と、ありそうでなさそうなワンフレーズを口ずさんで投擲しようとすると、
「ちょっと待った!」
と後ろから声がした。
後ろにから、ドタドタと黒い髪のお姉さんがなかなかのスピードで走ってきている。お姉さんはぶかぶかのパーカーで手の先まで隠れた腕を振っている。
僕がただ見ている間に、お姉さんはどんどん大きくなっていって、最接近した時には僕の背丈より大きくなっていた。彼女の体には一回り大きい淡い黄色のパーカーには、見たこともない言葉がプリントされていた。
お姉さんは息を切らしながら、僕の手から紙飛行機を取り上げ、開いた。
そして、とても近くで見た。目と手紙の間は、目算約5mm。
本当に見えているのかと思う距離だった。
読み終わったらしく、手紙を綺麗に四つ折りにして僕の手に返すと、お姉さんは僕の肩を掴んで、目と目を近づけた。
その距離、体感約5mm。
目前にはお姉さんの顔しかなかった。彼女の開きっぱなしの瞳孔の中心には存在感ある瞳が、僕を一心に見ていることがよく分かる。僕も目を逸らすことが出来なかった。薄く緑かかった瞳は渦巻いて、キラキラとしていた。きっと、目の前に広がっていた海のどんな渦より人を惹きつけてしまう、そんな渦が文字通り目と鼻の先にあったのだ。
(あれ、というか、鼻触れ合ってね?)
なんだか荒い鼻息が鼻下や頬を伝っているように感じる。
これは一体なんのご褒美、いや罰なのか?、実は目を閉じた方がいいのか?、と困惑していると、
「泡野湊人君、君も『揺り籠』を探す仲間だったんですね! いやぁ、こんなとこで出会えるなんて神様も捨てたもんじゃないね! さぁ、一緒に探そうじゃないか!」
麗しいお姉さんは麗しい唾を僕に散らしながら喋ったのだった。
「は、はぁ……」
あまりの勢いと眼力の強さに思わず了解してしまったのは言うまでもないだろう。