好奇な視線と、潜む影。
更新遅くなってしまい、大変申し訳ありません……!
──約ニ時間。
森の浅瀬、山の麓に家を構える自分の家から徒歩二時間、ようやく城下町が点として見えるところまでやって来た。
『あ~寒っ』
お馴染みの、襟元の生地が少し分厚めに仕立てられた赤マントを身につけてはいるものの、この寒さでは正直心許ないのが素直な感想だ。
しかし、だからといって大人物のコートを持っているわけでもなく、気合いと根性で乗り切るしかないのだから困りものだった。
『あぁ……でもやっぱり、バラがなぁ…』
昨日、母が寝静まった後もしばらくその事について考えたものの、全くと言っていいほど打開策が思い付かなかった。
それどころか、珍しく今朝はサラが早くに起きてきて、まだ日が昇らりきらぬうちに出発しようとした私に向かって、‘’お姉ちゃん、よろしくね‘’と満面の笑みでそう声をかけてくる始末。
『はぁ……』
気づけばまた、口から白いため息が溢れていた。
妹の……期待に満ちた、優しげなあの瞳。
それを自身の手で壊すのかと思うと、やはり、あの時断っておくべきだったかとまた後悔の渦に飲み込まれる。
『あぁ…もう、考えないことにしよう。』
そうだ、いつまでもグダグダ考えていたってきりがない。
買えたら、売ってもらえたらラッキーだ、くらいに思って挑むしか、今の私には出来ないではないか。
それに、赤いバラはあくまでオプションにすぎない。
一番大切なのは、今月も無事妹の薬を買って帰ること。
以上。
──よし。
段々と近づいてくる戦場に向け、私は、今一度しっかりと気を引き締め直した。
☆★☆★☆★☆★
寒さがいくらかマシになり、お天道様が真上に昇ったお昼頃。
『へーい、らっしゃい、らっしゃい、今日の特売品は……』
結局城下町に着いたのは、もう11時も回ったお昼時であった。
活気に溢れたこの市では、相変わらず多くの人が各店の前でごった返し、あらゆる客寄せの声が右に左にへと流れていた。
『ねぇ、今日の夕食はお魚にしない?』
『あ、それいい!』
『いいわねぇ、ウチもそうしようかしら。』
『パパー、あのおかしほしいー!』
『はいはい、お利口にしてたら、帰りに寄ってあげるからね。』
井戸端会議から親子の会話、あるところには恋人同士の楽しげな会話など、市の賑やかさは他に類を見ない。
しかし、その賑やかさのおかげもあって、今のところ、誰一人として私の存在に気付く者がいないのは、正直とても有り難い状況だと言えるだろう。
特に、女でありながら狩人を生業としている私は、他の町娘がカラフルで綺麗な刺繍の施されているワンピースを好むのに対し、動きやすさ重視のダークブラウンのショートブーツ、収用力抜群の皮ベスト、裾を何度か折った亜麻色のカーゴパンツなど、どこをどう取っても周りの女性に紛れるような格好をしていない、いや、どこをどう見たって、‘’あんた、男だろ。‘’と言われかねないような、そんなスタイルで来てしまったから尚更だった。
『………』
そうして、人の合間を縫って歩き続けること約10分。
──カランコロン。
聞き慣れたカウベルが私の来店をさりげなく店の者に伝え、温かな笑顔を携えた一人の老人が、何やらおぼつかない足取りで姿を現した。
『クレアちゃん、いらっしゃい。』
『こんにちは───ロベルトさん。』
ロベルト・タイラー。
この、『タイラー薬品店』の主にして、この街で唯一父の無実を信じ続けてくれた人。
そして今では、妹が生きていくためにはなくてはならない医薬品を調合し、私達一家に正規の値段で売ってくれる心優しきご老人だ。
『それにしても、今日は早く着いたねぇ。
何事もなかったみたいで、ほんと良かった。』
しわくちゃな顔に更にシワを浮かべて笑う彼に、私もほっと息をつく。
一応、月一のペースでこの薬品店に通ってはいるものの、いつもここに無事辿り着けるかどうかは、正直言って運次第であった。
なぜなら、時には変な輩に絡まれ、またある時には、大多数の住人から、『人害の獣は出てけ!』と、罵声を浴びせられる事もまた然り。
その他にも、後ろ指を指されたり、唾を吐きかけられたり……
あ、後は、親に何か吹き込まれたのであろう少年が、私を見つけるなり生卵を投げつけてきたことさえあった程だ。
さすがにあれは、少々肝を冷やしたりもしたが。
『えぇ。今日は幸い、誰にも気付かれなかったもので。
いつも気にかけて下さり、本当にありがとうございます。』
するとロベルトさんは、いいや、と笑い、
『やっぱり、お店の常連さん──特に、クレアちゃんに何かあったら、ブライアンに顔向け出来なくなるからね。
私もそろそろ、あちらへお邪魔する日が近づいてきているみたいだし。』
と、笑えない冗談を口にする。
『やめてくださいよ、ロベルトさん。
妹の薬もそうですけど、ロベルトさんには返しても返しきれない、たくさんの恩があるんですから。
その全てを返しきるまで、まだ向こうには逝かせません。』
『ハハハ、クレアちゃんはお父さんに似て、ほんと頑固だなぁ』
朗らかに笑うロベルトさんであるが、やはりその手際の良さにはいつも魅了される。
気付けば、カウンターにはたくさんの包みが並んでおり、その一つ一つをすり鉢に入れては、丁寧に力強くすりつぶしていた。
『頑固なのは認めますけど、やっぱりロベルトさんが死んじゃったら、私悲しいですもん。』
『そういう優しいところも、お父さんそっくりだよ。
あ、そうだ、妹さんの調子はどうだい? お母さんも元気?』
『はい、おかげさまで。』
サラは、たまに熱を出して寝込んでしまう事もあるのだが、それもまた一時のもの。前のように、風邪一つで命の危機に脅かされる事はなく、今では随分心穏やかに日々を過ごせている。
『これもそれも、ロベルトさんが作ってくれる薬のおかげです。』
『そうかい…』
彼の眉間に、少しだけ皺が寄る。
その理由も、なんとなく察しがついてしまうのが私は辛かった。
『ロベルトさんこそ…無理、しないでくださいね?』
薬品店も、決して楽な仕事ではない。いや、この世界において、楽な仕事という概念はそもそも存在しないのかもしれない。
ロベルトさんも、気付けばもう70近く。
そんな中、老いた体に鞭打って仕事をしてくれてるのだから、私は本当に感謝していた。
いや、感謝せずにはいられなかったのだ。
なぜなら、ロベルトさんが店に立てなくなり、次の当主にこの店が引き継がれることになったら、きっと……。
『どうしてアイツは、ブライアンを信じようとしないんだっ。
仮にも、大事な幼馴染みであったというのに……。』
ロベルトさんが悔しそうに呟いたその人とは、彼の実の息子である、リディアム・タイラーさんの事であった。
リディアムさんは、私の父の幼い頃からの友人であり、この薬品店の次期当主でもある人。
しかし、なぜか父が人狼だと疑われた際、構うどころか真っ先に父を見捨て、私に『人狼の娘』というレッテルを貼った張本人でもあった。
『気にしないで下さい、ロベルトさん。
リディアムさんにもきっと、リディアムさんなりの考えがあるんだと思います。
私は、そう信じています。』
心優しきロベルトさんの息子であり、父の友人であった人。
そんな人が、何の理由もなしに私を避け続けたり、頭ごなしに批判なんてするだろうか。
もちろん、実際にたくさんの嫌がらせを受けている以上、私はあまりあの人を好きにはなれない。
でも正直、‘’人狼の家族‘’と呼ばれる私達と関わりを持ち続けていても、それを周りから非難されるだけで、何の得にもならないのは事実だ。
それどころか、商売人であるこの家からすれば、私達一家との関わりが、その商売生命に大きな打撃を与えることもある。
だからリディアムさんは、この店や自身の家族を守るために、仕方なく私達一家を避け続けているのではないだろうか。
例え、本当はそんな真っ当な理由がなかったとしても、私はそう信じていたかった。
なぜかは分からないが、私には、リディアムさんの全てを否定することも、憎むことも出来なかったから。
『そういえば……今日、リディアムさんは?』
いつもなら、ここでロベルトさんの手伝いをしているはずのその姿が今日は見えなかった。
『さぁ…。一体どこほっつき歩いてんだか。
それにしても、あのバカ息子に店を譲ったら、クレアちゃんにもう薬は…』
売れない。
いや、あの人は私に薬など売ってくれない事だろう。
だからこそ、ロベルトさんは年老いた体をこき使ってまで、このお店を続けてくれている。リディアムさんに、お店を譲らないでいてくれている。
『ロベルトさんがそうやって父を信じてくれているだけで、私はもう十分です。
ですから、ロベルトさんも無理だけはしないでください。
いや、今も無理を押してまで仕事をしてくださってるのは分かっているのですが、それでも…』
私は、ロベルトさんの目を見据え、その思いをしっかりと言葉にする。
『本当に辛くなったら、彼に……リディアムさんに、このお店を譲ってください。
遅かれ早かれ、そんな日が来ることは分かっていたのですから。』
『クレアちゃん……』
自殺行為。妹からすれば、薬がなければ生きていくことは出来ないに等しい。
つまり、ロベルトさんが息子に店を譲るということは、余程の事がない限り、間接的に妹の死を予知する事と同じなのだ。
『ここがなくなったら、次のあてでもあるのかい……?
そうじゃないと、君の妹さんは…………』
『…………。』
あて……なんて、あるわけがない。
この街から見放された私は、いや、私達一家は、他にあてなんて存在しない。
今までだって、そうやって周りから見捨てられたが故に、自給自足で生活しなければならなかったのだから。
『あてはありませんが、何とかはなると思います。
三週間かければ隣町の市場に行くことも出来ますし、今より過酷な生活を強いられる事にはなるでしょうけど、妹のためなら、この身を酷使することも厭いません。』
ロベルトさんは、もう何も言わなかった。
私の信念に静かに涙し、いつもより少しだけ多い量のその薬を、私の手に握らせてくれる。
『……これは、おまけだ。
本当はもっとあげたかったんだが、薬は鮮度が命だからな。
今は、この分しか渡せない。
もし、私に万が一の事があった時の予備だと思って、受け取って欲しい。』
『でも…私、いつもの金額しか……』
『お金はいらないよ。
───クレアちゃん。……元気でな。』
そう言って、ロベルトさんは私を強く抱き締めた。
『ロベルトさん……』
触れてみて分かる、骨と皮しかないその小さな体。
──余命、三ヶ月。
先月、ロベルトさんは自身の病状についてそう口にした。
それでも、出来る限りはこの店を続けるんだと、そう私に誓ってくれたのもまた事実。
彼は、その約束を果たそうとここまで頑張ってくれた。
こんなに病状が進んでいるのに、いつだって私を温かな笑顔で出迎えてくれた。
『ロベルトさん、ロベルトさん……っ。』
私は、その小さな背中をさすりながら、声を押し殺して泣いた。
小さな頃からお世話になった、私にとって大切な人。
周りが何を言おうと、父を、私達一家を見捨てないでいてくれた人。
そんな人が、またいなくなってしまう。
この人がいなくなればもう、この街に私の味方などいない。
それが、ものすごく心細かった。
家族にロベルトさんの病状を伝えた時も、本当は涙が溢れそうで仕方なくて、でも、母と妹が涙するなか一緒に泣いてしまっては、更に二人の不安を煽るだけだとぐっと堪えていた。
そう、今日この別れだって、本当は笑顔で、笑顔で…………
『ロベルトさん、本当に、本当に、ありがとうございました…っ』
今この店には、私とロベルトさんしかいない。
それもこれも、人狼の娘である私が長年通い続けた結果、この店から他の客足が遠退いたと言っても過言ではなかった。
それくらい、私達一家は周りから疎まれるほどの厄介者だったのだ。
……実際、あの人が溢すような、この店の‘’疫病神‘’で間違いなかったのだ。
『クレアちゃん……』
でも、これ以上ロベルトさんに迷惑をかけることは出来ない。
いや、たくさん迷惑をかけてきて、その恩返しも全然出来なかったけれど、せめて亡くなる時くらいは、何の心配もなく安らかに眠ってほしかった。
……図々しく、どうしようもなくおこがましい願いであるのは、分かってはいたが。
『ロベルトさん。』
涙をすぐに引っ込めた私は、新たな決意を、しっかりロベルトさんに伝えることにした。
心優しい、命の恩人でもあるこのご老人がもう、私たちの事で悩んだり……心配したりなんて、絶対しないように。
『あなたが繋いでくれた妹の命、必ず私が護り通してみせます。
───本当に、本当にお世話になりました。』
深く、地につきそうな程深く頭を下げた私に、いつもの優しい声が上から溢れてくる。
『こちらこそ、最後までここを利用してくれて本当にありがとう。
……くれぐれも、無理だけはしないようにね。』
『はい……!』
★☆★☆★☆★☆
──カランコロン。
涙で滲みそうになる視界に自ら制止をかけ、私は満面の笑みで薬品店を後にした。
本当はもっと話していたかったが、ロベルトさんの容態もあまり良くなさそうだったため、早めに切り上げる事にしたのだ。
それに私自身、あれ以上あの店にいては、自身の涙腺がもつかどうかも怪しかった。
でも、泣けばまた彼に心配をかけてしまうし、せっかくなら最後くらいは笑顔で、史上最上級にぎこちなくも必死に作った満面の笑みで、なんとかお店から出てきたのだった。
『…………っ。』
冬の外気が、私の泣き跡を綺麗に消してくれる。
そう信じて……一粒だけ、私は静かに涙を落とした。
ごめんなさい、お世話になりました、そしてやはり……。
──ありがとうございました。
その思いを、たった一粒に全て託して。
パンっ。
涙の筋を誤魔化すかのように、私は勢いよく両頬を叩き、呟いた。
『バラ、赤いバラよ、私。』
──妹のためなら、この身を酷使することも厭わない。
そうロベルトさんに宣言したからには、しっかり目の前の課題から取り組まないと。
感傷に浸っている時間など、この私に残されてなるものか。
『よし、』
いつのまにか涙は止まっていて、私はまた、人混みの中へとその足を踏み出していた。
本当ならこのまま直帰するところだが、花屋は生憎、もう少し奥の王宮近くに店を構えている。
とりあえずそこまでは、何がなんでも慎重に進まなければ…。
そう、思った手前だった。
『やめてっ!離してくださいっっ!!』
思わず、私は声のする方に足を止める。
もちろん、この人混みの大多数は気付いていないのか気づかぬふりをしているのか、その声に歩みを止めるものは誰もいなかった。
『……?』
そして、スッとその人混みから道の小脇にはける事に成功した私は、そのままゆっくりと路地裏に近付き、聞こえてくる会話の内容に耳を澄ませていた。
『─そう泣き喚くんじゃねぇよ。
何も悪いようにはせんさ、なぁ?』
『あぁ、もちろん。
それにしても、こりゃあ上玉だ。格段、高値で売れるぜ。』
『おぉ、そりゃあいい!』
『は、離して!!
私は後宮の者よ!あなた達のいいなりになんてならないわっ……!』
『後宮……そうかい。それは尚更都合がいい。
なんなら、身売りなんてせんでも、誘拐して身代金でも要求しようか?』
『それなら、この娘に多少傷をつけたって、高値で取り引き出来るしなぁ。
あぁ、今夜が楽しみだ。』
『こらこら、下品なこというんじゃない。
まぁ、お前の次は俺が存分に楽しませてもらうけどな。』
『ふ、ふざけないで……!
誰があんたらなんかと……キャっ!!』
───ドンっ。
鈍い音が聞こえ、私は思わず建物の影からバレないように顔を突き出した。
『なんなら、今ここで汚してやってもいいんだぞ……』
地面に押し倒された女性の上に馬乗りになった男の一人が、そう言いながら、とてつもなく低俗でいやらしい笑みを浮かべている。
『……!』
一体何の権利があって、あんな酷いことをしているのだろう…?
それを考えれば考えるほど、あの男達の行動に腸が煮えくり返る自分がいた。
彼女を助けたい。でも、厄介事に関わって、この薬を無事妹に届けられなくなったら……。
『い、いやぁぁぁ!!』
しかし、その男の手が女性のスカートの下に伸びたとき、私の理性は既に───制御の意味をなさなくなっていた。
『あんたら一体、何してんだよ……?』
気付けば路地裏に飛び出し、馬乗りになっていた男の一人に、私は容赦なく掴みかかる。
そして、男が顔を上げるより早く、その顎に自分の膝を食い込ませ、そのまま大きく天へと振り上げた。
バンッ!!!!
数メートル軽く吹っ飛ばされた男はそこで意識を失い、他の男達二人も、呆然とその場に突っ立っていた。
『大丈夫ですか?』
『は、はい……。』
襲われかけていた女性は、見たところ私と歳も変わらず、その色白な肌に艶やかな金白髪がとても似合う、大変美しい女性であった。
確かに、あの男達が目をつけるのも分からなくはないほど、色気と美貌と憂いを兼ね備えた、かなりの麗人だと見てとれる。
『……ッ!
お、お前、ウチの商品に何してくれてんだよっっ!!』
男の一人が鞘から短剣を抜き、そう言った。
『アア……? 誰がどこの商品だって?』
『なっ…』
今の一言に精一杯の凄みを利かせ、私は女性を庇うようにして身を乗り出した。
そして、そんな私を見て臨戦態勢に入った野郎共二人に、私は親切にも最後の警告を与える。
『──死にたくなかったら、今すぐ私の前から立ち去るんだな。』
『…っ………!
お、女のくせに生意気なぁぁぁぁ!!!』
『おらぁぁぁ!!!!』
──ゴスッ。ボコッ!
『…………うっ!!!』
最後の忠告を無視したうえに、剣の扱い方もなっていない。
そんな野郎共に半ば飽きれつつ、それでも私は容赦なく二人の腹に拳を決め込み、ものの数秒でこの勝負に片をつけた。
『す、凄い……!』
血生臭い…とまではいかなくとも、麗しき麗人にこんな乱闘を見せてもいいものか……と思ったりもしたが、彼女はそれなりに胆が据わっているようだ。その手で小さく拍手までしてくれている。
『……て、テメェ……』
『まだやる気?往生際の悪い。』
しかしなぜだか、男達の様子は先程とは打って変わって異なり、私はそれに妙な気味悪さを覚えていた。
気のせいかもしれないが……どこか、その表情には嘲るような微笑が隠されている気がして、ならないのだ。
そして、心なしか表も少し騒がしくなってきたところで、私は急いで彼女の腕を引っ張った。
『逃げるよ、今すぐ!!!』
いきなりの私の行動に戸惑いつつ、『は、はい!』とスカートの裾を捲し上げて必死に走ってくれる彼女の手を引き、私はその場からすぐに離れようとした。
────すると。
『警備隊の皆さん、こちらです──。』
聞き慣れた声がすぐ近くで聞こえ、私は思わず足を止めてしまった。
振り返った先にあるその声に、私はやけに嫌悪感を覚え───。
カチャリ。
『──動くな、人狼の娘。』
『…………!!』
無駄のない動きで拳銃を突き付けられ、私はそのまま彼女の儚げなその手を離してしまった。
気付けば、自分達の周りを数十人の宮廷警備隊が囲み、同じく武器をこちらに突きつけている。
これは一体…………?
そう思い──視線をさまよわせていると、遠くの方で彼らの誘導をしているある男が目に入った。
『リディアム……さん。』
さっきの声も、確かにこの人のものだった。
ということは、つまり…………
『そ、その女が、いきなり襲ってきて……っ』
『あ、あぁ。俺らはただ、友人との会話を楽しんでいただけなのに……いきなり、暴れだしたかのようにっ』
気を失った奴を除く、さっき倒した野郎共が口々にそうのたまった。
あぁ……やっぱり。
これはつまり、そういうことなんだ。
被害妄想とか、自意識過剰とかじゃなくて、きっと……。
私は─────嵌められた。
これは、リディアムさん達が仕掛けた、私への罠だった。
『クレア・ホワイト。
───誘拐未遂及び傷害致死罪の刑にして、今からあんたを連行する。』
そう言い、拳銃を突きつけてきた男が私の手を拘束しようとすると、思わぬところから怒号が飛んできた。
『お、お待ち下さい……!』
果敢にも、警備隊の彼にそう抗議してくれたのは、さっき私が助けた金白髪の女性だった。
『この方は、あそこで伸びてらっしゃる暴漢達から私を護って下さったお方です!
誘拐未遂だなんてとんだ間違いですし、捕まるべきはあの男達の方でございます!』
『なっ……』
『し、しかし…もう令状は出ておりまして……』
戸惑う警備隊の彼を完全に無視し、彼女は儚げで可憐な佇まいから一変、鬼気迫る様子で言葉を繋いだ。
『令状が何だと言うんです!?
助けて頂いた方を捕まえるのが正義だとでも……?
とにかく、その方を離してくだ────』
『どうかなさいましたか、ヴィオラ令嬢。』
すると、この場の統率者だと思われる、歩く度に回りから敬礼を受けている若い男が、彼女の前に現れた。
『レ、レオナルド様……!』
二人は知り合いらしく、彼女の緊張した面持ちは、その男の登場によって少し和らいだ。
『下がれ───後は私が引き受ける。』
私を拘束していた男に、レオナルド──と呼ばれる彼が小声でそう呟くと、私はやっとその身を解放された。
『あ、ありがとうございます……!』
本当は私が言うべきお礼を、彼女は何の躊躇いもなく伝えてくれる。
その優しさや先程の勇敢さに、私は、ロベルトさんに通ずる温かさを感じ取り──こんな状況にも関わらず、少しだけ嬉しくなってしまう次第であった。
しかし。
『──人狼の娘。』
『…………。』
『ち、ちょっと、失礼ですよ、レオナルド様……っ。』
しかし、周りを見渡しても分かるように、随分と事が大きくなったが故、こちらに非はなくとも、きっとすぐには家に帰れない。
あえて名を呼ばず、例の名称で私の方を見やる彼の顔が、私のこれからを全部物語っていた。
『これは極秘任務だが、最近、人狼がらみの誘拐事件が多発していると聞く。』
『…………。』
心当たりが、ないわけではない。
昨日の少女──いや、森で生活してもう十二年になるが、あんな出来事は初めてだった。人狼を見かけることも、人狼に出会ってしまう事もあったけれど、あんなことは───。
すると、その男は蔑むような目で私を一瞥した。
『皆の者!この女の令状を変える。
クレア・ホワイト。
未成年者略取及び誘拐の罪で、早急に貴様を連行する──。』
暗く、情のない冷えきった表情。
美しい男性ではあるけれど、正直私には、恐ろしい以外の何者にも見えなかった。
『レオナルド様、話が違───』
そうやって慌ててくれた彼女には申し訳ないけれど、私は今ここで捕まるわけには行かず、急いでその場から駆け出した。
『あの女を捕らえろ!!』
四方八方、警備隊の服を着た屈強な男達ばかりであったが、森で培った身体能力は、そんな環境でも力を発揮してくれていた。
『……退きやがれ、テメェら、』
鋭い眼光を飛ばし、拳を振り上げながら突っ切っていく。
迫り来るいくつもの人間の壁を蹴散らし、ある男の肩に両足を乗せた私は、そのまま大きく真上に飛び上がった。
そのまま建物の凹凸を使って空中から人だかりを抜け、まるで猿のごとく数メートル下の地面に軽く着地する。
『くっそ、速すぎる……!』
『あいつマジで女かよ……』
『早く追え!逃げられるぞ!』
様々な声が聞こえてくるのを全て無視し、私は街の外を目指して走った。
とりあえずこの街から出れば、後はどうにかして逃げ切ることは可能だ。
──妹に、薬を届けないと。
昨日二人にした‘’必ず帰る‘’という約束を、こんな早々に破ってなんかなるものか……。
『……ハァ、ハァ、ハァ』
息はきれ、体力ももう限界に近づいてはいたけれど、なんとしてでも私は、ここから逃げ切らなければならなかった。
愛する家族が待つ家に。
帰りたい、いや、絶対に帰るんだ。
私が厄介事に首を突っ込んでしまったがために、家で私の帰りを待つ二人に───迷惑なんて、かけられない。
『…………うっ……。』
しかし、そう思っていた矢先、私の身体は、鈍い音ともに鋭い衝撃が全身に走った。
足がぐらつき、その場に顔面から倒れ込む。
──バタンっ。
『いけません!レオナルド様!!』
彼女の声が遠くの方で聞こえたかと思うと、あの男の嘲笑がすぐ耳元で聴こえてくる。
『忘れるな──人害の獣は、生きてるだけでも罪であることを。』
『───っ、!
わ、私にも、護りたい家族が、あ、あぁ…。』
『黙れ。』
───バコンっ。
私の視界は、そこで完全に闇へと堕ちていった。