第6話 歓喜
「喜劇の魔女?」
あのおとぎ話に出てくる魔女の事だろうか。
詳しく聞こうとしたが、クラウスは人混みに紛れて向こうへ行ってしまった。
俺は訳もわからず広場の方へ歩き出した。
広場では更に多くの人がまるでお祭りでもあったかの様にはしゃいでいた。笑顔ではしゃぐ村人達を見て、俺は違和感を感じた。
いつもと何かが違う。
いや、そもそも、笑顔でいる事自体が違和感なのだが、それとは決定的に違う何かがあった。
しかし、俺は直ぐにその違和感の正体に気づいた。
人だ。人の数が多い。
広場にはいつもの倍以上の人数が溢れていた。
なんだこれは、一体何がどうなっている?
困惑する俺の背後からルキナの声が響いた。
「アガ!」
そうだルキナはどうなった?
振り返ると、ルキナが両手に二人の男を携えていた。
俺は目を見開いた。死んだはずの人物がいたからだ。
「アガ。心配かけたな」
「帰って来たぞ」
そこにいたのは死んだはずの義理の父カールと同じく死んだはずの義理の兄ハンスだった。
その後ろでは義理の母、エレナが目に涙を浮かべつつも笑顔で彼等を見守っていた。
「な、なんで……!?」
俺は震える声で訊ねた。
「魔女だよ!」ルキナが言った。「喜劇の魔女がみんなを生き返らせてくれたの!」
「そんな事本当にできるのか……!?」
「あぁ、信じられないがこうして俺たちはここにいるし……」カールはそう答えると、周囲を見渡した。「ほら、向こうにいるのはお隣のミュンツアーさんだし、向こうにはベッカーさんもいるぞ」
戦に出た者だけじゃなく、病で死んだ者、更には井戸に落ちて死んだベッカーさんまでもがそこにはいた。
「それだけじゃ無いわ!彼を見て!」
そう言ったルキナが示したのは、昨日戦場から帰ってきたヒュンケルだ。彼は確か左脚の膝からを下を失って松葉杖をついていたはずだ。
しかし、俺の目に映った彼は杖などつかず、二本の脚で家族と楽しそうに踊っていた。
「喜劇の魔女が治してくれたの!ほら私も元気になったでしょ!?」
「あ、あぁ……」
まだ、状況が飲み込めていなかった俺は心の底からそれを喜ぶ事が出来なかった。
その時、広場の奥で歓声が沸いた。
何事かと思ってそちらを見ると、そこには木の机が置かれ、その上には色とりどりの料理が所狭しと並べられていた。
「みんな!喜べ!喜劇の魔女が我々にご馳走を振舞ってくれるぞ!」
机の前に立った村長が声を張り上げた。
再び民衆から歓声が沸き起こった。
「皆さん、料理は幾らでもあります。なので遠慮せず、お腹いっぱい食べてくださいね」
村長の横に立った金髪の女性が言った。
どうやら彼女が喜劇の魔女のようだ。
村人達は皆、彼女の前に出て感謝の言葉を述べてから、机の上の料理にありついた。
「俺達も行こう」
「そうだね」
ハンスの言葉に従って、俺達は魔女の御前へと向かった。
遠目ではよく分からなかった喜劇の魔女の姿がはっきり見えた。
彼女の顔はまるで彫像の様に整っており、その白い肌はまるで雪の様だった。長い睫毛の奥の瞳は、雲一つない空の様に青く澄んでいた。そして、金の糸を束ねた様な美しい髪が陽の光を受け輝いていた。
「喜劇の魔女様。ありがとございます。一体この恩をどうやって返したら良いのか……」
カールが魔女の前で深々と頭を下げた。ルキナとハンス、そして、エレナもそれに倣って頭を下げる。
「顔を上げてください」喜劇の魔女が言った。その声色はとても優しく、聞いている者の心を穏やかにさせた。「私は皆さんの喜ぶ顔が見たくて、勝手にやっているだけです。恩など返していただく必要はありません」
「いや、しかし……」カールは食い下がった。
「良いのです。それよりもせっかくの料理が冷めてしまいますよ。ルキナさんも体調が戻ってお腹が空いているでしょう?」
喜劇の魔女がルキナに視線を合わせてそう訊ねた。
「はい……!」
ルキナは恥ずかしそうに照れながら答えた。
「すいません、それではお言葉に甘えて……」
「ええ、どうぞ。私の事は気にせず心置きなく喜びを分かち合って下さい」
その言葉にカール達はペコペコと頭を下げながら机上の料理にありついた。
俺はその様子を一歩背後で見ていた。
そんな、俺に気づいた喜劇の魔女が声をかけた。
「初めてお会いしますね」
「あ、はい……」
「お名前は?」
「アガです。アガ・ゲヘルツ」
「良い名前ですね。確か東の方では民衆の指導者を示す言葉でしたね」
「はぁ、そうなんですか……」
喜劇の魔女に言われるまで自分の名前の意味など特に気にした事も無かった。
両親からもその様な話は聞いた事は無かった。
「浮かない顔をしていますがどうかしたのですか?」
喜劇の魔女が訊ねた。
「あ、いや……そのまだ理解が追いついていないというか……本当に死者を蘇らせる事ができるなんて……」
「驚かれるのも無理はないでしょう、しかし、私の魔法は奇跡を起こせるのです。安心してください私がいる限りどんな不幸な運命も変えてみせます」
その言葉に、死んだ家族の顔が浮かんだ。俺はごくり、と唾を飲み込んで、喜劇の魔女に問いかけた。
「それじゃ、俺の家族を蘇らせる事も出来るんですか……?」
「ええ、勿論です。準備に少し時間がかかりますが、貴方が望むなら直ぐにでも取り掛かりましょう」
死んだ父と母、祖父に会える。また、あの時みたいな幸せな暮らしに戻れる。俺は胸が熱くなるのを感じた。
「母さん。喜劇の魔女は本当にいたんだ!」
俺は心の中で、おとぎ話を聞かせてくれた母に語りかけた。
「じゃあ、お願い……」
そう言いかけた時、フランメの姿が浮かんだ。俺が昨日殺した悲劇の魔女。しかし、本当に彼女は悲劇の魔女だったのだろうか。もし、違うのならば俺は人殺しになってしまう。こんな気持ちを抱えたまま、両親に会いたくはない。そう思った俺は喜劇の魔女に訊ねてみることにした。
「あの……」
「どうかしましたか?」
昨日の光景を思い出し、一瞬言葉に詰まった。
俺は再び、乾いた喉を湿らせる様に唾をごくり、と飲み込んだ。
「……悲劇の魔女を知ってますか?」
「悲劇の魔女?」喜劇の魔女が首を傾げた。
「ヴァルトヴィング帝国にいる七人の魔女の事です!魔術で近隣の村や町を襲って周辺諸国を内側から弱らせようとしている奴らです!」
それを聞いた途端、喜劇の魔女の表情から笑顔が消えた。
「アガ君。その話は誰から聞ききましたか?」
喜劇の魔女が言った。その声色は先ほどまでと変わらない優しいものだったが、その表情は真剣そのものだった。
「え、あ、いや、その戦から帰ってきた人に……」
俺は喜劇の魔女の雰囲気に気圧され、しどろもどろに答えた。
「七人の魔女について他に何か知っている事は?」
喜劇の魔女は顔をぐっと近づけると、その青い瞳を見開いた。
先ほどまで、清んだ空の様に美しいと感じたその瞳が途端に恐ろしく感じた。
「い、いえ、特には……!ただ、そういう噂話があるよってだけです……!」
咄嗟に俺はフランメの事を隠した。何故かは自分でも分からないが、彼女の事を話すのは良くない気がした。
喜劇の魔女はにこりと微笑んだ。
「アガ君。それは帝国がでっち上げた只の作り話です」
「え……作り話?」
「はい。帝国はそういう話をあえて周辺諸国に流しています。そうする事で自国の兵の士気を上げ、周辺諸国の兵士の士気を下げることができます。だから、七人の魔女も悲劇の魔女も実在しないのです」
そうだとしたら、フランメは只の旅人ということになる。そして、それを殺した俺は只の殺人者だ。
それでは困る。俺は食い下がった。
「でも、貴方の様な魔女がいるって事は同じような力を持つ悪い魔女がいてもおかしくは無いですよね……?」
「アガ君。心配は要りません。私達魔女の力は選ばれた者のみしか持つ事が出来ません。そして、その者達は全て協会によって管理されているのです。他の魔女が何か悪事を働けば直ぐに分かります」
「じゃあ、悲劇の魔女は……」
「ただのおとぎ話です」
喜劇の魔女の発言に、俺は言葉を失った。