Valentineday kiss
冬にしては暖かいその日、私たちは町長に呼ばれて城下の町を視察に訪れていた。
青藍は町長と2言3言交わしながら私の前を歩いている。何が面白いのか、時折町長の話に笑みを浮かべている。
その彼と肩を並べて歩いている中年男は典型的な政治屋だ。
領主が放任主義なのをいいことに好きなように町を仕切っているだけならまだしも、無理難題が生じると思いだしたかのように飛んでくる。
政治理念は『人類皆兄弟』だったか? 悪魔も悪人も対話でなんとかなると言う素晴らしい思想の持ち主で、悪魔の城と名高いノイシュタイン城にも平気でやって来る珍しい人種だ。
青藍は好意的に見ているが、悪魔を怖がらない人間ほど恐ろしいものはない。領主をはじめ、城の者のほとんどがその悪魔だと知ったら何をして来るだろう。
また、さらに厄介なことに、この男にとって青藍はお気に入りの部類に入るらしい。
暇さえあればやって来るし、暇がなければ呼びつけられる。
頼むから変な気を起こすのだけはやめてくれ。と願わずにはいられない。
「領主様~」
横の路地から女性が2人、青藍へと駆け寄って来た。
とっさに彼の前に出かかったのを、当の本人に笑顔で止められる。
彼女たちの手には小さな箱。ピンクや赤のリボンのそれにまさか爆薬は入ってないだろうが、彼はその箱を何の躊躇いもなく受け取ると、そのまま私に差し出した。
「くれた人メモっておいて」
「はぁ」
何だろうこの箱は。
その後もどんどん箱は溜まっていく。
ホールケーキが入りそうな巨大な箱まで登場した。店先の女性が見かねて袋をくれたくらいだ。
「いやぁ今年は領主様は来ないのかと何人か直談判に来られましてな」
町長は自分のことでもないのに得意げに言う。
「あぁ、だから意味もなく呼ばれたわけですか」
「昨年のお返しが評判でして是非今年も、と」
「喜んで頂けてなにより」
青藍は春の陽光のような笑顔を町長に向ける。
お願いです、その中年男に笑顔を無駄に振りまくのはやめて下さい。
そう心の中で訴えたところで聞こえるはずもなく。
昨年、何かあっただろうか。
町長宛てに何か送りつけていたのは覚えているが、なにぶんポケットマネーを使われては確認のしようがない。
それにしてもこの箱の量……今日は何かの回収日か?
「相変わらず大人気で羨ましい限り」
「そう言えば町長からはまだ頂いていませんね」
「またまた、はっはっは」
何の話だ。
しかし何にせよ、目の前で命より大事なご主人様が腹黒そうな中年男と談笑している絵を見せつけられるというのは、あまり気分のいいものではない。
私の視線に気が付いたのだろう、青藍は少し速度を落として隣に来た。
いたずらっぽい目で囁く。
「今日はね、バレンタインって言って好きな人にチョコあげる日」
「好きな人? ……これ全部!?」
ちょっと待て。
うちのご主人様は自慢じゃないが、プレゼントどころか声をかけるのすら難しい上級貴族様だったはず。それが何故。
そりゃあ魔族のしきたりを人間界に持って来ることなどできないが……ライバルと言えばせいぜいルチナリスくらいだと思っていたのに。
「妬いた?」
妖艶な笑みに思わず息を呑む。
この人はたまにこんな顔をするから心臓に悪い。
それがまた無邪気な笑みに変わる。
「1ヶ月後にお返しする日があるんだ。今年は期待されてるから大変だなぁ」
お返し。これ全部に。
どうやら彼女たちの場合、好きな人に、と言うよりもお返し目当てのようなのだが、それにしても全く好意が含まれていないなどとはどうして言えるだろう。
地位があって、金も持っていて、適齢期で、しかもこの見た目。
玉の輿狙いだっていないとは限らない。
「お返し何にしようかな」
胸の前で両手をぺちぺちと合わせながら、青藍は肩を揺らす。髪に結んだ空色のリボンがふわりと舞う。
ひとの気も知らずに。
まぁプレゼントは選ぶのが楽しいわけだし、これも領民との親睦を兼ねたプレゼント交換会のつもりで大目に見ないといけないのだろう。
しかし人間たちにこんな習慣があるとは知らなかった。
好きな人に……。
ちらっと視線だけ向けたつもりが、こっちを見上げている目とバチッと合ってしまって慌てて逸らす。
こんな習慣があることがわかっているなら、チョコのひとつも用意したのに。
だが1ヵ月後に彼女らと同じお返しが届いたら、それはそれで悲し過ぎる。
パンパンに膨らんだ紙袋。
ずっしりとした重さが両手に2つ分。
これがそれぞれの愛の重さだとしたら……それを思うと気も重い。
「……どうするんですか? これ」
捨てるのか?
甘いものは苦手だったはず。
「おかえりなさい」
城に戻るとルチナリスが駆け寄って来た。
青藍が拾ってかわいがっている人間の娘だ。最初に会った時は何故こんな人間の小娘を、と思ったが、彼らは案外にうまくやっている。傍から見れば仲の良い義兄妹のようだ。
「はい」
駆け寄って来た義妹に青藍は空の両手を差し出す。
「な、何?」
「お兄ちゃんにくれるものがあるでしょ?」
瞬時に頬を染めたルチナリスは仕方ない、みたいな顔でポケットから小さい包みを取り出すと、差し出されている両手にのせた。
「……上手く出来なかったけど」
「うわー手作り?」
目を輝かせて受け取った彼は嬉しそうに義妹に抱きついている。
「くっつくの無し!!」
見慣れた光景だ。と言うか毎日1回は見せられている。
いい加減見慣れたが、これだって楽しいものではない。
特に今日のような日は。
しかしこの娘の腕前で手作りとくれば、それはもう食べられるようなものではないだろう。喜ぶのは青藍くらいに違いない。
ああ、本当に事前に知っていれば。
こんな物体Xにまで後れを取るなんて。
「あ、これ、おみやげ」
青藍は私の手から紙袋をふたつとも受け取ると、そのままルチナリスに手渡した。
他の女性から貰ったチョコレート。ざっと見て約1年分。
彼女が複雑な顔をして受け取ったのもわかる気がする。全部食べたら太るだろう。
執務室に戻ると青藍はさっきの包みを取り出した。
物体X。もとい、義妹の手作りチョコ。
「そう言えば、お前、ひとつも貰ってないよね」
彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら歪んだちょうちょ結びのリボンを解く。
いやその前に仕事中だし、貰う気ないし。
そんな物体Xを貰うくらいなら何も貰えないほうがずっとましだし。……とは言えない。たとえ気に入らなくても物体Xでも、心がこもっているであろう品を蔑ろにするわけにはいかない。
ああもう、終わったことだ。チョコのことは忘れよう。
私は凝り固まった肩をグリグリと回すと、執務机の上に積まれた書類の山に目をやる。
わけのわからない親睦会に結構な時間を取られてしまった。今日中に片付けられるだろうか。
「しょうがないなぁ、恵んであげよう」
書類に移りかけた心を思ってもいない声が引き戻した。
振り返ると妙に嬉々とした青藍が物体Xをひとつ摘み上げている。
「はい、あ~ん」
何!?
それは義妹のチョコでしょう!?
ご自分で食べるんじゃないんですか? と言うかその前に、それは本当の本当に食べられるシロモノですか!?
彼の顔と物体Xとを見比べる。
毒見しろということだろうか。毒など仕込むはずはないと思うが、あの娘の場合、溶かして固めただけでも毒になる。
「……それは、」
「お前にやる」
そう言えばこの人、甘いものが苦手だった。
私はすっかり忘却の彼方に吹き飛ばしてしまっていた事実を思い返す。
義妹にせがんで貰った手前、食べないわけにもいかない。だから私に代わりに食べろと言うのだろう。だったら最初からねだったりしなきゃいいのに。
恵んでやるとか何とか口実を付けていないで、素直に食べて下さいと言えばいいものを。
たかがチョコ。されどチョコ。
そのチョコひとつにこんなにも心が乱される。
「溶ける。早く」
ぷぅっと頬を膨らませた顔に仕方なく身を屈めて口に含む。
摘まんでいた指先が唇に触れた。
『――今日はね、好きな人にチョコあげる日』
くわえながら目の前の人を見上げる。
何も考えてなさそうな笑顔。この人は多分、自分が言ったことも忘れてるんだろう。
でもそのせいでこっちはひとりで悩んで落ち込んで。挙句の果てに物体Xまで食べさせられて。
ああ……何だか無性に癪に障る。
気付かれないようにそっと手を伸ばした。
そのまま彼の背に回して勢いよく引き寄せる。
抱きすくめられて目を丸くする彼の顎を捕え、さっきのチョコを口の中に押し込んだ。
口移しで。
「なっ、何すんだお前はっっ!!」
さっきまでの上機嫌はどこへやら。
壁際でご主人様はふるふると怒りに震えている。そんなところまで逃げなくても。
「だって今日は好きな人にチョコをあげる日なんでしょう?」
私は床に放り出された淡いピンク色の箱を拾い上げた。
箱の中には歪なハートがあと5つ。歪なおかげで床に散らばることもなかったのは不幸中の幸いと言うべきか。
「……あと5回、していいんですよね?」
「は!?」
あなたから貰ったチョコはあと5つ。
そのひとつを摘み出すと、見るからに青藍の顔色が変わった。
「ばっ……馬鹿! やっぱり返せっ!!」
必死に手を伸ばしてくる彼に取り返されないように箱を高く上げながら、ちらりとその顔を見る。
「何ニヤついてんだよ!」
「いえ別に」
「しないからな!!」
うん。
もしかしたら……毎日バレンタインでもいいかもしれない。