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黒い檻

作者: 池田須磨

「失恋した、慰めてくれ」

 場所はどこにでもある大衆居酒屋。テーブルの向こうに腰掛けるそいつに、俺は開口一番そう切り出した。武骨なジョッキを妙に優雅に傾ける目の前のそいつは、「またですか」とでも言いたげな顔をしてこちらを見る。そして渋々ジョッキを置き、やはり「またですか」と言った。毎度のことながら失礼な奴だ。

「それで今度はどんな美人に一目ぼれしたんです? この前はイオンのカード販売の店員で、その前は保険の勧誘に来たセールスでしたよね。今度は宗教の勧誘にでも引っかかりましたか、畑山さん」

「今回はちゃんと、何も売り込んでこない女性だ。俺だって成長してるんだぞ、戸波」

 確かに今まで惚れた女性の多くは”仕事熱心”な人が多かったが、俺の職業を知ると次々に去って行った。きっと聖職に着く俺の隣に立つことに、生真面目な彼女らは尻込みしてしまったのだろう。そうに違いない。

 そう言う俺に「信じがたいですね」と毒を吐くこいつは、私の大学時代の後輩であり、現在は何と推理小説家として活躍する売れっ子作家・小池湊大先生だ。とはいっても元後輩、在学中それはもう大変に世話をしてやった。具体的には、せっかくの美貌が勿体ないからと合コンに連れ出してあげたり、酒を飲んだ帰りに寂しかろうと泊まってあげたりしたものだ。そのたびにこの天邪鬼は、「客寄せパンダは嫌です」だの「帰って下さい」だのとほざいていたが、こうして今でも酒に付き合ってくれるあたり単なるツンデレだと俺は思っている。

そんなわけで今日もまた、俺は失恋の愚痴を聞いてもらうため。そして何より”ある相談“をするために、公務員にとっては全然プレミアムじゃない金曜の夜を、この後輩と二人きりで消費することになったのである。

「それで、今度は何と言って振られたんです。『生理的に無理』とかなら慰めようもありませんよ」

「それはどういう意味だ! ……いや、というか今回は振られたわけじゃない、というか告白すらしていない」

「それじゃあ告白の文面でも考えろと? 勘弁してくださいよ、そんなの豚に真珠、音痴に阿久悠です。無駄中の無駄です」

 相変わらず口が悪い……。しかも自分を阿久悠に例えるとか、自信過剰にもほどがあるだろ。そう思いはしたが言わない。経験上コイツに口喧嘩で勝てたためしがないからだ。

「……まあ、今回はそういうんじゃないんだ」

「というと?」

 いいかげん戸波もじれて来たらしい。細い指が淡々とテーブルを叩いているのを見て、仕方なく俺は気の進まない”本題”を切り出した。

「……実はな、その、つまり」

「つまりなんです」

「……死んだんだよ……。俺が気持ちを伝える前に、彼女は、亡くなったんだ」

 そこまで言い切って、前を見た俺は思わずのけ反った。

 先輩との食事中、腕時計をチラ見し続けていた失礼な後輩は、急に体を前へと―つまりこちら側へと傾けていた。優男風の顔立ちの中で唯一、妙な迫力を持った目が急にらんらんと輝きだして、こちらの顔から数センチのところまで迫っている。

「人死の話を私にするということは、ただ愚痴を言いに来た訳ではないようですね」

「……ああ」

 後輩の顔を向こうに押しやりながら俺は首肯する。戸波はと言えば、「ワクワク」という表現が似合う表情で、俺が話し出すのをいまかいまかと待っていた。狙い通り……ではあるのだが、あいかわらず趣味の悪いことだ。だからこそコイツを呼び出した俺も大概、趣味が良いとは言えないのだが。

――仕方ない。恋した女性の死に様を語る、そんな憂鬱なタスクをこなすため、俺はジョッキの中のビールを一思いに呷った。のどの奥から熱がせりあがってきて、脳みそから躊躇いが溶けだして行くのを感じる。そして俺は今回遭遇した奇妙な事件について、始めから語りだした。


×××


 勘の良い人はお気づきかもしれないが、俺こと畑山義夫(30)の職業は警察官、英語で言うならポリスメンである。フェミニストに配慮すればポリスウーメン&メンになるのかもしれないが、俺は身も心も男性なのでその辺はご容赦いただきたい。

 金曜の夜がプレミアムじゃないのは、警察官である俺にプレミアムフライデーが存在しないからであり、戸波が人死にことさら反応したのもまた、警察官である俺が言いだしたからに他ならない。そして今回俺が扱うことになった事件は、実に奇妙なものだったのだ。

「亡くなったのは、一年前から大通りでカフェを営む若い女性だ。名前は森谷仁美(もりや・ひとみ)。年齢は27歳、色白でおしとやかな、綺麗な子だった……うう、なんでこんなことに……」

「感傷にひたるのは後で結構ですから、さっさと概要を話してください」

 枝豆を黄金色の液体で流し込みながらせかす戸波に、内心「こっちは傷心なんだぞ」とムカつきながら続ける。まあ、変に気を遣われるよりは、必要以上に暗くならずに済むからありがたくはあるのだが……。

「……死因はガスを出しっぱなしにしたことによる中毒死だ。死亡推定時刻は閉店から一時間以内。彼女の店―ノワールと言う―は夜バーとして営業もしてるんだが、昨日の朝店に来た客が店に入ると、ひどいガス臭の中倒れ伏している彼女を見つけた、という訳だ」

「客が店に入った、と言うことは、入り口は既に空いていたのですね?」

「ああ。彼女の店は通りに面した一階にあるんだが、入口の自動ドアは電源が入ったまま、鍵もかかってなかった。最初の客は普通に入店している。森谷さんに目立った外傷もないし、店内に争った形跡もない。体内からはそれなりのアルコールが検出されたが、客の話じゃ付き合いで何時間もお酒を飲んでいたらしい彼女が、酔いつぶれるほどの量じゃない。他に薬物の反応もない。すると彼女はいつでも店から出ていけたことになるから、この件は普通に考えれば自殺ということになる。なるんだが……。遺書も発見されていないし、どうも違和感がなぁ……」

「なにか他殺を疑わせる証拠でもあったのですか? 彼女が自殺するはずがない、というのはやめてくださいね。それは根拠としては弱い」

 そう尋ねた戸波は次の瞬間、通りかかった店員に「おねぇさん、刺身盛り合わせ追加で」と注文する。どうやらさっそく興味を失いつつあるらしい。俺は慌てて、この事件の妙な部分を説明した。

「話は最後まで聞けって。実は彼女の店には裏口があるんだが、そっちは荷物で塞がっててな。女性はもちろん、男ですらすぐには開けられないようになってたんだ。なのに現場には、爪痕やらマットの乱れやら、開かない裏口の方を開けようとした形跡がある。しかもそうとう必死にな」

 俺がそこまで言うと、戸波はようやく俺の言わんとするところを了解したらしい。あっという間に刺身を平らげていた戸波は、残ったツマをつついていた箸を止めて、口の端を歪めながらこう言った。

「つまり彼女は、ガスが充満した部屋の中で、「空いているはずの自動ドア」には見向きもせずに、「開けられない裏口から必死に出ようとしていた」という訳ですね?」


×××


「なるほどなるほど、それは中々面白い事件です。私に推理をして欲しい、ということですね。今のとこ単なる自殺扱いみたいですが」

「ああ、だが俺にはそうとは思えない。頼む、なんでもいい! 何か思いついたことは無いか」

「容疑者はいるんですか? そもそも他殺だとして、彼女の目を盗んでガスを開けっ放しにできるような人間がいたんですか」

「それについては問題ない。閉店二時間前ほどに森谷さんは体調不良を訴えて、しばらくソファーで寝込んでいたらしいからな。そのとき店には三人の客がいたが、トイレや電話の外出でそれぞれ一人になる時間があったそうだ。寝ている森谷さんの目を盗んで厨房に忍び込むくらいの時間はあった。閉店時間間際に彼女が起きて来たから、三人で同時に店を出たと証言してる」

「その三人の情報について教えてください」

 コイツ、あっさり捜査情報を要求しやがって。しかし他に縋るあてもない俺は、手元のスマートホンを起動し写真を表示する。……警官としては問題行動だが許してほしい。この中ににっくき殺人犯がいるかもしれないのだ。戸波はまず画面に表示された、ツナギを来た好々爺然とした老人を見て、「この方は?」と説明を促す。

「この人は事件の直前まで店にいて、なおかつ第一発見者でもある。名前は大引健次郎(おおびき・けんじろう)、年齢は75歳、元トラック運転手だ。彼は散歩が趣味で、朝晩に店によって森谷さんと世間話をするのが日課だった。当日の朝もそのつもりで店に来て、変わり果てた彼女を発見したということらしい」


『ほんに可哀そうなことしたよ』

 年のわりに健康的に日に焼けた大引氏は、皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、終始被害者への同情を口にしていた。

『私がもうちっと早く出てれば助かったかもしれんのでしょう? まだ若いのに、自殺するほど悩んでたなんて、気づけてあげられれば良かったんだけどねぇ』


 そう言って涙ぐむ姿は、正直言ってとても犯人だとは思えなかった。むしろ彼女との思い出話に花を咲かせてしまって、課長にブチ切れられたのは記憶に新しい。確かに聴取時間の6割を使ったのは悪かったと思うが、怒る必要は無いんじゃないかと思う。必要な情報は聞き取れたわけだし。

「しかしアリバイは無いんですよね? しかも第一発見者。状況的には一番怪しい」

「そりゃこっそり家を出たって可能性もあるが、深夜にこの歳の老人が歩いてれば誰かしら気づくだろ?」

いくら高齢化が進んだ都内とはいえ、真夜中に老人が歩いていたら、徘徊扱いで通報されてもおかしくない。何より大引氏は森谷さんを愛する同士なのだ。そもそも殺す動機がない。

「というわけで、大引氏は犯人から除外してもいいんじゃないか」

「大分私情が入ってた気がしますが……、まあいいでしょう」

 一言釘は刺したものの、戸波も大引氏に引っかかる点は無かったらしい。勝手に画面をフリックすると、今度は黒いタートルネックをおしゃれに着こなしたナイスミドルが表れた。口回りに生やした髭が魅力的……とは鑑識の檜山女史(35)の談だ。俺は全ッ然そうは思わないけどね!

「彼は……そういえばどこかで見たことがある気がしますね」

「こいつは黒田吉春(くろだ・よしはる)38歳。新進気鋭のベンチャー会社社長だ。最近人気女優との密会がスクープされて、色んな意味でお茶の間を騒がせてるクソ野郎だ。おまけに昼間っから夜まで店にたむろしてる暇人で、いっつも森谷さんに馴れ馴れしく話しかけていたナンパ野郎でもある。事件当日は会社に泊まり込んだと言ってるが証明する人はいない。こいつが犯人に違いない、ゼッタイ」

「えらく突っかかりますけど、何か因縁が?」

「だってあの野郎……」

 一応俺だって公僕である以上、仕事に私情を挟むようなことはしない。したくない、のだが……。


『俺は無関係だよ、刑事さん』

 取調室に座った黒田は開口一番、ミステリードラマの犯人のようなセリフを宣った。その時点ですでに怪しさ満点なのだが……、

『殺人の可能性がある? どうせ自殺でしょ自殺。―ハァ? 彼女とどういう関係だったかって、それが何だって言うんです。別に単なる店主と客の関係ですよ。誓ってそれ以上でもそれ以下でもない。こんなこと自分から言いたくないですけどね、最近のニュースで知ってるでしょ。俺は女性に不自由したことは無いんだよ―』


「―だのなんだの聞いてもないことをベラッベラしゃべりやがってあのヤロー!」

 思わず熱くなって、追加のグラスをテーブルに叩きつける。近くを通った店員が顔をしかめて、空きグラスを回収してそそくさと消えた。追加注文しようと手を上げていた戸波は、不満と憐憫が混じった表情で俺を見つめてくる。……やめろ、俺をそんな目で見るな。

「大丈夫。畑山さんもいつか、若い女性を侍らせてウハウハですよ。―たぶん80過ぎくらいに」

「介護されてんじゃねぇか!」

 そういえばコイツもイケメン+成功者だったことを思い出す。クツクツと笑いをかみ殺す戸波を無視して、俺はさっさと最後の写真を表示した。

「彼は仙草彰(せんそう・あきら)30歳。近くの機械産業系の会社で働くサラリーマンだな。週に三、四回、昼休憩に店に来ていたようだ。森谷さんとは雑談するくらいの仲だが、事件前日は珍しく夜に店に来ていたらしい。常連といえばこんなものだな」

そこに映っていたのは、如何にもビジネスマンらしい男だ。AO○Iのスーツを無難に着こなし、清潔感のある短髪に銀縁の眼鏡がよく似合っている。会社での評判も良く、本人も取り調べに協力的だった。

『刑事さん、僕にできることならなんでも仰ってください。彼女を殺した犯人がいたとしたら、許しておくことなんて出来ない』

 その言葉に胸が熱くなった俺は、彼と思い出話に花を咲かせ―ようとして、般若の形相をした課長に引きずりだされた。あの時の課長は正直、今まで出会ったどんな凶悪犯よりも怖かった。ちびるかと思った。後で仙草の調書を見る機会があったが、これと言った疑問点は無かったはずだ。

「―とまあ、ここまでが主だった常連客の証言だな」

 そこまで聞くと、戸波は箸でグラスをチーン、チーンと叩きながらしばらく考えた後、「大引さんの証言に疑問があります」と切り出した。

「大引さんは店に入店したあと、店員の女性を発見したとおっしゃっていましたが、自動ドア越しに店の中は見えたのでは?」

「ああ、そっか」

 そういえば森谷さんの経営するカフェ・ノワールについて何も説明していなかったことを思い出す。それを思えば戸波の疑問ももっともだ。ただ、ノワールを簡潔に説明しようとするならば……

「なんというか、とにかく黒いんだよノワールは」

「? 黒い、というと?」

「つまり、ドアも内装も床も窓も全部真っ黒。店の制服も、マグカップや食器も黒。……そうそう! 事件当日に至ってはマスクまで黒だったなぁ」

「……よく通ってましたね、そんな不気味な店。あ、何も言わなくて良いです。どうせスケベ心で通ってたんでしょ?」

「なっ、違う! 俺は純粋においしいコーヒーが飲みたくてだなぁ」

 戸波は「ま、戯言はどうでもいいです」と俺の言い訳を切って捨てると、その長い指で額をトントンと叩きだした。最近分かってきたことなのだが、戸波は考えるときリズムをとる癖があるらしい。推理を頼んでいる手前文句を言うつもりは無いが、あまり行儀の良いことではない。コイツがやると似合うからまた腹立つんだけどね!

「しかし店の中が外から見えないとなると、初見の客は入りづらい気がしますけどね。実際繁盛していたんですか、その店?」

「森谷さんは「たくさんの人に見られると緊張するから」って言ってたけどな。彼女はシャイなんだよ///」

「彼女がシャイかどうかはどうでも良いんですよ。店は繁盛してたんですか?」

 ちぇっ、少しは話に乗ってくれても良いのによ。そう思いはしたが呼び出した手前、あまり怒らせては帰ってしまうかもしれない。ただ繁盛していたか、と聞かれると……。

「店が流行っていたかいなかったかと聞かれると、うん、その、なんだ。……知る人ぞ知る名店って感じだな!」

「流行ってはいなかったんですね、分かりました」

「……まぁそうとも言うかな。実際、『毎晩毎晩悪魔崇拝者のサバトが行われている』とか『店主の美貌に引き寄せられた男たちの魂は邪神にささげられる』とか、そんな噂がたつくらいには敬遠されてたし」

「どんな店ですか一体……」

 いや、そうは言っても店自体は普通のカフェ&バーだった。特別おいしいわけでもないが、一度馴染みになってしまえば隠れ家的な魅力があったし、何より店主が美人だ。

 そう弁護しようと思い戸波を見ると、その目が明後日の方を向いているのに気づく。どうやら店の入り口の方を熱心に見ているらしい。なにか面白いことでもあるのかと思ったが、サラリーマンの一団が入口で立ち往生しているだけだ。酔っているせいか中々店から出て行こうとしない中年オヤジを、レジに立った女の子が面倒そうに見つめていた。客が帰るまではレジを発てないが、忙しい時間帯だけに待ちぼうけも困る、と言ったところだろうか。

「まったく弱いなら飲むなっての。なあ戸波」

「畑山さん、三つ質問してもいいですか?」

 すると唐突に、真剣な顔をした戸波がこちらを向く。思わず「ああ」とうなずいた俺に、戸波は奇妙な質問をしたのだった。

「まず一つ。森谷さんは良く客に付き合って酒を飲んでいたと言いますが、その種類は分かりますか?」

「それが何なんだよ?」

「畑山さんのストーキング力なら覚えてるでしょ」

「ストーキングなんかしてねぇよ! 人聞きの悪いこと言うな!」

 第一彼女の好みの酒が事件とどう関係するのか。俺にはまるで見当がつかなかったものの、戸波はこの手の問題を扱う専門家だ。きっと何かを思いついたのだろうと、酒でふやけつつある脳をフル回転させる。

「……種類って言っても、ほとんどビールだったと思うぞ。ノワールはあくまでカフェだし、酒はせいぜい十数種類くらいしか置いてない。……でも、綺麗なカクテルとかは飲んでるの見たこと無いな。似合いそうなのに」

「ビールの銘柄は分かりませんか? 缶から入れていたならその色は?」

「色って言われても……。そうだ、そういえば、白字に緑色のラベル、だった気がするな。てっきりビールもサッポロ”黒”を飲んでるのかと思ったから、良く覚えてる」

「では二つ目です。ノワールのドアの前にあるマットは、やはり黒い色をしているんですか?」

「うん? そりゃそうだ。真っ黒の中に赤とか緑のマットがあったら変だろ」

 ビールの缶の色と、マットの色。それが事件にどう関係するというのか。まったく話について行けない俺をよそ、戸波はニヤリとその口を歪めて、自信満々にこういったのだ。

「分かりましたよ畑山さん、この事件の真相が」


×××


 最初俺は戸波の言っている意味が分からなかった。

「分かった⁉ 分かったってどういうことだ!」

「まあまあ落ち着いて。しゃべり通しで疲れたでしょう、ビールでも飲んだらどうです?」

 こちらの動揺をよそに、戸波はのんびりとそんなことを勧めてくる。しゃべりすぎて喉が痛くなっていたのは事実なので、ジョッキ半分ほどのそれを一気に飲み干す。向かいの戸波もグラスを飲み干すと、「店員さん、同じもの、缶のままいただけます?」と妙な注文をした。

「缶のまま頼む必要あるのか?」

「まあ後になったら分かりますよ。それより今は私の推理を聞いてください、多分正解ですから」

 そう自信満々に告げる戸波を前に、俺も自然と居住まいをただす。実際、持ち込んだ事件を解決してくれたことは一度や二度ではない。今回もきっと謎を解き明かしてくれるだろうと、俺は期待して彼を見つめる。それを受けて戸波は、酔いの回ったような口調で滔々と語りだした。

「まず今回の事件は自殺ではない、ということを前提にします。すると疑問が一つ。何故森谷さんは、近づけば勝手に開くはずの自動ドアから出ずに、荷物で塞がれた裏口から出ようとしたのか、という点です。……ここまではいいですね? いえ、ただでさえ低い理解力が、酒でさらに弱ってないか心配だったので」

「お前は嫌味を挟まないと喋れないのか?」

「すみません、でも大事なことですよ。もし彼女が自殺するつもりだったのなら分かりますが、寸前で思いとどまったとしてもやはり自動ドアを通って出ればいい。そもそも最初から死ぬつもりの人間が、いくら店を閉めた後とはいえ、自動ドアをいつでも開く状態にしておく理由がない。通りがかった人に自動ドアが反応して店内が換気されたり、そのまま助け出されてたりしてしまう可能性もありますからね」

 確かに、と俺は納得する。ガス自殺なんていう時間のかかる手段に訴えたにしては、彼女の作り上げた閉鎖空間はあまりに中途半端だ。

「であるならばこれは、何者かが故意に彼女を店に閉じ込めたということになります。つまり殺人です」

「そりゃ自殺じゃなきゃ殺人になるのは分かるけどよ。閉じ込めるったって、彼女は何時でも店を出られたはずだろ? 深夜でも人通りが絶えるってことは無いし、ドアを完全に固定するような細工がしてあれば、誰か気づきそうなもんだがな?」

 少なくとも近隣の住民は、死亡推定時刻に店に不自然なことは無かったと証言している。戸波の言ってることは、現実的にありえそうもない。

「別に人を閉じ込めるのに、つっかえ棒や鎖は必要ありません。犯人はおそらくですが、色を利用したんでしょう」

「色?」

 いきなり出て来たワードに疑問符を浮かべる俺をよそに、戸波は勝手に話を進めていく。

「戸波さんは自動ドアの仕組みをご存知ですか?」

「ああ、アレだろアレ。あの、なんかセンサー的なもので、あの、こう上手いことやってるんだろ」

「”やっぱり”知らないんですね」

「悪かったな知らなくて!」

 そんなもの知るわけがない。こちとら物理学を高校で諦めた人間だ。でなきゃ安月給の公務員なんてやっていない。

「それなら無知な畑山さんにお教えしますよ。センサーと言っても色々ありますが、今の自動ドアについてるのは大抵、光に反応するセンサーです。その仕組みは単純で、センサーの感知圏内の光の反射の変化によって、人や物が通るのを検知しています」

「簡単に言うと?」

「さっきので十分に簡単な筈なんですけど、まあいいです。例えば自動ドアの前に赤いマットが敷いてあったとしますよね? この時センサーは赤い色を検知し続けています。そのセンサーとマットの間に、白い服を着た人間が入ってくると、センサーの感知している色が赤から白に変わります。この変化をトリガーにして、自動ドアは開閉するんです」

「へえぇ」

 最近の技術がすごいのは良くわかったが、それが今回の件とどう関係するのだろうか。そんな俺の疑問を見て取ったのか、「例えばですね」と指をたてる。

「畑山さんも経験がありませんか? なぜか自分には反応しない自動ドア。前の人について行ったら、何故かいつも挟まれるポイントとか」

「あるある! 銀行とか署とか、なんかしょっちゅう挟まれるんだよな」

「さっきのサラリーマンも中々反応せずに、入口で立ち往生してましたよね? なぜこんなことが起きるかと言えば、さっきの色が関わってくるわけです」

「色が?」

「さっきの説明で分かるでしょう。センサーは色の”変化”を読み取っているわけです。色の変化がほとんどない場合、つまり普段検知している色と侵入してくる色が極めて似た色だった場合、自動ドアは開きません。ここで森谷さんについて考えてみましょう。自動ドアのセンサーの真下には黒いマットがしいてあり、店の内装も全て黒色。そして彼女は黒づくめ、極めつけに黒いマスクまでつけていたとしたら―」

「……え? ……おい、もしかしてお前……」

 ここまで来て俺はようやく、戸波が何を言いたいのかをうっすらと理解した。しかしそれが真相だとしたら、それはあまりにも……。

 そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、戸波はその結論を、はっきりと口に出した。

「森谷さんは、自動ドアが反応しなかったから死んだのではないか。私はそう思うんですが、いかがでしょう?」


×××


 俺はその結論を聞き、一瞬考えこんで―次の瞬間盛大に噴き出した。

「ぶふっ、おま、お前それは、さすがにないだろ。ひっひひ、ひい、お腹痛い」

 急に笑い出した俺を不気味そうに見ながら、店員がさっき注文したビールの缶を持ってくる。笑われた戸波はすました顔でそれを受け取ると、未だ笑い続ける俺に静かに問いかけた。

「何かおかしいところでも?」

「そりゃそうだ! 仮に自動ドアが反応し辛かったとしても、彼女はあの店を一年もやってるんだぞ。そんなのはなっから承知してたはずだ。それでパニックになるはずがない」

「それはそうかもしれません。でも逆に彼女が店のオーナーだからこそ、そのことを意識できなかった可能性もある」

「どういうことだ?」

 その疑問にすぐに答えず、戸波は「畑山さん、飲食店でアルバイトした経験ありますか?」と尋ねてくる。俺は学生時代、もっぱら力作業のガテン系ばかりしていたので、接客業の経験はほとんどない。精々が大学の出店くらいだろうか。そのことを言うと、戸波は例のニヤリとした笑みを浮かべてこう説明した。

「では店のオープン作業を想像してください。森谷さんのカフェの場合、裏口は普段から塞がってるので表から入ることになります。この時自動ドアの電源は切れていますから、外鍵を解除した後手動で開き、その後店の内側にあるセンサーのスイッチを付けます。スイッチが内側にあるのは当然ですよね。この時点で彼女はセンサーによる開け閉めを経験していません。さらに一人で営業してますから、多少休憩のために奥に入ることはあっても、開店時間に店から出ていくことは滅多に無かったと思うのですが、どうでしょう?」

 言われてみれば確かに、彼女は店の中でしか見たことがない。さすがに俺だって、早朝にやってくる彼女を待ち構えるような真似はしていないからだ。……閉店まで店にいて、「家まで送ります」と申し出たことはある。その時は丁重に断られてしまったが、清純な彼女のことだ、みだりに男と二人きりになるのを嫌ったのだろう。もし彼女に恋人がいたら、そしてそれが俺だったなら、いつも彼女と一緒にいてその身を守れたのに―。

「……畑山さん、吐きそうです」

「ん? トイレなら向こうにあるぞ?」

「いえ、畑山さんの顔が気持ち悪すぎて吐きそうです」

「どういう意味だコラ!」

 まあ冗談です。そう言って戸波は話を戻す。

「とにかく彼女は、自動ドアを自動ドアとして使う機会がほとんど無かった。そうは思いませんか?」

「確かに……いや待て。それなら閉店するときはどうだ? 店を閉めるんならまず、店内のセンサーのスイッチを切るわけだろ? 普通はそこで、ドアが反応しにくいことに気付けたんじゃ……」

「そうとも限らないですよ。だって想像してみてください。そう大柄でもない女性が、高い位置にあるスイッチを押そうとしたらどうします。こう、額の当たりが、センサーに近づくことになりませんか。こんな風に。そうすれば肌色の顔の部分がセンサーに肉薄しますから、ドアは問題なく開くはずです」

 そう言って戸波は、上に翳した手に向かって自分のおでこをぐぐっと近づける。確かに、スイッチがセンサーのすぐ横についている関係上、操作しようとすれば顔に反応するだろう。彼女が自動ドアの問題を把握していなかった可能性は、決してゼロではない。

 だがしかし、ゼロではないだけだ。一年もの間、彼女が普通にドアを通ろうとして、うまく反応しなかったことも当然何度もあっただろう。自分の服装と店の内装の相乗効果について理解していたかはともかく、「私には反応しづらいな」くらいは感じていたはずだ。ただ自動ドアが開かなかったからと言って、錯乱して裏口をこじ開けようとするとは考えにくい。あり得るだけで現実的じゃない。机上の空論、って奴だ。

「あのなぁ戸波、お前の推理は面白いし、見るべき点もあると思う。思うが、あまりにも荒唐無稽すぎる。いっくらお前が人気のモガッ⁉」

「それは人前では言わないお約束でしょ。それに、私の推理はまだ終わっていませんよ」

 向こうから俺の口をふさぎながら、戸波は続ける。

「確かに彼女がまともな状態なら、冷静にセンサーの反応を試したり、力づくでドアをこじ開けることもできたかもしれません。まともな状態なら、ね」

 そう思わせぶりに言うと、戸波は先ほど運ばれて来た缶のプルタブを引く。プシュッと気持ちのいい音が鳴って、傾けられたそれから、黄金色の液体がグラスの中に注ぎ込まれて行く。しかし俺の目線はグラスではなく、その缶の方に釘付けになっていた。缶の表面には、白字に緑色のラベルが張られた……。

 そこで俺はようやく理解した。戸波がなぜあれほど、森谷さんの飲んでいた酒を聞きたがったのか。

 そうだ。彼女の飲んでいたのはビール、そして缶の色は「白地に緑色」。見るものに安心感を与えるその色合いは、人体に有毒なアセトアルデヒドを含まないことの証明でもある。すなわち、

「…ノンアルコール、ビール……」

「ええ、おそらく間違いないでしょう。彼女はもう少しで店を閉めるという時間に、客に付き合ってわざわざアルコールフリーを飲んでいた。だとしたら、」

「―彼女は、酒に弱かったっていうのか⁉」

「ええ、その通りです。畑山さんにしては理解が早い。彼女は私とおんなじで、お酒に弱い人種だった。そして事件当日、酒に弱い彼女の体内から”それなりのアルコール“が検出された。


―さて、畑山さんに質問です。彼女は事件当時、本当に”まともな状態“だったでしょうか?」


×××


「つまり事件当夜、彼女は酔っ払っていたというのか!」

「ええ、しかも泥酔に近かったはずです。私や森谷さんみたいなタイプは、少量でも影響をモロに受けますから」

 そこまで喋ると戸波は、グラスに継いだキリンフリーを旨そうに呷る。それから口元をお絞りで拭って、推理の続きを語りだした。

「事件当夜の犯人の行動はこうです。犯人は森谷さんを酒に付き合わせ、酔わせて眠らせようとした。しかし彼女はいつものように、アルコールフリー飲料を飲みだした。困った犯人は彼女の目を盗み、飲み物の中に相当濃いアルコールを混入した。―なにか適当に料理でも注文すれば、彼女が厨房に籠っている間にいくらでも可能です。そしてそれを飲んだ森谷さんは、酒に弱いせいでアルコール中毒となり寝込んだ。おそらく犯人はもっと飲ませて眠らせるつもりだったのでしょうが、体調不良で勝手に寝てくれたのはラッキーでしたね。その後一人になったタイミングで厨房に侵入、ガスを開けた後何食わぬ顔で店を後にした。森谷さんは閉店間際に一旦持ち直したものの、ガスの充満に気付いた時には泥酔状態になってしまっていた。何とか脱出しようとした彼女は、反応しない自動ドアを前に冷静さを失いそのまま……」

 そこまで語り終えると、戸波はふぅと息をつく。そんな彼を前に俺は、戸波の推理力に改めて舌を巻く。荒唐無稽に見えて筋は通っている。しかしだとすると…。

「その犯人とはいったい誰だ? どいつなんだ!」

「そうですね。ここからは消去法になりますが、まず大引さんは無いでしょう。お歳がお歳だし、職業も機械工学とは縁遠い」

「それはそうだろうな」

 あの朴訥を絵にかいたような老人が、自動ドアの仕組みに詳しいとは思えない。俺といい勝負だろう。残る犯人候補は二人。

「やっぱり黒田か⁉ 黒田が犯人なのか⁉」

「……少し落ち着いてください。残りの二人ですが、ここで問題になるのは森谷さんの酒の強さを知っていたかです。彼女が酒に弱いことは、夜も来ていた常連なら知っていた可能性が高い。だとしたら、閉店から二時間も前にあれだけの量を飲ませてしまうのはまずいと分かるはずです。彼女が体調を崩して「今日はもう帰って下さい」と言われてしまえば、計画を実行するタイミングがふいになりますから」

 なるほど。ガスを出すのが閉店間際でないと、後から来た客も巻き込んでしまう。黒づくめの強盗みたいな見てくれじゃない限り、普通の客は問題なく自動ドアをくぐれるから、そうなれば計画は失敗だ。だとすれば犯人は……。

「ええ。黒田は昼から夜まで入り浸っていたと言いますし、森谷さんがお酒を飲めないことを知らないはずがない。だとすれば犯人は―普段は昼にしか来ない仙草の方です。彼は機械メーカーの会社員ですから、自動ドアの仕組みについても詳しかったでしょう」

 そこまで語り終えて、戸波はソファー席の背もたれにゆっくりと背を預ける。それから店員に「お愛想で」と告げると、グラスの残りを一気に飲み干した。俺もまた彼の推理を咀嚼しながら、おそらくそれが真相だろうと確信していた。しかしまだ一つ、分かっていないことがある。

「お前の推理はたぶん正解だと思う。少なくとも、上に報告すれば仙草について詳しく調べるだろうし、証拠だって簡単に出てくるだろう。しかし動機が分からねえ。仙草は俺とおんなじで森谷さんに惚れてたように見えたぞ。あいつに森谷さんを殺すほどの動機があるのか?」

「ここからは完全な想像になりますが、おそらく殺害する意図は無かったはずです」

「なに?」

 殺害の意図はない。意外な言葉に驚く俺に戸波は続ける。

「それはそうでしょう。なにせこの計画には穴が多い。多すぎると言ってもいい。森谷さんの酔いが十分でなかったり、センサーが運よく反応すれば終わりです。外の人が気づいてくれる可能性もあったし、実際そうなる確率の方が高かった。本気で殺そうとするなら、確実な方法は他にいくらでもあります。仙草も最初から、ちょっと脅かしてやろうくらいの気持ちだったはずです」

「それはそうだろうが、その動機は? 結局、悪意があったのは同じことだろ」

「行き過ぎた嫉妬心からの警告、ではないでしょうか」

 だめだ分からん。さっきから「分かってますよね」という感じで話しているが……。天才と呼ばれる人間にありがちな性質として、戸波は自分に分かることは他人にも分かると思っている節がある。仕方なく俺は、バカにされることを覚悟して尋ねる。

「なあ戸波、悪いが俺はお前ほど賢くないんだよ。一体全体何の話だ? 嫉妬とか警告とか」

「……畑山さん、本当に分からないんですか。というより、畑山さんなら理解できると思ったんですが」

 心底呆れた顔をする戸波だが、そう言われても何が何やら。「本当に気づいてなかったのか」と小さく呟いて、戸波は衝撃的な一言を口にした。

「つまりですね。―黒田と愛人関係にあった森谷さんに、『これ以上黒田と親しくするな』と、仙草はそう言いたかったんですよ」


×××


「…………………………へ?」

「そもそもあんなに若い女性がカフェを経営してる時点で、パトロンがいたのは明白です。それが黒田氏だとすれば辻妻が合う。あの黒一色の店も案外、「黒田の黒」にあやかっただけかもしれません」

「ちょ、ちょっと待て、お前今何て……」

「森谷さんはまぁ、若くて美人な女性ですから、店に来ていた男連中の多くは彼女にあこがれていた。仙草もそんな一人だったのでしょう。しかし仙草は見てしまった、黒田氏と森谷さんの関係を示す現場を。ハグやキス、はたまたホテルに入って行く姿を見たのかは分かりませんが、少なくとも仙草は二人が親密な仲だと確信した」

「嘘だろ、嘘だと言ってくれ、なあ……」

「それがきっかけとなったのか、元から思いつめやすい性質だったのか……。いずれにせよ、仙草の恋心は暴走した。この辺はアイドルの恋愛スキャンダルに激怒するファンの心理に近いかもしれませんね。そうして彼は黒田に夢中の森谷さんにお灸をすえるべく、彼女をガスの中へと閉じ込めた。もちろん先ほど言った通り、少し怖い思いをさせるだけのつもりだったのでしょうが、森谷さんの酒への耐性について仙草は大きく誤解していた。結果、このような不幸な事件へと発展してしまったというわけで……どうかしましたか?」

「まさか森谷さんが黒田とデキてたなんて、そんな……」

 正直そんな情報知りたくなかった。何も知らなきゃ悲しい恋で終われたのに、既に誰かのものだったなんて。しかも、しかもだ! あの黒田何某といういけ好かない野郎の、二人目の女だったなんて。一人打ちひしがれる俺を尻目に、さっさと椅子から立ち上がる戸波。何とかショックから立ち直った俺はふと、最後に浮かんだ疑問をぶつけた。

「おい戸波」

「元気を出してください畑山さん。今回の一件が明るみになれば、畑山さんの大嫌いな黒田にとっては致命的なスキャンダルになりますから。……ま、黒田がいようがいまいが、森谷さんが畑山さんに靡いたとは思いませんが」

「慰めるなら最後まで慰めてくれよ! ……いや、それはもういい。そうじゃなくてだな。動機は分かったんだが、結局怖がらせるだけなら、他にもっと簡単な方法があるだろ? なぜ仙草はこんな、色を使った珍妙なトリックを考えたんだ」

「……そりゃわかり切ったことでしょう」

 自動ドアへと足を進めながら、戸波は振り向きつつこう言ったのだった。

「黒い色のせいで死にかければ、”黒”田も嫌いになるかもしれませんから。―一言でまとめるなら―」

 そうして戸波はこちらを振り返り、こう言ったのだった。

「「嫉妬の黒い檻に囚われていたのは、犯人の方だったのかもしれない」ということ、ですかね。ま、いいネタがもらえましたし、ここは私が持ちますよ」

 そんなキザな言葉を残して、戸波はさっさとレジへと向かう。今回の事件を的確に言い表したその言葉に、俺は深くため息をついた。不幸な事故で死んでしまった森谷さん。脅すだけのつもりが殺人犯になってしまった仙草。そして今後スキャンダルで火だるまになるだろう黒田。漆黒のカフェ・ノワールは、なるほど、関係者を地獄に引きずり込む「黒い檻」に違いない。そして仙草の立場には、俺がなっていてもおかしくはなかったのだ。

 そんな不吉な想像を振り払うように、俺は戸波を追って出口へと向かう。華奢な背中がドアをくぐり、俺もまた自動ドアをくぐろうとして-

「―痛って、チクショウ挟まれた!」

「やっぱり最高にダサいですね畑山さん、恥ずかしいので私から100メートル離れて歩いてください」

「ふざけんな! こうなったら二件目行くぞ、二件目! あれだ、一本奥にある昔ながらの焼き鳥屋。あそこにしよう」

「……はぁ、まあ行くのは構いませんが、もっと新しい店にしませんか? なんでわざわざ古くて汚い店に行くんですか」

「……そんなの決まってるだろ」

 終始ぼやく戸波に対し、俺はこう言い放ったのだった。

「―自動ドアはしばらく見たくないんだよ!」〈終〉


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