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姫王子の脱走2




 一名大食い大会、二名実りのないナンパ、他はおろおろもぐもぐとする食堂に、一人の騎士が現れた。


 汗でぬれた赤銅の短い髪をかきあげ、上着は身につけていない軽装とはいえ騎士にしか着ることを許されない騎士服を纏い、颯爽と食堂に現れたその姿は、まるで姫のピンチに現れる正義の騎士だ。


 食堂の中でおろおろもぐもぐしていた人達は胸を撫で下ろした。

 きっと、この騎士が事態を治めてくれるだろうと。


 しかしジルベルトといえば。


(タイミング悪っ…!!)


 食べたばかりのシチューを鼻から噴き出さんばかりに焦っていた。


 ジルベルトを除いた全員が望んだ通り、赤銅の騎士はカツカツとブーツを鳴らし迷うことなく一人大食い大会中のテーブルへと進んだ。赤銅の騎士に気が付くことなく実りのないナンパを続ける騎士たちの肩を掴む。


「おい。お前ら何してる」


 その声はジルベルトにとって、とても聞き覚えのあるものだ。

 それこそ、背筋に嫌な汗が滝レベルで流れ出す程に。


 ごきゅん、とシチューが変なところに入って咽そうになるのを、口を押さえて必死に堪えた。

 うっかり咽たが最後、声できっとばれてしまうだろう。


「あ? 誰だよ、お前」

「お前らと同じ王室付きだよ。それより、職務中に持ち場を離れるとは……処罰も覚悟の上なんだろうな」


 じろりと睨まれたナンパ騎士たちは、肩身狭そうに視線を泳がせる。

 まさかサボっている最中だったとは。

 確かに、昼時を過ぎている。昼の休憩はとっくに終わっているだろうし、王室付きならば日中こんなところに来られる筈もない。

 言い返そうとしているナンパ騎士とは別の一人が、「あ!」と声をあげた。


「赤銅の髪……王室付き………って、第一王女付の…!」

「第一王……嘘だろ!?」


(残念ながら嘘じゃないんだよなあ)


 そう、職務時間中なのは、赤銅の騎士とて違わない。


 問、そんな彼がどうしてここにいるのか。

 解、守護するべき主を探しに来たから。


 可哀想に、赤銅の騎士が守るべき主は、あろうことか侍女の説教が嫌で、パンの匂いにつられて脱走。執事にも何も言わずに、無断で誰でも入れるような食堂に逃げ込んでしまったようなのだ。

 もし、守るべき主に逃げられたと知られたら、赤銅の騎士は、能力不足との誹りを受けるだろう。地方に左遷されるかもしれない。


 それをわかっていて、主は逃げだしたのだ。

 何とも酷い主である。


 時代が時代なら立派なパワーハラスメントである。


 勿論、パワハラ主にだって良心はある。

 いつも脱走して悪いな、迷惑かけているな、そのくらいの認識はあるのだ。

 だからこそ、罪悪感だってそれなりにある。

 今、汗だくになりながら自分を探しに来てくれた護衛騎士を見て、その罪悪感は一層大きなものとなった。


 パワハラ主は、スプーンを持って、フッ、と笑う。


 いい家臣に出会えてよかった、と。

 ――そして、すまん、やっぱり俺は怒られたくない、と。


 ジルベルトは、シチューとパンをかきこみ、皮の袋から食事代分の銭を出してテーブルに置く。

 後ろでは、ナンパ騎士たちが慌てふためいていたが、振り向く余裕もなかった。一番慌てふためいているのは誰であろう、パワハラ主ジルベルトである。


(冗談じゃない! 今掴まって帰ったら脱走と授業サボッたので倍怒られる!!)


 その為の贄となってくれ。

 心の中で謝罪し、そっと立ち上がる。

 まだお子様のパワハラ主に慈悲はなかった。


 騒ぎに紛れて、こっそり食堂から出て行こうとした――が。



「ジール」


 妙に間延びした声と、肩を掴まれる感触。

 ジルベルトは、ギギギギと油のささっていない機械人形のように振り向いた。

 そこには笑顔のまま額に青筋を浮かべている護衛騎士がいた。


「……よう、ニック」


 へら、と笑って片手をあげるが、赤銅の騎士――ニコラウスはそれに応えることなく、大きく息を吸う。


「何を! してんだっ!! このっ!! バカ!!!」


 先ほどまでの凛々しい姿は何処へ。

 そこには真っ青な顔で怒鳴る青年の姿があるだけだった。

 後ろの騎士たちなんて、そんなニコラウスが余程珍しかったのか、酷く間抜けな顔をしている。ジルベルトにとってはいつも通りのニコラウスだったのだが。


「何って食事? ちょっと小腹すいて」

「だったら!! ………だったら侍女なり女給になり持ってこさせれば良いだろ。何でこんなところまで……」

「温かい飯が食いたかったんだよ。いいだろ、別に」

「よくない何もよくない」


 真っ青な顔で怒り続けるニコラウスから、ジルベルトは視線を外して逃げ道を探す。


 このまま連行されるのは嫌だった。何故なら――。


(まだ食後のデザートを食べていない!!)


 一番甘味が美味しいのは、この食堂から少し離れた場所にある石英棟にある食堂なのだ。そのほかの食堂で食べる甘味は、砂糖を煮固めたようなものばかりで食べられたものではない。

 せっかく外まで出てきたのだから、最後まできっちり楽しみたいのだ。


「聞いてるのか、ジル!」

「あーうん」


 嘘だ。ちっとも聞いていない。

 頭にあるのは、どうこの場から逃げるかどうかだけだ。


 初めは掴まれていた肩が、今は開放されている。逃げようと思えば、いつでも走って逃げられるだろうが…。

 ただ走って逃げても、現役の騎士相手ではすぐ捕まってしまうだろう。

 何より、相手はニコラウス。ジルベルトを捕まえるのに特化している(正しくは、してしまった)騎士である。


 しかし、今ジルベルトたちが話しているのは、食堂の入り口。通り道を塞ぐ形で話していれば、必ずその時は来る。

 隙さえつければ、逃げきれるかもしれない。


「あの……」


 食堂から出てきた人物が声をかける。

 それもそうだ。ジルベルトたちは入口を塞ぐように立っていたのだから。

 通りたければ、声をかけてどいてもらうしかない。


「あ、すまん」


 白熱していたニコラウスは後ろから近づく彼女に気が付かなかったらしい。

 ニコラウスが声をかけてきた人物に道を譲ろうとジルベルトから視線を外した。


(今だ!)


 ジルベルトは素早く身を翻し、走り出す。


「あ! おいジル!!」


 後ろでニコラウスの声が聞こえたが、無視だ。説教なら後で侍女の分と一緒に受けよう。嘘だ。受けたくない。三十六計逃げるに如かず。逃げるより優れた兵法などないのだ。

 全力で走っているが、後ろからニコラウスが迫ってきている気配がひしひしする。更に速度をあげれば後ろから苛立った声がした。やはり追いかけてきている。護衛騎士の名は伊達ではないということだろうか。


「待てって!」


 待てと言われて実際に待つ人間がどれだけいるのだろう。

 ジルベルトは使用人たちの隙間を走り抜けて逃げるが、それ以上のスピードでニコラウスは追いかけてくる。


「しつけーッ!!」


 息も切れてきた。逃げきれる算段もだんだん無くなってきている。

 もう掴まってしまおうか、そう思った時だった。


「こっち」

「え」


 ぐいっと身体を引っ張られる。

 引っ張った相手を確認するより先に、目の前の光景が一変した。


「ぎゃっ!」


 眼前まで石煉瓦の壁が迫ってきて思わず目を瞑る。


(ぶつかる!!)


 しかし、予想していた衝撃はいつまでたっても訪れず、気が付けば丁寧に手入れされた芝生の上にいた。

 周りには誰もおらず、遠くに煉瓦の道とベンチが見える。ぶつかりそうになった壁はどこにも見当たらなかった。


 まるで瞬間移動したような感覚は身に覚えがある。


 各棟には入り方があり、その入り方を間違えると今のように外へ飛ばされてしまう。

 おまけに飛ばされる場所はランダムで、棟の入り口から尤も遠い裏庭へ飛ばされることもあれば、まったく違う棟の前に連れてこられる時もある。


 今入ろうとしたのは、場所的に見て黄橙棟だろうか。黄橙棟は食堂だけ特別にそういった仕掛けが成されていない。出入り業者が迷ったら大変なことになるからだ。

 勿論、食堂以外の場所…例えば厨房なんかに間違えた入り方で入ろうとすれば、たちまち飛ばされる。


「逃げ切れましたかね」

「……た、たぶん」


 ニコラウスの声はもう聞こえない。きっと逃げきれただろう。ニコラウスから見れば黄橙棟に入ったように見えているだろうし、飛ばされたとわかっていても、場所がわからなければどうしようもない。

 追手が来ないことに安心して、ほっと息を吐く。


 そこでようやく、腕を引っ張った人物のことを思い出した。

 礼を言わなくては、と顔をあげた瞬間。



「――あ」


 思わず声が漏れる。


 鮮やかな紫の瞳に、光を受けて輝く金色の髪。薄紅色の唇に、整った顔。

 風で舞い上がる花びらよりも、その紫は鮮やかに見えた。

 光の下、輝く彼女はまるで、天から降りてきた慈愛の女神のようだ。


 一瞬人外かと思うほど美しい彼女には見覚えがあった。

 質素なドレスに包まれた腹は少しも膨れていないが、先程食堂で一人大食い大会をしていた女に間違いない。


 大食い大会中の一見無そのものに見える表情とは違い、今はそこに“色”がのっている。

 走ったせいか頬は赤く染まり、楽しそうに紫色の瞳が細められていた。薄紅色の口からは荒い息が漏れ、笑みの形を象っている。


 芸術品のような容姿で、悪戯っ子のような笑みを浮かべている彼女


 何も見えない石煉瓦の向こう側を伺っていた紫の瞳がジルベルトを捉えた。


 吸い込まれそうな感覚。

 不意に胸が高鳴った。


「どうやら逃げきれたみたいだな」

「えっ…あ、う、うん」


 瞳と同じように透き通った声。高すぎず、低すぎない、魅惑的な声は、女性にしては低いものではあったものの、彼女に合っていると思った。


「あ、ありがとう」


 何故か言葉が上手く出ない。

 どもってしまったのが恥ずかしくて、咽て誤魔化す。


「いや、気にしなくていい。それよりも、何故追いかけられていたんだ?」


「……えーと」


 どう、説明したものか。

 ジルベルトが第二王子であり第一王女であるというのは、一応極秘事項である。

 知っているのは、侍女と、側付き、護衛官のニコラウス…そして母親である女王と、兄である第一王子だけだ。もしかしたら、そこから漏れているかもしれないが、一応隠していることではある。

 おいそれと他人に言うわけにはいかない。


 言い淀んでいるのが伝わったのか、女は微笑んで言った。


「言いにくいことを聞いたようですまない。怪我はない?」

「……うん」


 申し訳なさそうに微笑む彼女に全て話してしまいたい欲求に駆られたが、話せることではない。

 返答に満足したのか、女がにっこり笑う。


「怪我がないのならよかったよ。急に引っ張ってしまったから…。私はもう行く。君も、早く帰った方がいい」

「どこか行くのか?」

「ええと…赤橙棟のマルメロチーズタルトを……」

「まだ食うのかよ!」

「仕方ないだろう。熱々の焼き立てデザートが食べられるなんて休みの日だけだ。二か月もお預けだった分、きちんと食べておきたい。次いつ休みになるかわかったものではないしね」

「……」


 信じられない。あれだけ食べたのに。

 思いきり顔に出ていたのだろう。

 彼女はそっぽを向いて恥ずかしそうに頬をかくと、すくっと立ち上がった。


「それじゃあ、お元気で」


 茫然とするジルベルトを放って、女は裏庭から出て行った。

 そのスピードたるや、騎士であるニコラウスだって追いつけないであろう速さである。

 女が起こしたそよ風の中、一人置いて行かれたジルベルトは茫然とする。

 まるで嵐のような女だった、と。


 茫然とするジルベルトの視界に、ふと、光る物が見えた。

 丁度、大食い女が座っていたあたりの草むらだ。


 のそのそと近づいて行く。


「…………ロケットペンダント?」


 それは、ピンクゴールドのペンダントだった。

 拾わずに眺めた限り、蓋の部分に家紋のようなものが彫られているのが見える。その細工の細やかさから、決して安い物ではないものが伝わってきた。

 こんな高価な物は、平民では持てないだろう。


 やはり、あの大食い女は貴族だったらしい。

 だとすれば、誰かの侍女だったのか。にしては、礼儀がなっていないように思えたが。


 落し物なら、返した方がいいだろう。

 そう思い、拾った瞬間、パチンと軽い音がした。

 どうやら金具が弱っていたらしく、勝手にあいてしまったのだ。


「あ、やべ………ん?」


 そこに在ったのは、一人の少女の肖像画だった。

 女によく似た風体だが、詳しいところはよくわからなかった。

 何故なら、少女は、人形のように可愛らしい服装に似合わない表情をしていたのだ。

 構造上皺の作れるところ全てに、表情筋を総動員して皺を寄せているような顔で、目の色さえわからない。


 所謂変顔、というやつか。


 子供の変顔なんて、愛らしさが出てくるものだろうに、そんなものは微塵も感じない程皺が寄っている。笑うのさえ躊躇う不気味さだ。全身から「こんな服を着るのは不本意です」という気配が漂ってきている。

 こんなもの、間違ってもロケットペンダントにいれて後生大事に持ち歩くものではない。


「………変な女…」


 今日何度目かになる感想を口に出して、ジルベルトはペンダントを仕舞う。


 ――見なかったことにしよう……。


 宮中の人間であれば、いずれ会うこともあるだろう。

 雲一つない空を見上げて、ジルベルトは、あの女についての思考一切を放棄した。



 なお、その後ジルベルトは、デザート欲しさにのこのことニコラウスの前に出てしまい、あっさり捕獲されることとなった。

 侍女の説教は四時間にもわたり、終わった頃には、焼き立てだったデザートも冷え切っていた。

 何と運のないことか、とジルベルトは嘆いたが、どこまでも自業自得である。


 翌日、不貞腐れるジルベルトの機嫌にトドメをさしたのは、何気ない家庭教師の一言だった。


「焼き立て…? ああ、赤橙棟のマルメロチーズタルトか。あれなら昨日食べたな。美味かった」

「は!? あれ一瞬で売り切れたって……」

「買ってきてくれたんだよ。 なあ、エルシ」


 つい、と冷たい紫色の目が動く。話しかけられた騎士は、珍しくジルベルトをその視界に入れた。

 後ろで一括りにされた金色の髪に乱れはなく、その一糸乱れぬ様子は、相変わらず人間味のないものだ。


(…あれ?)


 ふと、妙な既視感が胸を過る。

 昨日会った変な大食い女。唐突に、その女のことを思い出した。


 しかし、それも一瞬のこと。


 フッ、と嘲りの笑みを浮かべた騎士に、脳の血管が切れる音がした。


「くっそがあああ!! 今日こそ食べてやる!!!」

「いいけど、授業が終わってからなー」


 机に向かって吠えるジルベルトの横で、金髪の騎士は表情を変えずに立っている。

 いつも通りの光景…に見えるが、騎士が時折胸元を気にしているのには、誰も気が付かなかった。





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