嘘に咲く花
執筆にあたり、診断メーカー様(http://shindanmaker.com/582807)「あなたの嘘に咲く花は、」より
『紫の花:花言葉は”さよならと言って”』
『金の花:花言葉は”私だけが傷つけばいい”』
を参考にさせて頂いております。
初出:taskey様(現在サイト閉鎖)
扉を開けた私の目に飛び込んできたのは、床一面を覆う紫色の花だった。
その町で嘘をつくと花が咲く。
町で生まれ育った者も、ふらりと立ち寄った旅人も。
嘘を口にすれば、同じように。
親しい間柄なら、花を見ただけで誰が嘘をついたのか、ということまでわかってしまうらしい。
だから町の住人は極力、嘘を口にしない。
もちろん、花を咲かせるために嘘をつく場合もある。日頃、真実しか口にできないうっぷんを晴らすかのように、春には嘘をつくための祭りが行われることでも有名だ。
そのときは町全体が花で覆われてしまうらしい。
「僕ピーマン食べられるんだ! 毎日ピーマンでもいいくらい!」
「えーっと、それじゃ、それじゃ……あたしはトマトとお魚が好きー!」
子供たちが笑いながらそんな言葉を叫んでいる。彼らの周囲には赤や黄色の花が、波紋が広がるように咲いていく。
この町ならではの遊びだ。見ているだけで、つい頬も緩む。
その後、母親らしい女性に「それじゃ今晩はピーマンとお魚ね」と言われ、慌てて弁明していた彼らの足元には、それ以上花が増えることはなかった。ピーマンや魚を食べたくないというのは、どうやら嘘ではないらしい。
扉を開けた途端に、むせかえるような甘い匂いが流れ出てきた。
それと同時に視界に飛び込んできたのは床一面の紫。
この匂いは花の香りなのだろうか。催淫効果でもあるのか、ふと我を忘れそうになる香りは、初めて嗅ぐようでいて、何処か懐かしい。
部屋の主は窓際の揺り椅子で眠っている。
他に誰もいないことを考えれば、この花を咲かせたのはこの人なのだろうが、まさか自分の咲かせた花の匂いで眠り込んでしまったわけではあるまい。
花をかきわけて椅子に近づく。
肘当てにわずかに触れただけで、揺り椅子はキィ、と音を立てた。
ゆらり、ゆらり、と前後に揺れる椅子に合わせて、黒い髪がさらりと流れる。かすかに、規則的な息づかいが聞こえる。
ひとつ屋根の下で暮らしているこの人から、この町へ来いという手紙が届いたのは今朝のこと。
不思議に思って見てみれば既にこの人の姿はなく――訝しく思いながらも書かれた住所を頼りに辿り着いたのがこの部屋だ。
あちこちひび割れた壁と錆ついた手摺りのついた、小さなアパートメント。誰にも知られずひっそりと過ごすための隠れ家のようなものだろうか。
何故こんな部屋を持っているのかも、いつ手に入れたのかも、私は知らない。
白い部屋。
紫の花。
甘い匂い。
誘われるように顔を寄せ……触れる寸前で私は動きを止めた。
何か聞こえた。その唇から。
「……ら」
「ら?」
何だろう。ラクダ? ラッパ? ラムレーズン?
いや、今の言い方だと語尾が「ら」で終わる言葉だろうか。
ゴマ油? オペラ? 在原業平?
いったいなんの夢を見ているのやら。
閉じた目から、つ、と一筋涙が伝う。――と、その時、視界の端でまたひとつ、花が開くのが見えた。
嘘をつくと咲く花が。
「……あれ……もう来たの?」
「呼んでおいてそれはないでしょう?」
眠そうな顔のままあくびを噛み殺しているその人に、私は溜息をついた。
こんな遠くの町に呼びつけるのだからきっと何か特別なことでもあるのだろう、と淡い期待を抱いたのはこちらの勝手だから文句は言えない。しかし、二人きりで会うと言われれば何も考えないほうが無理というものだ。
しかも床一面に敷き詰められた花に出迎えられ、その人は据え膳よろしく眠っていて。
むしろ手を出さなかったことを褒めてほしい。いや、今後の進展のためには出しておくべきだったかもしれない。
いつもと全く変わらない態度を前にそう思う。
「目が覚めるようにお茶でも淹れましょうか」
そう言ったものの、この部屋には食器らしきものがない。それどころか揺り椅子ひとつしか存在していない。
食事は外に出るとしても、寝る時はどうするんだ? 床か?
花に埋もれて眠るシチュエーションもこの人なら絵になるかもしれないけれど……色のせいだろうか、妙に淫美だ。想像しておいて何だが、それはやめてほしい。
「下僕根性が染みついてきたねぇ」
私がそんな想像を繰り広げているなんて思ってもいないのだろう。その人は無邪気に笑っている。その笑みに、先ほどの涙の影はない。
「そういうのはホストの仕事でしょ? お客様は座ってなさい」
「何処に」
ぐるりと部屋を見回す。
やはり何もない。
この花を取り除いたらティーセットが用意されている、なんてミラクルは信じない。
「ああ、面白いでしょ? 花が咲くの」
身を屈めて一輪摘み取り、はい、と差し出される。
嘘をついて生みだされた花を差し出す行為には、何か意味でもあるのだろうか。恋人の目の前で紅いバラを咲かせてプレゼントする、とかならプロポーズにも使えそうだが。
「これは、なんて花ですか?」
「紫苑」
シオン。オウム返しのように呟くと、その人は一度、花を見……それから顔を上げた。
「花言葉は、”君を忘れない”」
紫がかった蒼い瞳で私を見上げる。潤んだような光をたたえて。
ああ、なんでこうなんだこの人は。
こうも直球を投げ込んでくるのは、その言葉の意味を深く考えてないだけなんだろうけれど。……ねぇ、その意味、ちゃんとわかって言ってます? 私の胸に矢を打ち込むのは趣味ですか?
いつまで経っても受け取らない私の手に紫色の花を押しつけ、その人はそのまま手を引っぱった。
「と言っても、なぁんにもないもんねぇ。外に出ようか」
すっかり暗くなった町にぽつり、ぽつりと灯りがともる。私は手の中の花に視線を落とす。
この町では、嘘をつくと花が咲く。
部屋一面に咲いた花と、頬を伝う涙。そして、”君を忘れない”という意味。
別にその花言葉だから咲かせたわけではないだろう。咲かせる種類まで選ぶことができるとは聞かない。
でもこれは、この人の心から咲いた花。
心を映して咲いた花。
なんの意味もないはずはない。
「何か食べたいものってある?」
にぎやかな看板を指し示しながら前を歩いていく人の背を、ただ、見つめる。
「……私も、忘れません」
引っ張っていくその手を掴み直すと、その人は足を止めた。
ゆっくりと振り返ったその人の頬に、街灯の明かりが映る。ほのかにオレンジがかっているのが頬を染めているから、だったらどんなによかっただろう。
でも違う。
目が、花と同じ色をした目が、そう語ってはいない。
「この花ね。もうひとつの意味は、”さよなら”って言うんだよ」
「だから?」
そんな気はしていた。
この人がこんな勿体つけた行動を取るのは大抵、別れを切り出そうとする時。
近づけば近づいただけ、この人は離れて行ってしまう。真夏に揺らめく逃げ水のように。
「……言って。さよならって」
ぱさり、と花がひとつ咲く。
あの時、眠っているこの人の唇が紡いだ言葉はこれだったのだろう。
あんなに花を咲かせるくらい、何度も、何度も、誰もいない部屋で呟いていたのだろう。
また何か、言われたのだろうか。
「嫌です」
「言って」
ぱさり。
この花は、あなたの口以上にあなたの心を代弁している。部屋を埋め尽くし、今でも足元に増え続けている。
こんなに溢れ続ける思いを前に別れの言葉が言えるほど、私は鈍くはありません。
「そんなくだらないことを言わせるために呼んだんですか? そりゃあ私はあなたほど強くはありませんが、でも護るって言ったでしょう? そんな命令は聞けません」
あまりにもくだらなくて、あまりにも愛しい。
私の身を案じるあまり、私を遠ざけようとするあなたが。
「私じゃあ全然頼りになどならないでしょうけどっ!」
ぱさり。
足元でひとつ金色の花が咲く。
「……そうだね。頼りにしてる」
その人は大事そうに両手でその花を取り上げた。
その手の中で、花はほろほろと砕けて散っていく。
「当然です」
きゅ、と握る手に力を込める。
その花の意味は、”私だけ傷つけばいい”。
でも、あなたには教えない。




