意外と
「あら大変、オレンジがなくなりそう」
厨房から聞こえてきた姉の美香ちゃんの声が、カウンターのお客さん側に座って制服のまま携帯をいじってた私の耳に届いた。
まだディナータイムの営業は始まってないけど、開店準備があるからパパもママも美香ちゃんも手が空いてない。美香ちゃんの双子の妹の美紀ちゃんは、自分の赤ちゃんのお世話で手一杯だから問題外。
厨房の美香ちゃんに聞こえるように少し大きな声で、「私、行ってこようかー?何個買ってきたらいい?」と声をかける。カウンターに顔を出した美香ちゃんがわざとらしいほどのニコーッとした笑顔を見せてきて、わかった。
「ありがと~、美緒。じゃあついでに・・・」
・・・あ、私期待されてたんだね、はじめっから。
うちの両親は飲食店をやってる。ふたりの長年のイメージを形にした西洋風の外観と内装はこのあたりでは他に見られない雰囲気で、それを好んでくれるお客さんが訪れてくる。
私は小さい頃から見慣れてるからこれが普通だけど、お店にある温かみのある色や滑らかな曲線のソファーは気に入ってる。時間がゆっくり流れてる気分になれるのも、好き。
オレンジの他にも買うものを書いたメモを持たされて、自転車でスーパーへ向かう。ペダルを漕がなくてもタイヤが進むのはスーパーまでほぼ下り坂だから。時々ブレーキをかけてやらないと、危ないくらいだ。
買うもの大量じゃないから良いけど、帰りの坂道キツイんだよね。行きは下りで楽ちんな分、帰りは当然上りだから。あぁ、私も車の運転できたらなぁ。7歳年上の双子の姉、美香と美紀が羨ましい。
美紀ちゃんは何かにつけ、「若いって可能性があっていいよねー」って私に言うけど、22歳だって十分若いし可能性あるでしょ。すでに2人の子どものママで、忙しいを口癖にしてるわりに、充実してて楽しそう。新婚の美香ちゃんは旦那さんとラブラブで、一緒にお店の手伝いしてる姿を見てるとこっちが照れちゃう。
結婚も子育ても私にはまだまだ先のこと。とりあえず免許とれるまであと3年、・・・長いよ~。
スーパーでカートを押しながらメモに書かれた品物をカゴに入れていく。
せっかく来たんだからスイーツコーナーも見ていこう。美香ちゃんの旦那さんが作るデザートも美味しいけど、チープなおやつは別腹だもん。
途中の惣菜売り場を通りすぎようとして、学校で見る顔を見つけて足が止まった。夕方の込み合う時間前に惣菜を物色する若い男性の姿はちょっと目立つ。
声をかけようかかけまいか迷ったのは一瞬で、カートを転がしながら「せ~んせっ」と軽い調子で声をかけた。
・・・気付かない。
傍まで近づいてもう一度「朝比奈せんせっ」と呼ぶと、先生が「わっ。・・・僕のことか」とびっくりした顔で振り向いた。ちょっとたれ目の先生はパッとはしない顔立ちだが、近くで見ると驚き顔にも意外と愛嬌がある。
「正確には僕、教育実習生だから、今は『先生』じゃないんだよ」
「期間限定でも学校では先生だから、先生でいいじゃないですか。先生って呼べなかったら、何て呼んだらいいんですか?」
困り顔で「ん~、それもそうだねぇ」と真面目に考え始める先生。
ゆっくり付き合うほど今は暇じゃない私は、あははと笑って話を切り替える。
「惣菜選んでるってことは先生、一人暮らしなんですか?」
「え、いや、ひとりじゃないよ。二人暮らし」
「あ、結婚してるんですか?」
「・・・僕、まだ大学生だよ」
先生は自分自身をを足元から見て確かめるように目線を上げて、若いよね?僕って、問いかけるような顔して見せた。
うん。確かに、社会人らしい締まった顔つきではないね。
「うちのお姉ちゃんたち、22歳ですけど二人とも結婚してますよ。そのうちひとりはママしてるし」
「へぇ~、大人だねぇ。お姉さんたち、しっかりしてるんだろうね」
うん。お姉ちゃんたちはしっかり者で、私にとって22歳とはそういうものだという基準ビトでもある。
感心してるようだけど大学生だから、そんなに違わないよね?
「先生、いくつですか?」
「・・・21」
「・・・」
ツッコミたい衝動に駆られたけど、仮にも先生だ。明日も学校で先生と生徒として顔を合わせるんだから、穏便にやり過ごそう。でも、ふたり暮らしってとこは気になる。
高1の世間知らずさを前面に出して無邪気に尋ねてみる。
「じゃあ先生、誰と二人暮らしなんですか?」
「えっと、・・・弟。今、3年生なんだ」
「高3?中3?」
「小3」
思わず目を見張った。小3と二人で暮らすって、何か事情があってのことに違いない。聞いちゃいけなかったかなと反省しかけたが、先生はかまわず話し続ける。
「最近一緒に暮らし始めたんだけど、どんな食べ物が好きかまだよくわからなくて困ってるんだ。僕は料理があんまりできないし。いちおう作って出せば何でも食べてくれるんだけど、我慢してるようにも思えて・・・」
「そっか。好き嫌いせずに食べてくれるなんて、いい弟さんですね。とりあえず栄養バランスとれて食べてれば、当面なんとかなりますって。あんまりプレッシャーに考えないで、食の好みは時間掛けてわかり合っていければいいんじゃないですか?ねっ。」
困った時には、ニッコリ笑顔だ。先生を励まそうと、わかりやすく笑顔を作って見せる。
美紀ちゃんには何度か、「笑って和ますの、美緒の得意技よね」と褒めとも貶しともとれるお言葉をもらっている。ちょっとした小言なら、これでかわしてきたからね。
先生の困り顔がちょっと和らいだようだから、成功だろう。よし。
「じゃ、私お使いの途中なんで失礼します。先生、また明日~」
カートを押して笑顔で手を振りながら歩き出すと、先生も控えめながら手を振り返してくれた。
さっきの先生の話を思い返していて、もうスイーツのことはすっかり頭から抜け落ちていた。
ふ~ん、小学生の弟と二人っきりかぁ、何が大変か想像できないけど大変そう。自分もまだ大学生なのにコンビニ弁当やカップめんで済ませることしないんだね。偉いね、先生。
翌日学校で見た先生は、相変わらず硬い表情で緊張感漂う授業の進め方だった。教育実習に来たときからあんまり進歩してない。
授業を受けている生徒たちのほうが冷静で、「せんせー、落ち着いて」「字、もっと大きく書いたほうが見やすいよ」とアドバイスしている。
途中で段取りが前後してあたふたする先生を見ていると、こっちまでハラハラして授業の内容が頭に入ってこない。
・・・もぅ。こんな調子で、家のほうは大丈夫?
お昼休みに渡り廊下から、中庭のベンチにひとりで座る先生の姿が見えた。項垂れてるように見える。
授業のこと、落ち込んでるのかな?確かに授業は上手じゃないけど、クラスの子たちは先生のことけっこう温かい目で見てるんだよ。
ちょっとだけ励ましてこようと思って近づいていくと、ただ寝てただけだった。しゃがんだ姿勢で下から覗き込むと、目を閉じた無防備な表情が見て取れた。
・・・もしかして、疲れてる?でも寝顔がかわいい、って言ったら嫌な顔されるかな。
気配を感じ取ったのか、先生がゆっくり目を開ける。目の前で見上げている私に「わゎっ!」と驚いて、のけ反った。
「危ないっ!」
反射的に先生の片腕を自分の両手で掴んで後ろに倒れるのを防いだ。体勢を戻した先生が「びっくりさせないでよ・・・えーっと・・・小川さん」と言いながら、ちょっと横にずれて私が座れるスペースを作ってくれた。授業だけで手一杯かと思いきや、担当のクラスの子の名前、覚えてくれてたんだね。
覗き込んでた位置から立ち上がり、隣に座る。
「ごめんなさい。なんか疲れて見えたから、気になって。慣れない実習とおうちの両立、大変ですよね、大丈夫ですか?」
「あぁ、うん。どっちもがんばってはいるんだけど、思うようにはいかないもんだね。昨日はありがと、少し気持ちが楽になったよ」
励まそうと思ってたけど、やめた。がんばってる人に『がんばれ』と言うのは、時に負担になる。気分転換になることを話そう、昨日知ったばかりの弟ネタで。
そこでニコッと笑顔を向けて、「弟さん、元気ですか?」と先生に尋ねたとたん、疲れた表情が一変して嬉しそうに話し始めた。
「うん。こっちに来て間もないのに、学校でもう仲のいい友達も出来たみたいだし、自分から馴染もうとしていろんなこと聞いてくるんだ。昨日だって、好きな食べ物何って聞いたら、いっぱいありすぎてこれが好きって決められないんだってさ。可愛いこというだろ。実際かわいいんだけどさ。あ、名前は翔太って言うんだ。空を翔る『翔』に太いの『太』で翔太ね。」
表情豊かに弟のことを愛おしそうに話す先生。
自然な笑顔でしゃべれるじゃない、授業中とは大違いだよ。その調子で授業すればいいのに。そしたらきっと人気急上昇だよ。
相槌を打って聞き役をしていたら予鈴が鳴った。
「そろそろ行かなくちゃ」
「あ、ごめん。僕ばっかりしゃべってた!」
「ううん。聞いてて楽しかったです。また聞かせてください」
私の最後のひと言に先生は、「ぜひ!」と言って破顔した。タレ目が人の良さを引き立てて愛嬌が増す。
軽く手を振って離れると、先生が昨日よりも元気に手を上げて振ってくれた。
先生の腕を掴んだ感触を思い返しながら、教室へ向かう。
先生の人の腕って、意外と硬い・・・。