求める幸せと、その現実
更新遅くなって、本当にすみません…!!
───sideクローバー
日も傾きかけた午後五時頃。
最近、この時間帯にはある来訪者がやって来るのが、いつものお決まりとなっていた。
『なぁクローバー、もう一度考え直してはくれないか?』
後宮内の薬務室に入ってすぐ、書類やたくさんの書籍が山をなしているデスクの上に腰をかけ、この国の次期主はそう言った。
『何度も言うようですが、前々から決めていたことです。
それに、私の宮廷薬剤師としての契約期間は十年、今年で終わりのはずではありませんか?』
何があっても折れてはならない。
決めていた、ずっと。ここでのお勤めが終わったら、街に薬品店を作り、たくさんの人を助けたい……と。
でもなぁと腕を組み、眉間に皺を寄せる殿下には申し訳ないと思いながら、それでも私は、似合いもしないしかめっ面を貫き通していた。
『お前も知ってると思うが、この国は、宮廷薬剤師もとい、薬剤師の数が恐ろしく少ない。
いくら人材教育に力を入れていても、正直、お前ほどの優秀な逸材は現れないというか、なんというか……』
その問題は、一応前々から把握はしていた。
十数年前に起きた、この国の突然の経済難。そして、そこから派生した、多くの優秀な術者達による辞退願。
まぁ術者側からすれば、解雇されるくらいなら、他の国で安定した職に就いた方がいいという魂胆なのだろうけれど、それがまずかった。
なぜなら、一気に優秀な術者達が次々とやめていくことで、どれだけ手を尽くしても治療の精度は落ち、助かる命も助けられなくなってしまう程の、最悪の事態にまで陥ってしまったのだ。
もちろん、まだ宮廷内に残っている数限りない術者達で何とかしようと試みたけれど、さすがに人手が足りなすぎて、一時、後宮内にまで医務室を置くことが出来なかった。
『確かに、その問題は深刻です。目を反らすつもりも、逃げるつもりもございません。ですが……』
『お、お願いだ。
もう一度だけ、もう一度だけ考えてはくれないか…。
頼む……!!』
『殿下……。』
臣下を思う殿下だからこそ、ここまで粘り強く説得しに来るのだろうが、それでも出来ないことは出来ない。
何度訪ねられてきても、答えは同じだ。
私は次の月、この職を降りる。
しかし、殿下はまだ諦める気はないようで、私の方をじぃーっと見つめたまま、そこに居座っていた。
とても気まずい。いや、気まずすぎる。
『あの……そんなに見つめられても、出来ないものは出来ないですよ?』
今一度はっきりと申し上げる。
それに、こんな一従者のためにいつも時間を使っていては、多忙な殿下に申し訳がたたないと言うものだ。
『はぁ……。
なんでお前はそんなに頑固なんだか。
金か? やっぱり今の金額じゃ不満か?』
えぇ……。
何故そうなるのですか、殿下。
『それは全く関係ありません。
むしろこんな高額なお給料を頂ける仕事を蹴ってまで自分の店を持ちたいって言ってるんですから、辞める原因がお金なわけないじゃないですか。』
『まぁ確かに。』
『それに殿下。
私は確かに頑固かもしれませんが、殿下にだけは言われたくありません。
──何故、今日の隣国の姫君との食事会も、殿下は途中退席なされたとお聞きしましたが。』
その一言に、殿下はピクリと反応する。
そしてそのまま、無理矢理ではあるが話題転換に入ることにした。
『殿下の方こそ、そろそろその剛情なお考え、改められてはいかがですか?
初恋のお方が現れるまでご結婚なさらないと言い、いつも臣下達を困らせている。
あなたはこの国の次期当主なんですよ?
厳しいことをいうようですが、あなたのご結婚が、この国の運命をも左右する。
その事を分かっておいでで?』
『そんな事……分かってる。』
『じゃあ……』
『お前は、心を揺さぶられる程の恋を──したことがないからそう言えるのだ。』
『……。』
殿下──基、アレン・セルフォード次期皇帝は、その名の通りこの国の次期当主であり、今年で齢21。
そして、殿下の父親でありこの国の主である陛下がご結婚されたのが16の時だったため、誰もがその年くらいには…………
殿下も、生涯愛し続ける素敵なお相手を見つけられるのかと思いきや、事はそう簡単に運ばなくて……。
『ほら、何も言えずに黙ってる。』
『違いますよ。
正しくは、呆れすぎて物も言えない、が正解です。』
すると殿下は、あからさまに項垂れて、
『ひどい、酷いよなぁ、年々俺への扱いが酷くなってる……。』
と嘆いた。
『そうでしょうか?
レオナルド殿よりは……マシかと思うのですが。』
──レオナルド・フローレンス。
宮廷警備隊の中でも一握りの先鋭しか選ばれないという、主に国王陛下や皇帝の親族を直属でお護りする‘’王宮護衛騎士‘’の騎士団長にして、殿下の側近の一人でも在らせられる実に聡明なお方だ。
しかし、恐ろしく冷静で切れ者であるため、悪意はないのだろうが、いつも殿下に歯に衣着せぬ物言いで実に現実的で辛辣な言葉を平気で発し、殿下おろか、その周りの者達まで恐れ入るといった、非常に冷徹なお方でもあった。
『あ、あぁ、アイツはもう、俺を人間として見てないからな。』
何か苦い思い出でも思い出したのか、殿下の顔から生気が消える。
『一国の時期皇帝にある前に、ですね。』
『あぁ、一応この国の時期主なんだけどな。』
『では尚更、生涯のパートナーを決めないと。』
『またそこに話を持ってくるのかぁ』
『当たり前ですよ、殿下。』
という、もう何千回と繰り返されている話を続けていると、殿下はその端正なお顔を曇らせ、小さくため息をついた。
『俺だって、無理言って婚期を遅らせてもらってるのは分かってるんだ。
それに、俺の初恋相手が、今どこで何をしているのかすら分かっていないし、見つけることすら無謀なのも知ってる。
なのに諦めきれない情けない自分にも腹が立つし、それに…。』
『あの…殿下、本当にその初恋の方、見つけられないんですかね?』
は?という顔で見つめてくる殿下を無視し、自分はたくさんの書籍を手に席をたつ。
『殿下、確か……お名前は聞いておられないとおっしゃってましたけど、特徴の1つや2つ、覚えておいでではないのですか?』
『特徴、なぁ……。』
すると、殿下は自分がさっき座っていた椅子に腰をかけ、腕を組み直し考えていた。
『そう言えば……と言っても、これは俺が八つの時の話だから、結構曖昧ではあるんだが……。
いつものように一人、庭園で本を読んでいた時の事だった。』
語り始めた殿下の‘’一人‘’という単語に、自分はやけに胸がぎゅっと締め付けられた。
確か、殿下は五つの時に実の母上を亡くされていたはずだ。
現国王であるお父上は今も昔も変わらず忙しい身であり、兄弟も血の繋がった方はいらっしゃらない故、幼くして孤独を経験されたのだろう。やはり、言葉の重みが違った。
『どこからともなく現れたその少女は迷子で、泣きながら俺に抱きついてきたんだ。
‘’パパとはぐれた…‘’って。
髪も瞳も濡羽色の、愛らしい少女だったなぁ。』
濡羽色………。
『そうだったのですね…。
濡羽色────つまり、黒髪のお方ですか。
それなら、町娘にもなかなかいない髪色ですから、探せば見つかるでしょうに…。』
『あぁ、そう思って、一度父上が御触書を出した事があるんだ。でも、やっぱり見つからなくて……。
それに一つ、思うことがあるんだ。』
『何でしょう?』
『その子、確かその子の父上がこの宮廷内に勤めていて、お父さんの帰りを待つ間、俺と遊んでくれてたんだ。
でも、あの時以来──この国が急な経済難に襲われた後、その子は突然宮廷に現れなくなった。』
『つまり、その子のお父上はこの宮廷内から自ら出ていった術者達の誰か──そうお考えなのですね?』
『あぁ。
しかし、それが本当なら、他国にいる娘など、探しに探してもキリがない。』
『確かに……。』
同じく壁にもたれかかって悩んでいると、その扉が勢いよく開かれた。
『シルヴィオ先生!シルヴィオ先生!』
目を真っ赤に腫らし、美しい容姿を掻き乱すように慌てて飛び込んできた彼女は、モナ・ヴィオラ。
この後宮に居を構える他国のご令嬢であり、なかなか婚約相手をお決めにならない殿下の、麗しき花嫁候補の一人でもあった。
『あ…………失礼いたしましたっ。』
しかしながら、まさか薬務室に次期皇帝が居座っているとは思ってもみなかった彼女は、慌ててそう言うと、踵を返してその場を去ろうとした。
『構わん。──クローバー。』
『はい。』
彼女をこの部屋に通せと視線を流してくる殿下の意に答え、私はヴィオラさんの肩を優しく掴む。
『構わないそうですよ、どうぞ。』
『で、でも……』
『クローバーに用があったのだろう?
私のことなど気にするな、入れ。』
そう言って優しく微笑む殿下に、ヴィオラさんの頬の照りはより一層赤みを増していた。
『し、失礼致します…』
その言葉と同時に、殿下は気を遣ってここから出ていこうとする。
しかし、彼女はそんな殿下の背中に向かって、こう告げたのだ。
『もしかしたら、の話ではございますが……。
──今からする話は、殿下にとっても大事なお話になるやもしれません。』
☆★☆★☆★☆★☆★
───sideクレア
『吐け、人害の娘。
─お前の仲間はどこにいる? 拐った子供達はどこにやった?』
───バチンッ、ヒュルッ。
『………!!…はぁ、……ん、…はぁ……あ、』
縄で両手をきつく縛られ、まるでサンドバッグのごとく天井から吊るされた私は、酷く蒸れた暗闇の中、何度も何度もあの男から鞭のようなもので打たれ続けていた。
『チッ。まだ吐かぬか、この愚弄者。
人狼は群れを酷く嫌うと聞くが───あんたに常識が通用するはずもないな、ハハハッ。』
暗くてよく見えないが、打たれる度に先程のこの男の笑みが脳裏をよぎり、その都度酷い吐き気に襲われる。
もう何時間、こんな有り様だろう。
気づけば、夜か否かも分からないような空間にいて、何も見えない暗闇の中、私と男の声だけが響いている、そんな状況が続いていた。
『話すことなど何も……ないっ…。
私は人狼でもないし、仲間の居場所なんて聞かれても分かるわけな───』
バチ!バチンッ!ヒュルルっ。
『……っ……!!!』
『それは俺の欲しい答えじゃない。』
暗闇にようやく慣れつつある目が、その男の冷徹な表情を映し出す。
負けてはならない。今ここで根をあげれば、もう2度と家には帰れない。
そんな気がして、私はただ歯を食い縛って耐えた。
『あんたの欲しい答えなんか、私は持ってない!』
汗と鉄の臭い。そして、微かに香る、懐かしいにおい。
私は一度ここに、来たことがある。
いや、一度と言わず何度も、きっと何回も訪れたことがあるのだろう。──今はどこかも分からないこの場所を、昔の私は知っている。
『そういやあんたの父親も、こんな風にやられてたっけなぁ』
『……っ!!』
男の顔が、非情に歪む。
狂気じみたその笑顔に、顔から自然と血の気が引いていった。
『私の父にも、拷問をっ……?』
『当たり前だろ、人狼なんだから。
でも、さすがは同じ血を次ぐ者同士。
あの父親も、仲間内に関して何も話さなかったと聞く。』
『そ、それは、話さなかったんじゃなくて、話せなか──』
バチンッ。
『──黙れ』
鞭を打つことに何の抵抗も示さないその腕が、私に勢いよく振りかかる。
この男──確か、レオナルドと呼ばれていた彼には、家族はいないのだろうか。守りたい何かはないのだろうか。
まるで人間とは思えない非情さに、私はただ絶句した。
『ひ、一つ、聞きたいっ。』
『何だ。』
『どうして……どうして私の父を、満月の晩が来るまでに処刑した?
……何度も言うようだが、私達一家に、たったの一滴も人狼の血など流れていない。せめて、満月の晩、月明かりの下に一晩父を置いておいても、父に人狼の耳など生えてこないし、鋭い牙など現れないことが分かったはずなのに。
父が、人狼であるかどうか、ちゃんと確かめてからでも、それからでも、処刑するのは遅くなかったはずなのに……!』
ずっとずっと、疑問に思っていた。
なぜ、この国は、父を処刑した人々は、父が人狼であるか否かを確かめる前に殺してしまったのか。
人狼は、満月の月明かりの下では、本来の姿を隠す事は出来ない。だからこそ、人狼か否かを確かめる方法の一つとして、有効な手立てだと聞いたことがあった。
それなのに……。
すると、男は少し戸惑ったように答え、
『お、俺は…あんたの父親が月明かりの下に照らされなかったとは、人狼か否かを確かめる前に殺したとは聞いていない。』
と。
『そんな、はず………!』
『本当だ。』
鞭が飛ぶより早く、男の厳しい声が飛んできた。
その声からして、この男が嘘を言ったとも思えない。
だが、しかし…。
『そんなはずない……!
父が兵士に連れていかれた夜から数日、母も、満月の晩には罪も晴れて帰ってくると、そう信じて、家族みんなで、父の帰りを、待ってた。数えてたんだ、本当に、なのに……。
父が処刑されたのは、満月の晩の前日だった。』
『………フッ、そんな、同情を買わせようとするデタラメなど…』
『デタラメなんかじゃない!!!』
『…………っ。』
大きな声で叫んだ私に驚きつつ、男はしばらくの間黙ってしまった。
そしてしばし考え込んだあげく、『そこで一晩頭を冷やせ』とだけ告げて出ていった男の背中を見ながら、私は深く息を吸う。
『あーもう、一体どうなってんだ…。』
男の言葉が嘘であろうがなかろうが、私は絶対に間違っていない。
だって、大好きな、大切な人が我が家に帰ってくる日を心待ちにしていたあの頃の記憶を、一度たりとも忘れた事はないのだから。
でも現に、私と男とでは食い違いが生じている。
『お父さんは、人狼じゃない…。
私だって、人狼なんか………』
何故、本当に………なんで。
処刑する日が一日でも遅かったら。
父の無罪は、証明できた。一日、たった一日待ってくれさえすれば……。
『人の命が、そんなに軽いものであっていいのか……。
…………んな訳ねぇだろ!!』
周りから見れば、‘’人狼狩り‘’で捕まったただの男かもしれない。でも、その男には家庭があった。妻がいた、娘がいた。
私にとっては、たった一人の父親だった。
『なんで一日、待ってくれなかったんだ……。』
当たっても仕方ないのに、私は強く地面を蹴って呟いた。
『私にはやっぱり、父の代わりは務まらない……。』
と。