扉の番人
ふと、死んでしまいたいと思う時がある。
死にたいのかと聞かれたら……僕はどう答えるだろう?
正直に言って、それが本当の僕の思考なのか分からない。
ただ、死んでしまったほうがずっと楽なんじゃないだろうかと思うんだ。
死んでしまえるのなら、とっくに死んでるだろう。
そんな勇気が、どうやら僕にはないようで……
何度も身を投げようと訪れたこの廃ビルの屋上。
金網に手を掛けてよじ登り、この広がる社会に僕は舞い、地へと落ちて行く。
そんな妄想から覚めれば、ただ金網に向かって、言葉にならない感情をぶつけるだけ。
「今日で何度目だろうね?君が自分の妄想の中で死んだのは」
「誰……?」
声のする方へ視線を向ければ、黒いローブに全身を包んだ少年が一人、金網に寄りかかりながら僕のいる方へ身体を向けている。
ローブと繋がったフードに隠れて、その表情は伺えない。
「俺は君をずっと見ていた」
そう僕に告げる少年。
何を言っているのか、その意味が分からない。
何度も足を運び、一人嘆き続けたこの場所。
これまで、一度たりとも誰かの姿なんか見ていない。
「君はいつ死ぬんだい?今日?明日?」
「は、はぁ?」
「死のうとしたんだろ?このビルから飛び降りて、そのちっぽけな人生を終わらせたいんじゃないのかい?」
声のトーン一つ変えず、少年は僕に問いかけてくる。
今、この状況はどういう状況なのだろうか?
今まで、間違いなくその姿を見かけた事のない少年が、僕をずっと見ていたと。
挙句には、いつ死ぬのかと聞いてくる。
おそらく、今目の前にいる少年は、とてつもなく異常な存在なのは間違いない。
「何なんだ、お前は?初対面で、いつ死ぬかなんて……」
「何なんだ、か……」
少年は数秒、空を仰ぐ。
もうじき、今日の終わりが訪れる事を告げるかのような、茜色の空を。
「そうだね、扉の番人とでも名乗っておこうか」
「扉の番人?」
「君のように、魂から心が離れようとしている人間が好物なのさ。抜け殻になりかけている人間が、この扉の先を行く事で、どんな末路を迎えるのか……それを見届けるのが俺の役目」
少年がコンコンと叩くそれは、この屋上を囲っている金網の中にある、同じ金網で出来た一つの扉である。
「扉の先って……その扉の先に踏み出せば、地上に真っ逆さまに落ちるだけだろ?それとも、翼でも生えて鳥のように飛び立てるとでも言いたいのかよ?」
「さぁ?それはその人間次第でどうとでも変わるからね」
ますます分からない。
たかが、扉を開いただけで、何が変わる?
足場が少なくなり、今見えてる景色が少し近づくだけだろう。
やはり、この少年は何かおかしい。
関わってはいけない相手なのではないだろうか?
「ちなみに、俺を君達と同じ人間だとは思わないでよ?分かりやすく言えば、俺はある種の死神だ」
「あぁそうかい。真っ黒な服なんか来て、雰囲気出てるよ」
これ程までに、こじらせた人間なんて、一生の内に見れるか見れないかの希少価値じゃないだろうか?
もっとも、こんな奴に絡まれるのは二度とごめんだ。
「池内 智樹、高校2年生。同級生からのイジメに耐え切れず、死が脳裏を過ぎる様になる」
「っ!?」
「これが、俺が持ってる君の情報の一部。もっとも、死ぬ勇気すらも湧かずに、ただ嘆くことしか出来ない。そうして、またあの地獄へ自ら戻って行く」
何だ?
今、こいつは何を言った?
僕の名前、学年、現在進行形で僕が置かれている状況、全てが真実だ。
人間関係が上手くいかず、気づけばクラスの中心グループから、毎日嫌がらせを受ける生活に。
抗う力も度胸もないから、されるがままに、ただ怯えるだけの僕。
失う友人、目を逸らす教師、理解を示してくれない両親
どこにも居場所が無ければ、どこにも逃げることも出来ない。
生きていたって、死んだような人生だ。
ならば、死んでしまったって変わらないじゃないか。
そう思っても、死ぬことすら僕は出来なかった。
色々な感情が絡み合い、僕の心を壊して行く。
本当にそんな姿を、こいつはずっと見ていたというのか?
「死ぬべきか、生きるべきか、難しいね。どっちを選ぶ勇気も、今の君にはない。あぁどうしよう?僕はどうしたらいいのだろう?そうやって、嘆くことしか出来ないんだろ?」
「お前には関係ないだろ!!」
無意識だった。
無意識に、僕は目の前の死神を名乗る少年に怒鳴り散らしていた。
自分の中にあるもの全てを覗かれている感覚が、もの凄く気持ちが悪かった。
「関係ないとは言い切れないね。現に、君は今、俺の姿を見る事が出来ている。君の心と魂が半分以上、切り離されている状態なのさ」
「だから、何だって言うんだよ!?」
「そんな状態で、今の君の生活に戻ってごらん?本当に自分が望む結末が見えてくると思うかい?心と魂が完全に離れ離れになり、君が心の底から望んだ希望すらも見つける事も出来なくなる」
心と魂が離れ離れ……
なんとなく、それが近い将来に僕の中で起きるだろうと、理解は出来た。
感情が滅茶苦茶になり、それを通り越して、自分が何を考えているのかも分からなくなっていく感覚。
僕の人生を生きているのは僕なのに、まるで僕じゃない別の誰かを見ているような感覚。
「俺が開くこの扉の先にはね、君が心の底から望んでいる事を実現させる事が出来るんだ。嘘みたいだろ?でも、これは今君の目の前に起きている真実の話」
「じゃあ、僕がその扉を通れば、本当の僕を知る事が出来るっていうのか?」
「あぁ、そうさ。もっとも、君の心が本気で死を選ぶとすれば、君は死ぬ」
「……」
まるでギャンブルだ。
結果がどうなるかの分からない、一発限りの博打打。
それでも……このまま日常に帰ったところで、何も変化もないだろう。
「その扉の先、連れて行ってくれ」
「……あぁ、喜んで」
良く見れば、扉には取っ手のようなものはなく、代わりに鎖が繋がれている。
少年がその鎖を引っ張ると、扉はギィィーと音を立てて開く。
「さぁ、この先に待つのは本当の君。君自身も知る由も無かった、本当の心の希望が、君に訪れる」
「この先に……僕の心が望んだものが」
どんな結末が待つのだろう?
まるで想像が付かない。
なら、この目で確かめるしかない。
僕の中にある真実を。
扉をくぐり、僕はその先に立つ。
すっかり見慣れてしまったこの景色。
妄想の中で、何度もこの中に飛び込んだな。
そんな事を思いながら、僕は足場のないその先へ、一歩踏み出した。
池内 智樹という人物は存在しない。
姿形もなければ、戸籍もない。
そもそも、そんな人間はこの世にいなかった。
世界中の誰の記憶の中にも、彼は存在しない。
池内の望み、それは、生きる事でもなければ、死ぬ事でもなかった。
本当に、この世から消えてしまうこと……。
彼の心は、死ぬ事ではなく、誰の中からも自分が消えてしまうことを望んだのだ。
存在しなければ、罵声も何も、聴くことが無くなるのだから。
END