Angel snow
「魔王様には蒼いリボンをつけて」クリスマス番外編。
……口下手で不器用なのはお互いさまだからでしょうか。
雪とコートとテレパシー。
※この作品は本編 Episode22-79【終楽章・魔王様は蒼いリボンがお好き~Finale~・14】以降のエピソードです。
そちらをお読みになった後で読まれることを推奨します。
※グラウスさんが壊れています。
※BLです。
※初出:2014/11/14 novelist.jp様 2014-11-14 01:22:22(現在非公開)
「ぽつ、ぽつ」、が、「ぱら、ぱら」、になって、さらに「しと、しと」に変わろうとしている。
私は店の軒下に避難しながら未だに来ない待ち人を想う。
この何ヵ月かずっとお互いに多忙だった。仕事の場では顔も合わせるし言葉も交わす。でも、それだけだ。
朝も早くから視察だ、会議だと引っ張り回され、夜も打ち合わせだ、会食だと帰って来ない。これだけ多忙なら浮気を心配する必要もないが、それにしたって寂しい。せめて最高のお茶でも淹れて労いを、と思っても、そのお茶を飲む暇すらないのだ。
このままでは過労で死んでしまう、と片眼鏡の家令殿に訴えること1ヵ月。なんとか1日だけ休暇を作ってもらった。その日に合わせて自分の有給届を出したらあからさまな薄笑いを浮かべられたが、その程度は気にするに値しない。
今日は久しぶりにふたりだけで会える。
本当は動くのも億劫なほど疲れているだろう。本音を言えば1日中寝ていたいに違いない。それは私も同感だ。
せっかくのオフに1日中ゴロゴロしているなんて最上級の贅沢。だが、あの城でそんな贅沢は許されない。城の中にいればオフだろうが何だろうが客が来れば応対しなければいけないし、急ぎの書類が流れてくれば目を通さねばならない。
だから外! 絶対に外!
知り合いの誰もいないところで、誰にも急かされることなくゆっくり過ごそう。
寒くなってきたら体温が感じられるくらい傍に寄って。
夜景の見えるレストランで食事をして、プレゼントと一緒に告白なんかしちゃったりして。実は部屋を取ってあるんだけど、なんて最近の「クリスマスに彼女を口説き落とす定番」シチュエーションは無理だとしても、せめて友達以上、いや、男として認めてくれるくらいには……うう、少し悲しくなってきた。
ああ、この10年、キッチリ傍にいたのがいけなかったのだろうか。あの人は私のことを空気みたいなものだと思っているに違いない。
あれば当たり前だけれども、いざなくなったら死にそうになるとか、そこまで想われちゃうなんてすごいよ空気! と言えば聞こえはいいけれど、実際にはほとんど視界にすら入っていないと言うことではないのか? それは。
いるのが普通すぎて風景の一部と化しています、みたいな。
それはマズい。実にマズい。
何がマズいって、誰よりも1番あの人を、あ、あ、あ、あ○○○○〇(自主規制)のは私なわけで。
プレゼントはないけれども告白はしたし、それっぽい返事も貰ってはいるけれども、それにしては対応が塩だ。今までと全く変わらない。できればいい加減、この想いに応えて欲しい。
しかしあの人の場合、一世一代のつもりで再告白(それはもう一世一代じゃない、なんて細かいことは言いっこなしだ)したところで「うん、俺もだよ」なんて全く邪気のない笑顔で返してくるだけだろうから……ええ知ってますとも! その「俺も」はLikeの意味しかないってことくらい!! こっちはLikeじゃないんです。L○○○(自主規制)なんです! と心の中でどれだけ叫んだところで空気を読まない彼に届くはずもなく。
せめて! せめて抱きしめるくらい!
それが駄目なら手を握るくらいはさせて貰わないと、何時かあの人の上着やシャツの残り香を嗅ぎながら怪しい行動を取ってしまいそうな自分が怖い。
何にせよ、今日を逃したら次は何時、休暇が取れるかわかったものではない。
クリスマスも年末も新年を迎えたその先まで、既にスケジュールは埋まっている。
その忙しいスケジュールの最中に、あの人に懸想する輩が現れないとは限らない。私というものがありながら毎日のように届けられる見合い写真も、今や処分が追いつかないくらいに積まれている。
だから! 今日はハズせない! ハズせないんだぁぁぁぁあ!! ……と、固く心に誓っていたのが顔に出ていたらしい。
目の前を、傘をさしたお嬢様がたが失笑しながら通り過ぎた。恥ずかしい。
雨は止む気配もない。確か今日あたりは雪が降ると聞いていたのだが。
私はどんよりと黒い雲に覆われた空を見上げる。
今日この日。あつらえたように雪が降れば、世の恋愛下手どもの背中を押してくれただろうに何故雨なんだ。足下がこうもグチャグチャではロマンスの欠片もない。「靴が濡れたから」だの「遅くなると乗合馬車が混むから」だのと言う理由で、今日のために数ヵ月前から練り上げた計画がご破算になったら悲しすぎるじゃないか。
でもまぁ、世の同志はこの際、自力で頑張ってもらうとして。
私は見知らぬ同志を頭の片隅に追いやり、再度、空を見上げる。
大丈夫だろうか、こんなに降ってきて。
あの人はちゃんと傘を持って出ただろうか。
出がけに急ぎの仕事というものに捕まって、「後で行くから」と手を振ったあの人を言葉通りに置いて出てしまったことが、今更ながらに悔やまれる。
家令殿の「ふたりで仲良くお出かけですか?」なんて嫌味に耐えてでも、せめて門のところで待っているべきだった。
煩い専属執事がいないのをいいことに、次から次へと仕事を押しつけられていないだろうか。いや、運よく外に出られたとしてもこの雨だ。水に弱いあの人のこと、日頃の疲れもあって来る途中で倒れでもしたら。
そして通りがかった知らない男に
「こんなに濡れては風邪をひきますよ。幸い私の家がすぐ近くですから寄って行きませんか」
なんて言われたりして。あの人のことだから何の疑いもなくついて行っちゃったりし……ああああ! そんな! そんなことにでもなったらっっ!!
「――気分でも悪いの?」
だぁぁぁぁかぁぁぁぁらぁぁぁぁああああああ!!
そんな、急に現れるなぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!
待ち焦がれた人に背後を取られるまで妄想の世界に埋没していた自身の身のやり場のなさに、頭の中なんて真っ白ですよあなた。
「過呼吸?」
「だ、大丈夫です……」
くらりとよろけた挙句座り込んでしまった私を、やっと来てくれた彼は心底心配そうな顔で覗き込んでくれる。背中をさすってくれる。
頭の中がパニックで何も考えられなくなってるからか、手の感触だけがやけに鮮明だ。
気持ちいい、と思わず和みそうになっちゃって。背中もいいけれど喉とか耳の後ろとかも撫でてくれないだろうか、お腹なんか最高なんだけど、なんて、犬ならともかく人の姿でそれを言ったら変態だ。いやもう、自分で言うのもアレだがかなり壊れている。
そして。
やっとのことで気持ちを鎮めて改めて。その人を見ると、何かが違う。
何か。何か……うん、かわいいのはいつもどおり。嗚呼!! このかわいい人が……私って世界で1番の果報者じゃないですか! 神様仏様ありがとうございます! ってお前魔族だろうが! ええい双方とも鎮まり給えー!! と、ひとりボケツッコミから何だかわからない展開に雪崩れ込んでいる場合ではないのだ。そうではなくて!
「どっ、どうしたんですか!? その服」
いつもと違う原因。それは、その身を包む真っ白ふわもこのダッフルコート。ただふわふわしているわけではなくて、光沢がある。糸と言うか織りと言うか、どれも白ではあるけれど様々な素材が織り込まれていて、その中のいくつかがホロホロと光を零している。
光る素材が光らない素材を引き立て、また逆も然り。うむ。これこそ「皆違って皆いい」。絶妙な配分の良い仕事だ。
そしてそれを着る人がまた! まるで天使ではありませんか、って天使ですよ。ダッフルコートなんていう学生が着るようなデザインのせいでいつも以上に幼く見えるのが新鮮と言うかたまらないと言うか!
天使と言うと勇者の仲間の、あの乳ばかりに栄養が行った高飛車女を連想するせいか、ろくでもない連中だとばかり思っていたけれど、流石は私の天使。かわいい。かわいすぎる!
だから魔族だろう、ってツッコミが最早聞こえて来ないのは我が理性に呆れられ、いや、見捨てられてしまったのかもしれないけれども、だからこそ! 声を大にして言いたい。
いや。
だがしかし。ちょっと待て。
そこで私は、はた、と正気に返った。
クローゼットにそんな白いコートなどなかったはずだ。だがこの人が買ったとも思えない。こういうかわいい系の服は間違っても選ばない。
「グラウスに見てほしくて♡」
なんて絶対に言わない。思いもしない。
ならば誰が?
まさか本当に途中で倒れて「すぐそこに私の家が」の後だったりしたらどうしよう。
「あー……来る途中にあった店の人が着てくれ、って、」
「はあ?」
何でも、来る途中、店先で撒き水をしていたその水がかかってしまい、濡れたコートが乾くまで代わりに、と提供されたのだと言う。
絶対に嘘だ。
ああ、この人が嘘をついているわけではない。だが、この大雨の中、しかも真冬に店先で撒き水をする奴などいるものか。
今年は暖冬だと言うから日中に水を撒いたところで凍りつくことはないが、明日の朝なら凍っている。通行人が転ぶのを見て楽しむ趣味があるのならまだしも、実際にそんなことをした日には将来の客になるかもしれない不特定多数から総スカンを食うだけだ。
ならば何故?
何のために?
元々着ていたコートを奪うためか? だが上質だとしても中古は中古。新品の白ダッフルと交換するほどの価値があるだろうか。
もしかして返す時になって「ここんとこ汚れてますから買い取りお願いします」と言い出す新手の押し売りか!? おのれ、不況だからってなんと姑息な手を。
ああ。そんなことになったらせめて私が支払おう。いや、これは別に「服をプレゼントするのはその服を脱がしたいから」と言う意味ではない。断じてない。第一、コート1枚脱がせたところで大勢に影響など出るものか。
そして、その前にもっと気になる点がひとつ。
「その店員って、男ですか?」
何? と目を瞬かせるその人に、やっぱりいいです、と曖昧に誤魔化した。「すぐそこに私の家が」店員Ver.はいくらなんでも考え過ぎだ。
「着て歩いてくれれば宣伝効果になるから、損じゃないんだ、って言ってたよ」
「そんなわけないでしょう」
やはり門のところで待っているべきだった。何故こうもこの人は他人の意味不明な思惑に巻き込まれるのだ。
どうする? その店に戻って突き返すか? しかし元のコートを取り返したところでびしょ濡れだろう。そんなものを着せて風邪をひかせるわけにはいかない。
「ホントだって。ほら」
と、指をさされた少し先の店の屋根の上では同じ白いコートを来た女性が微笑んでいる。
今冬の新作! なんて文字が躍っている。
「……女性もの?」
「ユニセックスだって言ってた」
ユニセックスだとしても男が着るにはかなり着る者を選ぶだろう。自分には無理。若づくりが中途半端に痛い人にしか見えない。
「やっぱ、変、だよねいい歳して」
「え!? いや、(あなたなら)全然変じゃないです!」
「でもさっきから何か見られてる気がするし」
その言葉に「ストーカー?」という疑問符が浮かぶ。
まさか。
まさか「すぐそこに私の家が」が未遂で終わった男がつけて来たとか!? 私の最愛の人にそんな不埒なことを仕掛けて来る輩など、再起不能になるまでブチのめしてやります! と回りを見回すと……不埒かどうかは不明だが、確かに通り過ぎる人々がこちらを見て行く。
それもひとりやふたりではない。
さらには背後、今現在こうして借りている軒先の店の中からも見られている。
そして。
「あの服かわいいー」
なんて声が聞こえた。
そうか。このコート。着て歩いてくれれば、って。
あんな大きな看板になっているのだ。店側としてはどうしても売りたいものに違いない。しかし今年は暖冬。きっと売り上げが伸び悩んでいるのだろう。
宣伝をすれば売れるだろうが、見合っただけの売り上げがなければ大赤字。あの大きさの看板1枚でも何十万とすると聞いたことがある。
だが、ただ歩いているだけで目立つような人に着せて歩かせれば、宣伝費はタダだ。屋根の上の1枚絵と同じ目線上で実際に着て見せるのではインパクトも違う。いい宣伝効果になる。
……やられた。
そうじゃなくてもこの人は目立つのに。
ここまで人目に晒されては、肩を抱くどころか手を繋ぐことすらできやしない。
魔族は異性間恋愛以外の性愛にも寛容だと言われているけれども、どう見ても「かわいいけどあれってやっぱり男の子よね」にしか見えないこの人と、完全に男でしかない私がちょっと度を超えた親しげな態度でも取ってしまおうものなら
「ママー、あのお兄ちゃんたち手ー繋いじゃってるよー」
「しーっ、見ちゃいけません」
なんて、児童の健全な成長の妨げになりそうな光景100選に選ばれること間違いなし。
でも。でもっっ!
もう何ヵ月も前から待ってた今日、この日!
好奇の視線が何だ! モデルだったら女性でも180cmはあるだろう!? それを思えばパッと見は女の子に見える! はず! 絶対!!
あ、いや。でも私はあなたが女の子に見えるから好きになったわけではなくて、これは性格とかその他諸々が好みだと言うか、同性だというのを差し引いてもその辺の女など比較にもなりゃしないんです! と心の中で弁明しまくりつつ振り返る。
と、当の本人は呑気にショーウインドウなんか覗き込んでいて。
で。
「ね、これなんか似合うと思わない?」
なんて笑顔で言ってくるんだから性質が悪い。
無邪気も此処まで来ると悪意ですよ、と言いたい気持ちを呑み込んで、指の先に目を向ければ、其処に並んでいるのは銀色のペンダントトップ。
歪な、多分ハートだろうと思われる銀細工に、小さな石がついている。
……似合うって、誰に?
私は指先のソレと指先の持ち主とを交互に見比べる。
主語抜きで話をするのはやめて下さい。10年傍にいたところで、以心伝心、ツーカーの仲になるわけではないのです。もしツーカーになっているのなら私はここまで苦労はしません。
さてここで問題です。
誰に?
本命:ルチナリス。
対抗:アイリス嬢。
単穴:ソロネ。
まさかとは思うが「俺こんなのも似合うんだよ、だから買って♡」と言う意味ではないでしょうね?
わからない。
「とっ……隣の……羽根がついているほうがよろしいのでは?」
こういう時は下手に限定せず、探りを入れるに限る。会話の内容からそれとなく対象相手を割り出すのだ。
私はハートの隣に並んでいる、ピンクの石に銀色の羽根が生えたものを指してみる。
対象相手を間違えてトンチンカンな受け答えになることだけは避けたい。だが、誰に? と聞くのは野暮だ。
第一、本当に「俺こんなのも似合うんだよ」と言う意味だとしたら、対象相手などいない。機嫌を損ねるだけになる。
案の定、相手は小馬鹿にしたような顔で見上げてきた。
「女心がわかってないなー。そんなかわいいだけのより、あえて大人っぽいのを選ぶといいんだよ」
それがもう大人、な子に対するマナーだからね、なんてしたり顔で。
ああ、だとするとルチナリスか。
この人の最愛の義妹。せっかくのデ、デート、の時でさえこの人の頭の中にはあの娘がいるのか。
会話は事なきを得たけれど、心の嵐はおさまることを知らない。
逆にあの娘と出かけている時は、この人はチラッとでも私のことを考えてくれたりするのだろうか。チラッと……煩いのがいなくてラッキー! いや、そんなはずは。せめて、せめていつもと風景が違って寂しいとか思……何だか悲しくなってきた。
「……………………それなら、隣のビーンズは如何でしょう」
「あの歪んでる奴?」
「人気だそうですよ。丸いから服に引っかかったり首に刺さったりもしません」
「ふーん」
ハートにしろ豆にしろ歪んでいるのはこの店の仕様なのだろうか。これが本当に流行っているのだろうか。女性の好みは不可解だ。
だが、服に引っかかったり首に刺さったりしない、が決め手になった。こういうところで実用性を重視するのがこの人らしい。あっさり店の中に入って行ったその人を追って中に入ると、既に会計も終わり、包んで貰っている。
ふふふ、ごめんよルチナリス。お兄ちゃんが選んだものではなく、巷で普通に人気の品に変更させたのはちょっとした嫌がらせだと思ってくれたまえ。
何と言っても今日のこの日に、この人の頭の中に出てくるのが悪い! しかも、よりにもよってハートを贈られるだなんて、阻止だ! 阻止!!
しかし。
まさかこれから届けに行くなどと言い出さないかとヒヤヒヤしながら見守っていると、どうやらそのまま郵送して貰うようだ。よかった。これ以上私の時間を減らすわけにはいかない。
「お待たせー」
「いえ」
嬉しそうに戻って来たその人を満面の笑みで出迎える。
何と言っても今日は数ヵ月ぶりの休暇。この先も当分ない休暇。今日だけは喧嘩もしないし、どんな我が儘にだって堪えてみせましょう。一緒にいると楽しいとか嬉しいとかふ○っしーとか、そう思ってくれればもっといい。
「クリスマスプレゼントですか?」
「うん。何時の間にか終わってそうだもん」
「年末年始は忙しいですからねぇ」
そう。間違っても「私の分は?」なんて聞いてはいけない。
こうして一緒にいられるだけで、でもできれば今日という1日が終わる頃には少しくらい人目のないところでいいムードになってくれれば……いや、そんな期待はするものか。何もなかった時のダメージが大きすぎる。
「あれ? 雪だよ」
一足先に店を出たその人が空を見上げる。「しと、しと」がいつの間にか「しん、しん」に変わっている。
初雪だね、と両の掌を捧げるようにして結晶を受け止める姿に、私はただ目を細める。
綺麗だ。
真っ白いコートに身を包んだあなたと、天から舞い降りる真っ白い天使の羽根。
あなたのまわりだけ、時が止まっているようですよ?
「寒くないですか?」
「……ちょっと寒い、かな」
ずっと雪を受け止めていてすっかり赤くなった手を擦り合わせながらその人が笑う。
その手を取り、両手で包み込んで息を吹きかけると、少し驚いたような顔をした。
ああ。あの日、私を見上げたあなたと同じ顔。
その顔が見る間に朱に染まる。
「え、ええっと………………みんな、見てる」
最後のほうの小さい声に我に返る。
今は昼間。場所は通りのど真ん中。
見て見ぬふりをしながら通り過ぎる、空気を読んでくれる人々の視線が痛い。
「あ、いや、む、向こう行きましょう!」
慌ててその手を掴むと自分のポケットに突っ込んで。流石にまだ冷たい手をそのままにはできない。手袋の代わりくらいにはなるから、と思ったのも束の間。ごそり、とポケットの中の手が動いた。そのまま何かを掴む。取り出す。
「あ! っと、それは!」
しまった。ポケットの中に入れていたのを忘れてた。
慌てて声を上げた私に、周りからここぞとばかりの好奇の視線が飛んでくる。
「…………………………ふぅん」
妙に悪意のある目で見上げてきたその人は、私が言う前にストン、と其れをポケットに返してきた。
「そんなに大事なものなんだ」
「え、ええ、まぁ」
しまい込みながらおそるおそる声のほうを窺うと、とんでもなく極上の笑顔。でも、笑ってないように見えるのは私だけですか?
「帰ろっか」
「え」
「俺、明日も早いんだよね。店が閉まる前にコートも返さないといけないし、俺のも返して貰わなきゃだし」
そう言うとその人は笑顔のままスルリと身を翻した。
マズい。
何がマズいって、絶対誤解している。それもかなり斜め下に。
いや待って。普通ふたりっきりで会うって日に其れ持ってたら、自分宛てだと思うでしょうが。
でもこの人は思わない。空気を読まない。慌てて隠そうとした私にも非がないとは言えないけれど、自分と待ち合わせる前に買い込んだ「他の誰か宛て」だなんて無理のある思い込みをしてくれるのがこの人だ。
「待って! 違うから! これは!」
振り返りも立ち止まりもしないでどんどん歩いて行ってしまう人を追いかける。
(何が? 俺なぁんにも気にしてないし)
(気にしてるでしょうが)
(気にしてないよ)
(じゃあ何で怒ってるんですか)
(怒ってない。お前が何持ってたって俺関係ないし)
(だからあれは、)
(必死に取り返しちゃうくらい大事なんだもんねぇ)
(それを言うなら今日みたいな日に義妹のプレゼントを買うあなたのほうがよっぽど!)
(知らない)
……なんて、実際にはどっちもずっと無言なんだけれども、背中が語っていますよお兄ちゃん。
これってテレパシーか?
ああ、本当にテレパシーが使えたらこんなわけのわからない誤解をすることもなければ、気持ちが伝わらない、と苦労することもないのに。
もう!
追いかけて腕を掴んで振り向かせて。
蒼いリボンを結んだ「其れ」を目の前に差し出して。
予定より9時間16分ほど早いけれども不可抗力だ。仕方ない。
「施しは受けない」
施しって。
他の誰かに贈るはずのものを見つけられてしまったから、急きょ自分用に切り替えてきた、とでも思ってやしないでしょうね? 見ず知らずの馬の骨からコートを貰うのは良くて、10年連れ添った私が差し出したこれが駄目な理由を800字以内で述べよ、って言ってもいいですか!?
「だから………………今日みたいな日にこんなもの持ってたら、自分宛てだと思って下さいよ」
と言うより、私が他の誰にこんなものを用意するって言うんです?
「今日が何の日だって言うんだよ! 今日は平日。たーだーのー平日っ!」
だぁぁ! もう!!
十数分前のご自分の行動と照らし合わせてから言ってもらえませんかその台詞!
あなたさっき、ルチナリスに何か送りましたよね? それも平日ですよね!?
「クリスマスも年末も仕事なんですよ!? 今日以外に何時渡せるって言うんですか!」
どうやって渡そうかと何ヵ月も前からシュミレートしたって言うのに。
そういうのを全部ブチ壊してくれるんですね、あなたって人は!
ほら。
ほら、受け取って下さいよ。これは「あなたに」なんですから。
片腕を掴んで、もう片手で小箱を差し出して。
周囲の目が痛い。とてつもなく痛い。でも私だってこんなところで渡すつもりなんかなかった。私は、
ふくれっ面のままぎこちなく伸びた手が、差し出した箱を私の手ごと包む。
「……馬鹿」
「他に言うことはないんですか!?」
「ない!」
意地っ張りだ。誰がこう育てた? 私だ。
でも。
夜景の見えるレストランも甘いシチュエーションも全部吹っ飛ばしてしまったけれど。
そんなものよりずっと、私たちらしい。
テレパシーで言い合いながら何処まで歩いて来たのやら、通りは此処で行き止まり。突き当りを塞ぐようにして建つのは窓も扉もない不思議な建物だ。
その壁から、ふいに「ジー」と耳障りな音がした。
と思った瞬間、格子状にデザインされた壁だとばかり思っていたその格子のひとつがくるりと回る。
罠か!? と咄嗟に腕を引き込み、その人を壁から隠したものの……現れたのは白い羽根がついた少女の人形。その後もくるり、くるり、と同じように7つの壁が回転したが、その全てが人形だ。
迫り出してきた人形が止まると、何処からともなく音楽が聞こえてきた。
音楽に合わせて人形が歌う。
絡繰り時計だ、という声が聞こえた。
突然のことに周囲の人々も、壁から現れた天使の歌に目を奪われている。皆、上を向いている。
……だから、ですか?
「寒い」
「へ?」
「寒いんだけど!」
「え? あ、はい。ええと、マフラーしかないですが、」
いきなりの声に巻いていたマフラーを解こうとすると、仏頂面のまま睨まれた。
「あの?」
「少しくらい空気読めよ」
空気を読めって。その言葉をあなたから言われるとは思ってもみませんでしたが。
解きかけたマフラーもそのままに、私は、ぷい、とそっぽを向いてしまった人を見下ろして――。
……口下手で不器用なのはお互いさまだからでしょうか。
今なら、テレパシーが通じるような気がします。
その白いコートの上からくるりとマフラーを巻いて。
ご要望通り、寒くないように抱き込んで。
「 」
他の誰でもなく、あなただけに。届け。
掌から伝わる熱と、トットットッという軽やかなリズム。
今日は、「うん、俺も」って、言わないんですね。
でもちゃんと聞こえましたよ。あなたの返事。
「ママー、あの、」
「しーっ、見ちゃいけません」
なんて声も、今だけは聞こえないふりをしよう。
雪が降る。
優しい色の、あなたと同じ色の雪が――。




