序章
よろしくおねがいします。
男の身で、「よっしゃ、今日から君はお姫様やってね!」と言われて、「オッケー! 任せな!」と言える人がこの世界では何人ほどいるのだろうか。
精神的にも肉体的にもがっつり男だと言うのに。
豪華絢爛とか、税金万歳とか、悠々自適とか、そんな言葉とは無縁の生活を送ってきたというのに。
にこやかに親指をたてて「オッケー!」だなんて言える人がいるだろうか。
否、いるわけがない。
権力をもって裕福な暮らしがしたいと思ったことが一度でもないと言えば嘘になる。
しかし、それは貧困やら周りとの軋轢やらからの妬み嫉みというやつで、いきなり大陸全てを統べる国のトップにと言われても無理だ。無茶ぶりにも程がある。
一介の小僧に、国を統べろなんていうアホがどこにいるのか。
何とこの国のトップにいた。
トップである女王陛下は、次代の王として、僅か十三歳の子供を指名したのだ。
おまけに、その子供は孤児で、出自がわからないと来た。
到底女王は正気ではない、と、誰もが思うはずだったのだが――。
ジルベルト・ベスティニアは、自分の長く綺麗な金色の髪を一瞥してため息を吐いた。
花びらのように何枚も重ねられたドレスのフリルを見て、更にため息を吐く。
やっていられない。まったく、やっていられない。
後ろに控えている側仕え達も、護衛している騎士達も、皆その顔に浮かんでいるのは喜びの色だ。
とても、自分達の上にいる女王の正気を疑っているようには見えない。目の前の子供が王族となることを拒絶するどころか、歓迎しているようだ。
――まったく、『伝説の姫の生まれ変わり』なんて物体になってしまったせいで、とんでもないことになってしまった。
ここに人生のリセットボタンがあるのなら、連打していることだろう。
目の前には大きな姿見。
そこに映る姿は、まさしく絵本に出てくるような『姫様』だった。
――さて、鏡に映る自分を見てげんなりとしている彼がいる部屋を出て、長い廊下を進み、緩やかにカーブを描く階段を上り、またもや現れた長い階段を進んだ先にある大きな扉をあけたところ。
女の身で、「よっしゃ、今日から君は騎士をやってね!」と言われて、「オッケー! 任せな!」と言える人がこの世界では何人ほどいるのだろうか。
少なくとも、一人いる。
この男尊女卑が激しいこの国で、女性は騎士になれないと法律できちんと決められているこの国で、性別を偽り騎士になるというのは、死罪になってもおかしくない行為である。
当然、そんなデメリットばかりのことをやりたがる者はいない。……筈なのに、彼女は、生まれも育ちも一般的な貴族令嬢の域を出ないにも関わらず、女性らしくお上品に紅茶を飲み、「はい、お任せください」と、これまた優雅に微笑んだ。
それが五年前。
アリシア・エトス・サージェントは、最年少で受勲した数々の勲章を煌めかせながら、ため息を吐く。
目の前には、ぐでん、と効果音がしそうな形で椅子に座っている幼馴染兼第一王子の姿があった。
「やっていられない。まったく、やっていられないよ」
そう、ぐでぐでと宣う第一王子は、その態度とやる気に反して、身形は完璧だった。
王族しか身につけることを許されない礼服を綺麗に着こなしており、艶やかなチョコレート色の髪の毛も綺麗に撫でつけられている。
見た目だけなら、完璧な王子様だ。
何を隠そう、アリシアの力作である。いつもなら見た目に頓着しない王子を放っておくアリシアも、今日ばかりは拘らずにはいられなかった。
因みに、いつもは、庶民でも着ないような薬品臭い白衣に、ぼさぼさ頭である。
本人曰く、「見た目に拘るのは確かに悪いことではない。しかし、ここには側付きとお前しかいない。拘る必要がないところでまで拘るのは無駄なことだ」とのことだが、その本心が、王子らしく着飾ることが苦手なだけだというのを、アリシアはよく知っている。
だからこそ、無理やり押さえつけて「王族に無体を働くなんて…!」と怯える侍女に「その王族にみっともない恰好をさせたまま公の場に出させた方が怖い目にあいますよ」と脅し着替えさせ、子供よりじっとしない男のぼさぼさ頭を整えるのは、実に骨の折れる作業であった。子育ての大変さを思い知った瞬間である。
尤も、彼女と第一王子は同い年なのだが。
「はいはい。しょーがないでしょ。生誕祭……それも伝説の姫君がウン百年振りに復活したんですから。後ちょっとだけ我慢してください。バルコニー出て、偉そうに演説して、ちょこっと笑えばいいだけの簡単なお仕事ですよ」
「ハッ、お飾りの第一王子なのを自ら喧伝しろと? それよりさっさと研究の続きがしたいね。あともう少しで魔素の流出箇所がわかりそうなんだよ……」
ぐだぐだと椅子に縋りつく彼が、単純にあがり症なだけというのも、アリシアはよく知っている。
だからこそため息を吐いてしまうのだが。
「そうだ、お前が代わりに演説…」
「ヤです」
「まあまあそう言わず」
激しい内弁慶で人見知りの挙句、あがり症の個人主義と、何とも第一王子向きではない第一王子はニヤニヤと笑う。
アリシアは、そんな第一王子に手を差し出し、笑い返した。
「ほら、遅刻したら余計目立ちますよ。視線ビンビンですよ」
「おー、嫌だ嫌だ。………本当に嫌だ……」
茶化したつもりが、想像したら本当に嫌になってしまったらしい。
唸る彼は、女性にしては固く、男性にしては細い手を取って立ち上がる。
豪奢な椅子から引きはがされた王子は、アリシアの手を離し、部屋を出た。
当たり前のように、王子の後ろについて行くアリシア。
二人の姿が、部屋にあった大きな鏡に映る。
そこにあったアリシアの姿は、王子に付き従い、姫を守る――まさしく騎士物語に出てくるような「騎士」だった。
貴族令嬢でありながら、騎士となった、アリシア・エトス・サージェント。
孤児の男性でありながら、姫となった、ジルベルト・ベスティニア。
これは、ちぐはぐの運命を背負わされた二人が、この国を生まれ変わらせるに関わった人々や起こった出来事――そして、この“世界そのもの”の物語である。