第4話 悲劇の魔女
その後も俺は女を問いただしたが、女は俺の質問をのらりくらりと躱し、結局、女が何者かはっきりとは分からなかった。ただ、悪党には思えなかった為、俺は仕方なくヨーク村へ戻った。
道中、村の皆に何という風に説明しようか考えた。
結局あの井戸を使うのは憚られた。あの女が怪しげな薬を混ぜた井戸だ。流石にそのまま飲む気にはなれない。
それに、渡された怪しげな粉を使う気にもなれ無かった。
結局、無駄足だったか……。
また、ルキナに文句を言われるな。そう思うと足取りが重くなった。
しかし、あの女--フランメ(名前を聞いても答えなかったので勝手にそう呼ぶ事に決めた)は一体何者なのだろうか。暗い森の奥で怪しげな薬を作っているだなんて、まるでおとぎ話に出てくる魔女のようではないか。
村へ戻る頃には太陽が真上を通り越していた。そういえば今日は朝から何も胃に入れていなかった。一旦家に帰って固いパンでも食べようか。
そんな軽い気持ちで自宅を目指していると、何やら広間に村人達が集まっているのが見えた。
何だろうか。水を汲みに行ったんじゃないのか?
俺は広間に行くと、彼らの視線の先にあるものを見た。
そこには、戦に行ったはずの男達が四人地面に座り込んでいた。四人とも疲れ切った顔をしており、一人は顔の半分に包帯を巻き、一人は右脚の膝から下が無く松葉杖を持っていた。
「よく帰って来た」そう言って村長と男達の家族が駆け寄り彼等と抱き合った。
しかし、全員が感動の再会を果たせた訳では無かった。中には戦に出ている間に病で家族を失い出迎える者がいない者も居た。
そんな中誰かが訊ねた。
「他の人は?」
静まり返る広場。皆、息を飲んで男達の返事を待った。
顔に包帯を巻いた男、クラウスが震える声で言った。
「……生き残ったのは俺たちだけだ……」
「そんな……!」クラウスの言葉に村人達が騒ついた。
膝から崩れ落ちる者、泣き喚く者、ぐっと感情を押し殺して堪える者、実感が湧かずただ茫然と立ち尽くす者。村人達の反応は千差万別だった。
「嘘でしょ……?嘘よね……!」ルキナが言った。
ルキナはクラウスに近づくと、
「兄さんが死ぬわない!だって兄さんは必ず帰って来るって約束したもん!兄さんが約束を守らないなんて有り得ない!そうでしょ!?」叫ぶ様に訊ねた。
クラウスは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべながら言った。
「すまない……ハンスは……みんなの先頭に立って俺たちを勇気付けてくれた。そして……真っ先に敵の矢を浴びて死んだ……」
「嘘!嘘!嘘だああああ!」ルキナが絶叫を上げて、クラウスに掴みかかった。
それは初めて見るルキナの姿だった。父、カールが亡くなった時でさえ涙こそ流していたが、こんなにも声を荒げる事は無かった。
「ルキナ……落ち着け!」
俺はルキナの側に駆け寄ると、暴れる彼女を宥めた。
「嫌、嫌……!なんでこんな……」
ルキナはそう呟いた後で、俺にもたれかかるように気を失った。
「おい!ルキナ!しっかりしろ!」
そう呼びかけるもルキナは目を覚まさなかった。
その後、ルキナの母エレナと村長がやって来て、ルキナを寝室のベッドに寝かせた。
しかし、ルキナの容体は悪くなる一方だった。
「すごい熱だ……!」
村長がルキナの額に手を当てて言った。
「無理が祟ったんだわ……」エレナが言った。「この子はハンスが村を出て行ってから毎日、朝と晩に神様に祈りを捧げてたのよ……。ただでさえ人手が足りなくてみんなヘトヘトなのに、どんなに疲れててもルキナは祈りを辞めなかったわ……」
「そうか……」村長が納得したように呟いた。
「結局、その祈りも無駄だったのね……」エレナが涙を零した。
そして、エレナはそのまま床に座り込んで泣き続けた。
「エレナ、こんな所にいたら君まで風邪を引いてしまう」村長がエレナの手を引き、奥の部屋へと連れて行った。
俺はそれをただ眺めている事しか出来なかった。
家を出るとクラウスが立っていた。
「ルキナちゃんは大丈夫か……?」クラウスが訊ねた。
俺は首を横に振った。
「かなり熱があるみたいです……ただの風邪ならいいんですけど……」
もし、白皮病ならルキナが助かる可能性は限りなく低かった。
「そうか……。俺がもっと気の利いた事を言うべきだったのかもな……」
「いえ、遅かれ早かれいずれは知ることになったと思います……」
「そうか……アガ。お前は……大人だな」
「そんな事無いですよ。ハンスに比べたら俺なんかただのガキです」
その言葉にクラウスが微笑んだ。
「そうだな、あいつに比べたら俺も子供になっちまうな」
俺はもう一度ハンスの死について確かめたくなった。あのハンスがそんなあっさり死ぬとは到底思えなかった。
「ハンスは本当にそんなあっさり死んだんですか?」
「あぁ……俺も未だに信じられないが、悲しむ暇すらなかったよ」クラウスが言った。「あそこは地獄だ」
「地獄……」俺は繰り返すように呟いた。
「敵も味方もぐちゃぐちゃさ。帝国は抵抗せずに降伏した者には手厚い支援をするらしい。その話を聞いた連中による裏切り、反乱が後をたたないんだ。俺たちの部隊も前の帝国軍に注意を払っていたら背後から、反乱軍に奇襲された」
「そんな……そんなの狡いじゃないですか!それに裏切り物を支援するってその話だって本当かどうか分からないんでしょ?」
「あぁ」クラウスは頷いた。「ただ、あの屈強な帝国軍団を目の前にしちまうと、降伏したくなる気持ちは痛いほどわかるよ」
「それほどの戦力差があるんですか?」
プロトテイン公国の軍と帝国軍ではその戦力は比べ物にならないだろう。しかし、今回はハースダン王国の軍が一緒のはずだ。総合的な兵力ならハースダン王国と周辺諸国による連合軍の方が多いはずだ。
「帝国軍はアホみたいに強い。奴らには迷いがない。自分たちが必ず勝利すると信じてる」
「なんで、そんな」俺は訊ねた。
単純な兵士の数で劣っているだけでなく、長年に渡る戦争で、帝国も疲弊しているはずだ。何故そんなに兵士の士気が高いのだろうか。
「ある噂を聞いた」クラウスが言った。
「噂?」
「魔女だ。帝国には七人の魔女がいて、彼女達がこの戦争を裏で操っているって話だ」
突拍子の無い話に俺はつい、顔を歪ませてしまった。
それに、気づいたクラウスは、
「俺も最初に聞いた時は同じ顔になったよ」と頬を指で掻きながら言った。「でも、どうやら只の噂じゃないらしい。ある戦場では帝国軍が圧倒的不利な状況に陥った時、雷が敵陣に降り注いだという話もあるし、ある戦場では頭上を火の玉が飛んでいったという話もある」
「そんなバカな……」この時の俺はまだクラウスの話を信じていなかった。
「まぁな、俺も馬鹿馬鹿しいと思うよ。でもな、魔女と呼ばれる工作員がいるとしたらどうだ?奴らは周囲の村に入り込み、裏切りを唆したり、井戸に毒を撒く。白皮病も魔女が広げているんじゃないかってな」
「え……」
胸がざわめいた。
人間とは、なんて単純な生き物なのだろうか。先程と同じく何の確証のない話にも関わらず、ほんの少しのリアリティ、それも今自分達が置かれている状況に近いものを加えるだけで、途端にその噂を信じたくなってしまう。
自分達の苦しみを誰かの所為にしたくて堪らないのだ。
俺も同じだった。
俺の頭の中にはフランメの姿が浮かんでいた。
クラウスは続けて言った。
「おとぎ話は本当だったんだ。悲劇の魔女は存在する」
俺はその言葉が一晩中、頭の中から消えなかった。